沼橋

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現地踏査日:2009/11/15
      2013/6/24
記事公開日:2013/6/26
沼(ぬま)橋は国道490号の参宮通りにある橋の一つで、沼交差点のすぐ近くにある。
橋の位置を地図で示す。


大きな地図には名称が現れないこの細い水路は渡内川と呼ばれ、南神原公園付近で塩田川から分岐する形で北に伸びている。下流側に渡内橋というそのものズバリの橋があるが、渡内川はその場所で国道を横断しておらず、沼付近で初めて国道を横切り東に向かっている。

沼交差点に向かって撮影。
川とは名ばかりで、この近辺は早くから護岸がコンクリートで整備されている。


渡内川と河川名を記したブロンズのプレート。
「渡」の漢字が若干異体字っぽく見える。


反対側も同様の造りで、欄干を固定するための機能一点張りなコンクリート製の親柱だ。
撮影が夕暮れ時でそろそろ交差点の渋滞が始まろうとしていた


平かなで「ぬまし」となっていた。濁点をそのまま記載する例は珍しい。
親柱やプレートも長方形ではないのがユニークだ


欄干は極めてありきたりで、アルミ製3本掛けの通常タイプである。
余談だが川沿いのこの区間は珍しく自転車通行禁止になっている…まだ歩いて通ったことが一度もない


ちょっと路地に入って撮影してみた。
現在向いている方が渡内川の上流側になる。交差部分はボックスカルバートではなく通常のコンクリート床版のようだ。


路面に見えているコンクリート部分から分かるように、渡内川は国道を斜めに横断している。


沼交差点は極めて交通量が多い。沼橋は交差点に極めて近く、国道側の信号が赤になると上下線とも信号待ちの車がズラッと並ぶ。何処にでもありそうな橋を珍しげに撮影しまくっている私の姿がなかなかに痛い…^^;
特に2枚上の欄干の写真を撮るときは信号待ちに乗じて車道から撮影しなければ入らなかった

さて、国道を横断して次に上流側の親柱を…となるべきところだが…
既に親柱もろとも削られてなくなっていた。


何が起こったか想像がつくだろうか。
このコンクリートの部分に欄干があったのだ。完全に削り取られ周囲はアスファルトで埋められていた。


渡内川が再び開渠として姿を現す場所は、元の欄干の位置よりも5m程度上流側だった。
親柱は存在しない。欄干と呼べるものもない。側面も含めて転落防止柵で囲われていた。
降りる場所もないのでこれでは溝普請もできない…こんなことなら全部暗渠化した方が良かったのでは…


詳細は国道490号記事を書いたとき沼交差点の項目で述べるが、この近辺一帯は数年前に交差点改良が施された。国道と工学部通りが交わる交差点の渋滞度は半端なく、キャパシティーにおいて殆ど限界に達していた。そこで工学部通りに接する渡内川の区間を整備し、家屋が退いた折りにバス停を造り最後に工学部通りの上下線に右折レーンを新設したのである。
交差点が拡がって右左折共に曲がりやすくなり、歩道も広くなった。渋滞は相変わらずだが、以前よりはマシな状態になった。その代償として歩道上に取り残されていた渡内川の欄干など一式が失われた。

このように、現在は僅かに欄干があった場所の痕跡を歩道上に遺すのみとなった。
当然ながら道行く歩行者は気にも留めずに往来するだけだ。


したがって橋の名前は判明するものの、架橋年月は永遠に闇へ葬り去られることとなった…

並行して国道490号の拡幅工事が進められている。その過程ではやはり国道に貼り付く渡内川が拡幅の障害になっていて、古い石積みを撤去してボックスカルバートに置き換える作業が進められた。
現代では渡内川はその存在自体邪魔者扱いされているも同然な水路である。土砂が流れ込む懸念さえ完全に取り去れるのなら、全体をボックスカルバートで暗渠化してその上のスペースを有効活用するものである。そんな排水路同然の川の付属物など、誰も丁寧に記録していないだろう…

実は…
幸いなことにこうなる前に手を打ってあった。
アジトは沼交差点からそれほど遠くない。交差点改良の情報を早くから得ていたし、状況が大きく変わるなら遺しておかねばなるまい…という考えが当時から僅かながらあったのだ。

したがって撮影枚数は充分ではないが、かつての沼交差点とその周辺を写真に記録している。その中から沼橋の親柱を撮影した写真が見つかった。

以下の4枚は2009年11月中旬の撮影である。
いずれも交差点改良に先立ち、渡内川のボックスカルバート布設工事が完了した時期である。
既に欄干は取り外され親柱のみだった。歩行者が誤って進入しないようバリカーが設置されている。


親柱だけが飛び出た状態で放置されていた。
幸いこのときカメラを向けていた。


昭和51年2月とだけ記されている。竣工の文字はないが、これが動かぬ証拠となった。


昭和51年と言えば、参宮通りの殆どの区間は未だ対面交通だったと思う。この場所は国道の右折レーン設置の必要上早くから幅が広かったものと思われる。
沼橋の竣工から40年経たずして一部その姿を失うこととなり、これは一般的な橋の活躍期間としては短めだ。

もちろん反対側も撮影している。
漢字表記で「沼橋」となっていた。
バリケードがあったため近接しての撮影はしなかったようだ


下流側の欄干と親柱は健在だが、冒頭の写真を見ると、歩道の線形と沼交差点の横断歩道はかなりずれている。親柱がなければもう少し自歩道が走りやすいのに…という声は起きるかも知れないが、この程度でコストをかけて欄干除去には至らないだろう。暫くはこのままで運用されると思う。

それにしてもちょっと気になることがある。
取り壊された親柱に付属していたブロンズのプレートは
何処へ行ったのだろう…
コンクリート部分は破砕され、再生クラッシャーランに流用されるだろう。アルミ製と思われる欄干ポールとブロンズのプレートは…?

博物館で展示するようなものではなく、それほど嵩張るものでもない。通常の鋼製廃棄物として処理されるか、県の所有物として県土木が保管しているか…まあ、どのように処理するかは特記事項ないしは監督官による指示があるとは思うが…

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