西蓮寺坂【2】

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(「西蓮寺坂【1】」の続き)

堰堤から降りるのも周囲はビチャビチャで安泰に歩ける場所を探すのも苦労した。
ここもまだ光があまり差さない場所なのでISO設定は自動にしている。


深い轍の何処を横切ったかが分からず、結局堰堤沿いに歩いて戻ってきた。
やれやれ…好きこのんで踏み込んでおきながら何とも酷い場所だった。蚊に刺された場所が痒い。


戻る前に見つけた如何にも美味しくなさそうな色合いをしたキノコ。かなりデカい。
シイタケのようなヒダを予想して裏返したら…何とも気味の悪い模様だったので尚更不味そうな印象を受けた。
裏返したときの映像はこちら…ちょっとグロいのでリンク形式で載せる


さて、続きを行こうか。
【 再び西蓮寺坂を登る 】
路上待機させていた自転車を押し歩きしている。
この辺りはさすが名前のある坂と言える程度の勾配になる。


西蓮寺跡の少し先なので、伝承によれば通りがかった旅人が念仏を唱えようとする女の霊から赤子を受け取ったものの重さに堪えきれず地に降ろし逃げ始めたのはこの辺りということになる。もっとも真に幽霊が出没したという記録は存在しないのだが…

この坂を走って逃げるとなれば、かなりの体力が要りそうだ。下りなら転がるように走り去れば良いが、勾配がきついと脚が前に出ない。現在はアスファルト舗装されていて平坦だから幾分楽なだけで、遙か昔の石ころが目立つ道の時代は雨が降れば足元が悪くなっていただろう。
罪を犯した女が念仏を唱えるために通りがかりの男に赤子を抱くようお願いしていながらお礼の一つも言わず、むしろ重くなっていく赤子を降ろすと「逃げるなコラー!私の赤子をちゃんと抱いとらんかコラー!」とばかりに追いかけ怖がらせるとは何とも非情な幽霊ではある。総括に書いたように同種の話が他の場所にも伝わっており夜間の不用意な外出を戒める意味合いがあったようだが、説話にしては理不尽さも否めないと思われたのだろうか。我慢して赤子を抱き続けていると後で字が上手になるように女がお礼をしてくれた、毎夜の如く亡霊が出るので地蔵を祀った…のようなバリエーションが知られている。[1]

幽霊話は昭和後期辺りまでは夏の夜に涼をとる怪談のように扱われてきたふしがある。平成期に入ってからは幽霊思考自体かなり薄れてきた感じがある。しかしその存在を信じる信じないは別として、西蓮寺跡地前から坂のてっぺんにかけては、現在でも確かに特異な雰囲気を感じる区間であるのは確かだ。

この坂を登る途中の右側には、個人所有と思われる墓が一基ある。
なぜか一基だけだ。


当サイトでは私的物件については特に歴史的意義があると感じたもの以外は追及していない。個人の持ち物に対して不気味だなどと名指しするのも失礼な話なので画像などは省略するが、いつ訪れても鮮やかな色を呈した生け花(実際は造花らしい)が捧げられていた。

その更に先、今度は坂の左側だ。
やはり墓と思われるのだが、これがよく分からないのだ。


個人の墓の可能性が強いもののこの坂に面してすぐ見える場所にあり、あるいは何か別のものの可能性があるかも知れないので敢えて画像つきで掲載すると…
このような2基の石像というか墓石というか…さてこれは一体何だろう。


右側のものは外観からして墓石のように見える。生け花を活ける石には睡蓮を思わせるオブジェが捧げられていた。


しかし…個人の墓石にしては奇妙に思われたのは、夥しい小銭が賽銭代わりに置かれている点である。手前の石のところに少し見えているだろう。
きちんとした賽銭箱はないものの、置かれた賽銭を触るなどはしたない行為だ。眺めるだけにしたが、1円玉と5円玉ばかりで年号は分からない。傍目には硬貨とも分からない位に土埃を被っていて、相当前から置かれ続けてきたようだ。個人の墓なら戒名が刻まれているものだし、そもそも賽銭など置かない。これは何かの史跡の部類なのだろうか。

そして左側に置かれているもの…これは霊などまるっきり信じない私ですらかなり異様な空気を感じた。
観音様が御寝遊ばしている様子が彫られたレリーフが置かれ、その周辺には地蔵様だろうか…無数の頭部が置かれているのだ。
石像の詳細はこちら


初めて西蓮寺坂を訪れたとき、坂自体の雰囲気も相当なものだったのだが、この石像類を見つけたときには本当に逃げ出したくなった程だ。さまざまな形の自然石を含めて顔の形が彫り取られ、じっとこちらを見つめている…その意図がよく分からない。そして人間何に対して不気味だとか怖いとかの感情を抱くかとなれば、よく分からないもの…これに勝るものはないのである。

まさか西蓮寺坂を不気味なものに仕立て上げるために置いたのでもなかろう。恐らく石工がご自分の作品をここへ祀られたものと考える。もしその通りであると分かってしまえば誰しも冷静に眺められるものだろう。

このオブジェを過ぎると坂は漸く緩み始める。
周囲が暗いのに空が明るいので、どうカメラを構えても綺麗には撮影できない。


恐らく西蓮寺坂と言われる坂道の終点だ。
道が平坦になり、その先で分岐している。分岐点には石柱が見えた。


西蓮寺坂としてはここまでなのだが、市道記事を当面作成しないので周辺のこともここに書いておこう。
【 坂の上の分岐点 】
坂を上り詰めたところで道が分かれ、分岐点に石柱が設置されている。
直進は舗装路だが左への道は未舗装路だ。


この位置をポイントした地図を示す。


直進する道が上の写真の舗装路で、未舗装路はここから南下している。
未舗装路の方が古道だ。


石柱には「中世から近代にかけての往還道」と彫られている。これも郷土史研究会によって設置されたものである。


初めて訪れたときはそろそろ帰ろうという時間だったし、来た道を引き返したくなかったのでこの古道をそのまま自転車で押し歩きしている。王子へ抜けることができるのだが、途中は草ぼうぼうの荒れ道だった。車社会が訪れる近代までは人々により歩かれていたのだが、車両交通としての道からは外されたために現在はここに何があるかを知った一部の人々によって訪れられる道となっている。
道沿いにある無骨なコンクリートの電柱は携帯会社の電波塔への給電線

その横に据えられた白っぽい小ぶりな石は道標と言われている。
ごく簡素なものだったらしく現地で眺めるだけでは何と彫られているのか判読できなかった。


分岐路を直進する方の道は…これも少し調べてきた。
【 市道西蓮寺王子白岸線 】
石碑のある分岐点より直進すると、ほどなくして未舗装路となる。
視界がやや開けて平坦な場所に出てきた。


完全に西蓮寺坂の話題からは外れるが、この道もどうやら昔からある道らしい。サブタイトルのように市道西蓮寺王子白岸線という認定市道となっていて、分岐点が起点となっている。
しかし…まともに進攻できたものではないことは初回訪問時から分かっていた。

平坦なダブルトラック未舗装路は、このような草の生えない剥げた転回所のような場所で終わっている。
ここにはまた2方向に分かれる道となっている。


左側の分岐。市道西蓮寺王子白岸線はこちら側だ。
道幅はあるもののダブルトラックは完全に喪われ先の方では藪化していた。


右側の分岐。上の地図ではやや太い線で描かれている。
こちら側は地元管理道らしい。もっと早い段階で荒れ道になっていた。


以上のことから分かるように、西蓮寺坂を車で訪れたとしてもその先は何処へも抜けられない。まあ物理的には通れるのかも知れないが、市道側も地区道側も先がどうなっているかはまったく保証されない。車の場合、この場所を使って転回し、来た道を戻ることになる。[2]


西蓮寺坂についてはここで殆ど述べ尽くした。この先の古道部分や市道西蓮寺王子白岸線について書くことがあれば、道路セクションの側で行う。その折りには以上の記述は移動するかも知れない。
出典および編集追記:

1.「宇部ふるさと歴史散歩」p.39

2. 行き止まりであることが明らかなこの道へ車で乗り入れると、近隣住民には不法投棄の場所を探していると思われるかも知れないリスクは念頭に置く必要がある。

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