眺橋【1】

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現地撮影日:2012/12/3
記事公開日:2013/1/10
眺(ながめ)橋は、常盤池の噴水池付近に架かっている小さな橋である。
橋の中央部分をポイントした地図を示す。


地図で観ると常盤池の小さな入り江に架かっているように見える。かつてはそうだったかも知れないが、後述するように現在では橋としての機能よりもその名の通り来園者が眺めを楽しむための通路という役割が強い。

2013年の元旦は穏やかで暖かな朝を迎えた。好天が終日約束されそうだったので、午後から人気のない常盤池周りの写真を撮ろうと、周遊園路のウォーキングを兼ねて撮影してきた。
常盤池北にある常盤スポーツ広場駐車場からはるばる歩いて来たので、眺橋を渡るのは正面玄関とは反対側となった。


向かって左側が常盤池で、右側に噴水池がある。
橋の幅は約4mで、中央部が若干高くなっている。


親柱は平かなで「ながめばし」となっていた。
橋の名前で「ながめし」と濁点がつくのはむしろ珍しい


架橋は意外に古く、昭和38年6月とされている。
この後に渡ることとなった常盤橋が架かるよりも一年早い。
表札が意外に新しい…後から新しいものを据えたようだ


橋の中央から噴水を撮影している。
周囲が広く整備されているのでしばしばイベント時の会場となる。


常盤公園の正面玄関から訪れた来園者には、こちらからの眺めが馴染み深い筈だ。
橋の向こう側から彫刻広場が始まり、正面には常盤池に面した展望台が見えている。


こちら側は漢字表記で「眺橋」となっていた。
地名に由来しない橋の名なので公募などで決めたのだろうか…


ここでの表記は「常盤池」となっている。
既に記事公開した常盤橋の親柱が”常盤湖”だったから、当時から特に統一的な呼び方がされていなかったようだ。


さて、普通の来園者なら特に目を惹く橋でもなく、通路のように歩いて通り過ぎるだけであろう。
そして私自身、この橋に関する奇妙な点に気付いたのは、つい最近のことであった。


入り江の内側にあたる噴水池はかなり水位が高い。観察するまでもなく噴水池の水位は常盤池とは連動しておらず、橋によって完全に切り離され独立した池となっている。


実際、橋のすぐ横には噴水池に常盤池の水を汲み上げるポンプや配管が見えている。砕石が敷かれている部分は既に地山で、橋としての機能を失っているようだ。

しかし常盤池に面した側は確かに橋としての構造が見受けられる。
それも常盤池の水位が低い今の状況で露見する不自然な部分があるのだった。

橋の下部構造である。
橋本体は2箇所のコンクリートアーチを伴った橋脚をもっている。しかしその内側の様子が変だ。


橋の内側に低い石積みが見えている。
これはどういうことだろうか?


現在は噴水池になっているが、元は常盤池の続きの入り江だったはずである。昭和49年度版の国土画像情報閲覧システムを眺める限りでは自然な入り江のように見える。
しかし自然の入り江なら、こんな場所に護岸など築かない筈だ。橋を架ける前に堰堤で締め切ろうとしたのではないだろうか。

橋の袂には護岸の一部にボート管理用の階段が設置され、降りられるようになっていた。
橋の下部構造を観察するために再び橋を渡り、階段の中ほどまで降りてみた。


階段の一番下でしゃがみ込み、カメラを持った手をなるべく前方に差し出した。来園者が僅少だからいいようなものの、人が多いときこんなことをやっていたら怪しい人だと思われるに違いない…^^;

確かにアーチ状の橋脚のすぐ内側に石積みらしきものがある。そして…更に奥がありそうなのだ。


石積みの内側は乾いた地面のように思われた。何よりも驚いたのは、その地面にアーチ橋よりも更に古いコンクリート橋のような下部構造が観察されたことだった。


何としても正体を知りたかったが、足元が心許ない。下手をするとカメラを持ったまま元旦の冷たい池の水で初泳ぎ…なんてことになりかねなかった。
橋脚の真下は当然薄暗く、ズームしても焦点が定まらず失敗写真を量産することになった。

何とかマトモに取れたズーム写真のうちの一枚。
今架かっている眺橋の真下にそれより低くて小さな橋が隠れているように思われる。柱状の橋脚は頼りない位に細く古い。


後からパイプを通すとき設置したのだろうか…パイプの台座として建築ブロックを横置きに積んでいるのも見える。一番奥には通気孔らしき穴が空いたコンクリート壁になっているようだ。

一体どういうことになっているのかは、現在の眺橋が架かる以前の状況を調べる必要がある。石積みがあるということは、結構早い時期に締め切られ、噴水池と常盤池は分離されていたのではないだろうか。
それにしても石積みの高さが中途半端だ。入り江を締め切るなら、普通は両岸と同じ高さまで石を積んで堰堤にするだろう。現在の高さでは常盤池の水位が標準状態まで戻れば、石積みの天端を越えてパイプの部分まで水没する筈だ。

現在のアーチ橋が昭和38年の築造なら、その内側にあるコンクリート橋のような構造物は間違いなく更に古いものの筈だ。眺橋の初代の橋だったか、あるいは未だ橋としての命名がなく入り江を横切るコンクリート桟橋だったのだろうか…
橋の竣工年からして私が物心付いた時期から既に今の橋だったことになる。当時この周辺がどんなだったかもちろん覚えていない。ただ、噴水池がかなり新しいもので幼少期にはこれほど華やかでなかったのは確かだ。

過去に撮影した眺橋の写真は今のところ次の2枚しかない。[2009/8/28]


いずれも早い時期の撮影ながら、現在と殆ど変わったところがない。
欄干のペンキが新しいくらいだ。[2009/8/28]


この撮影時では橋の下部構造まで目が向かなかったし、常盤池の水位が高いので恐らく見えていなかっただろう。

現在の軽くアーチを描いている昭和38年架橋の眺橋は、もしかすると初代ではなく二代目の可能性がある。以前はどんな状態だったのかは、今後の調査対象の一つになるだろう。
出典および編集追記:

* 現在の眺橋の下に見えたコンクリート桟橋のようなものは(今後もう少し厳密な検証が必要ではあるが)最初期に架けられていた「眺め橋」である可能性が強い。
現在の噴水池の北側、時計台がある辺りは大正中期においては私有地であり、吉野桜を植樹し種々の草花を植えた庭園であったとされる。
入江の一部を締めきってできた池の中央に築山を造り、常盤池から水を引いたとされているので、眺橋の下に見えている石積みは庭園化するために入江の一部を締めきった当時のものかも知れない。なお、一連の記述については本編を総括記事化した折りに書き直す予定である。(2016/7/7)

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