仏坂トンネル

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記事作成日:2019/12/31
最終編集日:2020/1/3
ここでは、美祢市宗国と宇部市柳小野の間にある新旧2つのトンネルを仏坂(ほとけざか)トンネルと題して総括的に記述する。
以下に新旧のトンネルがある近辺を含めた地理院地図を示す。


宇部市側の視点からでは小野地区の北東部にあたる大変に山深い地である。中国自動車道が200m程度のトンネルで宇部美祢の市境を通過しており、地図によっては仏坂トンネルと記載されている。これとは別に、上記地理院地図のポインタを合わせている部分には峠越えの小さな道が記載されている。ここに岩をくり貫いた素掘りのトンネルがある。
中国縦貫道の仏坂トンネル
中国縦貫道の美祢市と宇部市を結ぶトンネルで、上下線4車線で長さ200m程度である。
写真は美祢市宗国側からの撮影。


美祢市側はトンネルの手前まで高速道路の両側に未舗装路が通じている。短いトンネルなので美祢市側から宇部側の明かりが見える。他方、宇部側は美祢側より標高が数十メートル低いのでトンネル付近まで到達できる道はない。その他の写真は項目に張られたリンク先を参照。
里道の佛坂隧道
美祢市宗国地区と宇部市柳小野地区の間に掘られた隧道で、竣工年の判明している往来用の素掘り隧道としては県内でもっとも古い。
写真は宗国側から撮影した隧道入口。


宗国地区にかつて存在した鉱山や、更に北側の長登銅山からの産出品を小郡方面へ搬出する需要の元に地元在住者の手で掘削された隧道であり、それ以前は佛坂垰の厳しい上り下りを強いられていた。内部の勾配や線形は一定ではなく、精密な測量なしに施工されたことが窺える。

現在も隧道手前まで里道が伸びており、宗国地区から隧道まで物理的には四輪も通れる幅の未舗装路がある。隧道周辺は湧水が極めて多く、入口には水が溜まっている。また、内部10m程度のところで上部が崩落し土石が溜まっている。宇部側は中国縦貫道建設により古道部分が完全に分断され、山の斜面へ唐突に隧道出口が生じる形となっている。このため宇部側からのアクセス路は未だ確立されていない。
時系列記事は該当物件の総括記事に集約されているのでそちらを参照されたい。
出典および編集追記:

1.「ふるさと小野 史跡案内」
《 地名としての仏坂について 》
新旧双方のトンネル名にみられる仏坂(ほとけざか)は、宇部市柳小野地区側の小字の一つである。美祢市宗国側にも同種の小字が存在する可能性があるがまだ調べられていない。

小字絵図を参照すると、柳小野側に一ノ佛坂二ノ佛坂という小字名がみられる。また、県道の国木峠付近にも佛坂という小字名が記載されている。同種の地形や場所に対して与えられたものかも知れない。

仏という読みと漢字表記がそのまま含まれていることから、仏となられた方(即ち死者)にまつわる葬送地名かも知れない。庶民も墓石を建てて埋葬するようになった江戸期より以前は、位の高い人以外は死後は人里離れた山へ棄てられていた。死者は穢れた存在とみなされており、大抵は普段人が立ち入ることのない深山が選ばれていた。そのような谷地に弥ヶ迫(ときに否ヶ迫)のような字名がしばしば与えられる。弥ヶ迫池という溜め池は市内にも複数箇所存在する。

他方、役の小角の修験場伝説があることから、仏がかならずしも死者を意味するものではなく修行地由来という可能性もある。修験者の修行場はしばしば山深い地や険しい谷地、接近が困難な岩場の目立つ地が選ばれていた。
《 個人的関わり 》
殆どの個人的関わりは里道の佛坂隧道なので、ここでは中国縦貫道の仏坂トンネルについてのみ記述する。里道の佛坂隧道に関する個人的関わりはリンク先を参照。(→佛坂隧道に関する個人的関わり

・初めて中国縦貫道の仏坂トンネルを通過したのは、現職時代である。山口か徳山(当時)方面への仕事の出張が夕方まであり、当時美祢市に受け持っていた家庭教師の生徒宅を訪れるために、会社へは寄らず直接中国縦貫道を通って美祢西I.C.で降りたときのことである。トンネルのあることは地図で知っていたが、既に薄暗い時間帯であったため通過したことしか覚えていない。

・2019年に再度写真の撮り直しで訪れている。このとき宗国地区在住者がたまたま杉の苗木を植える作業をしていて佛坂隧道についての話を伺うことができた。

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