新川橋【1】

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記事作成日:2013/6/18
最終編集日:2013/7/5
新川(しんかわ)橋[1]は真締川に架かる橋で、国道190号の道路橋と歩行者向けの橋、下流側にやや離れて位置する旧橋に同一名称が与えられている。


新川橋という名前の由来を表記上で説明するのは容易い。「新しい川に架かる橋」と言えばそれなりに正解である。このことから橋が横切るのが新川(しんかわ)だろうと考えるし、それもある意味正しい。しかし冒頭に説明した通り、川の正式名称自体は新川ではなく真締川である。
宇部市民にとって「新川」という語は決して真締川とイコールではなく、独自の深い意味を内包している。この件については本記事のみで触れるにはあまりにも重い。地名関連の記事を書いた折りに派生記事としてリンクで案内することにして、ここは取りあえず新川橋の話を進める。

橋の位置を地図で示す。


メインとなるのは国道の橋で、常盤通りの一部を構成しており古い橋ながら交通量は今なお市内でもトップクラスを誇る。[2]
地図を見て気付くように、橋の前後で国道は著しくくびれている。橋が架けられた当時から拡幅されないまま運用されているためだが、現状だと交通渋滞が発生しそうに思えるだろう。実際には常盤通りは上下線に側道をもち、国道の一般通行帯として供用されているのは中央の区分だけである。したがって橋の前後もそれほど酷い渋滞は起こらない。
市役所前交差点側からのイレギュラーな幅員減少には若干の注意を要する

次に目に着くのは、本来の国道橋以外に近接して2本の橋が付属することである。下流側には真締川を直角に横切る旧橋があり、上流側には細い歩道向けの橋が存在する。いずれも現在なお橋として機能しており、後続編として合わせて掲載する。
なお、国道は交通量が多く往来に時間がかかるので、撮影は10日と14日に分けて旧橋を含めて一括撮影し、ここでは国道の橋に関する写真だけを取り出して再構成している。

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現在の新川橋は完全に一般車両通行向けの橋となっている。橋の幅一杯に車道として供用しているので、親柱や欄干付近は安全に接近できる場所ではない。手始めに下流側左岸の親柱に接近を試みたのだが…

当然ながら車道に面して設置され、隣接する花壇とはガードレールで仕切られている。のこのこと車道へ出て行ける状況ではない。


この場所には数年前に押しボタン式の信号機がついた。以前は横断歩道さえもなかったのだが、昔の山口銀行宇部支店が市役所前交差点側へ移転し、旧館がヒストリア宇部として再出発した折に整備された。

ここで渡る歩行者は結構多い。渡る意志もない自分がボタンを押さずとも他の横断需用者がボタンを押してくれた。反応するまでしばし待機…


車道の流れが停まっている間に親柱へ接近した。
親柱の前にキングライトが設置されている。撮影には邪魔だが、車の衝突防止からは必須だろう。


新川橋と陰刻されているのだが、「橋」の字体がちょっと変だ。
いわゆる「はしご高」のような字体になっている。
正確に表示できるかどうか分からないが…「」の字のように見える


一昨年・去年の夏場は仕事で市役所と真締川公園を往復したこともあり、何度もこの横断歩道を渡った。その折りに親柱の字体が標準と少し異なることに以前から気付いていた。
しかし接近して撮影した限りでは、恐らく意図的に造った異体字ではなく旁である「喬」の部分が経年変化で部分的に欠けたせいだろう。石版の材質が軟らかければ細かな線が入り組む部分は欠けやすい。元は正しい字体だったようにも思える。
この親柱は横断歩道に近いから容易に眺められるが、右岸側は横断歩道がないので近づく人は稀だ。私もこのたび初めて現地で確認した。

押しボタンの信号が変われば背後から車が襲いかかって(?)くる。そうなる前にサッと撮影して撤退した。
道路橋をそのまま歩いて渡るなど狂気の極みで欄干には接近できない。いくら「習慣とする徹底主義」を標榜する私でも、車道部の橋の中央で立ち止まりカメラを構える度胸など持ち合わせなかった。したがって橋から直接撮影した上流側と下流側の写真は今回は無しだ。

しかし(後続編でも述べるように)近接して古い橋が架かっているので迂回は容易だし横から眺めることも可能だ。

サッと自転車で乗り付けて右岸の下流側から接近している。
この場所に道はないが芝生状になっていて歩いて近づくことができた。


欄干は傍目にも古めかしい。コンクリート部分は白っぽくなりかけているし、埋め込まれた鉄棒も錆びて真っ茶色だ。


ここからのアングルだと斜めに市役所を見る形になる。
国道を横断できる道はないのでここから橋を眺めた人はかなり少ないだろう。


幸い、また横断する人があるようで押しボタン信号が変わった。
滅多に眺めることがない場所からの観察で、新川橋は殆ど知られない側面をそっと教えてくれた。


志んかわはし?
最初の一文字だ。どう見たって平かなの「し」ではない。


これはいわゆる「変体仮名」と呼ばれるもので、最初の見慣れない文字は確かに「志」から派生した変体仮名である。
「Wikipedia - 変体仮名」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%89%E4%BD%93%E4%BB%AE%E5%90%8D
現代では殆ど馴染みがない変体仮名も、そう言えば白岩公園の石碑などにも見受けられた。

順当にいけばすべて現代風平かなの「しんかわはし」となりそうなものだ。実際、今まで調べてきた他の橋ではそうなっているものが殆どだ。この橋に対する思い入れや重要度も関係していそうだが、意外に橋が架けられた年代の時流もあったのかも知れない。

ここから後は6月14日の撮影である

4日後、今度は上流側の撮影を行った。
下流側と同様、親柱は車道領域内にあって接近しづらい。車が来ないのを確認してサッと路側帯に出た。


「真締川」の文字。「真」は新字体になっていた。


車道用と自歩道用の橋が完全に独立していて両者は2m近く離れている。
歩道用の橋は後続編で述べる


下流側と同様、上流側も車道とは完全に独立した歩道用の橋がある。


歩道から近いが、逆に歩道を通る人が多いのでかなり視線が気になった。人通りが一段落したときを見計らって接近した。
植え込みの部分をちょっと跨ぐだけであった。


親柱自体の構造は共通で、厳つい門柱のような形に鉄格子のついた枠と笠が載っている。


昭和27年3月完工であった。
戦後ではあるが市街部でこの年代の橋はそう多くないかも知れない。


4日前の調査でも気になりつつ撮影を忘れていた部分があった。
親柱の上部に取り付けられた鉄格子の内側である。
4つある親柱のどれもが四方に鉄格子を持っていた。どうしてこういう構造になっているのだろう…もしかすると…と想像されるものがあった。

それを確かめるために、上流側にある親柱の一つに狙いを定めて中を覗いてみた。


反対側の格子から差し込む光がなかなか強くて明るさ補正に苦労した。
何とか見える状態で撮影したのがこれだ。


内部は空洞で、埃と言うか砂が溜まっていた。
しかし鉄格子の外枠は伊達ではなかった。

更にズームする。
中央に何やらパイプ状のものが顔をのぞけている。そのすぐ近くには切断されたニクロム線のようなものが見えていた。


このパイプの正体が何か分からないにしても、夜間に親柱を点灯させるための仕組みではないかと言わざるを得ない。パイプのように見えるのは電球のソケット部分に似ているし、切断されたコードは電源供給線と考えるのが自然だ。夜間点灯させていた時期があったのは確実なように思える。

鉄格子は酷く錆び付いており、外すことを想定していない嵌め込み型らしかった。もしかすると外せるものかも知れないが、当然確かめなかった。周囲にこれほど通行者がある状態でまさか親柱に取り付いて鉄格子をコジコジなんて出来る相談ではない…sweat
この場所で鉄格子にカメラを押し当てて明るさ補正しつつ撮影する私の姿を想像して欲しい…^^;

他3ヶ所ある親柱の分まで調べていないが、内部の電球を取り替えることはそう頻繁には起こらないので、一番上に載っている笠石を外していたのではないかと思う。
傍目にも古い内部の状況からして、点灯するのを止めて電球を外し電源線を切断されて相当期間が経っているらしい。
新川橋の親柱が点灯しているのを見たことのある人は
いらっしゃるのだろうか?
あったとして、いつ頃まで点いていたのだろう…
実はあれは点灯するための仕組みではなく別の何かだった…という可能性なきにしも非ずだ。ここから先は出典および証言待ちとなるが、それにしても新川橋は市役所のお膝元である。これほど近くにありながら、実はよく分からなかい部分を隠し持っている橋なのだった…

(「新川橋【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 市役所横に設置された住居表示案内板も含めて、一般的な地図では「新川大橋」と表記されている。しかし本記事に掲載した親柱の写真からも分かるように、現地に新川大橋という表記は何処にもない。恐らく旧橋と区別するための便宜上の呼称と思われる。項目名を変更するに足りる情報が得られるまで、当面は記事名を新川橋のままとしておく。

2. 厳密には浜バイパス(市道北琴芝鍋倉町線)の交通量と比較を要する。

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