渡内橋

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現地撮影日:2012/4/24
記事編集日:2014/10/4
渡内(わたうち)橋は、国道490号の神原交差点から200m程度北に向かった場所に存在していた小さな橋である。
この橋は以下の地図でポイントされた場所にある。


地図中で国道に沿って流れる用水路同然の川は渡内川であり、橋の名前にも現れる渡内とは、かつてこの近辺にあった小字である。
派生記事: 渡内について
渡内川は地図でポイントされた場所より上流ではどういう訳か直角に折れて国道から若干離れている。[1]そして渡内川が退いた分だけ国道はそこより北側で幅員が広がっている。
地図は随時更新されている…この記事の公開日から期間が過ぎれば表示が異なるかも知れない

こんな場所にそう目立った橋があるとは思えないだろう。実際それは珍しいタイプの橋ではなく、古い何処にでもありそうなコンクリート製の橋である。ただ、後で述べるような理由から「今、写真を撮って記録しておかなければならない」橋だ。

幅員の拡がった歩道から南側に向いて撮影している。
正面に見えるのが渡内川であり、写真ではこの場所で右へ折れている。折れ点の角にあるコンクリート製の欄干が渡内橋である。


渡内橋の上から撮影。
渡内川は周囲をアパートが立ち並ぶ市街地付近を流れているので、早くからコンクリート護岸となっている。写真で眺めるまでもなく正直言って大変に汚い川だ。


渡内橋の全容である。
渡内川はこの場所で直角に曲がっており、長さ5m程度の短い橋は国道に対して並行に架かっている。
…ということは…


渡内橋は、渡内川には架かっていない。
どういう状況になっているのかガードレール側から覗いてみた。
渡内橋は、国道を横断して渡内川に合流する別の水路(梶返水路[2])に対して架かっている。


即ち渡内橋とは「渡内川を横切る橋」ではなく、単に「渡内地区にある橋」という意味での命名らしい。

渡内川に合流するこの水路らしき川の名前は分からない。かなり早い時期にボックスカルバートとされたようで、地表部からはこの下に水路があることすら分からない。しかし橋台部分は加工した石を積んで造られており、成り立ちは古そうだ。


親柱はきちんと備わっているが、可哀想に…歩道の転落防止用ガードレールを固定するトラロープが縛り付けられている。
私が市街部へ引っ越してきた3年前からこの状況だった


橋は欄干も親柱も一体化したコンクリート製である。
経年変化でコンクリートの細かな部分が削り取られ粗くなっているが、漢字で「渡内橋」と表示されているのが読み取れる。
元がコンクリートだから、後から彫ったのではなく金型を押し当てて文字を整形したのだろうか。


反対側の親柱には、平かなで「わたうちはし」となっている。
この橋が道路に対して突出している様子が分かるだろう。


上の写真から想像される通り、この場所は自転車ではとっても通りづらい屈曲点になっている。
渡内川が退いて国道の車線が拡がるので、歩道も外側へ追いやられる。このため自転車で左側通行していると、3車線に広がり迫ってくる車を回避するためにクランク走行を強いられる。特に自歩道を南へ向いて走る自転車が渡内川に突っ込まないようにガードレールでブロックされている。
後で述べるようにこの屈曲点は数年以内に解消されるだろう

ガードパイプがあって撮影はかなり困難だった。


欄干の意匠。
縁の付いた扇形のアーチが4つ連なったシンプルな形状である。


この撮影の数日後、国道を渡って反対側を偵察してきた。
完全に暗渠化された排水路が上流からの水を運んでいた。


国道側を撮影。
渡内川の半分程度の幅しかない水路がボックスカルバートで横断している。簡素なコンクリート製の腰壁と県章入りの転落防止柵が見えるだけで、欄干自体が存在しない。


ボックスカルバートとの接続部に昭和中期あたりのものと思われる石積みが僅かに遺っているだけだった。


国道の上り車線側の親柱が存在しないのは、平成初期の拡幅工事によって撤去されたからではと想像される。恐らく同様の欄干や親柱が存在し、橋の竣工年月が記されていたのだろう。
したがって残念ながら渡内橋の成立時期は今となっては(どなたか記録を遺している方の存在に期待しつつも)分からない。

この橋の余命が長くないことは市街部へ引っ越した時点で感じ取っていた。
以下の3枚は3年前の秋口に撮影された写真である。


外観は今も殆ど変わっていない。

ガマの茂りまくる中で鯉が根性で泳いでいたのも今と同じである。
塩田川に放されている鯉の一部が遡行してきたのだろうか…


上流から運ばれる汚泥に格好な日照という条件のために、春先から夏場にかけてはしばしば渡内川自身が植物園のような様相を呈していた。


冒頭にも触れた通り、渡内橋の余命は恐らく2年以下だろう。
交通量が極めて多くなった国道490号を片側3車線化する工事が予定されている。その過程で道路敷を確保するために渡内川を暗渠化する工事が進められているからだ。

片側3車線の拡幅は起点から神原踏切、渡内橋から西梶返三差路までは完了している。神原踏切から渡内橋までの区間は渡内川が国道に沿っているために容易に拡幅できなかった。
現在、神原踏切以北から順次渡内川の暗渠化工事が進められている。まさにこの記事を書いている今も進行中で、県道琴芝際波線の起点となる神原交差点までの暗渠化は既に完了し自歩道となっている。

これは2月の下旬に撮影した神原交差点から見た渡内川である。
現在では既に基礎工を終えてボックスカルバートを据える段階に入っている


水路上にバックホウが座っており、その100m程度上流側に渡内橋がある。現在施工されている区間は、琴芝小学校の裏門に架かる橋の手前までで、区間を分割して施工されている。
次期工事では渡内橋を含めて既存の橋がすべて撤去されることになるだろう。
田植えの時期にかかるので次期工事は必ずしも続けて施工されるとは限らない

この区間がボックスカルバートで暗渠化されればその上を自歩道や車線として確保できるし、日照を遮断することで植物の繁茂も抑えられる。水生植物が河川の浄化に寄与しているのは明らかだが、過剰な繁茂は流下速度の低下を招き、豪雨の際に洪水を起こす要因となる。
短期間の豪雨で神原交差点が冠水する事態が何度も起きている
川が元の姿を失うことは遺憾だが、現在ある姿を克明に記録した後は、私たちが暮らし良いように手を加えていくことはやむを得ないように思う。

そういう訳で渡内橋の現在遺っている片側の欄干や親柱が撤去されるのは確実である。早ければ年内には国道に接する渡内川の全区間が暗渠化され道路敷に変わる筈だ。次期工事が始まれば、国道に接する部分は完全に暗渠化され道路敷および自歩道となる。川としての雨水排除機能は従来より改良されるが、渡内橋の存在は過去へ送り込まれるだろう。

そうなる前にここへ記録を遺した。
3年前にもブログで記事を書いているが、消滅してしまう物件は可能な限りその直前に記事化するのが望ましい。記述時までは現存したことが確認できるからだ。
なお、ブログバージョンの記事[3]に寄せられたコメントによれば、昭和30年代中盤の時点では渡内橋の幅は10m程度で、橋の西側に文房具屋があったそうだ。当時は未だ護岸部は自然の状態だったが、ほどなくして石積みになったらしい。

橋を眺めつつ幼少期を育ったわけではない私にとっては、渡内橋に関して伝えることが出来るのはこれだけだ。
《 近年の変化 》
・2015年11月より渡内橋近くの屈曲点より真砂土を投入して作業用地を造り始めた。翌12月に小旋回バックホウを投入したものの不意の雨で重機が河川内で水没するインシデントが起きている。[4]
・2016年2月のはじめに渡内橋のある折れ点にボックスカルバートを布設する工事の過程で渡内橋の欄干と親柱が完全に撤去された。1日の午前中に現地を通った過程で確認された。親柱と欄干が一体化したコンクリート構造であったため、その場ですべて破砕されコンクリート殻として産廃処分されたようである。
渡内橋から上流の折れ点区間は道路拡幅にかからないため塩田川との合流点のような形態の開渠となることが予想される。

なお、渡内橋に限らず渡内川の参宮通り沿い区間は改変で失われることが明らかなので、拡幅工事着手前から充分な写真を撮影済みである。今後渡内川での記事化が予定されている。
出典および編集追記:

1. この場所の折れ点は重要である。参宮通りは直線化されているが、大字中宇部側の字渡内および字向渡内は現行の渡内川が境界になっている。また、渡内川とは逆方向の西側へ向かう細い水路も重要で、大字中宇部字向渡内と大字沖宇部字金重の境界となっている。

2.「宇部市防災マップ」の琴芝地区マップに記載されている。
マップでは梶水路となっているが明白に梶返水路の誤記である

3. ここにあるブログバージョンとは、かつて宇部市が運営していた地域SNSである。現在は廃止されている。

4.「FBタイムライン|チョンボ泥水浴中(要ログイン)

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