根越トンネル

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現地踏査日:2009/9/4
記事公開日:2011/12/28
根越トンネルは中国自動車道のトンネルで、美祢市の根越集落にある。宇部以西の中国自動車道にはトンネルが2ヶ所しかなく、そのうちの一つになる。
もう一つの仏坂トンネルが比較的険しい山裾の目立つ美祢市と宇部市の市境にあるのに対し、このトンネルは全体が美祢市に所属し、仏坂トンネルより若干長いながら比較的なだらかで小さな峠部分を越す形で通されている。県道231号美祢小郡線が並走して峠越えしているので接近は容易であり、近くに農作業用の道しかない仏坂トンネルとも対照的だ。

後で述べるように、私が中国自動車道でこのトンネルを通過したのは、仏坂トンネルを通ったときと同じ十数年前のことである。しかし実際に通らず外から眺めたのは私が高校2年生のときだ。
私は当時執心していた近隣地域の郵便局巡りで東厚保郵便局を訪れるため、夏休みを利用して堀越側から自転車でこの県道を通った。
当時はまだ国道316号の美祢トンネルを始めとするバイパスが全通していなかった

自転車での峠越えはかなりきつく、トンネルで抜ける中国自動車道が恨めしかった。それと同時に、県道の登り坂途中から見えるこのトンネルにこんな不自然さを感じた。
これってトンネルの意味があるの?

子どもの頃からトンネルに興味があり、山岳トンネルがおよそどのようなものかという一般的な認識は持っていた。しかし根越トンネルは些か拍子抜けする要素があった。その景色を記録し持ち帰りたいという気持ちは間違いなく当時からあった。しかし当時はコストゼロでパシパシ写せるデジカメはなく、カメラ自体が旅行など日常の特別な場面を記録する道具だったのである。

トンネルを車で通ったのは会社の講習で広島へ出張し、帰りに別の仕事で美祢に向かったときの一度きりである。大抵は国道を走るのだが、時間が押していたので美祢西I.C.まで中国自動車道を走った。
既に日が暮れてライト点灯での走行であり、トンネルの外観は分からなかった。しかし運転席からこのトンネルの持つもう一つの特異な点に軽い驚きを感じた。ほんの一瞬のことなので当然撮影する余裕などなく、このときも記憶に遺すだけだった。

更に時代は下り、近隣地域のトンネルなどを訪れてデジカメに記録する新しい娯楽を身につけた。私は美祢方面を走った帰りにこのトンネルに立ち寄り、今度こそデジカメで記録を持ち帰ることを画策した。

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国道316号の横坂から県道に入ったところである。
県道を示すヘキサがあり、正面遠くに中国自動車道が見えている。


県道は自動車道と接近したり離れたりを繰り返しつつ、根越の集落を抜ける。それから峠に向かって高度を上げ、中国自動車道と並走状態になる。そして県道が最高地点に到達する頃には、自動車道の姿はない。坂を登り詰めることを諦めトンネルで抜けているのである。
ここまでの区間で実は特筆すべきことがもう一点あるが最後に宿題の形で述べよう

峠と言っても素直に真っ直ぐ登って真っ直ぐ降りるだけだ。最高地点はあっても峠としての印象に薄く、そのせいか明確な峠の名前は存在しない。
私は県道の最高地点付近で車を路肩に寄せ、デジカメ片手に行動を開始した。

車を停めた最高地点付近から若干伊佐寄りに下ったところに、明らかに無人の平屋があった。ほぼトンネルの上に建てられているようだ。


中国自動車道の維持管理を行う西日本高速道路(株)の社有地になるらしく立入禁止の札が出ていた。
奥の扉には発電設備の表示が見えている。


これはトンネル向けの給電設備だ。拡大地図でも根越トンネル受電所の文字が見えている。


敷地内には関係者さえも殆ど立ち入らないようで、もう雑草が伸びたい放題だ。設備は間違いなく現役稼働しているのだが、恰も自然へ還りたがっているようにも見える。
平場は建物の周辺だけでなく、かなり奥まで続いていた。この下を通る自動車道の幅くらいはあるだろう。


伊佐側のトンネル坑口を求めて県道の坂を下っていく。

この辺りでは既にトンネルを抜けている筈なので接近したいのだが、県道と自動車道の間は背丈を超えるツタ系の藪天国で全く寄り付きならない。


振り返って撮影。
道路敷外の草地に停めている。駐車禁止区間ではないし、それ以前にそこまで気を遣わずとも往来の車は殆どない。


登坂車線終了を示す中国自動車道の標識。
ここまで歩いて漸く県道と自動車道の間の藪が解けた。


振り返った先に根越トンネルの素顔があった。
私が高校時代、初めてここを訪れたとき感じた「トンネルにする意味があるの?」を理解して頂けただろうか。


それは確かに一般的な山岳トンネルの有する特徴には程遠い。あまりにもトンネル上部の地被りが薄いのである。街中を走る都市高速道路が地下に潜る場面で観られるような構造だ。市街部の土地は貴重であり、トンネル上部の土地も有効活用したいからである。
しかし山岳トンネルなら普通はこんな構造にはしない。切り崩して堀割にした方がずっとコストは安いし施工も簡単である。どう思ってもわざわざトンネル構造にする意味が分からない。
何か事情があるに違いない…
もう少し接近したいのだが、フェンスの存在すら覆い隠されてしまうほどの藪だ。9月だから如何にも時期が悪かった。
県道と中国自動車道を仕切るネットフェンスは標準の高さで、有刺鉄線などはない。しかし常識的に考えてフェンスの外から眺める以外あるまい。


可能な限りトンネル側に近づく。しかし接近し過ぎると上り線側に設置された標識で隠れてしまうので、トンネル全体ならここが限度だ。


上下線がぴったりくっついた形のトンネルになっている。そのため中央部分には上下線を仕切る厚さ1m程度の壁しかない。通常の山岳トンネルでこんな設計だったら、中央の隔壁をよほど強靱な構造にしなければ土圧で潰れてしまう。この構造で足りるのは、トンネル上部に載っている土被りの薄さが理由だ。
それこそが高校生時代、自転車で訪れて初めてこのトンネルを目にしたとき抱いた第一の疑問だ。

トンネルにする意味以前に、この構造では通常の山岳工法で掘削はできない。掘り進めるまでもなく天井部分が崩落するだろう。考えられるのは、当初はもっと土被りが厚かったが後でトンネル上部の土砂を除去したか、逆に当初は堀割状態だったのを後からアーチ構造で上下線を巻き立てた後に埋め戻してトンネル化したかである。

今ある上下線を仕切る壁の構造を考慮すれば、恐らく後者と思う。最初は堀割だったのを何かの事情があってトンネルにしたのか、あるいは当初からこのような構造が計画されていたのだろう。

どういう理由なのだろうか…

相応の事情があって地被りが薄いのに堀割ではなくトンネルとなっている事例は、国道9号山口バイパスの朝田トンネルにも観られる。街中を走るバイパスに突然短いトンネルが現れるのでかなり目立つ。ここは道路計画線上に朝田墳墓群があるため、トンネルの形でバイパスを通して墳墓を保存しているのである。
このような場所のトンネル施工は山岳トンネルとは違う技術的困難があるのかも知れない


根越トンネルについては、私の知る限りトンネル上部に何か保存すべき遺構がある等の情報は得ていない。恐らく別の理由だろう。答は上空からの航空映像にヒントが得られるようだ。

これはトンネル上部にある受電所の建て屋前を中心点とする航空映像である。


映像を観る限り、トンネルの上部となる帯状領域には樹木が殆どない。山岳工法のトンネルなら、何も上部に生える木々まで伐採しないだろう。このことから帯状領域は地山ではなく後から土を盛ったのでは…と推測される。元々は堀割だった区間にアーチ構造を造って埋め戻したように思われてならない。

その理由を推測するに、土砂崩れ防止があったのかも知れない。
堀割構造の場合、当然法面の養生が要る。特に地山の自立性が悪ければコンクリート吹き付けやアンカー打ち込みが必要となってコストが嵩む。それよりは崩落した土砂を受ける程度のアーチ構造にして上部を覆えば、維持管理も容易になる。トンネルにすることで照明などの維持コストが要るが、比較検討した上で今の構造にしたのだろう。

それからもう一つ、十数年前に車でこのトンネルを通過したときに感じた別の種の驚きを述べなければならない。それは県外の方はもちろん県内の方でも予備知識がなければ分からない内容だ。

カメラを左へ振り、トンネルの手前に立っている表示板を撮影する。
お気づきになっただろうか。


ズームすると少しカメラがブレてもピントが甘くなるので、フェンスの上にカメラを乗せて撮影した。


根越トンネル
Nekore Tunnel
長さ 390m

冒頭でトンネルの名称を紹介したとき、振り仮名を添えなかった理由がお分かりだろう。
根越(ねこれ)とは、このトンネルの西側にある集落の名称である。

順当に行けば「ねこし」「ねごし」と読みたくなるだろう。今の今まで「ねごしトンネル」だと思って読み進まれた方がいらっしゃる筈だ。実際、私も数年前初めて自分の運転でこのトンネル名のローマ字表記を見たとき、何かの間違いではないかと思った。
この記事が格納されているディレクトリ名を見れば一発でバレてしまうのだが…^^;

帰宅後に検証しているので最後に詳細を述べるとして、現地の踏査を先行させよう。

藪に隠れるぎりぎりの所まで歩き、思い切り伸び上がって真横から坑口を撮影した。
竹を斜めに切ったような断面が2つ繋がっているイメージだ。


伊佐側坑口についてはこれ位で良いだろう。
再び県道の坂を歩いて登り、トンネル配電室の前まで戻ってきた。

根越側のトンネル坑口がどうなっているか観たいというのは自然だろう。ただ、ここへ来る際に車で通り過ぎ、そのときに県道から何も見えなかったので期待薄と思われた。
念のために観に行ってきた。

配電室に隣接する広い敷地も西日本高速道路(株)の社有地になるようだ。見たところ危険なものはないが立入禁止になっていた。
せっかくのトンネル上部の用地が遊んでいる感じもする。
地被りが薄く人が歩くとトンネルの天井が抜けるから立入禁止になっているとか…^^;


来るとき車で登った坂を少し下り、それらしき場所を探った。
ガードレールが切れている部分にミラーがあり、そこから接近できそうだ。


数分かけて歩き回った挙げ句、残念ながら明確な写真を撮れる場所がない。肉眼でもどうにか分かる程度だ。

ハッキリ言ってこれが限界。
坑口の”竹の切り口コンクリート”が微かに見えかけているだろう。


これ以上はどうしようもなかった。
斜面の傾斜がきつく竹藪が密集していて寄りつけなかったこと、防音壁がみっしりと並んでいて坑口を直接眺められる場所がなかったからだ。この一枚だけを撮影して藪から撤収した。

カーブミラーの近くに立っていた電信柱に取り付けられた地名表記板。
根越の表記はある。しかし振り仮名はない。正しく読めるのは地元の方くらいだろうか。


一連の撮影を終えてアジトへ戻った後、私は根越の読みについて裏を取ろうと思った。

地元の方に尋ねるのが一番だが、まさか地名の読み方を知るのに根越集落を歩く方を見つけて尋ねるわけにも行くまい。今はネットの時代だ。正解に辿り着く最も簡単な近道は検索である。

検索で調べてみた。
「ねこれ」で検索すると「可愛いねこれって…」のようなイラストページがヒットしたり、「根越」だと「垣根越しに眺めて…」と個人の日記がヒット…なんてことになるので、山口と根越の複合で検索した方が良い。

検索結果の詳細は省略するが、根越の読み方について相応に知名度が高く裏を取るに充分なほど信頼性が高いと思われるのが「ねこれとうふ」の存在だった。
それは営農集団組合のページに見られ、地域活動の一環として集落名の根越を冠した豆腐の製造に関する内容だった。私が知らないだけで、「ねこれとうふ」は相応のブランドを持つ豆腐で、一般のスーパーでは見かけないものの名指しで買い求める消費者がある。豆腐の本格的な製造販売が始まっており、学校給食にも採用されているという。
どんな味か一度食べてみたいと思う

このことより、根越の読み方として「ねこれ」が一般的と断定できる。もっとも他の「ねごし」などの読みが有り得ないとは断定できない(かつて検索で見つけた根越集落に関する県制作サイトのページファイル名が negosi.htm だった)し、何よりも一体どういう経緯で”標準的とは思えない”読み方になったのかは恐らく追跡の限界を超えているだろう。

一本のトンネルの持つ奇妙な構造と、その想像もつかない名前の読み方に始まって、思いがけず濃い話題をもたらした物件だった…

おっと…
冒頭にちょっと触れた「宿題」の件について触れておかなければならない。

横坂から根越に至るまで県道は中国自動車道とはつかず離れずの位置関係を保ちつつ並走していた。このうち中国自動車道の経路がなかなか面白いことになっているのである。これは結構、特筆すべきことと思うのだが…

これがヒントだ。根越トンネルとは無関係だからこの謎についてこれ以上のことは述べない。後は更なるコアネタを掘り起こしたいチャレンジャーのために遺しておくことにしよう。

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