峠山トンネル

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記事作成日:2018/6/3
最終編集日:2018/6/4
峠山(とうげやま)トンネルとは、厚東区吉見と船木地区を結ぶ山陽新幹線のトンネルである。
写真は船木側坑口。


位置図は以下の通り。
見やすいように十字マーカーを非表示に設定している


地図の縮尺で見るだけでも延長2km以上あり、交通向けのトンネルとしては市内最長[a1]である。トンネルの最大土被り箇所は合併前の宇部市と厚狭郡楠町の境界地点であり、両地区でトンネル延長もほぼ二分している。これは市内の山陽街道沿いの経路では標高の高い峠が少ない中、最も高い吉見峠(標高90m)を擁する山地を貫いていることによる。

山陽新幹線がトンネル一本で一気に峠越えしているのに対し、国道2号では未だに対面交通で線形も悪い吉見峠越えを強いられている。市内通過区間において国道2号は整備が極めて遅れており、中でも吉見峠は事故多発区間という意味で現代でも「交通の難所」となっている。
この部分は吉見峠の記事を作成した折りには移動する
《 命名の由来 》
一定規模の延長を持つトンネルには所在する自治体名や峠の名が与えられることが多い。特に長大トンネルの部類では広域名が与えられることもある。[a2]峠山という名称は街道の通る峠の名とは一致していない。また、トンネルの両側坑口付近に峠山という集落名は存在しないので、トンネルが通過する近くの山の名前と思われる。しかし地理院地図を含めて峠山という名称の記載された地図は知られていない。
《 アクセス 》
このトンネルに限らず当該区間を通る新幹線を利用すればもっとも至近距離から通過できるわけであるが、高速であるが故に坑口やトンネル名のプレートをゆっくり撮影できる余裕はない。他のトンネルと同様、外から観察するのが妥当である。ここでは軌道の外から安全に観察できる場所と方法を記述する。

トンネル坑口付近はJR西日本の社有地であるが、フェンスの外から往来の安全性を脅かすことなく観察することは慣習的に容認されている。ただし現地へ至るまでの経路の素性(里道であるか私道であるか)は確認していないので留意されたい。
【 東側坑口 】
国道2号で下岡交差点を過ぎて西に向かい、吉見峠に差し掛かる手前で下岡第1橋りょうをくぐる。道路がカーブしながら一旦下り再度下岡第2橋りょうをくぐる手前左側に分岐路がある。比較的スペースが広いためしばしば車が停まっている。
後述するように東側坑口からは満足に観測できないため写真は省略する…詳細はブログ記事を参照

東側坑口はトンネルの南寄りが新厚東変電所の敷地となっているため接近はできない。変電所の敷地が軌道よりずっと高いため、門扉越しに眺めても坑口の位置が分かるのみである。


変電所への管理通路と軌道が並行しているため疾走する新幹線を間近に眺めることはできるが、危険防止でフェンスの網目は細かく張られているのでフェンスよりトンネル坑口方向を眺めることはできない。また、フェンス越しに眺めてもトンネル名プレートを確認することもできない。


なお、変電所の進入路手前に橋りょうをくぐって反対側へ農道が伸びているが、この道は私道とされている。柵やチェーンは施されていないが、立入禁止の札が明示されているため、絶対に進攻してはならない。[a3]


このように、峠山トンネルの東側坑口を合法的に直接観察できる場所はない。他の経路から観察できる場所の可能性はあるかも知れないが、周辺を歩き回るだけでも私有地立ち入りを疑われトラブルの元となるので勧められない。安全に観察するには次項の西側坑口を勧める。
【 西側坑口 】
市道開拓道路線を進んで船木第1橋りょうのところから線路沿いの未舗装路がある。
この位置をポイントした地図を示す。


砂利敷で普通車なら物理的に通れる幅の道が伸びている。


この道の素性(里道か私道か)は分からない。地図を参照すると沢地の先端に小さな溜め池があるが、吉見地区と連絡する峠越えの道ではなさそうなので、私道かも知れない。

道なりに進むと新幹線の線路敷と同じ高さとなり、更に少し登って宇部美祢高速道路の下を権現目カルバートでくぐる。


立体交差の先に個人所有の農機具庫があり、いくらか広くなっている。野生動物を捕獲する箱わなが置かれていることもある。


新幹線を眺めに来る人は一定数あるらしく土地所有者からも特に何も言われることはなかったが、農家の繁忙期は地主の出入りがあるため邪魔にならないよう配慮が必要である。[a4]

立体交差を過ぎた辺りで軌道は深い堀割となっている。堀割の両側高い位置にネットフェンスが張られているので、フェンスを隔てて坑口まで充分に観察可能である。


トンネル名を示すプレート。
プレートのズーム写真はこちら


トンネル坑口の真上に立つことも可能である。
真上からはちょうど宇部美祢高速道路の立体交差が見える。


山陽新幹線のレールスターと宇部美祢高速道路を疾走するダブルストレーラの共演が見られるチャンスも比較的多い。


坑口から西側の線形はほぼ直線である。
ズームすることで西側1km程度のところにある法師丸トンネルの東側坑口も見える。


トンネル以外でも東側坑口で新厚東変電所の管理通路と同様、軌道敷と高さが同じになる場所があり、フェンス一枚隔てて疾走する新幹線の風圧を感じることができる。何度も経験している鉄道マニアの部類なら心得ているだろうが、新幹線通過時の風圧と衝撃は想像以上に大きい。初めて現地で眺める方は転倒しないよう注意されたい。
初めて峠山トンネルの西側を自転車で訪れたときのブログ記事。
現地は殆ど変わっていないが、8年前の記事のため一部表示状態に不具合が生じるかも知れない。
外部ブログ: 峠山トンネル・西側坑口(2010/1/11)
出典および編集追記:

a1. 2位は山陽自動車道の霜降山トンネル

a2. 安芸トンネルや備後トンネルなど。

a3. 2018年5月の時点でこの標識はやや西側へ移動されているが、その先へ進攻してはならないのは同様である。

a4. 2018年5月中旬に自転車で現地を訪れたところ、ちょうど農機具を格納しに土地の所有者が耕耘機へ乗って来られた。このとき離れた場所に居り、自転車が邪魔になるかと思って戻りかけたが、土地の方は「(倉庫に格納するのに)邪魔にはならんから動かしに戻らんでええ」のように伝えられた。このことより現地で新幹線を眺めるだけの来訪者には理解があると考えられる。
《 個人的関わり 》
山陽新幹線が建設され、市販の地図でもトンネルとして記載されるようになった。しかし当時の地図ではよほど長いトンネルでなければ名称が記載されないのが普通であり、永らく名称が分からなかった。
親父の運転で厚狭へ行くときなど頻繁に吉見峠を越えた。このとき新幹線が一直線に山腹へ突き刺さっていく線形が国道2号からも見えたが、トンネル自体は見えなかった。

新幹線が開通してあまり年月の経っていない昭和50〜51年頃、北九州で博覧会が開催されたとき家族と親戚一同で小郡から北九州まで乗ったことがある。新幹線に乗った初めての体験であり、このとき峠山トンネルを通っている。初めての新幹線乗車経験であり、従兄弟と話をするのに夢中でトンネル名などは観察していなかった。

その後修学旅行などで新幹線に乗ったことは数回あるものの、小郡から西へ向かう便に乗ったのはこの一度だけである。
以上の記述は新関門トンネルなどの項目を作成した折りには移動するかも知れない

初めて実地に峠山トンネルを訪れたのは前述のブログ記事のように2010年のことである。この時までに国土地理院の地図などではトンネル名が記載されていて名称はあらかじめ分かっていた。国道2号の吉見峠のイメージが強かったためトンネル名も峠名を予想していたので、峠山トンネルと命名された背景が暫く分からないままだった。
《 地名としての峠山について 》
項目記述日:2018/5/29
峠山(とうげやま)は、宇部市厚東区吉見か船木側にある地名もしくは山の名称である。写真は山陽新幹線の峠山トンネルのプレート。


今のところ峠山は字名かそれとも純粋な山の名称なのか分かっていない。厚東区を含む耕地字図には峠山という字名は収録されていない。船木側は小字絵図を入手しておらず不明であるが、地名明細書には厚東船木の双方ともに峠山に近い読みの字名からして存在しない。このため吉見と船木の境になるどれかの山頂に対する山の名のように思われる。小串にある地域名として桃山が著名であるものの桃山という小字自体が存在していないのと類似している。

市内に限らず山口県西部では峠または峠を含む地名を「とう」や「たお」と転訛して読むことが非常に多い。しかし峠山は素直に「とうげやま」と読むことは、配電線柱に取り付けられたプレートのカタカナ記載から推察される。[b1]


山の名称と考えた場合、峠山という呼称は単純に厚東区吉見と船木の境にあたる峠付近の山であることに依るのだろう。この経路は山陽街道であり、現在の国道2号に経路を上書きされてからは専ら吉見峠と呼ばれている。ただし船木側からみた場合は船木峠であり、実際にその呼称が用いられている文献も存在する。
出典および編集追記:

b1. 配電線柱に取り付けられたプレートの地名を伴う路線名の漢字表記や読み方には、一部後年の揺らぎや明白な誤読誤記の部類もみられるため参考情報に留めている。
梶返に対して「カジガイシ」とした片仮名表記や五十目山を「五目山」と表記した例が知られる

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