常盤水路・本土手【3】

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(「常盤水路・本土手【2】」の続き)

水路沿いに歩くのも困難になったので引き返すことにした。
自転車を置き去りにしているのでここまで乗って来て続きを見るのと、もう一つ確認しておかなければならない場所があったのだ。

来るときには見落としていた道路側へ出る小道を見つけた。
如何にもありあわせのもので拵えた感じの橋である。かつては軽トラくらいを乗り入れていたのだろうか。


ここから市道に出ることはできたものの、導水路に沿って来た道を戻ることにした。同じように何か見落としたものがあるかも知れないからだ。

先ほど見たブルーシートで補修された箇所。
ここが一番酷く傷んでいる。灌漑用水の需要期まで用水路の補修が間に合わなかったのでシートで覆って当座凌ぎしているようだ。


ブルーシート自体は割と新しい感じがしたものの、その端を押さえている土嚢は表面が破れ、一部は草すら生えている。今年の長雨で急遽補修したものとは思えない。ここはそうそう人が通る場所ではないから、相当の年月がなければ土嚢袋がこれほど破れる筈もないだろう。
あるいは元々綻びの目立つ土嚢袋をここへ流用したのかも知れないが…

殆ど日が差さず、陰がちで高温多湿なこの環境では、直射日光を好まないタイプの木々が化け物の如く生育している。 例えばこのヤツデ。妙に葉の幅が広く、肉厚でしかも異様に大きい。
大きさの対比用に私の靴先を写し込んでいる


樋門のところまで戻ってきた。
そう言えばまだ夫婦池を写していなかったので、ここで池に向かってカメラを構えたのだが…


私の足音に反応したのか、近くで突然フナか鯉と思しき魚が大きく跳ねたのでかなりびっくりした。
写真にある波紋はその魚が描き出したものである
この写真を見ても何とも言えないほど陰鬱で、薄気味悪さすら覚える池に見えるだろう。

さて、樋門の上流に隧道の坑口を見つけたとき、当然沸き起こる疑問があった。
隧道の反対側の構造はどうなっているのだろう?
坑口からは限界まで視座を下げても反対側の明かりは見えなかった。しかも隧道の奥からはかなり大量の用水が落ち込む音が聞こえていたことから、通常のような隧道ではないように思われた。

用水が落ち込む場所があるなら、本土手付近だろう。
そこで私は最初に降りたあの急な階段を登り、自転車を押して飛び上がり地蔵尊の近くに立ち寄った。
派生記事: 常盤池・本土手
そういう訳で、隧道の先が何処から来ているかの詳細は把握できなかった。

市道を自転車で一気に下り常盤公園入口前の交差点にやって来た。国道まであと数十メートルというところで引き返していたので、まずは交差点付近に自転車を留め置き、水路への接近経路を探した。

国道側から写した夫婦池。
遠くに見える紅白の塔は石炭記念会館である。


歩道の低い柵を跨ぐと、池に向かって降りるコンクリート階段があった。

振り返ったところ。
このコンクリート塀は国道に正対しており、常盤公園の銘板が掲げられている。この階段はコンクリート塀の真後ろから夫婦池に向かっており、今は使われていないらしい。


階段を降りるところから導水路らしきものは見えていたが、如何せん時期が悪い。全く刈り払いが行われていないこの近辺は地面が見えず、不用意に歩き回れば踏み抜きの危険があった。

何とか開渠らしきものを写したところ。 雑草繁茂の勢いが激しく、これ以上は安全に近寄れない。何処が用水路で何処が地面かすらさっぱり視認できなかった。
導水路はここでボックスカルバートになって国道の下をくぐっているようだった。


先に撮影した導水路の末端部。
薮の中に消えていてこれ以上全く近寄る事が出来ず引き返したこの地点とボックスカルバートまでの間の数十メートルは詳細な踏査ができなかったことになる。


導水路がそのまま直線で伸びているなら、国道の反対側に吐け口が見つかる筈である。他方、途中で推測したようにこれが工業用導水路の一部なら、そのまま歩道敷の下を暗渠で通っている筈だから吐け口は見つからないだろう。
再び自転車に跨り、横断歩道を経て反対側に渡った。

国道を渡り、反対側に導水路らしきものがあるか調べた。それは常盤公園入口交差点のすぐ傍に容易に見つけられた。導水路が国道の下をくぐる延長線上にあるので間違いないだろう。


この時点で、私が最初に見た隧道から吐き出される形で始まる開渠が工業用導水路だろうという推測は否定された。開渠はそのまま真っ直ぐ伸びていたし、それとは別に少し先の歩道に工業用導水路の敷地を示す立て札があったからだ。
この立て札の存在は知っていた…国道の反対側に開渠があった時点で工業用水説は否定されたことになる


そもそも工業用水道が開渠である筈がないだろう。やはりこの開渠は田畑への灌漑用水そのものだったのだ。
勾配が緩いせいか、用水の流れは穏やかだった。反対側の明かりは見えない。


分かりづらくなったのでこの近辺の様子をマップに書き込んでみた。


用水路を辿っていたものの足元が草まみれで覚束なくなり、引き返したのが地点である。
その後常盤公園前交差点まで自転車を走らせ、夫婦池の角の部分へ降りてみた。しかし用水路の暗渠部分に接近できたのがやっとだった。

国道を横断した側では用水路が真っ直ぐ伸びているのに対し、工業用水は歩道に沿っていた。地点に宇部興産(株)の立て札があった。
このことから、図の通りではないかも知れないが工業用水は何処かで水色の点線のように本土手用水路の下をくぐって位置を入れ替えている筈である。

引き返しを迫られたの直前まで、工業用水の鋳鉄蓋は用水路と夫婦池の間の土手側にみられた。今となっては工業用水は用水路とは別にあの土手の下を暗渠で通されていると思う。
詳細な状況は分からない…今後の工業用水経路追跡記事で考察する

私の次なる注意は、国道をくぐって反対側に出てくる場所の欄干に向けられていた。下流側はボックスカルバートではなく、歴とした橋の欄干になっていたのだ。


親柱や欄干は辛うじて遺されていたが、歩道舗装の嵩上げで半分くらい埋もれてしまっていた。国道が拡幅される以前は、反対側の欄干も存在したのだろう。
親柱に刻まれた竣工年が辛うじて判読できた。

昭和6年!!
痕跡の形でも遺されている永久橋にしては、かなりの古さである。経年変化で表面はかなり洗われてしまっているが、陰刻された年号に綻びはなく完全に判読できた。木橋からコンクリートに替えられた初代の橋だ。


横から撮影。
国道の官民境界は橋より外側にあったようで、欄干の外側にスラブを打設している。このため橋自体は完全に用を失って取り残された形になっていた。
親柱部分の意匠が簡素なもののなかなか面白い。


上流側はボックスカルバートになっていて橋の痕跡さえも見あたらなかった。恐らく国道が広がるときに撤去されてしまったのだろう。

それにしても現況の管理状態はいただけない。親柱の下半分までをアスファルトで埋めてしまっているので詳細な月まで読み取れない。また、3枚前の写真でも分かるように反対側の親柱に植樹帯のレンガをきっちり詰めて積んでいるので、橋の名前が読み取れなかった。舗装天を下げるとか、親柱近辺を避けてレンガを積むなど施工時に配慮が出来なかったのだろうかと思った。
もっとも記事を書く現在となってはそれすら思い悩む必要もなくなってしまっている
国道の下をくぐった導水路は、開渠のまま暫く南進する。そこで経路を変えて再び国道の方へ舞い戻って来る(地図で確認できる)のだが、それにしても工業用導水路とは明らかに経路が異なる。そのことは公園入口交差点から国道を西進してすぐ見つかるこの立て札から分かる。

ここから先はまた次回に辿ることにしよう。本土手の用水路と工業用水と別の経路を伸びており、いずれも相応に記録すべき価値がある。しかし今すぐ取り掛かるには先があまりにも長い。

国道をくぐった先で流れゆく用水路に、カモが汀でくつろいでいた。


もしかして飼われていて羽を切られているのだろうか。近寄っても逃げようとしなかった。


ここから先また新たに辿ることがあるか、別途新しい踏査結果が得られれば続編を書くことにしよう。

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最近、国道横断部分付近を訪れたときの写真があるので、藪が酷くて踏査できなかった部分を含めて続きを書くことにします。

(「常盤水路・本土手【4】」へ続く)

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