法師丸トンネル

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記事作成日:2026/2/7
最終編集日:2026/2/8
法師丸(ほうしまる)トンネルとは、船木地区にある法師丸山の南側を通過する山陽新幹線のトンネルである。
写真は西側坑口。


位置図は以下の通り。


船木と厚東の間にある東側の峠山トンネルが2km以上の長さを持つのに対し、法師丸トンネルは100m足らずである。新幹線は秒単位で通過するため、乗車時にトンネル名のプレートを視認するのはおそらく困難である。構造上も東側にフードが着いている以外に特徴はない。

トンネルの名称は恰も僧侶の名を思わせる。実際、トンネルよりもこの場所および里山は特筆に値すべきで、大変に歴史の古い地名であることが分かっている。
《 概要 》
この総括記事は、7年前に作成した峠山トンネルをテンプレートとして作成している。記事のフォーマットはほぼ同一だが、ここ数年の間に鉄道物件を観察する状況(殊に撮り鉄問題)や私有地立ち入りに関して厳しくなっている。以下の画像は常識的に接近可能な場所からの撮影だが、同じ場所からの撮影や現地観察を当サイトが推奨するものでないことに注意を要する。
【 東側坑口 】
県道宇部船木線がトンネルの南側をカーブで通過する付近に墓参道があり、裏手の斜面から坑口を延伸する形で設置されたフードが見える。


同じ場所からの撮影。
トンネル近くに隣接して保線用の車両が据え付けられている。
詳しいことは分からない…鉄道車両に詳しい方々にお任せする


フェンス越しに撮影。


東側坑口の撮影は2021年時のものであり、記事作成時で状況が変わっているかも知れない。
【 西側坑口 】
以下はこの総括記事を作成した2026年2月訪問時の撮影である。

来迎寺裏手から墓地を経て法師丸山を南に下り、再び登り直して西側坑口に到達する踏み跡がある。最近周辺の刈り払いが実施されて坑口周辺の見通しがよくなった。冒頭の写真はこのときの撮影である。

西側坑口のトンネル名プレート。


トンネル坑口真上からの撮影。左側に県道が見えている。


西側坑口より西は殆ど直線で、高架橋を経てそのまま原トンネルに向かっている。
トンネルまでのズーム画像はこちら


通過時の撮影。


トンネルを出たすぐ西側で山根川(古川)を高架橋で横切り、山根川橋りょう(963K522M) であることが確認できた。
ここへの到達は初めてだった。


山根川の反対側は2014年に到達し、橋りょうの名称は判明していたが、川を渡れる場所がなかった。この場所は県道から直接訪れた方が近いが、今回到達した場所から県道まで出る道がなかった。

山根川橋りょうの下をくぐって反対側からの坑口に施工プレートが確認できた。


このプレートは初回訪問時から袖壁に確認できていたが、橋りょうの下が酷い藪で反対側へ回り込む手段がなかった。近接して撮影できたことで法師丸トンネルの延長が113mであることも確認された。
《 過去の踏査履歴 》
県道宇部船木線を終点に向かって走ると、瑞松庵を過ぎた先の左手に坑口が見える。目視でプレートも見えることで早くからトンネル名は分かっていた。

・2009年10月に指月橋を渡った先にあるスロープを進行して西側坑口への接近を試みている。
しかし保線車両基地らしき場所に到達しただけで、トンネルを撮影することはできなかった。


当時は指月市営住宅に仕事で訪れることがあり、そのときに立ち寄ったようである。

・2014年11月10日に瑞松庵を訪れたとき、徒歩で西側坑口への接近を試みた。しかし古川を渡れる場所がなく、接近すると藪に阻まれてトンネルが見えなくなった。
写真は市道大野線からのズーム撮影。


・その4日後に来迎寺の裏手を経由して殆ど踏み跡もない里山を歩いて初めて西側坑口に到達できた。


このとき撮影したプレート。


前掲のプレートと比較すると文字が鮮やかなだけでなく、法師丸という文字の字体がやや異なっている。塗装替えしたか新しいプレートに置き換えたようである。

・2021年11月に東側坑口近くにあるスロープから墓地に至る小径を見つけ、そこから東側坑口を撮影した。冒頭にある写真はこのときの撮影である。後に2022年4月にも再訪し追加の写真を採取している。
《 地名としての法師丸について 》
法師丸(ほうしまる)は、船木地区にある小字名の一つである。
地名明細書の茶屋小村に記載がある。


楠町エリアに対応する小字絵図は学びの森くすのきには恐らく保管されていない。以下は地名明細書および船木地区の郷土マップ<を元に記述している。僧侶の名を思わせるこの地名は、想像通り寺領由来である。厚東区棚井にある浄名寺の寺領目録に船木法師丸という記載がみられ、その時期は貞治3年(1364年)にまで遡る。[1]

明治初期までは現在の茶屋付近(厳密には字布目)より南に張り出した半島部の先まで有帆川が蛇行していた。地理院地図などに記載はないが、この半島部の先端付近にあるピークは法師丸山と呼ばれていた。山の東西が有帆川の流れによって削られ開けていたこともあり、中世には狼煙場の一つとなっていた。[2]
出典および編集追記:

1.「校区文化財マップ|船木校区」の27番。

2.「厚東 第59集」法師丸の狼煙場遺構跡 p.6
なお、2026年2月の再訪時に最高地点周辺を踏査し、自然由来とは考え難い直径数メートルの窪地を確認した。
この項目は法師丸山の記事を作成した折に移動する

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