蛇瀬橋

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現地踏査日:2012/5/10
記事公開日:2012/7/4
情報この記事は市道小羽山中央線に架かる蛇瀬橋を記述しています。
蛇瀬池の余水吐付近に架かっている石橋については こちら を参照してください。

蛇瀬(じゃぜ)橋は南北の小羽山地区と東小羽山を分断する谷地を渡る市道小羽山中央線の道路橋である。

蛇瀬橋の位置を地図で示す。


北小羽山側から眺めた蛇瀬橋である。道路規格は対面通行で、両側に自歩道を備えている。車からだと最も馴染み深い蛇瀬橋の眺めになるだろう。
先の東小羽山地区の丘陵地帯の方が高く、橋を渡った先で急な登りになっている。


蛇瀬橋はかなり高い位置を通っており、小羽山地区も山沿いの比較的標高がある地域なので冬場は気温がかなり下がる。橋上凍結注意の標識が蛇瀬橋の北小羽山側に設置されている。
もっとも夏場は用がなく、車道からは直接見えないよう横向きにされていた。


橋に差し掛かる手前から上流側には蛇瀬池の本土手が見える。現在の蛇瀬橋はこの上に更に数メートル盛土されている。


橋の手前で歩道の幅が若干狭まる。しかし当初から両側に歩道は確保されていたようだ。


このブロンズのプレートで「蛇瀬」の読み方が確認できる。
フェンスの外側に見えている鋳鉄管は恐らく水道管


両岸の最も狭い場所を結んでいるのだが、それでも橋の長さは100m近くある。


橋自体はわずかにカーブしており、渡り終えた先から急な登りとなる。


橋の高さに対してコンクリート製の欄干が異様に低く、50cm程度しかない。そのため転落防止のネットフェンスが欄干の外側に設置されている。


橋を渡った東小羽山地区側に小羽山小学校がある。したがって南北小羽山地区に住む子どもたちは日々蛇瀬橋を渡って登下校する。あの欄干の高さでは保護者ならずとも子どもの挙動が心配になるだろう。
車窓から橋の下が直接見えないので体感しづらいが、蛇瀬橋は最も高い場所で10mを軽く超える。転落すれば遺憾ながらまず助からない。
正規に設計された橋の欄干がこれほど低くネットフェンスというのも不自然で、もしかすると後から追加設置されたのかも知れない。
自動車一辺倒で自転車や歩行者の安全が軽視されがちだった当時の道路設計思想の代表的事例に思える

蛇瀬橋は蛇瀬川を渡っているだけではなく、もう一本の重要な水路も横切っている。
常盤用水路で、蛇瀬池の東小羽山側をなぞるように通されている。
後の方でこの下へ降りたときの写真を掲載している


東小羽山側から振り返って撮影。


こちら側は漢字表記になっていた。


市道小羽山中央線を走破したとき、帰りに反対側の親柱も眺めたが、同様に平かなと漢字表記だけで架橋年月は確認できなかった。
もっとも例によって昭和49年度の航空映像を眺めると、小羽山地区の造成が進んでいる段階で蛇瀬橋の橋脚が既に見えていることから、渡れるようになったのは昭和50年代初頭ではなかろうか。

下流側の眺め。
蛇瀬池が緩衝池の役割を果たすためか、分断された谷地は広く深いのに蛇瀬川は不相応に細い河川となっている。
この不相応に深い谷地は蛇瀬川の上流が河川争奪された結果ではないかと考えている


恐らく蛇瀬池が造られる以前は蛇瀬川はもう少し水量を伴う川だったのだろう。現在の谷地は遙か昔の蛇瀬川が刻んだものと想像される点は、夫婦池と塚穴川の関係と同様だと思う。

この深い谷地へ降りることで下から蛇瀬橋を眺めることも可能である。
谷地へ降りるルートは蛇瀬池に向かう最も一般的な経路と同じで、小羽山郵便局の手前から入る市道小羽山4号線途中のこの門から入っていく。


郵便局の横を通って本土手を進むと、右にそれて橋の下をくぐる小道に出会う。ここから橋の下部構造を知ることができる。

以下の3枚は、この記事に合わせて今日のこと撮影した写真である。
比較対象となるものがないから大きさが分かりづらいかも知れない。


北小羽山側の橋台部分。
斜面は練積ブロックとコンクリート橋台に固められているが、その下部は未だに真砂土の盛土状態である。
このすぐ右横に蛇瀬池の出水口がある


露出した真砂土は、蛇瀬橋を架ける工事を行った当時のままと思われる。橋の支承部分から滴り落ちる雨水で少しずつ浸食されているのが心配だ。

盛土斜面を駆け上がって橋本体の裏側を撮影している。
視座は10mくらい上昇しているが、それでもなお橋桁まで同じくらいの高さがある。昭和50年代初頭に造ったにしてはかなり規模の大きな橋だ。橋の上を車で走ったり歩道を通行しているうちは、この巨大さは体感できないだろう。


感じとしては2m角のサイコロを7個程度積み上げた上に橋桁が載っているように見える。実際には橋脚は内部に鉄筋が通り完全に一体化している。
梁の位置が妙に低いように思えるが、橋脚の下部が埋まっていてそのように見えるだけだろう。換言すれば橋脚はサイコロ2個分程度は地中に埋まっており、更にその下には堅牢な基礎がある筈だ。

蛇瀬橋は市道小羽山中央線に属する橋であり、県や国の補助事業だった可能性はあっても市発注の工事に違いない。昭和期に建設された市道としては恐らく総工事価格ナンバーワンだろうし、そのうち蛇瀬橋架橋関連だけで総工事費の50%を超えるのではなかろうか。

蛇瀬川を下って眺め上げたアングルの蛇瀬橋である。
蛇瀬池の築造は歴史へ永遠に刻まれる俊平公の偉業だが、その人造溜め池すら俯瞰する高みに通された蛇瀬橋を俊平公がご覧になったら「天空の道や」と腰を抜かすに違いない。


東小羽山側には常盤用水路が流れており、再踏査したとき写真を撮ってあった。次の2枚は4月に常盤用水路を追跡したときの撮影である。
常盤用水路は谷地の上部を通っており、橋桁との高低差は3m程度だ。


常盤用水路に沿って蛇瀬橋の真下へ移動している。
ここは終日殆ど日光が差さないのでまったく草木が生えず、橋が造られた当時のままの土が剥き出しな斜面になっている。
常盤用水路に影響を与えないよう施工には細心の注意が必要だっただろう


ここまで記事を書いていて、橋の上から蛇瀬池に向かって撮影した写真が一枚もないことに気付いた。
そこで今日のこと、橋の下の写真を撮った後で改めて蛇瀬橋を歩いてみた。

写真のない理由が分かった。
本土手に植わった木々に遮られて殆ど蛇瀬池の姿が窺えないからだ。

ネットフェンスの網目越しに撮影している。木々の隙間から蛇瀬池の汀が微かに見えるだけで眺めは効かない。


木々の勢いが弱まる秋口から冬場まではこれよりもう少しは見えるようになるだろう。しかし手元には蛇瀬橋の上から直接池を撮影した写真は他に一枚もないので、恐らく季節を問わず眺めることはできないと思う。

道路橋としての蛇瀬橋に関しては以上だが、蛇瀬池をはじめ樋門や出水口、蛇瀬川も蛇瀬橋の近くにあってしばしば写真に映り込んでいる。橋の下からの異なるアングルの写真については上記の関連記事を参照頂きたい。
地名としての蛇瀬については以下を参照。
派生記事: 蛇瀬について
出典および編集追記:

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