高橋

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現地踏査日:2014/1/26
記事公開日:2014/1/28
当サイトでは特定の人物を主題にした記事の作成を予定していない。今まで作成されてきた記事にそういったものが皆無であることから推測できるだろう。
しかるに…高橋(たかはし)という記事名は如何なものだろう。いくら橋カテゴリに収録されているとは言っても日本で比較的よく見かける姓を想像してしまう。これが橋の名称なら元々は「高」という名前の橋なのだろうか…ということになる。
ファイル名は一応"taka"としている…しかし後述するような理由から正しくないかも知れない

名前からして突飛な橋を想像するかも知れないので、現物を紹介しよう。
これが高橋を正面から観た映像である。


些か拍子抜けしただろう。対面交通の道が川を横切るごく普通の橋なのだ。高尚な欄干や親柱はない。白いガードレールにコンクリート床版という何処にでもある印象を与える。

橋の位置を地図で示そう。


宇部線の岐波駅が近い。上の写真では北を向いて撮影しており、左側の土手部分が岐波駅だ。この道は市道花園岐波浦線で、駅の横を通るので重要度は高いがそれほど交通量の多い道でもない。

さて、私がこの橋に出会ったのはまったくの偶然で、元々は別の調査対象をターゲットに自転車で岐波地区を走り回っていた途中だった。もっとも調査する対象は意外に似ており、宇部線の踏切や橋りょうだった。
宇部線の成り立ち自体が古いので、関連する構造物の名前にはしばしば現在ではみられない小字などの地名が遺っている。そこで郷土資料の小字地図にみられる字が現在どの程度これらの構造物に残っているかを調べようと思った。この目的遂行のため、私は前回の終了箇所だった丸尾駅からスタートし、なるべく宇部線から離れない経路を選定しつつ山口市境に向かって調査していた。国道190号を外れて岐波駅の横を通り、そこから見える範囲で踏切と橋りょうを探していた。

宇部線が植松川を渡る場所も橋りょうになっていて国道筋からも見える。その名前を調べるために接近する道筋を模索していた。そして岐波駅の横を通り、この橋を渡ろうとしたとき植松川の土手に沿って進めば橋に到達できることを知った。
鉄道の橋りょうをここから視認したのが副次的にこの「高橋」と出会うきっかけとなった。


欄干がガードレールだけの橋には名前が付いていないことが多い。しかしこの橋には妙に大きめのブロンズプレートが貼り付けてあった。そのため自然に目が向いたのだろう。
そこに見えた漢字二文字は全く信じがたい存在で、即座に反応した。
何じゃこりゃ〜?


どう見ても「高橋」です。
本当にありがとうございました。


まるで個人宅の表札を眺めているようでもあった。
しかし…次の瞬間、冷静に考え直したことは…
「たかはし」と読むとは限らない。もしかすると、
何か別の特殊な読み方をするのかも知れない。
これは一本記事に値する物件だ…と感じたその次には自転車を橋の傍らに停め、撮影開始していた。


「別の読み方をするのかも知れない」という疑念は早々に晴らされた。
下流側のガードレールに答が出ていたのである。


背後に見えるのは東岐波の一つのランドマークである日ノ山だ。


「たかはし」。それが橋全体の名前だ。


「高」を含む地名は「たか」の他に「こう」の読みもある。真締川の支流で大小路付近を流れるのは高田(こうだ)川だし、厚狭・埴生バイパスに唯一存在する山岳トンネルは、高山の下を貫く高山(こうやま)トンネルだ。いずれもその読みが確立していて「たかだ」や「たかやま」と呼ばれることはない。[1]この橋は「たかはし」という一通りの読みであり「こうばし」など特殊な読みをするものではなかった。

架橋年月のプレートは上流側にあった。


昭和44年3月20日竣工となっていた。
東岐波地区の橋を記事化するのはこれが初めてなのでどれほどの古さかは分かりかねるが、ブロンズプレートタイプとしては古い部類に入る。
3月20日と日にちまで入っているのは珍しい


下流側の左岸に河川名のプレートが設置されている。


植松川は県管理の河川である。


名称が振るっているというだけで他に特記事項はない。漢字一文字の橋なら、市内にも既にいくつか知っていて記事化されている。例えば上宇部の沼は交通量の多い交差点として知られ、国道490号はその手前で渡内川を沼橋で横切っている。この場合は特に疑義を差し挟む余地がない。沼という一文字の地名に存在する橋だから沼橋だ。
その後知られた謎めいた橋として新橋が知られる。真締川に架かる小さな橋で、それほど新しい橋でもなく知名度は低い。何よりも「新」という地名が存在するわけではなかった。何か基準となる他の橋に対して「新しく架けられた橋」という推測しかできなかった。
そして今回出会った高橋もそういう事情を抱えていそうな気がした。今の名前が与えられた理由が何処かにある筈だ。

すぐ考えつくのは「高い橋」である。山深い峡谷に架かる橋ならありそうな名前なものの、岐波はその名の通り海が近い地だ。この場所も絶対高度は数メートルしかなく、樋門がなければ植松川を潮が遡行する。内陸部へ回船が入ってくるために高い橋を架けていた…等の理由がなければ、名前の由来になるとは考えづらい。

昔の橋の痕跡が残っていそうな部分と言えば、橋の前後に据えられたこの石材だろうか。
これは昔の部材ではないだろう。単に道路部分と橋桁部分を仕切るための緩衝部分と思われる。


高橋の由来と思われる手がかりは、アジトへ帰って資料を調べていて得られた。

これは東岐波地区の小字地図である。
右側の南北に通っているラインが現在の宇部線だ。複線になっている場所が岐波駅になる。


現在の岐波駅を含む部分に高橋という小字がみえている。この橋は字高橋のもっとも東の端になる。
このことから、本来は「高橋橋」とでもなるべきところなのを据わりよく「高橋」にしたのではないだろうか。
そうであれば記事ファイル名はtakaではなくtakahashiが妥当だ

固有名詞部分に「橋」の文字を含む橋、川の文字を含む川、山の文字を含む山…などは、常に最後の重複する文字を省略して命名されるのだろうかという問題が起きる。一般には必ずしもそうとも言い切れない。長門市には県管理河川の深川川がある。[2]
ただ、河川名の場合は「〜川川」の多さからやや特殊とも言える。山や橋の名称として「〜山山」や「〜橋橋」という事例を見たことがないし、実際存在するかどうかも分からない。

橋名の大元が高橋という小字に依るとしても、その小字がどういう過程で「高橋」となったかを考える必要がある。遙か昔、海が近いこの地の割に目立つ高い橋があったとか、高橋姓を代々名乗る名田に由来していたとか…そうなれば高橋という橋の名称と小字の先決性が「ニワトリと卵現象」に陥るかも知れない。

一通りの写真を撮影後、本命の鉄道橋りょう名を調べに植松川沿いに自転車を走らせたのだった。


余談だが、宇部線の鉄道の踏切や橋りょう名を調べる過程で「高橋」のような日本人にありがちな姓そのまんまを名前にもつものがいくつか見つかっている。伊藤・藤本・松永…これらはすべて宇部線の踏切名として実在する。まさにズバリの姓をお持ちの方は”聖地”になるかも知れない。

そしてもし読者にこの橋名と同じ姓の方がいらっしゃったなら、写真を撮ってプロフィール画像などに使うなんてことができそうだ。橋は呼んでいるかも知れない。
岐波からお越しの高橋様、タカハシ様。
サービスカウンターまでお越し下さいませ♪
出典および編集追記:

1.「甲山」と書かれることもあると聞いている。(地元在住者による談話)

2.「山口県の管理する河川一覧」による。
他にもいくつも存在するが、地図を眺めていた幼少期時代から知っていて不思議な名称と思っていた。

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