宇部市制施行100周年市民委員会

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記事作成日:2017/12/21
最終編集日:2021/11/1
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宇部市制施行100周年市民委員会(以下「市民委員会」と略記)は、西暦2021年に宇部市制の施行100周年を迎えるにあたって節目となる時期に相応しい取り組みを市民目線で策定し、着手を前提とした最終案をまとめて提言書の形で市長宛に提出することを目標とした有志による委員会である。
写真は最終回会議終了後に任意撮影された2グループ所属委員の集合写真。


この総括記事を作成する現時点で、市民委員会は延べ8回の全委員向け会議とリーダー向け6回の会議の全行程を終了し、提言書を2017年11月29日付けで市長へ提出した上で解散している。したがって市民委員会そのものの実体は既に存在しないが、100周年は現時点で近未来のことなので、今後必要に応じて同種の会合が開催されたり別の組織を構成した上で節目の年に相応しい活動が展開される余地がある。

市民委員会についての概要は宇部市ホームページ[1]に収録されている。ここでは、個人的関わりを含めた活動について収録する。
出典および編集追記:

1.「宇部市制施行100周年市民委員会|宇部市
《 参加の意義 》
常盤公園の憩いの家ワークショップへ参加後、参加することで提言が可能な会合の重要性を認識し、同じ目的で集まる人との新たな交流が生まれることに着目し始めていた。更には「意見を述べられる場が与えられていながらそこに出席せず後から決定事項に対してあれこれ唱えるのは道義ではない」という基本理念も参加モチベーションにあった。

市民委員会への参加は初回からではなく第2回目より行っている。これは初回開催および委員募集の情報をキャッチし損ねたことによる。たまたま真部氏(局長)がFacebookに第一回会合の報告を行ったことで市民委員会が結成されていることに気付き、第2回目から参加した。これには上記の理由の他に、局長とは郷土の画像と映像などの記録を集積し、当サイトでも記述しているドキュメントも含めて一箇所に集めるいわゆるデジタルアーカイブ分野で協奏的に活動しており、その中に加わることで一連の活動の必要性を訴え、市費で予算配分して一般に供する環境を整えたいという意向もあった。
《 委員の参加条件と会議の進行概要 》
主催は市広報シティセールス部広聴課広聴係(以下「シティセールス部」と略記)で、市民委員会に加わるには委員登録が必要だった。ただし登録の条件はさほど厳格ではなく、途中回からの参加も可能だった。委員会の傍聴は誰でも可能だが、傍聴者は意見を述べることは認められていなかった。委員には記名された名札が支給され、会議の折りには持参することを求められた。

会議は場所を変えつつ偶数月の第2〜3週の土曜日午後2時から2時間枠で開催された。会議の開始時間について中途半端なので変更して欲しいといった意見が多いものの改善されず最終回まで問題がつきまとった。(→総括的所感を参照)
開催日がやや空くため、会議日が近づくと各委員に郵送やメールで開催場所などが案内された。シティセールス部側で人数を把握するため参加・不参加の返信を要した。

会議はまず100周年という節目の年にあたって何をしたいか、今後の宇部をどうしたいかに関する自由な意見をブレーンストーミング法で集め、会議を進めるにつれてその中から実現可能で有用な意見を絞り込む方法が採られた。それらを集約して市長へ要望事項として提出するための提言書を作成することが最終目標となっていた。
しかし要望事項は雇用・文化・居住など多岐に亘り、参加委員もかなりの人数にのぼったため、2回目以降から分野ごとのグループ分けを行うこととなり、各自の希望により5つのグループに分割された。

グループ分けを行った後、各グループにリーダー・副リーダーを選出して進行の主導と各委員からの意見を吸い上げシティセールス部との協議も行う橋渡し役となった。また、隔月での会議のみでは分割されたグループ間での情報交換が行われないため、谷間の月に「コンマ5会議」[b1]が主にリーダー限定で開催されている。協議内容が多く隔月の会議のみでは不十分な場合は、リーダーが招集しシティセールス部が本庁舎の会議室を貸し出すことでコンマ5会議を開催することができた。
《 第1回会議 》
前述のような理由により初回の会議には参加していない。初めての取り組みであり、運営方法などが確立されていなかったため「何をしていいのか分からない」といった声が多くの委員から上がっていたようである。
《 第2回会議 》
継続記事とするために写真のみアップしていたのだが、書きかけのまま相当長期間放置してしまったので当時の状況がよく思い出せない。当面はこのまま保留する。




《 第3回会議 》
《 第4回会議 》
《 第5回会議 》
《 第6回会議 》
10月28日の定時に開催。同じ日の同じ時間帯にまたも宇部市役所新庁舎建設WSとバッティングした。この回は新庁舎建設WSも最終報告に近い重要なものだったので、やむなく先に新庁舎建設WSへ出席して概要を聞いて途中で抜けて第6回会議へ参加せざるを得なかった。同様に振る舞った市民委員会の委員が他グループにもみられた。

前回の会議で各グループの最終案を提出しているので、第6回会議はそれらを提言書へ盛り込む前の最終確認にとどまった。第5回会議以降に提出されたり市側での審議に時間を要する素案については、法的制約などから実現可能性のないものについて素案から外すこととなった事例もあった。[b2]
【 委員メッセージの提出 】
第5回会議が終了した後、最終回となる第6回会議のときに提言書の末尾へ掲載する委員メッセージを求められていた。多くの委員がサクッと書いて提出していたが、記録として長く残ることを考えて最終回の後も提出せず後日期限までシティセールスへ持参することにしていた。

メッセージは誰に宛ててもよく、一緒に活動した仲間や先人たち、100周年を祝う自分たちを含めた未来人などの例示がされていた。提言し実行を要望する内容は既に2グループの議論で出尽くしているので、全く対象を特定せず一般論として次のようなメッセージを作成した。
語り継ごう。今を記録して未来へ伝えよう。
100周年も現在もかならず過去のものとなる。
200周年を祝う未来人に
「100周年を祝った人々のことが何も分からない」なんて言われないように。
提出された原典は次の通り。


このメッセージは当サイトのコンセプトをそのまま市制100周年に即して作成しただけであって、委員の立場としての要望事項とは殆ど無縁である。たったこれだけのメッセージを約30分かけて熟考し作成している。提出も紙に手書きされた現物をそのまま持参し、掲載されるフォーマットについても確認した。例えば3行目は4行目の台詞部分をそのまま続けずに改行しているが、担当者へ手渡しする際に「かならずこの位置で改行して欲しい」とまで要望している。何故ならば改行せず繋げてしまうと行間の意が異なったものとして伝わってしまうかも知れないからである。

すべての参加委員の寄せたメッセージは、市制施行100周年に向けての市民提言書 夢ある未来へ向けて の56ページ以降に収録されている。この短文メッセージは、市制施行100周年を迎えた折には事ある毎に私の口からも他の手段においても重要事項として後世に伝えられるように活動する予定である。
出典および編集追記:

b1. 当初は市民委員会の会議が隔月で全8回と定められていた。その後谷間の月に開催されるリーダー会議および要望のあったグループが集まり開催される会議は、例えば第5回と第6回の間に開催されるものは第5.5会議のように呼ばれた。コンマ5には中間のという意味合いしかない。

b2. 例えば「ときわ公園内にペットと同居が可能な集合住宅を建設して欲しい」という要望は、都市公園法の制約と常盤池周辺が風致地区指定されていることから実現は甚だ困難(まず不可能)ということで素案から外されている。もっともペットを家族の一員として扱うのは現代では当然の流れであり、オフィスときわにおいてはペット同居可の集合住宅情報の提供に注力している。この提言の提出者と相互に関係はなく、まったく偶然の一致である。
《 総括的所感 》
前述の通り市民委員会の活動自体は既に終了している。要望事項などは随時提出してきたが、以下は全体を通して総括した所感をまとめている。当初計画されていた流れから変更された部分がかなりあり、走りながらの運営であった点は否めない。そしてその件にまつわる不備や議論の食い足りなさが目立った。以下は個人的に感じた部分のまとめである。厳しい意見が多いかも知れないが、出来ていなかったことは気付いた人間が指摘しておかなければ次の改善へ繋がらないが故のものであることを申し添えたい。

注意以下には長文に及ぶ個人的所感が記述されています。苦言が多いため全体のバランス上既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

以上が個人的所感ではあるが、他の委員にとっても評価は同程度であるかも知れない。そのことは初回に委員として参加していながら回が進むにつれて出席者が逓減し、最終回の第8回では初期の7割弱にまで参加委員が減っていたという事実で足りる。
《 結び 》
問題は多々あったものの、有志が集ってこの街を良くしていこうという取り組みがあり、市を巻き込んで提言できる場が設けられたことの意義は極めて大きい。昭和中後期、どうかすれば平成初期まで公的イベントの提案に関する取り組みは専ら官主導であり、市民は天下り式に定められた企画を受け入れる以外なかった。

最終案のプロローグにも紹介されている通り、この街は官民学連携した取り組みが古くからあった(宇部方式)ことで知られる。他の自治体でも節目の年を迎えるにあたって市民が意見を言える場が設けられるのは時代の趨勢だが、歴史的見地からも宇部市にとっては一般市民が積極的に意見を述べ公的イベントに関与していく態度はもっと重視されて良い。実際に100周年を迎えるのは(この総括記事を作成する時点で)近未来である。最終案を市長へ提示し市民委員会が解散して終わりではなく、今後も節目の年が近づくにつれて何をすべきかの議論が活性化することを望むものである。
《 その後の状況 》
まだ数年も先のことと思われていた100周年のその日が今日まさにやってきた。改めて全体を俯瞰してみるに、市民委員会の開催は意義深いものであったが、現在ではその方向性のみを評価し提言書を完成して集結すべきものではないと考え直している。記念の日を迎えて大いに祝って終わりにするのではなく、むしろ今日が新たな出発点となる節目の日と捉えるべきである。

十年一昔と世に言われるが、現代社会はそれよりもっと短いサイクルで変遷している。特に covid19 は今までのライフスタイルや価値観に大きな影響を与えた。やや収束に向かいつつある現時点において一般にはネガティヴに語られるが、足元の郷土へ目を向ける活動に関しては極めてポジティヴな方向に働くと考えている。
2018年10月13日に渡辺翁記念会館で開催されたギャラリートーク。「伝説のピアノ」の修復活用法について議論されている。
Facebook: 宇部市制施行100周年に向けたギャラリートーク

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