意見・提言

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記事作成日:2018/7/18
最終編集日:2020/11/18
ここでは、以前から個人的に温めていた意見・提言をまとめて収録している。まだジャンル毎の分類はされていない。項目が多くなってきたら分類整理する。

一連の提言は今のところまったく個人的な所感にとどまるものであり、関連法規の誤解や考慮すべき特殊事情が折り込まれていない可能性もあるため、文書による正式な提出は行っていない。適用範囲も全国レベルでも可能であろうが、当面は少なくとも市内だけでも率先して取り組み市民が快適な生活を送れる環境を創出することが目標である。
《 条例レベルでの全面禁止が求められる問題 》
以下に現時点では程度の差はあっても現状守られていないことについて、相応な理由と共に全面禁止すべきものとして提言する。以下には既に問題視され取り組みが進んでいるものがあれば、理解不足のせいで多くの人にとって禁止されるべきという認識自体が欠けているものも含まれる。
【 管理されていない動物への餌付け 】
この項目に言う「管理されている」とは、当該動物の正当な所有権を有し、完全に目の届く行動範囲に限定して飼育する人間の元へおかれているという意味である。具体的にはペットショップや動物園、部屋飼いしている一般個人に帰属する動物が該当する。公園に集まるハト、灌漑用溜め池に泳ぐ鯉などはたとえ一定範囲に定住していても該当しない。一個人に帰属していようが屋外での行動をまったく自由に任されているペットの飼い猫も該当しない。

現時点で最も問題視されるのが野ネコへの餌付け行為であるが、本件はそれ以外の内容も含んでいる。野ネコの餌付けが禁止されるのは、無秩序に殖えたネコによる弊害(糞害・鳴き声・ボンネットの足跡汚れ等)が主であるが、副次的に起きる現象も考慮しなければならない。慈悲心による餌遣りから野ネコだけではなく餌目当ての他の野生動物(タヌキ等)も集まり、現に人を恐れず擦り寄ってくるタヌキが観測されている。それまで現れなかった場所にこういった生物が出没すれば、生態系の乱れとよく言われるような生物相の変化を誘発する。

この観点から公園などに集まるハトや溜め池での鯉への餌遣りも同様である。ハトへの餌遣りは殖え過ぎによる弊害と糞問題から多くの自治体で餌付けが禁止されているが、少なくとも常盤公園内ではまったく野放しであり自由に餌遣りができる。この結果、白鳥湖周辺では夥しい数のハトが定着してしまっている。


赤ちゃんの乗った乳母車周辺へ一斉に降り立ち飛び立つ状況に子どもが泣き出すとか、一部の馴れたハトが餌をよこせとばかりに来訪者の靴をつつく行為まで観測されている。過度に馴れたハトの仕草を面白がってばかりはいられない。本来あり得ない現象であり、人が居ても攻撃されないし餌をもらえることが学習化されハトの行動様式が変化している。これは野生動物の本来もつべき生態への攪乱である。

周知の通り常盤公園では過去に強毒性ウィルス感染によるハクチョウの全個体殺処分という負の歴史を抱えている。常盤池へ飛来する野鳥がウィルスを媒介する可能性については確率の問題であるもののゼロではない。それであるが故にペリカン島も全体をネットで覆われているのである。ハトがこの種のウィルスを媒介するかは調査の余地があるが、カモやカラスなど他の野鳥も飛来しており、個体数が殖えれば感染の確率を上げてしまうのではといった懸念は当然あるし、少なくとも充分な知識を持たない来園者にとっては心配事であろう。

常盤池に関しての餌付け問題として、現状は園内にある店で鯉の餌となる麩が1本100円で販売されている。来訪者は誰でも店で鯉の餌を買って常盤池の鯉やハトに給餌することができる。
ただしハクチョウへの給餌は禁止されている


一日にどの程度の餌遣りがされているかは来園者依存であり管理されていない。餌過多による鯉の殖え過ぎは未だ議論されておらず、食べ残された餌が水面を漂っている光景がみられる。これは常盤池の水質を悪化させる要因になるのだが、餌遣り自体が散発的で量も多くないせいか問題視されていない。人間に近づかない野生動物を餌で制御できることと常盤公園側にとって収益源になるのが理由であろうが、このような無責任な餌やり行為は止めるべきである。まして商行為に結びつけるのは論外であり、鯉の餌の販売を恒久的に中止することを提言する。既にときわ公園に限らず野ネコへの給餌は容認されていないが、不特定多数が来訪するときわ公園内では、観光客によるすべての生物に対する給餌を禁止するように提言する。

殖え過ぎがもっとも問題視されているのが、市内を闊歩する野ネコである。擦り寄ってくる可愛らしさから餌遣りする人は後を絶たない。殊にペットの飼育自体を禁止している市営住宅では、当然ながら野ネコへの給餌も容認していない。しかし可哀想だという気持ちから秘密裏に餌を与えている居住者は少なくない。

既に市街部は随所で多くの野ネコが彷徨いており、個体数が増えて糞害などが問題となっている地域では餌遣り行為に関する強い非難と禁止を謳った立て札がみられる。


昭和後期辺りまでは普通にみられたハーネスのない野良犬は、現時点で市内ではほぼ存在しない。犬と猫での差違は、野ネコは人が近づけば逃げるのに対し、犬は積極的に攻撃して噛み付き被害を大きくすること、何よりもそれに伴う狂犬病が懸念されたからである。両者は現在でも2大ペットであり、野犬が対処されたならば次は野ネコも同様に扱われるべきといった議論が起きることは想像に難くない。

個人的に野ネコを忌避するわけではなく素直に可愛いとは感じるが、管理されない野ネコについて、少なくとも人口密度の高い市街部から一掃することを求める。[1]理由は殖え過ぎや鳴き声、糞害といった問題だけではなく、交通量の多くなった昨今、野ネコが見境無く市街部を闊歩すれば事故に遭う確率が高まるからである。

自分の可愛がっているペットではないとは言え、線路で轢断されたり路上で原形を留めない程に変わり果てた姿になった動物の姿を見たくないと思うのは人間誰しも同じであり、子どもをはじめ感受性の強い人々ではトラウマを引き起こす。[2]誰も見たくなかろうが、変わり果てた死骸は誰かが処理しなければならない。
一般には鉄道や道路の維持管理専属業者により異物撤去として処理されている


行動範囲を制限されていない飼い猫のペットも同様である。地方部では飼い猫の行動を自由に任せていても事故などの問題はそれほど多くはないが、市街部では屋外を闊歩するに任せれば事故に遭う確率が高くなる上に野ネコとの交雑も増える。屋内で飼うことを基本とし、飼い猫が屋外に出るのは飼い主によって完全に制御された状況に限られるだろう。

近年、交雑することで無益な野ネコを殖やし過ぎてしまうことを懸念して、避妊処理を施したネコを識別するために耳の端をカットする運動(いわゆる「さくらネコ」)が実施されている。飼い猫を自宅内に限定せず歩き回らせる形で飼っている人は現在でも多く、無益な命を殖やすのを防ぐ意味では評価される。しかしこれは自然界で交配し無秩序に殖えるのを阻止し自然減に向かわせるための過渡的措置である。今街中を闊歩している野ネコは生き存えようが、次世代を残すことができる個体が減少するため最終的には自然消滅するだろう。

ただし、街中を散歩して野ネコにまったく出会うことがなくなり殺伐としてきたと嘆く声が出てくるし、ネコを飼うほどではないが触れ合いたいという需要は根強い。他の種の動物も含めて、無管理状態での餌付けや街中闊歩を抑制するかわりに、好きな動物と自由に触れ合える管理された場が求められる。一般論として何であろうと禁止事項の順守を強く求めるなら、例外的にそれを許容する場がなければ「何でもかんでも禁止される」といった不満が噴出する。銀天プラザでは音がやかましいという理由でスケボー遊びが禁止されたが、代わりに「ここなら幾らでも遊んで構わない」という場が提供されなければならない。
恩田スポーツパーク構想では好きなだけスケボーで遊べる場の確保が設計に盛り込まれている
出典および編集追記:

1.「FB|野ネコは将来的に野良犬と同じ顛末を辿ることになる(2019/3/13)

2. 小学生時代、市道恩田八王子線の八王子踏切で放し飼いにされていたイヌが目の前で快速電車に轢断される場面を目撃してしまい、その映像が脳裏に焼き付き高校生に至るまで何年も心理的負担となった。ハーネスを着けないイヌが街中でまだ普通に見られる時代であった。詳しくは八王子踏切の派生記事を参照。
【 番犬代わりに屋外で犬を飼う行為 】
今や市内に野良犬は皆無であり、飼い犬はハーネスで繋ぐなどして管理することが周知徹底されている。その次の段階として、屋外で犬を用心棒目的で吠えるに任せるような飼い方の禁止を提言する。

屋外で繋いで飼われている多くのイヌは、当該家屋への訪問とは関係なく飼い主以外の人を見るだけで吠え始める。殆どの人は吠えられると不快なので足早に立ち去る。そのことからイヌには「吠えていれば厄介な人間が視界から消え去る」学習が形成されてしまっている。無駄吠え癖のついたイヌは、姿が見えなくなってもなお当分の間吠え続けている。


一部の飼い主は、飼い犬が吠えることで「誰か来た」というアラーム代わりにしている事例が目立つ。知った人が訪れた場合に犬の所まで行って宥めて吠えるのを止めさせればまだしも、大抵は吠えるに任せて頓着していない。このような行為は吠え声が近所迷惑となるのみならずイヌ自身に対してもストレスを強いていることになる。イヌからすればそもそも怖いから吠えるのであり、そのような環境に放任して顧みず吠え声をアラーム代わりに利用するのは間接的な動物虐待である。

通行がまったく問題ない公道を通行していて塀越しにいきなり吠えられることがよくある。無関係な通行者への威嚇にあたるだけでなく、不意に吠えかかられることで転倒し怪我を負ったなら、当然ながら飼い主に損害賠償責任が生じる。そこまで行かなくても正当な用件の来訪者に対しても見境無く吠える状態を放任しているのは、間違いなく飼い主に対する心証を悪化させる。実際の状況がどうであれ、無駄吠えの多い犬に遭遇すれば、来訪者はまず飼い主の躾の悪さを考える。他方、飼い主や来訪者の双方に「犬は吠えるものだ」とみなし頓着しないスタンスも多い。

2010年の半ばには岬明神地区にハスキー犬の営巣地が自然発生していた。同年6月のこと、市道明神町八王子線を撮影していて枝線に入ったところ一斉に数頭の大型ハスキー犬が追いかけてきた。自転車で目一杯漕いでもすんでのところで飛びかかられるまで接近しており、本当に危機一髪だった。小さな子どもや高齢者だったら間違いなく襲われ全身を噛まれ重傷か死亡していただろう。
写真は安全な場所まで逃げおおせた直後に野犬の居た方向を撮影している


既に市街部からは野犬が一掃されていたので、岬明神地区のあの場所は一体どうなっているのかとすぐさま県の保健所に怒鳴り込んだ。県でもこのハスキー犬の集団営巣を認識し対応に手を焼いていたことを明かした。このとき県担当者から一部の地元在住者がハスキー犬を餌付けして手なずけ、外部からの来訪者の用心棒として利用していた実態を明かした。私は当時怒りの余り毒餌を仕掛けてすべて毒殺すべきだとまで進言している。その後対処されたのか現在では姿は見当たらないが、個人的にはイヌ嫌いのとどめを下す事件だった。

この提言は、ペットの犬を外で繋いで飼うこと自体に制限を加えるものではない。例えば大型犬では家の中で飼うことが困難である。知らない人間に吠えるものの飼い主が出てきて宥めればすぐ止めるよう躾ける(実際には殆ど不可能)か、飼い主が対処できない場合は犬が恐怖を抱いて吠えてしまう通行人が目につかない場所へ繋ぐなどの対処が必要である。吠え声がやかましいからと言って猿ぐつわを噛ませるのは姑息な手段であり、イヌにとっては「吠えたくても声を出せない」ストレスを強いるので賛成できない。

一般的に飼われているペットの中でイヌは吠え声がもっとも問題となるが故に、外で飼う場合には相応な対処が必要となる。イヌを飼いたいという需要が根強い半面、吠え声に悩む人は多い。ペットは昔から人のコンパニオンアニマルの一つとして改良が加えられてきたことから、今後は吠え声の大きなイヌが敬遠され性格がおとなしく馴れやすいイヌにシフトするかも知れない。
【 拒絶を明確にしている居住者へのチラシ投函 】
人は何らかのサービスを享受しているならば、サービスとして求めてはいない無関係な広告を配信されることに関して一定の理解の余地がある。しかし何のサービスも受けていない状況で必要としない広告を配信されるのを受忍する理由はない。まして当該広告でたまさか求めていた商品やサービスの提供に関する情報を手にできるなら利益はあるものの、何の利益もないどころか、一方的に配信された広告を片付ける手間暇のような不利益を被るような事態は、当然ながら対処が必要である。

この見地から言って最も問題視されるのは、一方的に送りつけられるスパムである。ネットで配信されるものは発信元が不明なため対処できず全世界的な問題となっている。しかしリアルで配信されるスパム、即ち配信を求めていないにもかかわらず一方的にポストなどへ投函されるチラシ類は配信元が明確である。そうでありながらアパートのような集合住宅ではポストへ片っ端からチラシを投函していく行為が未だに続いている。

チラシ不要を明示した貼り紙を出しても殆ど効果がなく見てない振りをして投函される。真にポスティングを拒絶するには集合ポストの投函口をガムテープで塞ぐ以外なく、現に退去者などのポストはそういった対処が必須となっている。退去者のポストは当然投函物を取り出されないので溜まる一方であり、入りきらなくなってもなお押し込まれ、やがて周囲に散乱する。その後片付けを集合住宅の管理者や住民が負担させられている。悪質と言っていい事例では、集合ポストの投函口を塞いでもドアポストまで押し寄せて投函している。すべてを塞ぐと必要な郵便物が受け取れなくなるので、集合ポストを塞いで郵便物はドアポストへ入れるよう貼り紙を出してもなおチラシをドアポストへ投函するのである。この種の高圧的なポスティングは地方紙の配達員によるものはまず見られず、個別の配達員に投函させているケースである。具体的には宅配ピザや寿司の配達といった中食系のチラシで占められる。

本来、この種の情報はネット上のメールと同様、オプトイン・オプトアウト制で運営すべきである。歓迎されない情報を押しつけるのはスパムであるが、ネット上のスパムが明確な犯罪と規定されていながら発信元が特定できないために事実上の野放しになっているのとは対照的に、リアルでのチラシスパムは投函行為自体が規制されていないための野放し状態である。これらは条例レベルを超えておりアポイントのない飛び込み訪問販売と同様、規制の対象にすべき問題である。現状は自衛以外ないため、独自の投函員を介して求められないチラシを投函した業者は、その不適切な営業手法を共有している。
【 私有地化を意図して里道に障害物を設置する行為 】
市内のある場所では、昔からの里道でありながら私有地に近接していてゴミを投げ込まれるとか平穏が保てないなどの理由で、通行を自粛するよう促す種の立て札が設置されている。更に一歩進み、里道の前に立入禁止の立て札を勝手に立てたり極端な場合ではドラム缶などの障害物を設置して物理的に塞いでいる場所もある。これらはいずれも里道の通行権侵害なのだが、殆ど人目につかないことから穏やかな通行制限をかけ続けることによって平穏公然と取得していたことを主張し、取得時効を狙っているのではないかと思われる事例がある。[1]

取得時効が成立すると、元来里道であったものは私有地となる。外部からの来訪者の気がつかないうちに法定外公共物であったものが私有地となるため、通行人は里道と確信して歩いているのに所有者が不法侵入を訴えて警察沙汰にするトラブルが起こり得る。このような不適切な通行排除行為を看過すると、やがて人の往来の少なくなった里道が秘密裏に私有地化され、里山歩きが自由にできなくなる可能性がある。実際の法的手続きによりこのような事例は起きないのかも知れないが、元来里道であった場所が戦後の混乱や人目につきづらい立地であることに乗じて自分の敷地へ併合したり、極端な場合は倉庫や民家を建てている場所すらある。

正規の手続きを経て国有財産の払い下げを受ける分は問題ないが、元々は誰でも正当な通行権を持っている里道をあたかも「勝手に通ってはいけない道」のように偽装する行為が問題なのである。このような事例は里道に限らず認定市道でも発生しており、対処可能な分については市で指導しているが、うやむやになっている場所も多い。

その全てが取得時効を意図して故意に行われているとは思えないが、疑念を持たれるような占有行為は早めの対処が必要である。複数回の指導によっても順守されない場合は処罰対象にすることを検討されたい。
《 関係部署からの指導や告知が求められる問題 》
説明の必要上、関係者や場所が特定できる写真が含まれている。これは現状を説明する参考資料と掲げたに過ぎず、当該問題点を作った個人や団体を名指しで非難するものではない。
【 里道に獣害防止フェンスを設置する場合のルール作り 】
情報この項目は記述内容が増えたので将来的に単一記事に分割される予定です。

数年前よりイノシシを始めとする獣害が深刻化している。対処されていない畑の作物は食い荒らされ、農作物以外でも農道を掘り起こされるなどの状況になっている。

このため田畑を持つ農家では自前の農地に接する農道入口をフェンスで塞ぐ行為が一般化している。特に軽トラの進攻可能な程度の幅の道は、外部車両が不法投棄目的で入り込むことを防ぐために農道に限らず殆ど塞がれている。それらの中には近隣の集落を結んでいた里道だったり登山道の一部だったりする場合がある。フェンスは施錠こそされていないものの、紐や金具で緊結されているのが普通で、外部からの来訪者にとっては事実上の立入禁止状態になっているものが殆どである。少なくとも必要があれば解錠し元に戻すことを前提に通行できますと掲示しているフェンス設置箇所は、2020年時点でも市内には一つもみあたらない。

下の写真は末信地区にある広瀬向け工業用水管理道に設置された例である。以前はフェンスなどなく自由に通行できていたのだが、現在は一年を通してフェンスが設置され、容易に外せないよう紐で縛り付けられている。


この道は恐らく企業局ないしは宇部市上下水道局の管理道と思われる。以前はまったく問題なく通れていたのに、市道沿いに同種のフェンスが設置されたのと同時期にこの入口部分も塞がれた。このフェンスのせいで2015年に開催した宇部探検博覧会プログラムで、この先にある末信潮止井堰へ参加者を案内する際に支障を来した。

プログラム開催に先立ち、現地を下見したとき初めてこのフェンスに気付いた。フェンスには設置者が記載されていないため、イベント開催にあたって一時的に開けて参加者を通行させて良いかの承諾を取り付ける術がなかった。この場所を迂回して井堰へ案内するなら数百メートル離れた宇部興産末信ポンプ場まで行ってそこから非常に状態の悪い土手道を延々引き返す以外なく運営時間的に不可能であったため、当日は遺憾ながらフェンスを結んでいる紐を勝手に解いて参加者を通さざるを得なかった。

もう一つの事例を挙げる。ここは農林農道における山中地区にある山陽街道の分岐点である。現地には山陽街道の痕跡が遺っていることを伝える説明柱が設置されているのだが、肝心の道路部分が同様の金網で塞がれている。


金網は番線などでの緊結はされておらず、容易に外して通れるのかも知れない。しかし地元在住者ならともかく現地を訪れた人は通って良いものかどうか判断がつかない。この場所の場合、山陽街道の標識があるので明らかに里道と推定される。獣害を防ぐ目的のフェンスであるため沿線の耕作地の所有者によるものと思われるが、フェンスの設置者はもちろん一時的に外して通って良いものかの情報も提示されないため、適切な処断を下しようがない。

この写真は吉部地区の犬ヶ迫を訪れたときのものである。
犬ヶ迫という地名の由来となったと思われる石碑があるのだが、そこへ至る道が金網で塞がれているため現地撮影ができなかった。
再訪時に近隣在住者との談話により私有地であるため石碑を観に行く目的でも入ってはいけないと注意された


石碑は私有地に設置されている事例もあり、このフェンスから先も民家の私有地の可能性があった。恐らく石碑の撮影程度なら開けて入っても良かったのだろうが、殆どの人は自分の敷地へ勝手に入られるのを嫌悪するものであり、人によっては不法侵入者として警察へ通報する。このため遺憾ながら撮影を諦めて撤収している。この場合もし石碑の撮影ならむしろ歓迎するというスタンスだったのなら、せめてフェンスに「御用の方は開けて入っても良い」旨の添え書きが欲しかった。それがないためにせっかくの史跡を他の人に知って頂いたりコラムで紹介する機会を失っているのは誠に残念なことである。

特定の農家の田畑のみに接続される私有地ないしは私道であれば、フェンスで関係者以外の通行を阻止するのは全く私権の範囲内である。しかし里道のような法定外公共物の場合は、途中に崖崩れなどがあり知らずに通行すれば危険が伴うような場合は別として、不特定多数の通行を著しく困難にする障害物を里道に設置する行為は違法であり、法定外公共物の不法占有である。近隣在住者は事情を知っていても外部からの来訪者は、目の前の道が里道か私道かの見極めは不可能である。

里道に面した田畑の所有者が入口に獣害防止のフェンスを設置する場合は、外部からの来訪者が一時的にフェンスを外して通行することを容認する旨の案内掲示を行うよう指導して頂きたい。設置するフェンスは紐で緊結したり鍵の解錠という複雑なものではなく、野獣が侵入できないが人は容易に通れる種のものにすることが望ましい。当該里道を通行したい来訪者は、元来ある通行権を問題なく行使できる代わりに、害獣問題が深刻化している現状を踏まえて通過前後ではフェンスを最初の状態に戻しておくといったルール作りが求められる。

現状、このことが適正に行われているのは市内では小野の芦河内薬師堂だけである。
御堂が個人所有の田畑に隣接しているためフェンスで囲われており、見学者は柵の紐を解いて中に入り元の状態に閉めておく案内がキチンとされている。


市外では早くから分かりやすく模範的な事例が榎谷取水口を訪れたときに見られている。
フェンスを設置した上で一般来訪者には通行を容認し、どのような措置をして欲しいかを明示している事例である。


写真は2011年の撮影である。山口市阿東地区は耕作地が多いため早くからこのような説明板が設置されていたようである。遺憾ながら市内ではこのような丁寧な掲示を出している場所は皆無であり、一般来訪者に配慮した取り組みが非常に遅れている。田畑を荒らす害獣問題が深刻であることのみに目が向き、本来誰でも通って良い里道を塞ぐのは通行権の侵害である。

車が入れる幅の里道の場合は、害獣問題よりも外部からの四輪侵入による不法投棄の方が深刻かも知れない。しかしその場合でも必要な対処はなお同様である。四輪の進攻を完全に阻止すれば不法投棄の侵入は防げるが、そのことによって里道の通行権が侵害されてはならない。投棄されるのは往々にして処分費の嵩む重い家電製品であり、それ故に不法投棄者は四輪に積んで棄てに来るのである。歩行者や自転車が通行できる程度の幅を空けておけば、この問題は回避可能である。

なお、最近この状況が余りにも酷く物件の探索に支障を来す事例が増えているため、2018年11月中に市の該当部署へ具体的な問題箇所をいくつか挙げ、野獣被害や不法投棄対策でやむを得ず里道を塞ぐ場合は、通行方法を明示するよう関係者に指導して欲しいと要請した。しかしフェンスを設置している農家が夥しい数にのぼるため、すべての該当者に通知することは難しいと言われた。ただし里道を勝手に塞いだり立入禁止といった虚偽の標示を掲げる通行権侵害については、随時巡回し設置者に指導を行っているとのことである。

文言による掲示が煩雑なら、例えばフェンスに青や緑色のテープを貼るだけでも良いのである。そのテープが貼られているフェンスは、必要があれば外部からの来訪者が開けて通って良いということにすれば解決する。私道に面した私有地や田畑に入るフェンスには(どうしても入って欲しくなければ)赤のテープを貼れば「外部からの来訪者が通ってはいけない場所」であることが視覚的に分かる。何度も言うが、外部からの来訪者は目の前の道が私道(通ってはいけない)か公道(堂々と通行可能)なのかは分からないのである。この件に関して基本的なルール作りを行い、広報で告知するなどして欲しい。

なお、本件については後述するわな設置の件について2020年2月に担当者と話があったときにここへ記述したような内容を説明し、鉄柵で里道を塞ぐ形になる場合には、一般来訪者が自主的に柵を開けて通行できる旨の案内をするなど指導して欲しいと再度要請した。
【 ドアのチェーンロック使用の見直し 】
高齢者の見守り活動で訪問し呼び鈴を押すと、来訪者を確認した上で応対されるとき玄関のドアロックを解錠し、更にドアチェーンを外すジャリジャリといった音が聞こえる。多くの高齢者がドアチェーンを施しているようである。これはドアを開きかけたところ押し売りのような望まない来訪者であったことが判明したとき、強引に玄関へ入られるのを阻止する防犯上の役には立つ。しかし可能性としては、むしろ自分が脱出する際の障壁になるリスクの方が大きい。

屋内が火事になったとき、火の周りが早ければ間違いなく誰でも気が動転する。解錠してドアを開けようにもチェーンロックを外すのに手間取ったり、動転していればチェーンロックを外すことまで頭が回らず必死でドアを開け続けようとして力尽きてしまう事故が想定される。更に自宅で寝ていて重篤な発作が起きて意識を失ったとき、せっかく支給されている救急ボタンを押したにもかかわらずたとえ合い鍵があったとしてもチェーンロックが施されていれば玄関ドアを開けられず救出が遅れる。確率の問題ではあるが、一刻を争う病状であったとき生死を分けるかも知れない。

現状の不審者訪問への対策としては他にドアの覗き穴もあるが、視界が制限される上に経年変化でレンズが汚れて外が見えなくなっている事例が多い。近年築造される民家や集合住宅での導入状況は分からないが、チェーンロックと共に廃止されるべき防犯技術であり、玄関ドアを開けることなく訪問者との会話や本人確認が映像で確認できる方法に移行が必要である。
【 危険な種のわなの設置禁止 】
現在、山野に設置される野獣捕獲用のわなとして箱わな・足括りわな・とら挟みわなが認可され使われている。箱わなは内部に餌を置き、野獣が箱へ入ったときシャッターが降りる仕組みであり、幼児などが誤って入った場合閉じ込められる事態が起こり得る。しかしそのような場所へ幼児が単独で徘徊して何日間も閉じ込められることはおよそ考え難く、姿が見えなくなった時点で見つけ出されるだろう。むしろ危険なのは、足括りわなやとら挟みわなのように物理的な打撃を与えるタイプのわなである。

山野にわなを設置する場合は、設置者名と種類の明示が義務づけられているので、掲示物の近辺にあるらしいことは推察できる。しかし具体的に何処へ設置されているかリボンで明示されているわけではなく、知らずに掲示が見えない方向から迂闊に接近した場合は人間もかかってしまう。自分で設置したわなの場所を失念して自爆した事例があり、弾け飛んだわなで失明寸前に至ったという事例を聞いている。それほど危険なわなが山野に設置されている事実があるなら、安心して山歩きできない。物理的な動作によって野獣に危害を加えるタイプのわなは人間にとっても脅威である。この種のわなを撤去し認可から外すことを求める。

相対的に安全な箱わなも、設置する場所に配慮するよう関係部署から指導して欲しい。明らかな里道(旧山陽街道)を塞ぐ形で置かれていて、恰もこの先関係者以外立入禁止ではないかと誤認されるような設置の仕方がされていた事例があった。
左の分岐が山陽街道なのだが箱わなで塞がれていたため右の分岐に向かった結果道から外れてしまった


本件に関して関係部署に通報したところ明らかに不適切な設置法であるという認識であり、わな自体も害獣の捕獲を終えた後のことという説明がなされ週末までに撤去するとの回答があった。

2020年2月に害獣駆除の担当者と接触し話を聞くことができた。現状では下関市では箱わな以外の設置は条例で禁止されている。はさみわなや脚括りわなのようなタイプのわなに狩猟で連れて行ったイヌが接触する事故が後を絶たなかったのが理由という。はさみわなは極めて強靱で、わなにかかればペットのイヌ程度の脚なら千切れてしまうほどであるという。この事故が起きるため不測の事態でわなにかかることでペットを傷つけたり死亡させた場合の保険がかかっている。宇部市では未だこの種のわなは容認されているが、今後見直される可能性もあるという。
【 不明瞭な立入禁止掲示の撤去 】
情報この項目は記述内容が増えたので将来的に単一記事に分割される予定です。

既に見てきたように、私有地ないしは私道は個人(企業)のものであり一般人の勝手な侵入や通行は不法侵入にあたる。他方、公道や慣行的に通行されてきた農道や里道は誰でも制限なく通行可能であり、物理的に塞いだり通行に心理的な圧迫を加える種の掲示物を出すことは、その設置者が通行権侵害に問われるというまったく逆の結果となる。したがって両者は峻別されるべきなのだが、沿線住民や土地所有者の利害が絡んで本来は通行可能なのに恰も通行が違法であるかのような脅しの掲示物を出したり、通行をご遠慮下さいなど表現を曖昧にした立て札などが往々にしてみられる。

この種のもっとも多い悪しき事例は「関係者以外立入禁止」が書かれたイラスト入りの既製品を掲げる行為である。そもそもこの製品は土木工事などの現場向けに用いられていたのだが、安価で外部からの無用な侵入を阻止するのに手軽で便利ということで一般人もこぞって買い求めて設置し、市内でも些か氾濫している。既製品なので立入禁止にする理由や誰の責任で設置されたかが追記されることはまずない。

甚だしい例では登山道の入口に設置されている。例えば二俣瀬にある鷹ノ子山登山道の途中には、ロープで張られておらず車での進攻が可能ながら同種の掲示がみられる。


これはかつて企業の管理道などであったものが残っている可能性がある。もし既にこの掲示が無効ならば、設置者または当該通路の管理者の責任で撤去されなければならない。ロープが無く掲示物も破損しているので殆ど間違いなく無効と思われるが、状況によってはこの道沿いに土地を持つ所有者から「お前は何故この道に入って来た?入口に関係者以外立入禁止の掲示が出てたのが見えないのか?」と高圧的な態度を取られ、場合によっては警察を呼ばれるトラブルを起こし得る。
県警も何かあったらすぐ通報して下さいと呼びかけているせいで近年は些末なことでもすぐ警察を呼ぶ人が非常に多い

霜降山の登山コースの一つにトンネルコースと呼ばれるルートがある。山陽自動車道の霜降山トンネル東側坑口の上を巻いて通る経路なのでそう呼ばれていて、舗装されているため歩きやすく大固屋広場方面へ向かいたい登山者には重宝されている。ところがこの入口には鉄柵が設置され、ここでも安直な既製品の関係者以外立入禁止の掲示が出ている。


そもそもこの通路の管理者が分からないので設置者が分からないし、関係者が誰を指しているのかも不明である。この道は恐らく霜降山トンネルを施工したときの工事用道路で、沿線には現在も耕作されている田がある。道の奥にはトンネル管理向けの建屋と携帯会社の電波塔も設置されている。したがって順当に解釈すればそれらの人々のみが関係者であり、登山者は関係者外と判断される。しかし歩行者は容易にゲートの横をすり抜けられるので機能しておらず、登山者は掲示を無視する形で自由に通行する実態がある。

管理者側からすれば、四輪による不法投棄目的の侵入を阻止する意図のみであって登山者を締め出す積もりはないだろう。そうであれば「関係者以外立入禁止」の表示はまったく不適切で、四輪の侵入禁止と明示すべきである。更に言えば現地は物理的に四輪が進攻し得ない施錠された鉄柵があるため、掲示物自体が誤った心理的圧迫を加える不当なものであるから除去すべきである。
立入禁止の掲示自体が嫌いなので個人的な心証としては片っ端から剥がして歩きたい

通行の可否問題はトラブルに発展し得る重要な問題なのに、制限を掛ける設置者には往々にしてそのような認識に希薄(あるいは皆無)であり、類似する文言の既成品を掲げて間に合わせている事例が極めて目立つ。現状にみられる立入禁止の掲示物は明瞭さを欠くものが殆どであり、現在も有効に機能しているかどうかさえ不明なものが多い。以下の手順での見直しを行政レベルで検討して欲しい。
(1) 市内に氾濫するすべての立ち入り制限の掲示物を点検する。
(2) 正当性を欠くもの、効力を失っているものは撤去する。
(3) 表現の曖昧な掲示は「規格化された書式」に変更するよう指導する。
(4) 対処されない掲示物は一定の猶予期間後は無効とみなす。
ここに言う「規格化された書式」とは、次の2点をかならず含むものである:(1) 立入禁止にする正当な理由。(2) 掲示物の設置責任者。ただし対象地が私有地である場合は (2) は必要ない。要は本来通行可能な里道などに設置されて通行できない事態を排除するものであり、対象地を管理する市や県のどの担当部署の責任で設置されたかが明示されていなければ問い合わせのしようがない。この場合で (2) の要件を欠く立入禁止掲示は無効であり、強硬な通行阻止を意図する物理的な障壁(有刺鉄線付きフェンスなど)が設置されていなければ無視可能であるとも言える。

行政の手ですべてをチェックしたり、あるいは掲示物を設置した当該者に申告させるのは効率的でない。中には殆ど人目に触れず対処も要らない掲示物もあるので、報告の窓口を設けて対処されたい。このうち里道に立入禁止を掲示したものや管理者不在状態になっているものはただちに撤去して欲しい。

「関係者以外立入禁止」が印刷された既製品の掲示については、公私を問わず可能な限り行わないことを基本として欲しい。 掲示する場合は、その内容と対象者の範囲を明確にすべきである。「関係者以外立入禁止」は、企業の敷地入口など客観的にも社有地であることが分かる場合に限定する。公道から離れた場所にある作業場へ通じる企業管理道の入口に制限をかけたい場合は「社有地につき立入禁止」が妥当である。この場合、当該企業の従業員随伴であるか、または明確に当該企業への具体的な用件があって通行する以外はすべて不法侵入とみなせる。

「適切に対処されない掲示物を無効とみなす」というのは、無条件な私有地の立ち入り正当化を求めるものでは当然ない。先の状況が分からないが故に必要あって入ろうとした人があったとき、当該土地の所有者が私有地立ち入りを根拠に来訪者へ一方的な不法侵入の責めを負わせるのを認めないという意味である。

今まで市内の山間部などを観察してきた限りでは、この種の掲示物の出し方は現状ではまったく混沌としている。私有地への無許可立ち入りは不法侵入として警察を呼ばれるのが当たり前となった昨今、その効果に乗じて単に「通って欲しくない里道」に対してすら私道であるかのように偽装し立入禁止の掲示を出す悪質な事例がある。山岳会関連の方なら実感されているかも知れないが、明確なガイドラインが設けられることもないまま無秩序な掲示物の出され方を放任するなら、そのうち安全な里山歩きが困難になると警鐘を鳴らす。
【 実効性に薄いすべての掲示物の見直し 】
これは前述の「関係者以外立入禁止」より更に拡張した考え方による。優先順位としては前項よりも低いが、街の景観を考えるべき時代に至った上では熟考を要するものである。

公園のような景観や安らぎの場としての効用が目的である場所は、特に配慮が必要となる。そういった場所にやたら自己主張ばかり並べ立てた大きな掲示物は目障りだし、そもそも園内の撮影にあたって邪魔者でしかない。
この掲示物は公園管理者を通さず恣意的に設置されたらしくその後除去されている


道路際ではごみの不法投棄に関する立て札や看板が目立つ。近年は監視カメラが安価に入手可能となったせいか、こうした看板に「監視カメラ設置」が併記されていることが多い。監視社会に入ってしまったことを嘆く向きもあるが、実際には動作しないダミーの監視カメラでも相応な抑圧効果があるが故に、時代の趨勢として否定しきれない一面もある。もっとも真に監視が必要な場合は、いちいち断り書きを掲示することなしに監視カメラ(もちろんダミーではなくリアルタイムで映像を記録している)は設置されている。したがって「監視カメラ設置」を謳いさえすれば不特定多数の映像記録が容認されることを裏書きするものではない。

かなり前に設置された立て札などでは、ゴミの投棄禁止以外にも痴漢に注意などの掲示物がある。極めて古いものは年代考証を行う資料となり、内容的にユーモラスなものはそれ自体が一つの物件とみなせるものもあるが、量産され無秩序に設置された多くの立て札が単に景観を阻害するものとなっている。

そもそも掲示で諭されるまでもなく、容認されている場所以外何処でもゴミを棄ててはならないのである。一般的な広告看板は観察者に新たな情報を与えたりきっかけをもたらす効用があるが、まったく自明な命題である「ゴミを棄ててはいけません」だけの立て札は直接的に何らの効用も与えない「ゼロ価値情報」である。そして周辺の景観を乱している点から言えばむしろマイナスである。このような種の設置物は今後可能な限り減らす努力が必要であり、少なくとも新規に設置しないよう注意を払うべきである。仕方のないことだと放任していてはいつまで経っても街並みの景観は良くならない。街の暮らしに利便性と快適性を備えてきたなら、次はそろそろ景観面の配慮を考えるべき時期である。

この考え方は公園のような公地のみならず、公道などに接する私有地の掲示物にも当てはまる。元来、私有地は個人のものだからどんな掲示を行うも自由なのだが、往来の多い通りに向けて出された掲示物は、その内容によっては禁止行為の告知を越えて通行人に殺伐とした印象を与えてしまう。


現代の社会人において、この種の掲示物を見て「分かった。棄てようと思っていたがここはゴミを棄ててはいけない場所だから止めておこう」などと素直に考える人間など居ない。過剰な禁止行為の列挙に不快感を抱いた通行人なら、土地管理者がゴミ問題で困っているようだから嫌がらせにわざと棄ててやろうという逆の発想を持つ人間を誘発する。監視社会入りの趨勢に従って監視カメラを設置するか、発覚次第即警察に通報するなどの強硬な脅し文句を並べた方が(その手法に賛同するものでは決してないのだが)相対的にまだ効果がある。
もっとも先述の公園は花見の名所であり宴会の件で警察に通報しようが指導程度で終わってしまうだろう

何処でも当てはまることなのだが、遺憾ながらゴミ不法投棄問題で悩まされているのは沿線の特定住民だけではない。公道に面する駐車場や田畑、空き地を持つすべての人々が共有している。その殆どの人が憤懣やるかたないまま投棄者の不明なゴミを自分で処分しているのである。投棄する人間のモラルに訴え「街をきれいにしましょう」などといった綺麗事な立て札設置如きで解決する状況ではなくなっている。根本的には、容易に棄てられてしまうようなゴミの発生源となる商品製造者に最終処理もしくはリサイクルを義務づける責任を負わせるか、棄てるよりリサイクル行動に向かわせる方がメリットあるような体系化された手法への誘導が求められる。例えばゴミの発生源となりそうな商品にデポジット制を課し、所定の場所や方法で正しく廃棄された場合にのみ預託金が還元されるといった制度作りである。
《 街の景観と安全を護るためのルール作り 》
項目記述日:2019/1/21
最終編集日:2020/4/16
2018年末の宇部井筒屋の閉店に続き、年明け1月末には元丸信恩田店の後継で営業していたレッドキャベツも全店が閉鎖される。「レッドキャベツがなくなったら常盤通りから集客力のある小売店舗が全滅する」と危惧されていたのだが、1ヶ月も経たないうちにその懸念は現実のものとなった。宇部井筒屋の跡地は商工会議所が取得することを前提とした交渉が進められているようだが、どのように活用されるかは不透明である。レッドキャベツも撤退後に再び別テナントのスーパーが入るとは限らない。常盤通りに小売店舗が皆無という状態が相当期間続くことは確実であり、かねてから指摘されてきた駐車場問題と常盤通りの側道というイレギュラーな構造故に、従来以上の集客力を持ついかなる店舗が入る可能性も極めて低い。現にドラッグストアやディスカウントストア、コンビニはいずれも充分な駐車場が確保できる郊外に集中しており、日常の買い物の不便さから市街部の空洞化が加速するという指摘もある。

他方、郊外での小売店舗は地域の人口密度や駐車場の確保などを勘案してスクラップアンドビルドが反復されている。新しくコンビニができて便利になると当てにしていたら、大型車両の駐車場問題などを理由に唐突に閉店してしまい地元住民を困惑させる事例が起きている。最初にいくつかの取り決めをしておいて出店者や景観に影響を与える建物の管理者に一定の責務を負わせても良いのではないかと思われる。特にコンビニは大規模店舗に比較して身軽なせいか、動線や街造りを殆ど考えることもなく建設され、周辺の往来や街造りに対しての攪乱要因となっている事例がきわめて多い。
【 角地に店舗を構える事業者の責任について 】
交差点の角地にはコンビニが建設されることが多い。車社会な現在では店舗駐車場への入退出が容易である点が大きい。しかしそのことを逆手に取って、交差点の信号待ちが嫌でコンビニの駐車場を勝手に通り抜ける車両が極めて目立つ。

写真は浜バイパス沿いにあるコンビニで実際に起きた事例である。先方に退出しようとしている軽四が写っているが、この新免ドライバーは浜バイパスでの信号待ちをするのが嫌で、目の前の信号が赤に変わると見るやいきなり左折し、自歩道を自転車で走っている私の前を強引に横切ってコンビニの駐車場内を減速することもなく走り去っていった。タイミングが違えばきれいサッパリと跳ね飛ばされているところであった。


同様の事例は稀でも何でもなく、角地にあるコンビニで何度も起きている。具体的には工学部通り起点と真締川西通り2号線の角地にあるコンビニ店舗、小串通りと市道宇部新川恩田線との交点にあるコンビニ店舗である。市街部では自転車と歩行者が通る自歩道が備わっているのが普通であり、そういった角地にある出入りの多い店舗では何処でも起きる可能性がある。

店舗で買い物する意図がまったくなく単に通路として利用するのは、明らかに不適切な通行手法であり厳密には不法侵入でもある。ただしコンビニで買い物しようとする「振りをして」車で駐車場へ進入し、稍あって退出するといった狡い運行手法も可能であろう。現状、市街部周辺の交通量が極めて多く信号待ちも増えてきたため、その僅かな時間すら待つのが嫌で敷地内を勝手にショートカットするドライバーが極めて多い。

このような運転手法は無関係な社有地への無断進入といった問題だけではなく、公道を往来する他の車両や歩行者などにも危険を与える。前方の交差点の信号が間に合わないとみるや、いきなりコンビニの駐車場へハンドルを切って乗り入れ、そのまま減速せずに退出していく。そういった車両は自歩道で人が歩いているとか自転車が近づいているといった注意をまったく払っていない。

この問題をドライバーのモラルに頼っていてはいつまで経っても問題は解決しない。角地に店舗を設けて営業しようとするすべての事業者に対策を負わせて欲しい。通り一遍の「通り抜け禁止」の看板だけでは無意味である。例えば意図的に駐車場内の通路をクランク状に配置し、通り抜けを試みようにも交差点で信号待ちするのとあまり変わらない程度の時間を要する改造が考えられる。県警に話を持っていったところで、社有地内の問題であり精々お座なりな行政指導に終わるのが関の山である。角地に営業するすべての事業者に対策を求め、今後新規に該当箇所へ出入りの多い店舗を開設営業するなら、物理的な通り抜け対策が施された設計でなければ建設自体を認可しない位の態度が必要である。
【 交通量の多い幹線道路沿いに店舗を構える事業者の責任について 】
雨天時には学校への送迎を保護者が行っている事例は多い。しかし登下校時では時間帯が集中しているため、時間前に学校前が混雑して一般車両の往来にも危険が生じるため、現在では市内すべての高等学校では保護者による生徒の車送迎が禁止されている。しかし進学塾のような民間施設では当然ながら効力は及ばない。

進学塾は学校と違い夜遅くまで活動している。夜道を一人歩かせるのは危険なこともあり、多くの保護者が我が子を送迎している。これは仕方ないことであるが、塾の授業終了時間が近づくと多くの保護者が一斉に迎えに車を走らせる。この件で特に問題が多いのは、県道琴芝際波線の小串通り区間に面した進学塾である。

塾側では建物の前に駐車場を造ってはいるが、多くの生徒が自転車で通うことと建物への出入りで交錯しがちである。このため駐車場に空きがありながら自歩道を横切ってバックする危険や面倒さを嫌気して路上で待機する事例が非常に多い。3台くらい連なってハザードを出して停車している光景も珍しくなく、事実上の「我が子を出迎える専用待機スペース」と化している。


この問題に付随して、夕刻時に小串通りを記念館前交差点に向かう場合、たとえ交差点で左折する積もりでも走行車線ではなく追い越し車線を走るべきである。何故なら、いつ通っても進学塾の前でハザードランプを出して停まっている車があり車線変更を余儀なくされるからである。夕刻時に数回小串通りを通ったが、ここに車が居なかった試しがない。ルールを守って漫然と走行車線を走っているとハザードを出して停まっている車両に阻まれる。誰もそれを知って追い越し車線を走っているため、停車する車をやり過ごそうにも追い越し車線に車が居なくなるまで相当待ってからウインカーを出して追い越さなければならなくなる。元より小串通りは朝夕のラッシュは交通量が多く、こういったイレギュラーな運転を行うと事故を誘発する。

ハザードランプを出して運転手が乗っていれば、法的には停車扱いであり(小串通りは駐停車禁止規定が敷かれていないので)違反にはならない。自分の一時停車が原因で一般車両の事故原因を作ろうが知ったことではないのである。追突が起きればぶつかったドライバーの全面的責任だが、そもそも危険が予測されながら路上で停車し我が子を待つ保護者、そしてそのような危険が予測されながら充分な対処を取っていない事業者側に責任なしとは言えない。いずれにせよ、一番迷惑しているのは沿線店舗には関係がない一般の県道往来車両である。

この場所について以前、市道真締川西通り線の青空駐車の件を県警に報告したとき併せて尋ねている。県警も問題を認識しているし、自治会長も本件についてどうにかならないかと対応を求めているという。規則で縛り上げるなら小串通りを駐停車禁止規定に変更して取り締まりを厳格化すれば確実にこのような停車車両はなくなるが、我が子を送迎しなければならない現状に変わりはなく、根本的な解決にはならない。それのみならず、これほど頻繁な来訪者のない県道沿いに店舗を構える他の営業者も客が入りづらくなる弊害が発生する。

そもそも車での送迎が殆どなら、交通量の多い道路沿いに営業所を構えること自体が問題である。学習塾に限らず一定以上の往来者が見込まれたり現に往来している場合、接続する幹線道路の往来に影響を与えないような対策を講じることを義務化すべきである。充分な対策が取れる見込みがない場合は営業所の移転勧告もやむを得ない。また、今後は新規に事業所を建設する場合も集客数と接続道路や駐車場の問題が解決されないなら、始めから建設を認可すべきではない。ちなみに市内の公立高等学校では、保護者による車での生徒の送迎そのものを禁止している。校門までの通路が専用道ではなく一般市道に面していて他の交通の阻害になることが理由と思われるが、現状では学校では送迎禁止になっていながら、行政の効力の及ばない進学塾では野放しという矛盾した状況になっている。

更に今後は一定数以上の集客がある施設を幹線道路沿いに建設する場合は、一般車両の交通の流れを妨げないように右折レーンなど入退出のための専用線を設置するよう義務づけて欲しい。東岐波にあるメルクス宇部では平成初期のまだそれほど交通量が多くない時期ながら複数箇所のレーンを設けている。このため国道への出入りの信号待ちが渋滞することはあるが、往来の危険は生じていない。他方、大型車両も利用可能な広い駐車場を持つようになったコンビニでは何処もまったく対処されておらず、店舗への車の出入りが頻繁になるため交通の流れが悪くなる場所がいくつもある。
【 実効力がなく景観を損ねる看板や立て札の撤去 】
前項の立入禁止の立て札と同様、街中には世相を反映していたり必要性が叫ばれて設置された看板や立て札において、現代では人々の意識の変化や常識レベルの上昇によって無意味となったものが多数存在する。それらは殆ど誰からも顧みられることがない意味で存在意義がない。むしろそのような標識があるばかりに周辺の景観との調和を損ねたり、せっかくの史跡が台無しになっているものが目立つ。

一例として琴芝市民センター前の市道には「不審者を見たらすぐに110番を!!」という掲示が出ている。設置者は琴芝ふれあい推進委員会となっている。


同様な趣旨の立て札や看板は他の地域にもみられる。ここで表現されている「不審者」は如何にも抽象的な用語であり、この意味で何らの実効性もない。身なりや挙動が普通とは違っている人は、昭和期は十把一絡げに警戒され不審者の烙印を押されていた。現在では現に何かの犯罪的行為に着手しようとしている人しか通報すべきではなく、外見だけで不審者扱いし警察に通報すること自体が人権侵害である。通報しなくともそのような人々を外見で判断し不審者扱いするのは「普通とは違った人は犯罪者予備軍」という烙印を押すも同然で、多様性のある価値観を認める現代社会に照らし合わせて容認されるものではない。

この種の設置物が放置されているのは、管理組織が既に消滅していたり、効力がないと思われているものの誰もが注意して顧みていないからに他ならない。そういったものを探しだし公費を投じて撤去する程の必要性に疑義を差し挟む意見もあるだろう。これに関しては、一部の立て札に関しては積極的な除去を要求したい。

これは厚東区の山陽街道にある「どんだけ道」の石碑である。
石碑を含めた街道の写真を撮りたいのだが、こんな近くに無粋でカラーの派手な立て札を立てられては邪魔になって写真にならないのである。


設置場所が悪いのは明らかだが、そもそも前項でも書いたようにこの種の警告を出す以前に何処へもゴミを棄ててはならないのである。いくらこの種の厳格な看板を出したところで、棄てる人間は鼻で笑って立て札の下にでもゴミを置き去りにするだろう。立て札や看板のうちゴミの不法投棄を戒める内容のものが一番多い。設置場所を考慮して云々ではなく、この種の立て札や看板の一掃を求める。

現状はこの種の「訴求内容の実効性が殆どなくいたずらに景観のみを損ねている看板や立て札」は、明らかに増殖傾向をみせている。この理由は、関係者から苦情や対処を要請されたとき行政側が景観面など他の副作用を考慮せず、ただ単に「(苦情に)対処した」という現地の証拠を残す目的で着手しているからである。それも市の関係部署をはじめ、派生する団体や自治会などまるで横の連携もなく実行している。前述のようにキチンとした統一的なガイドラインをもって運用されるべきなのだが、現状は街中の景観維持という観点自体まるで議論されていない。結果として同種の設置物が増えていく現象を街並みの幼稚化と表現されている。[2]
出典および編集追記:

* 2018年11月に厚東川の五田ヶ瀬井堰を訪れたときも以前は河床まで降りることが出来ていた階段手前部分に「関係者以外立入禁止」の掲示物が出されていた。掲示物には責任管理者が何も明記されておらず、市販されている工事現場などに設置する汎用のものを掲げただけだった。


井堰の撮影に訪れたのに引き返す以外なく、本件について河川管理者の県へメールで報告し設置理由の回答を求めた。県の回答は、立入禁止の掲示は県ではなく井堰を管理する御撫育用水路側が行ったので、関係者に照会して欲しいと言われた。また、近年目立つ里道などの恣意的な立入禁止掲示や物理的な障壁を設置する行為については、今後も監視して関係者に指導していくとのことだった。
この場所で階段からの転落事故などがあり、管理責任が問われる事態になったため設置された可能性が強い。元来、こういった手すりのない階段の昇降は自己責任が求められるものであり、単に「足元に注意して下さい」と掲示すれば充分である。完全にロープで塞いでいないのは、河床に飛び石が設置されていて慣行的に誰もが通行できる里道に準じた扱いであるからと思われる。
【 本件についての追加調査 】
2020年6月に御撫育用水路関係者に会って話をする機会があった。このとき五田ヶ瀬井堰のこの件について尋ねたところ、五田ヶ瀬井堰付近が恰好のバス釣りスポットとなっていて、釣り客の車が堰堤路を頻繁に往来することに関して苦情が出ていたようである。これに応じて立て札を設置したという。ただしこの設置に関して県との齟齬があった模様。

御撫育の関係者は「五田ヶ瀬井堰の飛び石は温見地区の人々が厚東川を渡るのに昔から通行してきた」経緯から、通行を禁止する意図はなく立て札の設置に関して県に物申しに行こうとしたところ年度替わりで担当者が異動し事情が分からなくなっていたという。すべてを完全に聞き取った上での情報ではないが、どうも釣り客への対処のために意図されているところとは異なった処理をされているような感じがある。

1.「Wikipedia - 法定外公共物|取得時効との関係

2.「FBタイムライン|街中の景観に配慮するということについて(2020/4/15投稿)
《 公共物に関する提言 》
項目記述日:2020/6/7
ここでは、行政を含めた公的機関に関する存続廃止や改訂などについて個人的な意見をまとめている。手持ちの情報や現在観測される実情を元に書いているので、事実誤認や勘違いがあり得る。また、情勢が変化することでここに書かれている提言がかならずしも継続されるものではなく、変化している可能性もある。
【 市内を通るいわゆるローカル鉄道について 】
市内を通過するJRの鉄道として、この項目を記述する現時点で山陽本線・宇部線・小野田線が営業運転している。このうち長距離や貨物輸送に与らない宇部線と小野田線について、現在の運行形態をできる限り早期に廃止し、必要に応じて軽量級かつ利便性の良い運行形態に転換するか、当面何にも転換せず鉄道構造物を撤去することを提言する。
ここに言う鉄道構造物とは、軌道敷(レールと枕木)、踏切、補修の必要がある橋りょうなどである。この理由は以下の通り。
(1) 利用者が赤字レベルであり今後も回復する見込みがまったくないこと。
(2) 鉄道で分断され有効な土地利用や再開発ができずに放置されているエリアが存在すること。
(3) 市街部に多い踏切で交通渋滞を招き都市計画道路の実行に支障を来していること。
(4) 接触すれば容易に重大事故に繋がる危険な交通機関であること。
(1) はJR西日本寄りな意見である。運営元のJR西日本も本音を言えばドル箱路線の足を引っ張る存在でしかないローカル鉄道は廃止したい筈だが、地域住民の足を護るという要請から”仕方なく”走らせている。当面困るのは鉄道を利用して通学している学生である。2〜3年かけて事前に廃止を通告し、別の交通手段を用いるよう促す以外ない。殆どの学生は例えば宇部線なら同じ路線の異なる駅間での利用が殆どだろうし、宇部線・山口線と乗り継いで片道約1時間かけて通学するなど今の時代ではまったく現実的ではない。更に言えば、今後更に進む少子化と学業のオンライン化シフトにより、電車通学の需要はゼロにできると予想される。

(2) は市街部の再開発に重点を置いた意見である。ある地域が鉄道で分断され、通常の四輪の往来ができない狭隘な踏切でしか接続されない場所が多い。芝中第1踏切が代表例であり、恩田小学校から踏切手前まで田畑がすべて新興住宅地となったが、踏切より西側の往来ができないため、東芝中地区は再開発がまったく進んでいない。JR小野田線の昭和開作踏切も四輪の通行自体ができないため、卸売市場までの土地利用は完全にできていながら、踏切以南は未だ湿地帯である。

草江第1踏切のように山口宇部空港へのアクセス重視から駅のホームを削って踏切を拡幅した事例があるが、これは稀な例外である。芝中第1踏切は拡がる計画はないし、昭和開作踏切は鉄道が厚東川を渡るために土手を登っていく線形なので、異常に高いかまぼこ状踏切となっていて拡幅しても四輪が安全に通れる目処が立たないことから放置されている。鉄道を廃止すれば狭い道は拡げられるし、土手道はフラットにできる。

(3) は初期に鉄道を敷設し、それを変更することができずに所与のものとした街造りを行ったための弊害の指摘である。この国の道路交通法では鉄道における踏切は、踏切信号などで指示されていない限りかならず一旦停止することが定められている。市内には県道・国道の平面交差が未だに沢山あり、そこですべての車が一旦停止を求められているなら、朝夕のラッシュが酷くなることは自明である。この問題は、そこに鉄道が存在する限り決して解決しない。[1] 道路交通法で踏切に係る確認方法を簡素化できれば可能にはなるが、およそそれは考えられないことである。

現在の寿橋通踏切は、その前後にT字路が接続するという救いようのない道路接続状態となっている。戦後間もない時期までは寿橋通踏切近くに十字路があって踏切が近接していたのを一つにまとめたためであるが、都市計画道路の計画線では既存の踏切を諦めて別の場所にカーブで誘導し、T字路一つで接続するというトリッキーな状況となっている。これなども鉄道としての運行を諦めさえすればすべて解決するのである。

(4) はローカル鉄道に限らず全国すべての新幹線や高規格路線以外の鉄道に当てはまる問題である。電車は車体が極めて重く、しかも接地面積の小さいレール上を走る輸送機関であるため、不測の事態が起きて急ブレーキをかけてもすぐには停まれない。更に車体が高く、レールと車輪で動くため軌道敷上にあるものはすべて巻き込まれてしまう。これは確実かつ一瞬の死を希望する自殺志願者に有効な手段を与えてしまっている。その反省と高速運行という仕様から、新幹線では軌道敷へ容易に入り込むことができないように軌道敷周辺は厳重な囲障が施されている。小石程度でも巻き込まないよう前面には低いスカート状のシールドがある。更に新幹線の場合は運行を故意に阻碍する行為に対して通常の鉄道よりはるかに厳しい法律(新幹線特例法)によって護られている。

現行のローカル鉄道を含めた殆どの鉄道輸送機関がそうなっていない。本来、存置させ続けていてはいけなかった平面交差(踏切)が未だ都心部でも存在している。のみならず沿線は特に囲障されているでもなく、容易に立ち入り可能である。そしてすべての車両は前面が剥き出しであり、車体下への巻き込みを防げる構造になっていない。企業努力により、例えば前面に巻き込み防止のブラシを設置すれば、飛び込み自殺者があろうが軌道敷外へ弾かれるように出来る。高速でぶつかれば同種の障害を負うが、命は助かる可能性がある。しかし車体の下へ巻き込まれ轢断されれば絶対に助かる見込みがない。現行の鉄道車両はそういった問題が明らかなのにまるで対処されない以上「野蛮な公共輸送機関」と言わざるを得ない。

以上の理由により、ローカル鉄道のできるだけ早い段階での廃止を提言する。子どもの頃から親しんだ鉄道が無くなるという哀愁はあるが、それを押して廃止を強く主張する。いたずらにノスタルジーへ浸って鉄道を遺すより郷土の発展と安全な暮らしに基づいた公共輸送機関への転換を希望する。[2]

同種の問題は認識されていたようで、BRT転換が検討課題の一つとなっていることが報じられている。代替輸送機関の必要性は感じるが、それが何であるかについてまで言及はしない。ここでの提言は、少なくとも現状の鉄道輸送は早く廃止すべきという部分のみである。

このBRT化案が俎上の話題となる前、宇部新川駅駅前広場に関するワークショップが開かれて意見を述べた。このときは現在の駅西に宇部記念病院が移転してくるという計画があり、その前提で駅ビルを造ろうなどという意見もあった。私たちのグループは、駅東にある島通りを拡幅して渡辺翁記念会館とのアクセスを確保しようという提言を行った。BRT化が実現するなら、言うまでもなくここでの提言はすべて翻される。現行の宇部新川駅の駅舎をコンパクトにすれば、島通りを拡げるのは比較的容易になるだろう。
出典および編集追記:

1. 市道松山通り線と東見初専用線の平面交差が一旦停止も徐行も必要ない踏切信号に置き換え可能だったのは、私企業の鉄道である(公共輸送機関ではない)ためと考えられる。

2.「FBタイムライン|いたずらに残念がっていないで早いところ転換しようよ(2019/6/19)

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