新川橋【2】

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現地撮影日:2013/6/10
記事公開日:2013/6/19
時系列では「新川橋【1】」の続きとなる。前編では新川橋の下流側および旧橋を掲載した。その後日を改めて上流側と歩道向けの橋を撮影している。
《 新川橋(旧橋)》
現在の旧橋の姿である。
市役所を背にして左岸側から撮影している。目前を横切る道は市道真締川東通り線である。
左端に焼夷弾の芯の説明柱があるがここではなく市道レポート側で掲載する予定


位置図を示す。


地図で真締川を横切る橋の架かり方を観ると、橋を含めた通りの形成のされ方が見えてくる。
この橋と上流にある緑橋は真締川を垂直に横切るように設置され、前後に通りがある場合は橋の延長線になっている。しかしそれ以外は常盤通りに平行ないしは垂直な通りを造っている。このため随所で直交しない交差点ができている。市役所前交差点はその典型例だ。

国道の新川橋は昭和20年代後半の竣工だった。現在ならカーブした橋を架けることもこなす技術があるものの、昔は技術面と資金面の制約から最短距離の橋を架けた。常盤通りに対して捻れた位置にあるのは時代背景を物語っているようだ。

さて、現在の旧橋である。橋の両側に車止めが置かれ、歩行者と自転車専用となっている。
橋の前後中央が花壇になっていて、左岸側の花壇にはオブジェが据えられている。


実は花壇やオブジェが設置されたのは最近のことで、まだ一年経っていない。橋の路面部分は脱色系のアスファルトで舗装されている。オブジェが設置される前は、試験的に橋の中央付近に大きめのプランターという感じの木枠の花壇が設置されていた時期がある。
全体の印象としては、後で述べるように以前の状況があまりにも酷かったので、花壇やオブジェの設置によって相対的に良くなった。[1]

左岸側下流の親柱。
「新川橋」という漢字表記されたブロンズだ。しかしブロンズは古いものの親柱や欄干自体は新しく見える。


上流側だが…
何と、プレートが外されモルタルか何かで塗り込められていた。


元から存在していたものをわざわざ撤去するとは考え難い。銅製のプレートにありがちな話で、盗難に遭ったのだろうか…

橋の中央から上流側を眺める。
当然ながら国道の新川橋が見えている。


下流側は新錦橋だ。
旧橋は真締川を直角に横断しているので、いずれの橋も斜めに見えている。


下流側の右岸のプレートも失われ同様に塗りつぶされていた。
塗りの端から灰分が流れた痕が見えるので、かなり以前から失われていたらしい。[2]


上流側。一番重要な竣工年月のプレートが遺されていた。
昭和12年2月竣工だから、国道橋よりも十年以上早い。


その割に欄干の石材も鋼材部分も新しく見える。
材質はオリジナルだが、表面を研磨清掃などして補修しているように見える。


右岸側。市道真締川西通り線に接続されているが、車は当然入れない。
こちら側は花壇のみなので橋全体がスッキリ見える。昔に比べて本当に良くなった。


そう言い切れるのも昔の酷い状態を覚えているからだ。ここを通っていた人も恐らく記憶があるだろう。
その状態とは…

画像フォルダの中を探しまくってやっと以前のワンショットを見つけてきた。

2009年11月に市道真締川西通り線を走ったとき撮った写真。
以前はこんな殺風景な様相だったのである。


現在とあまりに違いすぎる…と言うか、以前があまりにも酷かった。特に目立っていたのは路面のアスファルトに塗られていた赤色と緑色のペイントであった。
黒々としたアスファルトがそぐわないということである時期に塗り直したのだろうが、黒を隠すためか濃い緑と赤の原色系で上塗りされ、色遣いが如何にも悪趣味だった。その後経験変化で至る所ペイントが剥がれて下地の黒いアスファルトが露出し、通るたびにもうどうにかしてよって言いたい状態だった。

整備後の写真を観ると、現在と比べて何処がどう変わったか判明する。悪趣味なペイント舗装部分を脱色系アスファルトで打ち直し、橋の街灯を下流側のみにする代わりにもう少し高くて立派なものに更新している。橋の前後にはプランターではなく恒久的な花壇を据え付けた。
変更は地味だがこれでいいと思う。街の景観造りには全体的な調和が重要で、突拍子なものである必要がない。大勢の人が集う場所ならインパクトあるデザインもアリだろうが、日常の通行空間なら地味な位の方が飽きが来ないし周囲からも浮かない。
それだけに左岸側のあの奇っ怪なオブジェが…sweat

右岸側の真締川公園に階段があり、川面近くまで降りられるようになっていたので、下から撮影してみた。


橋脚部は別として、下部構造も意外に新しく見える。架橋年は昭和10年代にしても補修で随所に手が加えられているようだ。

自分自身の幼少時代を思い起こしても、この橋に対する記憶が極めて薄い。中央町に「レッツ09」があった時期までは自転車で訪れる際にここを通っている筈だが、その頃から車は通れなくなっていた以外に思い出せるものがない。
市街部のそれも古い橋故に、私が知らない数多くの話題を持っていることだろう。重要な項目があれば判明次第追記しよう。
《 歩道向けの橋 》
国道橋に並行して自転車および歩行者向けの橋が架かっている。
もっとも橋と言うよりは通路という感じで機能最優先の造りだ。


市役所の前というロケーションでもあり通行する人はかなり多い。近くに誰も居ない状態での撮影はしばし待機する必要がしばしばあった。

歩道部分の橋は完全に独立していて、国道橋から2m程度離れている。


橋には親柱が存在しない。したがっていつ架けられたか等のデータは判明しない。
欄干も転落防止柵の4本掛という極めてありきたりな仕様だ。


上流には以前記事で紹介した真締川水管橋が見える。


上流側はカメラを構えても国道を行き交う車しか写らないので省略するとして…^^;

右岸接続部付近。
国道部との間にはコンクリート製の欄干が設置されている。


右岸上流側から橋脚を撮影している。先ほどの写真と合わせて何か気が付いたことがあるだろうか…


よく観ると、異なる種の橋脚で同じ歩道部の橋を支えている。鋼管2本セットの橋脚と太いコンクリート柱だ。如何にも不自然で、最初からこのように造る筈がない。後から付け足したのでは…と想像される。

本項目の一枚目の写真を観ると、橋面の中央やや下流側寄りに縦の筋が見えている。シーリング材で隙間を充填した痕が現れている。
このことから以前の状態がどうだったかは記憶がないが最初はこれより幅狭な歩道橋だったことが分かる。
傍目にも2本セットの鋼管柱は古そうだから、最初は下流側の細い幅しかなかったようだ。その幅ではまるで陸橋同然で自転車同士はすれ違えない。最低限、自歩道としての規格(幅2.0m以上)に適合するように上流側へ継ぎ足して幅を拡げたのだろう。

お陰で現在は自転車でも橋の上で充分に離合可能だが、それでもなお若干の問題を残している。
歩く分には問題はないのだが、自転車で通行するとき右岸側が屈曲していて通りづらい。


右岸側には植え込みがあり、歩道はそこを避けて迂回している。この植え込みが災いして、右岸側から市役所方面に向かうとき反対側から橋を渡ってくる自転車に気付くのが遅れるときがある。右岸側では充分にスピードを落とさなければならない。

あと…新川橋とは直接関係はないけど…
これ…そろそろ塗り直そうよ。


山口県の文字で分かる通り、真締川は県管理の2級河川だ。この件については真締川の総括記事を書いた折りに案内する。

新川橋の続編として【1】を制作したが、さすがに当分の間【2】はないだろう。先々で国道の橋が大改修を受けることとなったら当然作成はする予定だが…[*]
出典および編集追記:

* 新川橋の総括記事を別途作成して既存の記事を時系列記事として処理したため以前の【1】が【2】となっている。(2017/1/13)
内容には手を加えていない

1. ただし個人的な意見だがこのオブジェは奇特で如何にも街の景観から浮いていて好きになれない。芸術家の趣味と市の彫刻推進先行で町の景観を恣意的に塗り替えるのではなく市民の意見を聞いてからにして頂きたいと思う次第である。

2. 逸失している2つのプレートは戦争による金属供出か戦後の混乱期による盗難が疑われる。「FB|2016/2/16の投稿」も参照。

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