馬渡橋

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現地踏査日:2012/7/8
記事編集日:2013/7/24
馬渡(まわたり)橋は妻崎開作にある馬渡川に架かる橋で、市道馬渡橋西割線の起点にあたる。
位置を地図でポイントする。


馬渡橋の知名度は高くない。何処に架かる橋なのか知らない、聞いたこともないという市民が大半だろう。実際、私も同じだった。
私が馬渡橋という存在を知ったのは、市道馬渡橋西割線という路線名に出会ったのと同時期だった。自転車で市内を巡るテーマ踏査の萌芽期で、名前しか聞き及ばない馬渡橋とは一体どんな橋なのだろうという興味で訪れたのが最初だった。

その後テーマ踏査の裾野が広がり、道路や橋以外のジャンルにも食指が伸び始めた。以下の写真は、馬渡橋を渡った先にある西宇部変電所の記事向け写真を撮影に行ってきたときのものである。

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馬渡橋の全景である。南を向いて撮影しており、橋を渡った先が市道馬渡橋西割線の起点になる。


普通車が離合可能な幅があり、延長は30m程度。コンクリート舗装状態で供用されている。重量などの通行制限はなく10tダンプでも渡れる堅牢な橋である。

北側の親柱。
欄干は道路と並行に伸びており、一部欠けている部分も見られる。親柱は欄干に垂直に設置されている。


河川名が表示されている。宇部市にこのような川があること自体殆ど知られていないのではないだろうか。


馬渡川は梅田川を取り込む河川で、梅田川自体は県の管理する2級河川となっている。[1]梅田川は馬渡橋から少し上流側で屈曲し北へ伸びるが、馬渡川は東へ伸びる短い河川である。

反対側の親柱は馬渡橋になっている。


上流側にはパイプラインと思しき管形式の橋が架かっている。


なお、下流側には茶色に錆び付いた交換を載せた橋がみえる。交換の両端は外されており既に機能していない。これは昭和33年に築造された新宇部火力発電所に給水するため市水道局が受託施工したものとされる。[2]

欄干の様子。細長い縦筋を幾本も並べている。


初めてここを訪れ市道レポートで掲載したときには「機能重視でシンプルな形状の橋」と評したが、後から思えばなかなか細かな意匠である。同様の欄干を持つ橋と言えば、最近記事公開した蛇瀬橋がそうなっていた。しかし馬渡橋の方が縦筋部分が細長い。
型枠を組んでコンクリート打設したのか、あの縦筋部分だけ別に製作して取り付けたのかは分からない。現場打ちで造ったとしたらとても手間がかかるだろう。

車が当てたのだろうか…縦筋の2本が欠落している部分があった。
無筋でこのような形状が保てる筈もなく、やはり内部に補強用の鋼線が通されていた。


破断面や番線の錆びを見る限り、この部分は欠落してから相当に年月が経っているらしい。
ぶら下がった番線の末端は上下とも欄干の手すりと躯体部分に繋がっている。どうやら縦筋部分も合わせて打設したようだ。ここの他にもう一箇所、縦筋部分が失われて新しく打ち直されている部分があった。

後で分かるように馬渡橋は造られて半世紀が経つ。それでいて華奢に見えるこの細い縦筋部分は、車がぶつけた場所以外は殆ど欠けることもなく原型を保っている。良質なコンクリートを使用しているからではないだろうか。

橋を渡り対岸へ向かう。
こちら側が馬渡川の下流側になる。この先には西宇部変電所がある。


上流側は宇部興産(株)の社有地になり立ち入ることができない。
したがって梅田川の右岸に沿って往来することは関係者以外には不可能


西宇部変電所に向かう道もいずれは社有地にぶつかり進攻できなくなるので、馬渡橋は北側より渡るしか方法はない。このため市道馬渡橋西割線の起点に向かうには必ず一度橋を渡ることになる。

起点の上流側の親柱に竣工年月を彫った石版が設置されている。


昭和36年3月竣工だ。
稀少価値があるほどの古さではない。市内にはこれより古い現役橋は数多く存在する。しかし半世紀が経過していながら細かな意匠部分が殆ど欠けていないのは、単に交通量が多くないことのみに起因するのだろうか…


市道の起点側から撮影。
この写真だけ去年の9月撮影…撮り忘れていた


起点側はカーブを曲がりやすいように隅切り部分を円弧で調整した欄干になっている。橋の取り付け部分がT字路なので大型車両が曲がりやすくなるよう考慮した設計と言える。


起点下流側の親柱は、ひらかなで橋名が記されている。


存在すら認識していなかったくらいなので、この橋の成り立ちや名前の由来などは全く分からない。しかし橋の前後や橋本体も含めてコンクリート路面のままであること、起点側に隅切りされていることにヒントを感じる。
当初から重車両交通を意図して造られたのでは…
新開作西などという地名から想像される通り、この近辺はかつて浅い海だった筈だ。そこを埋め立て干拓地にし、排水路として整備されたのが梅田川だろう。
梅田川の名称の由来が「埋めた」に関することはほぼ確実と思う
その後西沖の山という広大な埋め立て地が誕生した。そのためには埋め立てに使われる残土を搬入する大型車両が頻繁に通行するし、埋め立て完了後も資材運搬の車両が主体だ。現在でも馬渡橋の起点側には民家はまったくなく埋め立て地の殆どが社有地となっている。

馬渡橋は、現在でも西沖の山に向かう主要な経路となっている。干拓地へ向かう経路をがっちりと固めるべく重交通に耐え得る堅牢な橋を拵えたのではと想像される。
現在でこそ馬渡橋は市道馬渡橋西割線として市道の一部に組み込まれている。しかし当初から市の所有だったのではなく、もしかするとこの干拓地を所有する会社(もちろんコンクリート資材を供給可能な他ならぬあの一大企業)が独自に架橋し、後に経路の重要性から市に移管されたのではないだろうか。

馬渡橋および馬渡川という名称そのものにも干拓の歴史を匂わせるものがある。新開作西が生まれる以前は馬渡川自身存在しなかった筈で、長沢から流れる水を排除する過程で否応なく干拓地を通って海に注ぐことになる。かつては馬で荷物を渡していた程度の川だったのかも知れない。
西沖の山の歴史を紐解くことでより精密な情報が得られるだろう

さて、この位でいいだろう…

馬渡橋を訪れたのは経路の途中という付け足しで、実はこの先にある西宇部変電所が目的地だった。
それで自転車に跨りかけたのだが…
ここから降りて撮影しないの?


いや…
それはちょっと怖いよ。

階段はコンクリートだが幅はかなり狭い。もちろん手すりなんて高尚なものはない。何よりも潮が満ちていて階段の一番下は海水に隠されている。こんな所で足ビッシャにしたら泣いて帰らなければならない…^^;


この場所からのショット。
これでいいよね?ダメ?


しかし初回にお届けした市道レポートの時の写真そのまんまで、違うアングルのショットが一枚もないってのも淋しい…
それでちょっとリスクを取って階段を降りてみた。
護岸の天端からの高さは6m程度。結構高く感じる。初めて訪れたときは釣り客が居たので周囲をうろつけなかったが、今回は誰も居なかった。
はい、一番下まで降りてきました。
もう一段も降りられません。
ワンフレームでは収まらないので2枚に分けて撮影した。



足下をしっかり固めた上でパノラマ動画撮影もやってみた。

[再生時間: 11秒]


撮影中の足下の様子。
ホントにもう一段も降りられない…今立っている階段も水に濡れた苔にまみれていて結構滑る。こんなところでウロウロしていたら仕舞いには「やっちまった」になる…sweat


馬渡川を辿るタスクを設定すればあるいは再度詳細な撮影に来るかも知れない。しかしそれまではこの物件に続編はなく、あっても詳細情報の追記程度になるだろう。

撮影後、再び自転車の元へ復帰して西宇部変電所を目指した。
時系列に沿って読み進めたい方のために次の記事のリンクを案内しておこう。

(「西宇部変電所【序】」へ続く)
出典および編集追記:

* 馬渡川を少し遡行した先で急激に細り、地図だけでは水源部分がどの辺りにあるのか分からなくなっている。しかし県道妻崎開作小野田線を横断しているところまでは見てとれるだろう。

県道との交点付近にバス停があり、その名称は何故か馬渡橋バス停となっている。
馬渡橋バス停と市道馬渡橋西割線にある馬渡橋は、直線距離でも1km以上離れている。既に述べた通り、バス停付近から馬渡橋まで物理的に通れる道はあるが、宇部興産(株)の作業用道路となっていて一般の通行はできない。
何故実際の馬渡橋がある場所から離れた県道のバス停がこのように名付けられたのか、そして実際に県道が馬渡川を横断している橋の名称が何であるかは不明である。この県道を訪れる機会があれば再調査を予定している。(2012/7/11追記)

1.「山口県|河川課|山口県の管理する河川一覧#梅田川」による。

2. 厚南南ポンプ場(昭和49年4月30日廃止)と共に昭和32年に竣工している。
「水道50年の歩み」宇部市水道局, P.34, P.284

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