常盤水路・本土手【4】

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現地踏査日:2012/1/15
記事公開日:2012/2/9
(「常盤水路・本土手【3】」の続き)

話の上では前編の続きだが、踏査日は前回から2年以上経っている。
本土手用水路の国道190号手前の部分を踏査していなかったことと、国道を横断した先で前回踏査時から(残念な部分も含めて)変化があったので記載しておこう。

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1月最初の日曜日に常盤公園を訪れてからは暫くこの方面に踏査意欲が向かい、その翌週になる15日、2度目の踏査を行った。今回の主眼は1年半前に訪れたある遺構の追加踏査、本土手用水路と宇部興産(株)常盤用水の未踏査区間の調査だった。

まず始めに今回のメインであった遺構関連の踏査を行った。
これについては以下の派生記事を参照されたい。
派生記事: 常盤公園・旧ジェットコースター軌道基礎跡【2】

未だ調査されていないのはこの遺構から国道190号までの区間だった。
なお、この近辺の区間は恐らく宇部興産(株)常盤用水と一致している。写真を随時併用し記事も並列で進めている。詳細は以下の派生記事にて。
派生記事: 宇部興産常盤用水【1】

時期柄、雑草はかなり枯れていて夏場ほど藪漕ぎや膝まで隠れる草地歩きなどは要しない。
以前ここを訪れたとき、本土手用水路で足元が見えない位に雑草の繁茂が酷くて接近を断念していた部分があった。今なら問題なく接近できそうなので、遺構の踏査を終えた後そのまま用水路を辿った。



宇部興産(株)常盤用水も並行してこの付近の地中を通じている筈なので合わせて調査した。
そのときに見つけた何のためのものか分からないコンクリート柱。


中央に真鍮のボタン状のものが埋め込まれている。ベンチマークだろうか。


前回の踏査では足元の雑草の伸びが酷く不明だった部分があった。
用水路の土手となる部分が痩せていて、そこを補強するためにコンクリート壁が設置されていた。


壁厚は元の水路の倍以上ある。2年前に踏査したときからあったかどうかは分からない。


灌漑用水の需要がない時期だけあって用水路は干上がっていた。その気になれば内部に潜入できそうだ。


2年前、土手と用水路の境目すら目視できなかった状況が嘘のようだ。毎年秋口以降はきちんと草刈りされているのだろう。


中を覗き込むなんてまるで子どものする探検のようだが、それなりに目的はあった。
宇部興産(株)常盤用水はどこかで本土手用水路との位置を入れ替えるので、もしかすると暗渠内に手がかりとなるようなものがあるかも知れないと感じたからだ。
かなり無理やりっぽい理由のような気もしないでもない…^^;

まずはボックスカルバート入口付近で撮影する。当然フラッシュ撮影だ。


その場ですぐ再生し、内部の様子を確認する。当たり前だがライトの類は持ち合わせていないから、実際は遠方に長方形の小さな明かりが見えるだけでほぼ真っ暗だ。
足元の状態を確認しながら進むためにも必要だ。

暗渠部の幅は2m弱、高さは1m強というところか。もちろん立っては歩けずいざり足進行になる。
前方ちょっと天井が低くなる部分があるようだ。


低い天井と見えたのは、暗渠内部を貫く鉄管だった。
かなり酷く錆び付いている。水道の支管だろうか。


上の写真を撮ったとき、暗渠内部の壁に清涼飲料の空き缶が置いてあることに気づいていた。
誰か昔の悪ガキが肝試しに内部へ侵入し、一息ついて空き缶を置いたのだろうか…


いい年して内部に潜入する自分も悪大人(?)同然だ。もっとも私は暗渠を使って反対側まで歩く気など元からなかった。何よりも足元の泥溜まりが少しずつ多くなってきて先へ進む気が起きなかった。

最後に思い切り視座を下げて遠くまで見通せるアングルで撮影した。
暗渠のジョイント部分から砂が流れ込んでいるようで、ところどころ堆積している。出口付近は滞水しているようだ。


暗渠自体は国道190号が4車線化された昭和40年代後半あたりのものだろう。
肝心の宇部興産(株)常盤用水交差部に関する手がかりは何もなかった。

引き返して出てきたところ。
水の跡の位置からして、最大で50cm位の深さで流れることもあるようだ。


さて、ボックスカルバート内部を途中まで探ったのとは違う日だが、国道を横断した先で私は昔からあった古いものが改変されているのを見つけていた。
この部分である。
何がどう変わったかお気づきだろうか。


昭和6年の橋の欄干が撤去されて
無骨なガードレールに置き換わっていた。


参考までにこれが以前の姿だ。


他の部分には一切改変を行わず、コンクリート橋の部分だけ撤去されて無機的なガードレールに置き換わっていたのだった。

このガードレール置換工事に何の意味があったのだろうか…

元はコンクリート製の橋が取り残されていた。その状態だと歩道と橋の外側に段差が出来てしまう。夜など暗い状態で歩行者や自転車が間違って突っ込んでしまう恐れがあるということで設置したのだろうか。

そもそも歩道に花壇のレンガが設置された時からこのコンクリート橋は軽んじられていた。設計でそうなっていたのだろうか…あろうことか橋の名前が刻まれていたであろう親柱に接してレンガを積んでしまっていたのである。そのせいで私が橋の写真を撮ったときも名前を判読できなかった。

結局、この橋はネット界に名称を繋いでいくことが出来ないまま永遠に闇へ葬られてしまった。その意味で「この橋は永遠に死んだ」と言っていい。
誰か橋が健在だったときの写真を遺していることに期待する以外ない
このような現象はこれからも少なからず起きてくるだろう。

「遺構探索は時間との戦いだ」とよく言われるが、現役構造物とて例外ではない。自然も人工物も年月が経てば変化するし、我々人間がそれを後押しすることもある。映像の形で記録を遺すことは最も重要な手段であり、昔に比べて映像の記録・保持コスト(即ち印画紙に焼き付けるのではなくデジタル処理された形での保持)が極端に安くなっている現在では、我々はどんな映像の記録を遺すことに関しても今以上にどん欲であって良い。

同じときに撮影した下流側の様子。
水が流れていないために水底の泥に養分を求める雑草が茂っていた。


この先のルートについて、一部だけは知っている。
ここで一旦国道から離れるも実際は少し迂回しているだけで、次の交差点付近で再度国道を横断することが分かっている。その途中にこの用水路が造られた当時のままの部分が少しばかり遺っていると聞いている。
詳細に辿ってはいないが市道江口野中線から見える石積みの写真を数枚撮影している

この続編は、更に下流側を辿る機会があったときにお伝えすることにしよう。

(「常盤水路・本土手【5】」へ続く)

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