本山岬の西海岸に見つけたもの【3】

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(「本山岬の西海岸に見つけたもの【2】」の続き)


海に向かって垂直に伸びる堤防は割と新しそうだから、まあいいとして…
何か浜辺の様子がおかしい。見慣れないものが沢山転がっている。


何これ?(その1):
うち棄てられた大量のコンクリート柱?石柱?


ズーム撮影。
そのすべてが整然と同じ方向に倒れている…何かを破壊してそのまま放置したような感じ。


何これ?(その2):
砂浜に自立する朽ちまくった木柱?


木柱は長方形を成すように2列で並んでいます。
かつての桟橋の支柱だけが遺っているのでは…

この近辺だけ、今まで堅牢さを誇示してきた岸壁が酷く壊れていました。
船でも衝突したのだろうか…


特に残骸っぽいものが散乱している場所で、決定的にも思えるものを見つけました。
砂浜に埋もれかけているあれは何だ!?


何これ?(その3):

炭鉱時代のトロッコの残骸?


できれば近くで確かめたかった…
しかし岸壁からの高低差は4m以上あり、さっき時間を潰してきたあの斜路から浜辺を歩けば到達できるものの、寒いし長い距離を歩き疲れていて引き返す気力がありませんでした。

岸壁の上からズーム撮影。
木製の躯体部分と、鋼鉄製の車軸が見えています。いずれも酷く侵食されているものの、どう見ても木製貨車の部材です。
ズーム撮影すると比較対象となるものがなくって大きさが把握できないよね…


本山岬の突端へ歩いたとき、容易に西側と東側の行き来ができたことを思い出しました。
この日(と訪問した時間帯)は前回訪問時以上に潮が退いていたので、潮位によってはこの残骸も海の下へ隠れてしまうのでしょう。

紛れもなくトロッコだとしても、最大限冷静に考えれば、炭鉱時代のものとは限りません。
比較的後期に石炭以外のズリなどを搬出していたものもあり得るし、これが坑道や桟橋を走っていたのだとは言い切れない…しかし周囲の状況といい、全体の侵食度といい、どうしても石炭積み出しに関連する遺構と結びつけたくなるのでした。

海へ垂直に突き出す堤防だけど、これはそんなに古いものではないかも知れない…ただ、その構造についてとても気になる点が一つありました。


堤防の突端部分は根元から壊れ、海に崩れ落ちています。そこで露わになっている堤防の基礎部分が奇妙な形をしている…その詳細をカメラに収めるには、どうしてもこの幅狭で背の高い堤防上を歩いて先端部まで進む難行が求められました。
堤防の幅はおよそ50cm程度、高さは突端の一番高いところでは5〜6mある。しかも端が欠けて幅が狭くなっているところがあるし、海からの風がもの凄く強い…突風に煽られて転落すれば、石柱が散乱する場所だけにただごとでは済まなくなりそう。

※注意: もし現地へ足を運ばれてもここには行かないように…
危険過ぎます。


何とか突端部分まで到達すると、すぐにしゃがみ込みました。
こんな危険な場所で目立つ格好していたら、誰かやって来るかも知れない…それと少しでも姿勢を低くして突風を避けるためでした。

先端部から恐る恐る腕を伸ばして撮影。(高所恐怖症な身にはこの上なく怖かった…)
堤防が乗る筈の基礎の構造がおかしい
よ…中空の箱を並べたみたいな形になっている。意味が分からない…[1]


そもそも内部に監査廊などを設けない限り、堤防(それも基礎部分)を中空にする理由が分からないのよね。基礎部分が箱状態で上に重い堤防を据えれば、重心が高くなる…崩れるべくして崩れたというような構造にも見えるんだけど?単純にコンクリート量をケチったとか…?

もう一枚、横置きでズーム撮影。
破壊された護岸の一部が横倒しになっていました。


さて、来たからには戻らねばならぬ。
当たり前だけど、突端のこの場所でしゃがんだまま回れ右するのさえ恐怖を覚えました。

怖くてすぐには立ち上がれません。
写真ではまるで分からないけど、両側の砂浜まで高低差5m以上…


何とか立ち上がりもう1ショット。
ちょうど正面に見える大きな建物は、今まで何度もバドミントン活動で利用した経験もある本山ドリーム体育館です。
あの裏にこんな物件が眠っていたとは…そしてそれをこんな形で知ることになろうとは…


往路よりも復路の方に恐怖を感じました。
テレテレと歩いていると何だか余計に恐怖が増幅されそうなので、足早に進み、最後の天端が欠けている部分はダダーッとダッシュで走り抜けました。

ふぅ…生還…
怖かったよーsweat


振り返って撮影。
垂直堤防の東側には石柱やトロッコなどが散乱しているのに対し、西側は何もありません。


さっき突端から写した部分をズーム撮影。
どう見ても突端部の数メートルは、台風や暴風などの災害で倒壊したように思われます。


同じ過ちを繰り返さないために、過去の航空映像で確認してみました。
昭和49年度版の航空映像に怪しいものが見える。
国土画像情報システム - 昭和49年度版・本山岬付近
海に向かって真っ直ぐ伸びる桟橋らしきものが写っています。桟橋を撤去し、同じ場所にこの垂直堤防を築造したようにも思えます。波に洗われている中空な長方形状の基礎は、それと関係あるのかも…
徒歩・じでんしゃ隊の冒険(今回ばかりは殆ど冒険的な内容だったなあ…)も終わりに近づいてきました。本山ドリーム体育館が見えていたし、公民館は体育館にほぼ隣接しています。しかしそこへ向かう道が見当たらない…

遠回りになるけど、仕方なく道なりに進みます。その道は県道に接続されているようでした。
名残惜しむように振り返って撮影。


ここで未舗装路は直角に折れ、このゲートの裏側に続いていました。


脱出したときの寒い結末は、「ここ数日に起きたこと」の末尾に書かれている通りです。[2]

そういう訳で、事情を知ってしまったからには、ここへの再訪は多分ないと思います。他の方も現地へ足を運ばれなくてもいいように沢山写真を撮りまくり、ほぼ洗いざらい書き尽くしました。

一連の遺構や遺物は、詳しく研究されている方には既知のものに違いありません。ただ、本を読んだり話を聞いたりだけの知識と、現地へ足を運び得られる知識は、量も質も異なります。前者は正確で客観的ですが、ややもすれば通り一遍の情報取得で終わりがちです。

他方、後者は情報が狭く誤謬にも陥りがちですが、鮮烈度が違います。未だにその正体を断言することは出来ないにしても、朽ち果てたトロッコらしき残骸は、紛れもなくこの地で人間による工業的な営み(炭鉱関連とは限らない)があり、何かの理由あってこの浜辺に捨て置かれたことを静かに語っているようでした。


本山岬の垂直壁といい、浜辺に散乱する遺構といい、目にハッキリとは見えないだけで、それらは日々刻々と変化しています。
岬の岩場はいつか更に崩れる時が必ず来るし、砂浜の散乱物も今までのペースで破壊され続けることでしょう。

それらの今おかれている状況は、ここに写真付き記事でお伝えした通りです。何とか失われることのないネット上に記録できて幸甚でした。[3]
出典および編集追記:

1. 中空になっている理由として、船で運ぶために軽量化をはかったのではという読者コメントがあった。現地で底の蓋を開放して沈めたという塩梅である。

2. 記事は省略するのでこの時の経緯を補足する。
ゲートの裏側が見えてきた時点で先のことを知っていたので、ここから退出するわけにはいかないと考えて別の場所を探った。途中で伐採した笹の先端に空き缶を被せた場所があったので、そこから退出できないか試みたが県道への出口はなかった。
結局、周囲の状況を偵察しつつ県道に向けて関係者以外立入禁止の掲示が出ている施錠門扉のところから脱出した。
地域SNSではこの日の踏査以前に県道妻崎開作小野田線の道路レポート向け記事を書いており、その折りにここを通って立入禁止には気付いていた。しかしここ以外に出てくる場所がないことを知らなかった。

3. いくら丁寧に記録したとて公開しなければ日の目を見ず、またネット上に公開されたとしても肝心のサイトが廃止されてしまってはやはり無駄骨である。現在のところ充分な長期に渡ってアドレス不変で情報提供してくれるサービスが皆無なのでこの種の脆弱性に対しては無力である。
それほど長期に渡ってネット上へ残す価値のドキュメントではないという見方もできる…

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