この記事の表題になっている「新橋」とは、一般には単に「新しく架けられた橋」程度の意味しかない。固有の地名として定着している事例はあっても、ある特定の橋を指して新橋という名称を与えはしないように思うだろう。
ところが…
「新橋」という名前の橋が市内にある。
いわゆる何ちゃら新橋というのではなく、真締川に架かっている歴とした道路橋だ。これが件の橋である。真締川の左岸側から撮影しているのだがこれだけでは場所が分かりづらいだろう。
橋の位置を地図で示そう。
橋の右岸側は市道真締川西通り2号線に接続されている。下流側にあるもっとも近い橋は市道西の宮野中線に架かる新西ノ宮橋だ。そう言われてみると橋らしきものが架かっていたと思い出せる読者もあるかも知れない。
右岸側から撮影。
この場所は市道西の宮線の起点にもなっている。
地元住民には申し訳ないが、見るからに貧相な橋だ。平たいコンクリート板で両岸を繋げて転落防止のガードレールを設置しただけだ。
この上流側には竹園橋、鎌田橋という道路橋があり、いずれも似たようにコンクリート床版とガードレールという簡単な構造をしている。それにしても新しさも感じられない。どうしてこの橋が新橋?という疑念を覚える。
橋の名前となる決定的証拠は右岸側下流のガードレールに設置されたプレートによる。
確かに「しんばし」という名称だ。
真締川の橋は結構それなりに注意して観察し写真を撮っていたのだが、この市道自体通ることが殆どないので名前が分からなかった。
橋カテゴリで記事を書き始めてからのこと、未だ分かっていなかったこの橋の名称が気にはなっていた。
接続されるメインの道は、車なら週に数回は通る。しかしこの橋を左側に見る方向で走るのは常に夕暮れ時で、車窓からプレートをチラ見するのは困難だった。つい最近、日が長くなって橋の入口前を通り過ぎる瞬間にプレートの文字を確認した。そのとき「しんばし」のように読み取れたのだが、あまりにも固有名詞らしくもない名称だったので読み間違いではないかと思っていた。
上流側を撮影。
元は同様のブロンズ銘板が取り付けられていたようだが、ボルト穴だけ残して失われてしまっていた。
(銅資源目当ての盗難かも知れない)
恐らくここに架橋年月を示すプレートが設置されていたのだろう。ボルト穴からは赤錆が流れ出ていたことから、外されて相当の年数が経っているようだ。
したがって竣工時期が分からないが、上流の竹園橋と構造的に似ているのでほぼ同年代と推測される。
(竹園橋の竣工年プレートも失われている)
上流側の左岸接続部。
真締川と漢字表記されている。これは近接する他の橋にも共通だ。
そして下流側左岸の銘板。
間違いなく新橋となっている。頭に何も冠せられないただの新橋だ。
このことから名前が「しんばし」で漢字表記が「新橋」と考える以外ない。
橋の下部構造。
コンクリートの一枚物構造で特に変わった形式ではない。
(この構造では大型車両は物理的にも安泰に通行できないだろう)
左岸からの全体像。
名前ほどに特徴はなく、特に名前が与えられていなくても不思議には思わない橋なのだった。
冒頭にも述べたように新橋と言えば、普通は基準となる元の橋があってそれに対する新名として与えられるのが普通であろう。この橋の元となる橋とは何だろうか…
考えられそうなのは、すぐ下流側にある旧西宮橋である。それよりは後に架けられたという意味で「新しい橋」を意味する呼称にしたように思える。この付近一帯が西の宮と呼ばれており、下流に西宮橋が架かっていたので同名を避けて新橋としたのだろう。新西宮橋としなかったのは、将来的に旧西宮橋が架け替えられるときのために意図的に避けたか、旧西宮橋より小規模であることに理由があるのだろうか…
昔からの地元住民は答を持っているだろう。他方、この場所に橋を架けることになった由来は調べるにもかなり困難ではなかろうか。
この橋からは若干離れるが、橋上から下流側の眺め。
灰色をした鋼管が真締川の上を横切っており、水道向けの水管橋と思われる。
(雑草の繁茂が酷く接近して名称を確認するには至らなかった)
同じく新橋とは殆ど無関係だがついでながら…
水管橋の近くにコンクリート構造物が鎮座している。
橋の上からズーム撮影している。
側面に型枠の痕が見えるので岩ではなくコンクリート塊らしい。ここに何があったのかは謎だ。
(昔の水管橋を保持していたときの支柱基礎跡?)
橋のほぼ真下では大振りな鯉が戯れていた。
満潮時には恐らくこの近辺まで潮が遡行すると思う。
上流から見た新橋全体の眺め。
橋の名前の由来に関する確定的な情報が得られ次第、追記しよう。
上流側に架かる橋に移動 | 下流側に架かる橋に移動 |
竹園橋 | 新西ノ宮橋 |