![]() | この記事は郷土資料館の中庭に展示されている親柱について記述しています。 国道190号の芝中跨線橋については こちら を参照してください。 |
芝中(しばのなか[1])橋は、現在の国道190号において恩田芝中間で鉄道と立体交差する地点に存在していたと思われる橋である。
写真は島1丁目の郷土資料館に存置されている芝中橋の親柱2基。
芝中橋があったと思われるおおまかな場所をポイントした地図を示す。
(道路敷のどの辺りであったかまでは反映されていない)
現在この場所はコンクリート床板構造の立体交差となっていて橋名を記したものは何も存在しない。冒頭の写真で示したように、現在は郷土資料館の横へ2基の親柱が設置されているだけである。
芝中橋とだけ刻まれている。
もう一つの親柱には宇部鐵道の文字がみられる。
このことから芝中橋が何処に架かっていたかを絞り込むことができる。
傍目にも親柱は立派なものである。これほどのものを要する橋なら、相当大きな河川か道路の立体交差部分に置かれていたと考えられる。しかし芝中地区には大きな川は存在しないことから、現在の国道立体交差部分にあったのではと推察されるのである。
一対の親柱は郷土資料館の敷地端に展示されている。
親柱が据えられた間隔は当時の道路幅を反映しているかどうかは分からない。
裏から見たところ。
他には何も刻まれていない。
裏側の端は縦筋状に加工された痕がみられる。
欄干を固定するためのものと思われる。
保存されているのは2基の親柱のみで、欄干など他の部材は存在しない。
芝中橋に関する資料はこの現物以外皆無である。郷土資料や書籍などで芝中橋について言及されているものは見当たらない。現地を撮ったモノクロ写真は一つも知られていないし、親柱が基本4点セットを構成することからもう一対ありそうにも思えるが、その存在も不明である。そもそも、この親柱がいつ頃ここへ運び込まれたかすら分かっていない。
国道は4車線化されており、この正確にどこの地点に架橋されていたかは不明である。むしろ未だこの場所の立体交差に架かっていたことを裏付ける資料も見当たらない。
この問題を解くには、芝ノ中通りから恩田方面に向かう道の立体交差がいつ頃造られたかを調べる必要がある。昭和12年制作の宇部市街図では既に立体交差のような表記がみられる。一連の考察については以下の記事項目を参照。
総括記事: 芝中跨線橋(仮称)|調査を要する点
出典および編集追記:
1. 現在では地名としての芝中の読みはもちろん「しばなか」であるが、橋が現役であった時代では芝中は「しばのなか」が正則の読みであった背景があるが故に表題の通りの読みを与えている。実際に橋名がどう読まれていたかは更なる調査を要する。
(ただし当時から「しばなか」の読みがあった可能性を否定しない)
1. 現在では地名としての芝中の読みはもちろん「しばなか」であるが、橋が現役であった時代では芝中は「しばのなか」が正則の読みであった背景があるが故に表題の通りの読みを与えている。実際に橋名がどう読まれていたかは更なる調査を要する。
(ただし当時から「しばなか」の読みがあった可能性を否定しない)