恩田町2丁目の生活道【2】

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(「恩田町2丁目の生活道【1】」の続き)

《 恩田公会堂への道(C→D)》
公会堂の屋根がちらほら見え始める頃に生活道は奇妙なクランク部分に出会う。
一旦左へ曲がり、それからすぐ右に伸びている。


次の右へ曲がる場所まで道の端に自然石が埋め込まれている。
レンガではないのでこの場所は塀ではなく昔からこの状態だったと思う。
この折れ点から左へ進む農道があるが通った記憶に薄いので省略する


この折れ点から先は直線路となる。片側が石積み、片側は一段だけ埋め込まれたレンガだ。
昔はレンガ塀だったかも知れないが確証がもてない。


ある程度の幅の道になるも四輪が通れる幅はない。自転車のタイヤの跡だけが遺っている。


同じ場所から敷地の方を撮影。
公会堂へ通っていた時代はまだこの敷地に屋敷があったと思う。現在はレンガ塀だけが遺っている。
家屋はかなり早い時期に解かれたと思う。レンガ塀を観る限り、国道から入ったところに見られたちょっと怖い屋敷の塀に似ている。


D地点到着。
ここから先はアスファルトで固められている。左へ曲がればそこが公会堂だ。


反対側から撮影。
ブロック塀とその内側にある民家は昔から変わっていない。


なお、恩田公会堂については個人的関わりも含めて以下の記事にまとめている。
派生記事: 恩田公会堂
さて、別の時期に撮影した画像を掲載しつつ通り過ごしたB地点まで戻ることとする。
B地点までの写真は2012年に撮影されたもの

解かれたレンガ塀民家の前の道。
生活道の端に沿って僅かながら赤レンガが遺っているのが見える。 このレンガの高さが不揃いなのが塀ではなく元から生活道と敷地を仕切るために並べたものと考える理由だ。


注意深い読者は、未舗装部分の地面が妙に赤茶色っぽいことに気付いたかも知れない。
この場所に限らず恩田地区の古い未舗装路には普通に観られた特性だ。いわゆる真砂土系の土で、霜降山をはじめとする近辺によくみられる。経年変化により脆くなり容易に風化し粉々になる。粒が大きいものは鬼真砂(おにまさ)として庭などに敷き詰められるが、粒子が細かくなると粘土化する。これは雨降りのとき水分を含み酷いぬかるみの原因になった。
上の写真でも左側の湿った部分に痕跡がみられる。人の足や自転車の轍でこね回されると著しく変形し、乾いて固化すると非常に歩きづらくなる。このため水はけの良い砂利を上に敷き詰めるなどされた生活道が多い。

逆から見たクランク部分。
公会堂から帰るときここがクランク状になっていたのを覚えているのが、この民家が割と早い時期に解かれたという自分なりの根拠だ。


元はキャベツなどを植えた畑だった。現在も家などが建たず昔のままの姿である。この場所まで進入路を確保できないのも一つの理由だろう。


さて、B地点まで戻ってきた。
家に帰るときは常に左への分岐を通っていた。


したがってB〜F区間それ自体に想い出はない。
しかしこの分岐点に歴史の証人のようなものがあることは何となく覚えていた。
《 市道宇部新川恩田線から恩田公会堂への道(B→F)》
この分岐点の頂点部分に境界柱らしきコンクリート柱が埋め込まれている。


市道宇部新川恩田線の方へ出るこの道を挟んで加工されたと思われる石柱が埋められている。


土地の境界石と思われるが、あるいは余った間知石を頃がしているだけかも知れない。


市道宇部新川恩田線のF地点を見通している。
冒頭で述べた通りこの道を通った記憶が殆ど残っていない。


一応、F地点からB地点まで逆方向からも自転車を押し歩きしている。しかし市道のF地点は改変が酷く昔の面影はまったく遺っていない。途中の生活道部分も両側は割と新しいブロック塀で、明白に当時のものでないことが分かるので撮影はしたものの載せていない。

当時とあまり変わっていないのはこの辺りからとなる。
すぐ先がB地点だ。


この道は公会堂へ行った帰りそのまま友達と公園へ遊びに行くなどしたなら、あるいは一度くらい通ったことはあるだろう。相当に昔のことであり思い出せることは何もない。もっとも当時の友達から何か昔の話を振られたなら記憶が甦ることはあるかも知れないが…
《 市道恩田則貞線から恩田公会堂へ至る道その2(G→C)》
通った記憶はあまりないが道の存在だけは昔から知っていた。
撮影してきたので市道側からC地点までを掲載する。

市道恩田則貞線にある恩田公会堂方面へのもう一つの入口を終点側から撮影している。
マップではG地点になる。
先の方に見えるカーブミラーの場所がE地点になる


G地点から最初の十数メートルの区間で進行方向左側に割と最近マンションらしき建物ができていた。昔と景観が変わっており被写体から外すために撮影していない。
他方、右側のレンガ塀の部分は昔と変わっていない。

レンガ塀だけ遺っている民家の玄関らしき入口。
既に記述した通り現在は家屋はない。


小学生時代はこの枝道は舗装されておらず、市道の終点側から全体が見えていた。
市道に沿った公会堂側の敷地は一段高く、恩田山の北側の端にあたる。その裾野に沿って辿っていることになる。

現在は住宅が建ち並んでいるため奥の方まで舗装されている。
スロープの始まるから先だけ昔の道の面影を遺している。


僅かばかりの坂を登るとC地点に到達する。回数は少ないが小学校時代に何度か歩いた記憶はある。
C地点手前までアスファルト舗装されており、この進入路を舗装するとき整備したようだ。


恩田町2丁目との繋がりは恩田公会堂以外にないので、また何か新たに昔のことを思い出さない限りこれ以外の生活道路をレポートすることは多分ないだろう。

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