意見・提言の基本ルール

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記事作成日:2017/12/24
最終編集日:2019/5/2
意見・提言インデックスに収録される項目の共通部分として、以下の原則を提示する。
《 意見・提言を行う場合の原則 》
一般的な意見・提言を行う場合もだが、特に行政など公的機関に行う場合に順守することが必要な以下のルールがある。
(1) 一部の人たちだけが利益を享受(あるいは不利益を回避)するような提言を行ってはならない。
(2) 現状を批判する者は、その理由に加えて改善案を提示する責任がある。
(3) 公的機関に近い人物の立場を利用して、提言の実現を強く働きかけたり情報流布や宣伝に利用してはならない。
このルールに反した提言が昭和期にはごく当たり前に、そして平成初期においても(どうかすれば現在でさえも)陳情や要望の形をとって行われてきた。その殆どすべてが現代では「不適切な提言方法」である。
【 一部の人々の利益供与であってはならない 】
一部の人々にのみ関係する提言には、しばしば提言者自身が含まれる。うちの町内の前を通る幹線道路の横断歩道が渡りづらいので押しボタン式信号機を設置して欲しいとか、溜め池で子どもたちが釣りをして危ないから立入禁止にして欲しいなど苦情に近いものが多い。
注意すべきは、提言の効果が及ぶ範囲の吟味が充分になされていないことが問題なのであって、提言の内容それ自体は妥当であることが多い点である。範囲の問題が熟考された末のものであるなら、むしろ吟味に値する提言となることもある。

前述の押しボタン式信号機の設置の場合、提言者自身がなかなか通りを渡れなかったり子どもたちが困っている様子を見て提言することが多いだろうが、単にそういった報告のみではそもそも行政は動かない。町内の自治会で議題として諮り、複数の住民が同じ不満を抱いていたなら検討される可能性もあるが、その場合でも行政側としてもかならず別方面から意見を聴取したりデータを集めたりする。何故なら道路を安全に横断することだけでなく、当該道路を往来する交通に与える影響を考慮すべきだからである。

過去にはこの点を充分に吟味せず提言を受けいれてしまったと思われる事例が目立つ。要望通り交通量の多い幹線道路に押しボタン式信号機がつき、地区の住民は「これで子どもたちも安全に道路を渡れるようになった」と喜んでいる裏で、前後の主要な交差点の信号機に連動しない押しボタン式信号機を乱立させたために深刻な交通渋滞を招いている場所が市内にいくつもある。
この問題には設置の是非に加えてその適正な設定管理を行っていない県警側にも責任がある

溜め池の立入禁止看板もまた然りである。危険度の差はあってもむしろ多くの釣り人が訪れる場所では、確率の問題によっていつか誰かが転落し水難事故を起こす。この種の事故が起きれば、当該人物の振るまいよりも得てして溜め池の管理が適正であったかが問われる。再度同じ事故を起こすわけにはいかないので、行政は立入禁止看板だけでなく有刺鉄線付きネットフェンスといった物理的な障壁を設置してしまう。地域住民は「これで安全になって良かった」と言うし、メディアはややもすれば「もっと早く対処していれば水難事故は防げた筈だ」などと一方的で強硬な主張を唱えがちである。

この裏で釣り客は溜め池から排除され、水場に集う水鳥を観察していた人々は締め出された。元来、自己責任において自由に現地へ行くことができていた場所に立入禁止の掲示が出ている。そこへ入った者は、目的が何であろうが「立入禁止の掲示も読めない愚か者」とみなされ非難される。地元の自治会長、はたまたご丁寧にもわざわざ警察へ通報するお節介者すら存在する。
この種の立入禁止立て札問題については該当項目を参照

歴史的溜め池に相応な費用を投じて改修記念碑を設置したものの、溺死事故でも起きたのか関係者以外立入禁止の札を掲示し周囲を有刺鉄線付きネットフェンスで囲んだため、肝心の記念碑は誰の目に触れることもなく草ぼうぼうの藪の中へ埋もれている山立石溜め池のような哀しい状況になっている場所もある。

このようなケースにおいてすべきことは、断定的な処遇を求める提言を行う前にまず議論を俎上に載せることである。よほど問題が大きく市民に膾炙している内容でなければ、問題の所在が知られていないことが多い。客観資料を集め、問題点を指摘して個人的な範囲でも構わないからまず提案を出し、できるだけ多くの目で査読し多くの意見に晒されることが必要である。
【 根拠と改善案の必要性 】
これは提言のみならず一般のディスカッションにおいても必須の態度である。行政の施策において現状の不備や達成できていない点を指摘し非難するだけで、根拠や代替案を何ら示さないのは提言ではなく単なる「ダメ出し」である。個人に対するダメ出しは人間性を疑われるため普通は避けられがちだが、行政に対しては何か新しい取り組みが提起されるたびに大した検証もなく疑問符をつけて回る市民は多い。ただのダメ出しは問題解決などへ真剣に取り組む人々のモチベーションを低下させるだけで何の利益ももたらさない。

現状の問題点を指摘し改善を求めるなら、その提出責任は当然ながら不備を指摘した側にある。それも前述のような一部の人々ではなく複数方面からみて可能な限り多くの人々の利益を増大し、不利益を縮小するものでなければならない。改善案の実現可能性や手続きの煩雑さ、コストもできる限り小さいものが求められる。
【 影響力の強い立場にある人々を利用しない 】
提言内容は可能な限り多くの人々による査読と検証を要する。この手続きによって提言を実行することで当初は見えていなかった新たな問題点が生じてしまうことが判明したり、逆に提言と同じことをもっと簡略化された手続きで実行できる手段が提示される可能性もでてくる。有識者や当該ジャンルの専門家による吟味は重要だが、実際に問題を感じて提言に至った当事者や周辺の人々の意見が単に素人の提出したものだからという理由だけで捨て去られてはならない。過去には特に行政において、一部の有識者や専門家とされる人々、あるいは行政の主要な位置にある人間の意見のみを元に「高度な政治的判断」などといった誤魔化しでゴリ押ししがちであった。

旧来しばしば見られていた誤った提言の一つに、その方面の有力者に「直訴」して便宜を図ってもらうやり方があった。具体的には地域在住の市議会議員などに自治会長を通して強く働きかけてもらうとか、福祉関連では影響力の強い団体や相応な肩書きを持つ人物に困窮振りを訴えるというものである。市議会議員・県議会議員では地元住民の意見を優先的に通すことで本人の実績作りにされてきた経緯があり、今でも何か問題が起きたら「(やってくれそうな)市議会議員さんに話をもっていく」などと平気で公言する市民が少なくない。

市議会議員の場合、地元貢献度が少ないと次期改選時に地域住民からの集票が期待できないリスクを背負っている。生活がかかっているため、保身術の一環として地元に有利な施策を強硬に訴え便宜をはかるケースが横行していた。このような悪習慣は何処かの段階で断ち切られなければならない。地元の現状を客観データで説明し、著しい不均衡を強いられているなら是正は必要だが、我々市民は一部の地元在住者へ利益供与することを前提とした活動を推進したい市議のために税金を支払っているのではない。
個人的には公然とそういった活動を行う市議を排除する手段がない現状の制度自体を否定する

余談だが、この件に関して現在でも「我が郷土から代議士を!」や「うちの校区から市議会議員を出そう!」の如きスローガンの書かれた立て札を見かける。昭和期や平成初期では未だ一般市民が情報発信する充分な手段がないため、政治に対する地元在住者の熱意や意識の高さの象徴でもあったのだが、現在は誰でも自由に意見を唱え、それを流布する手段が用意されている。それらの手段に馴染まない高齢者は別として、今なお地元から代議士や市議会議員が出れば何とかなるといった意識が地元在住者たちにあるとしたら、その意識改革から必要である。

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