山立石池

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記事作成日:2019/1/29
最終編集日:2019/1/31
山立石(やまだていし[1])池は、東岐波の北部で阿知須と接する沢地にある灌漑用溜め池である。
写真は堰堤付近からの眺め。前方に見えるのは山陽自動車道の山立石池橋


溜め池の堰堤をポイントした地図を示す。


この近辺の地形はかなり特異で、すぐ北西の山口市阿知須町側によく似た形と規模の黒谷池がある。広大な溜め池を造れるほどの深い谷地が隣り合っている。周辺の沢が溜め池に占有されているため、通常は山の中腹を縫うように進む道が尾根に押しやられ、一番高いところを通っている。市境もこの2つの溜め池を分け合うように引かれている。
《 歴史 》
東岐波校区最大の溜め池で、築堤は貞享元年(1684年)まで遡る。溜め池から流下する河川は山口市阿知須町に属する井関川であるが、築堤と同時期に東岐波区花園方面への給水を行う灌漑用水路も造られ約48ヘクタールの田畑に灌漑用水を供給している。前述のように黒谷池と山立石池を分け合うように市境が引かれているが、溜め池より下流側は一部が灌漑用水路に沿って市境が設定されており、用水の配分が東岐波村と井関村双方の境界設定に大きく影響していたことが窺える。余水吐付近の溜め池の中には東岐波村と井関村の村境を定めた大正期の石碑が存在する。(後述する)

昭和59年に溜め池の堰堤部分と用水取り出しの樋門が改修されている。改修工事は昭和58年10月着工、59年11月竣工で総事業費は1億6千6百万円。
水鳥の観察目的で現地を訪れたことがあるという声を聞いており、現在のような厳重な囲障が設置されたのは改修工事後の平成期に入ってからのことと思われる。
《 概要 》
山口市道より余水吐付近を横断する管理道はアスファルト舗装されている。
堰堤上は未舗装路である。


堰堤と周辺部は張ブロックで固められている。
ブロックは一部に突起が出ている特殊な仕様である。


堰堤の対岸側は汀の出入りが非常に多い。
尾根伝いに通る市道より汀へ降りてくる他の道はいっさい存在しない。


岸辺は真砂土系の斜面で目立った露岩は殆どない。

堰堤の南東側には溜め池の内部へ下っていくスロープがある。
溜め池の改修工事を行ったときの作業用道路かも知れない。


史跡類は堰堤より南東側、山口宇部道路・山陽自動車道の宇部JCT寄りに集中している。
携帯会社の電波塔近くに、昭和59年の大規模改修を行った際の詳細が説明された石碑がある。


この改修記念碑に概要が記載されているのだが、一般来訪者を寄せ付けない立地にあるため記念碑全体が藪に包まれている。

四輪の通行可能な管理道は携帯会社の電波塔前で終わっており、それより先に一部アスファルト路があるもののその途中に金網が張られ通れなくなっている。山陽自動車道の管理地となっている模様。

行き止まり地点より折り返す側に踏み跡があり、自然の高台に祠が祀られている。


溜め池を見下ろす立地であることから、水が溜まることを祈念して据えられた水神様である。祠の横に文化五の文字が刻まれていることから、溜め池築堤と同時期のものらしい。

堰堤上の管理道寄りに余水吐がある。溜め池の水位が下がると、余水吐から10m程度池の中へ入った岸辺寄りに石碑が現れることが最近分かった。


今のところ岸辺からズームで視認できる面に大正3年の文字、別の面に東岐波村と井関村の文字が確認できた。水没している部分に当時の村長の名前が刻まれていることが推察される。この場所は両村の村境にあたる場所でもあり、山立石池の汀に沿って村境を設定した折に両村で協議した上で設置された境界石と考えられる。

堰堤より排出路下流側へ下っていく別のコンクリート路がある。
地図では途中までしか記載されていないが、東側の山口宇部道路との間にある甚蔵池へ向かう管理道である。


下っていく管理道の右側は藪状態の窪地となっているが、かつてここにも溜め池があった模様。
《 アクセス 》
山立石池の堰堤もしくは汀へ安全に到達できる一般向けの経路は存在しない。山口市道に面して堰堤への管理道がある[2]が、フェンス門扉で施錠された上に関係者以外立入禁止となっている。


もう一つの管理道が市道片倉引野線の旧道部分(山陽自動車道とのトンネル立体交差の南側)に存在する。
入口部分に同種の立入禁止を明示したフェンス門扉となっている。この先の道は王子ないしは上の原方面へ向かう最初期の道の一部であった。
現在も赤線であるかどうかは不明


上の写真ではフェンスが隣接する耕作地で切れているため横を通って容易に入場できそうにも思えるが、先には更に厳重なフェンス門扉がある。フェンス横の地山との隙間部分にも有刺鉄線をきっちり張り巡らせて山口市道に面した管理道以上に恣意的な入場を阻止する対策が取られている。ただしこの管理道は堰堤まで繋がっておらず何のためのものか分かっていない。恐らく溜め池改修時に援用した工事用道路の痕跡と思われる。

山口宇部道路は山立石池の東側を通っており、また山陽自動車道は宇部ジャンクションを介して山立石池橋で池の上を渡っている。したがって車窓から溜め池を眺めることは可能と思われるが、いずれの道路も自動車専用道であり自転車や歩行者の進入はできず、車の場合も沿線は駐停車禁止区間である。以上のような背景により、山立石溜め池の水面を直接観られる場所は殆どない。

ただしこの溜め池に接近できる経路が管理道以外に皆無というわけではない。この総括記事に使用されている写真は、その経路を介して溜め池に到達し撮影されたものである。言うまでもなく立入禁止の掲示が出ているフェンス門扉を跨ぎ越す粗野な手段は援用していない。管理道以外の別の経路もさほど安全ではなく、春先以降は一部が藪で覆われて通行が非常に困難となる。公道に面した管理道入口にすべて立入禁止の札が明示されていることから、この溜め池への接近自体が禁止されているとも解釈できるので、具体的な現地到達経路はここでは案内しない。
出典および編集追記:

1.「東岐波ふれあい散策マップ」による。ただし「ふるさと東岐波」p.6では「山立石溜池(やまだちいしためいけ)」として紹介されている。東岐波区住民からは「やまだていし」の読みを耳にしているので当面はこの読みを採用する。

2. 冒頭の地図には堰堤に向かう管理道は記載されていない。黒谷池へ向かう入口近くにある分岐路は実際には存在しない。意図的にオミットされた可能性もある。改修前の管理道は現在の余水吐の上を通る経路だった模様。
初めて山立石池への接近を試みたときの踏査レポート。日にちを変えて2度ほど接近を試みたものの溜め池の写真は撮影できていない。代わりに後半部には溜め池に関する古い用水路を見つけている。
全4巻だが後半は溜め池とは直接関連性がない水路の記事となっている
時系列記事: 山立石池【1】

この総括記事を再構成する前にあった古い総括記事。ファイル名を変えて検索除外指定にしている。
総括記事: 山立石池【旧総括記事】
《 個人的関わり 》
注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

《 地名としての山立石について 》
溜め池の名称である山立石(やまだていし)はこの溜め池がある辺りの山地字と思われる。
写真は山立石溜め池付近にある保安林内使用許可済標識に現れた字山立石の表示。


この地名は東岐波区の小字絵図に記載がなく「地名明細書」にも山立石ないしはそれに近い地名は現れていない。現在も山口市阿知須に近い位置であり、かつての井関村相当に収録されているのか、あるいは溜め池こそ早期に造られたものの人里離れた地で人々の暮らしがなかったために収録がないのだろうか。

一般に立石と言えば、ある特別な場所や境界地を示すための石を示す。これは人為的に設置する場合があれば元から自然に存在するものを目印とすることもある。同じ東岐波村の日の山の沖には満潮時にも水没しない岩礁が古くから知られており、立石(たていし)と名付けられている。現在は周防立石灯台が設置され山口市の管轄となっている。山立石はあるいはこの立石との識別として山という接頭語を置いたのかも知れないが、関連性があるかは不明である。

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