《 起点のT字路について 》
記事作成日:2015/6/18
本路線の起点は国道490号の西梶返三差路のすぐ南側にある。この場所は西梶返三差路から数十メートルしか離れておらず逆方向の三差路となっている。明確な名前は与えられていない。写真は参宮通りから本路線を左に見る形で撮影。
位置図を示す。
このT字路には本路線のみならず国道490号(参宮通り)を通行する車にも道路構造上の問題が影響を及ぼしている。以下の記述は一般的な物件ネタと言うよりはむしろ道路管理者や公安関連の方への実態報告と意見提供を意図している。
【 交通整理について 】
浜バイパスが西梶返三差路へ接続されたのは平成期に入ってからであり、それまではこの三差路だけだった。信号機がついたのはいつか分からない。西梶返三差路と近接しているために現在は2つの信号機が若干のタイムラグをもって連動している。即ち西梶返三差路の参宮通り側が赤になったとき、この場所の信号機は若干遅れて赤になる。青に変わるタイミングは西梶返三差路と同時なので、本路線の青時間は浜バイパスに比べて若干削られている。それでも浜バイパスに連動しているが故に参宮通りへ出る青時間は相応に確保されており、極端に待たされることはない。交通量が多いため深夜になっても点滅信号にはならず24時間同じ動作である。本件については何らの異議もなくこのままの動作で良いと思う。
(後の個人的関わりでも書いているようにこの信号動作は居住地の選定に影響している)
問題は参宮通り方向の車道および歩行者向け信号がしばしば遵守されない現状である。
特に神原交差点から参宮通りを直進する車は一つ先の西梶返三差路の信号機を注視していてこの場所の信号をろくに見ていない。本路線が青になったからと参宮通りへ出ようとしたとき遠慮も会釈もなく赤で突き抜ける車にしょっちゅう出会う。どのみち西梶返三差路の信号機で停まるのだからここはスルーして構わないという勝手ルールがドライバーの間で定着している。やや自虐的に言えば、私は参宮通りを走るドライバーにとってこの場所の信号機は「気づかなかったという言い訳をすれば赤信号でも通って良い特別な場所」と思っている。まあ有り体に言ってそれほど遵守されない信号機だ。
本路線の起点を横切る歩行者向け横断歩道もあまり守られていない。歩行者はそれほど急がないからか割と真面目に停まって待っているが、たった数メートルで先が見えていて車も来ないのに赤信号を律儀に待つ自転車乗りは半分程度である。「大勢によって破られている規則ならそのルール自体のあり方を疑うべき」という原則に基づくならば、果たしてこの場所の歩行者向け信号機は有用なのだろうか…という極論にすら到達し得る。現状、この歩行者向け信号機を一番よく見ているのは歩行者ではなく車道を走るドライバーであろう。歩行者信号機が赤になった数秒後に車道側が変わるので、信号機までの距離と走行速度から判断して加速し突っ切るか諦めて信号待ちするかのタイミングを参考にしているようだ。
実際、参宮通りで待機し左折して本路線へ入ろうとする場合、車道と歩道が同時に青になるために歩行者や自転車が渡りきるのを待つことになる。ほんの数秒とは言えその時間すら貴重なほどに参宮通りは交通量が多い。タイムラグを作って歩行者信号を先に青にして渡らせておけば左折車も少しはスムーズに行くのだが、そんな細かな交通整理を行っている信号機など市内の何処にも存在しない。
当サイトは現況の情報を与えるのみで交通ルールの啓発サイトではないから、目視して明らかに車が来ないのにこんな短い横断歩道の信号を待つのが嫌なら、自己責任で渡る横断者を非難はしない。ただ本路線の起点から参宮通りへ出ようとするドライバーの行いがちな運転作法について、赤でも渡ろうとする横断者に以下の情報を与えておこう:
本路線の起点付近は直線なので参宮通りへ出るとき遠くからでも信号の状態が分かる。一般にドライバーは急ぐから車を使うのであり、待つことを嫌って赤に変わりそうと見るや、狭い本路線をぶっ飛ばして参宮通りに飛び出る車が非常に多い。そういうドライバーは参宮通りに出る歩行者用の信号が点滅を始めると加速する。遅れて車道の信号が赤に変わるからである。即ち何とか青のうちに参宮通りへ出ることのみを考えていて、参宮通りの歩道を信号無視して渡ろうとする人や自転車などまったく見ていない。赤を待つのが嫌だからという歩行者がフラフラと横断したとき青の滑り込みセーフを狙うドライバーが飛び出してくれば、ブレーキをかけても絶対に間に合わずきれいさっぱり跳ね飛ばされるだろう。
赤信号だろうが横断歩道上で人を跳ねればほぼ100%自動車側の責任にはなるが、この場合は歩行者側の過失も問われるのは避けられない。何よりも慰謝料稼ぎの当たり屋であれば別として、衝突したとき厳しいダメージを負うのは鉄の兜を纏わない生身の歩行者ないしは自転車であることを忠告しておこう。
【 道路構造について 】
前項では参宮通り側の交通を主体に記述したが、本路線そのものの物理的構造による障害も起こり得る。そして遺憾ながら今後も容易には改善される目処が立たない。例えば本路線から参宮通りへ出ようとしたとき前方の信号に間に合わず次の青信号を待つことになったとしよう。[2012/4/29]
この場合、漫然と信号待ちするのではなく下の写真にあるように可能な限り左側のブロック塀に車を寄せて待機しなければならない。即ち停止することになると判明した時点で車を寄せておく必要がある。理由は明白だろう。[2009/11/6]
(実際に通行する人はご存じだろうがここで信号待ちする車が例外なく守ることを求められる暗黙ルールである)
結構あるのが初めてこの道を通って参宮通りへ出ようとするドライバーや元から注意力散漫で先を読む能力が欠如した一部の人々による漫然とした信号待ちの例である。
本路線の接続部は両側がブロック塀で道幅が狭いので、参宮通りに出ようとする車が充分に左側へ寄せていないと、参宮通りから本路線へ入ろうとする車が進攻できず立ち往生する。そうなると参宮通りを神原方面へ向かう直進車両まで巻き込みドン詰まりを誘発してしまう。[a1]
実際に信号待ちしているときの状況。
ブロック塀にはミラーを擦った痕がみられる。擦るまで無理して寄せることはないが、側溝蓋の上に左タイヤが乗る程度には寄らなければならない。
(減速し停車するまでに側溝蓋のカタカタ音で位置を確認する)
この場所は両側が蓋付きの自由勾配側溝になっている。横断用仕様でなければ本来、側溝蓋を踏み付けて走って良いようになってはいないが、そんなことを言っていられない程度の狭さなのである。
交通量が多い本路線なので、どうかすると夕刻時などは5〜6台並んで信号待ちすることなどザラにある。浜バイパスに準ずる信号サイクルなので概ね一度の青信号で参宮通りに出られるが、先述のような不注意なドライバーが変な位置で待っていると、入って来ようとする車と交錯して手間取り、最後尾で信号待ちしていた車が二度待ちを余儀なくされる場合もある。あるいは何処でも起こりがちだが、青になったのに気づかずスマホなど弄っていたせいなのか発進が遅れて後続車が割を食うこともあるようだ。
(こういう時には原因を作ったドライバーに非難の警笛が向けられがちである)
さすがに大型は通らないが[a2]沿線には車両や物資運搬を生業とする事業所が複数あるため中程度のトラックはかなり頻繁に通行する。
鉢合わせした場合、どこかコブ状に膨らんでいる場所を見つけて離合する以外にない。
日常的に通行する宅配トラックなどは参宮通りに出るときどれほどブロック塀側に寄せても離合できないことを知っているので、片側のブロック塀がなくなる手前で信号待ちしている。本路線に入ってくる車は民家の敷地へ入りこむ形で離合している。
(本ページの上から2枚目の写真に見えている)
物理的には両側がブロック塀となっている狭い区間でも普通車同士で離合可能である。しかし狭い道に不慣れだったり初心者ドライバーの場合は参宮通りから入ってきたものの車体を擦るのを恐れて停車してしまう事例があるようだ。これには信号待ちしている車が充分にブロック塀側へ寄りきっていないのも原因にあるが、車幅感覚を充分に体得できていないドライバーも結構多い。
(かと言って余裕綽々とばかりにスレスレを減速せず通過されるのも困る)
この場所の道路幅が拡がる可能性はほぼゼロである。浜バイパスは先の西梶返三差路から直進しいずれ則貞に至る道路計画があるため、本路線のみを改良することは考えがたいからだ。浜バイパスの延伸工事次第ではこの場所が改良される可能性はあるにしても、未だ用地買収すら出来ていない現状では私たちの目の色が黒いうちに実現しないかも知れない。当面は慎重さと先読み、相互扶助の精神で対処する以外ないだろう。
ちなみにどうしてもこの場所の通行を避けたい場合は、一つ北側にある海南市営住宅へ入る信号機付きのT字路から迂回する経路がある。もっとも本路線は殆どどの区間も狭いし、西梶返一帯は車が楽勝で通れるような道など存在しない。外部から訪れる営業車両にとっては泣かされるエリアとも言えるだろう。
【 個人的関わり 】
これほど狭く車で通りづらい道であるにも関わらず野山から市街地へ引っ越した折りにこの市道を利用する沿線にアジトを選定したのには、市街地で各店舗や金融機関に近いことと前項にも述べた国道へのアクセスのしやすさが一つの判断材料だった。即ち細い市道ながら国道へ出る場所に常時動作する(感応式ではない)信号機が設置されていて西梶返三差路の信号と連動していることによる。このため浜バイパスよりはずっと小規模な認定市道でありながら国道へ出るための青信号時間は浜バイパスに準ずる程度に確保されている。これは毎日のように車でこの道を出入りすることを考えれば殊の外重要である。もし感応式だったり青時間が極度に短かったりすると、車で何処へ行くにも毎回長い時間待たされることになる。車が主な移動手段の生活スタイルな人にとっては不便極まりない。[a3]
個人的には道の狭さは慣れているので順応し生活している。しかし見通しが悪く狭い道では横からの飛び出しは殆ど対処しきれない。更に近年自転車を利用する人が急増したため、歩行者と車を交えた三者が交錯し狭い道では相互に脅威を与えている。厳密には交通量調査を要するが、沿線に市営住宅が2地区存在するため仮に浜バイパスが則貞まで全通したとしてもバイパスから本路線の途中に到達する有効な枝道ができない限り交通量はそれほど下がらないだろう。
出典および編集追記:
a1. 浜バイパスを走って西梶返三差路を右折し走行レーンに入った車の半分近くが次のこの三差路で左折し本路線へ向かう。殆どのドライバーが周知しているので神原方面へ行きたい車は西梶返三差路で右折後かならず追い越し車線側で信号待ちしている。
(走行レーンに居ると何台もある左折車両の存在で直進が遅れるので)
a2. 本路線の走行は朝の学童登校時間帯において参宮通りからの進入が禁止されているのみで車両区分の通行制限はない。したがって極めて稀であるが大型ダンプやコンクリートミキサー車が入ってくることがある。この場合は完全に進入不可能となるので信号が変わり本路線からすべての車が参宮通りまで退出するまで起点付近で待機する事態になる。
a3. 例えば同じ参宮通りに面していても本路線より一つ北側にある海南市営住宅から出る枝道(認定市道ではない)は感応式でしかもなかなか青に変わらずウンザリするほど待たされる。人それぞれだが私なら車で出るのにこれが毎日ではとても耐えがたい。
(ドライバーには周知されているらしく参宮通りから入る車は多いが出てくる車が殆どない)
a1. 浜バイパスを走って西梶返三差路を右折し走行レーンに入った車の半分近くが次のこの三差路で左折し本路線へ向かう。殆どのドライバーが周知しているので神原方面へ行きたい車は西梶返三差路で右折後かならず追い越し車線側で信号待ちしている。
(走行レーンに居ると何台もある左折車両の存在で直進が遅れるので)
a2. 本路線の走行は朝の学童登校時間帯において参宮通りからの進入が禁止されているのみで車両区分の通行制限はない。したがって極めて稀であるが大型ダンプやコンクリートミキサー車が入ってくることがある。この場合は完全に進入不可能となるので信号が変わり本路線からすべての車が参宮通りまで退出するまで起点付近で待機する事態になる。
a3. 例えば同じ参宮通りに面していても本路線より一つ北側にある海南市営住宅から出る枝道(認定市道ではない)は感応式でしかもなかなか青に変わらずウンザリするほど待たされる。人それぞれだが私なら車で出るのにこれが毎日ではとても耐えがたい。
(ドライバーには周知されているらしく参宮通りから入る車は多いが出てくる車が殆どない)
《 グリーンベルトのペイントについて 》
記事作成日:2015/6/13
本路線は琴芝小学校への登下校路にもなっており、朝と午後の時間帯には学童がズラズラと歩いている姿を見かける。歩行者以外の通行量が格段に増えてからは学童に対して大変に危険な状況となっていた。[2012/4/29]
(写真はグリーンベルトが引かれる以前の状況)
本路線沿いに住んでいるので変化の状況は逐一把握していた。
看板が立ち、路側ラインの墨出しが終わったときの状況。[2013/8/19]
その翌日、墨出しに基づき白い路側帯がペイントされた直後の様子。[2013/8/20]
この翌日にグリーンベルト部分がペイントされている。[2013/8/26]
グリーンベルトは路側の余裕幅に応じて2〜4本ペイントされている。この記事を作成する現在はペイントから3年が経過して一部が既に薄くなっている。同様のグリーンベルトは市内の学童が登下校する市道にも施工されている。
なお、グリーンベルトは歩行者保護を目的とした視覚的標示であり、自転車にこの中を通るよう指示するものではない。[b1]本路線では起点から向かって左側にペイントされており、学童は下校時にグリーンベルトの中を左側通行で歩いている。ところが自転車通行帯と勘違いして終点側の遙か遠方からグリーンベルトの中を漫然と右側通行する自転車乗りが目立つが、一般には道交法違反である。狭い道と言えども自転車は原則的に車道を左側通行すべき乗り物である。起点側から自転車でアジトへ帰るとき、反対側から右側通行し頑としてグリーンベルトから出ず逆作法の離合をさせる自転車乗りに閉口させられている。[b2]
ただし国道接続部では車がブロック塀に接する形で信号待ちしているため、T字路付近でグリーンベルト内ないしは右側走行するのは「やむを得ない場合」に該当するだろう。
(この辺りの道交法解釈および運用は曖昧とも実態に即して弾力的とも言えるファジーな状況)
出典および編集追記:
b1.「うべ交通まちづくり」会合において宇部市交通課長に照会したときの回答である。
b2. 自転車同士が正対した場合はよほど距離的余裕がない場合などを除きかならず相手を自分の右側に見る形で離合することが求められている。
b1.「うべ交通まちづくり」会合において宇部市交通課長に照会したときの回答である。
b2. 自転車同士が正対した場合はよほど距離的余裕がない場合などを除きかならず相手を自分の右側に見る形で離合することが求められている。
《 宇部卓球 》
記事作成日:2015/8/7
本路線で起点をスタートして最初に道幅が狭くなる場所の左側は、アスファルトで舗装された広大な駐車場のようになっている。現在は本路線側は門扉で塞がれ立入禁止となっている。ここにはかつて宇部卓球という看板の出た建屋があった。広い駐車場のような仕様より卓球場だったのではないかと思われるが、詳細は知らない。訪れたことはないし遺憾ながら建物単独の写真も撮影していない。
2009年に浜バイパス側から撮った写真ではこの建物が写っているので、2010年頃解体撤去されたものと思われる。建屋の撤去完了後は参宮通り側と本路線側双方の出入り口は塞がれ立入禁止となっている。
現在の参宮通りにある西梶返三差路より更に東側へ延伸し則貞4丁目付近で国道190号に接続するバイパスが策定されている。そのルートはこの敷地にかかるため、ここに再び何かの建物が建つことはないと思われる。
【 記事公開後の変化 】
2016年10月下旬から敷地内で地盤調査が行われている。現地で測量なども始まっており、このとき作業員に尋ねたところ建物が建つ計画があるという回答が得られた。[c1]しかし敷地は明白に都市計画道路柳ヶ瀬丸河内線の道路敷にかかるため恒久的な建物が建つことはない。その後目立った動きはなく地盤調査のみだったとも思われる。(2017/1/15)《 渡内について 》
渡内(わたうち)とは現在の東琴芝1丁目および西梶返2丁目付近に存在していた小字である。写真は渡内橋の親柱である。(渡内川の暗渠化工事に伴い撤去され現存しない)
派生する小字として向渡内がある。向渡内は大字中宇部に属し、渡内は大字中宇部と沖宇部の両方に同じ小字が存在する。大字中宇部・向渡内、大字沖宇部・渡内、大字上宇部・東巳ノ内は1点で接している。現在の宇部市内の範囲でも同名の小字は確認されていない。[d1]
この記事を書く現在では渡内を今に伝えるものとして本路線の名称、準用河川の渡内川およびそこに架かる渡内橋が知られる。しかし渡内川は本年度に予定されている参宮通りの拡幅工事に伴い暗渠化され、渡内橋はいずれ撤去される。市道の路線名は一般には表に出ない情報なので、明示的に渡内を伝えるものは失われる運命にある。
渡内という地名の由来は「渡る津(海)」とされ、かつて外原と海南の間で舟渡しがあった場所と考えられている。[d2]実際、この近辺は居能から東へ続く入り海があったとされており、大海を舟で漕ぎ進むうち荒波を避けて内陸部へ漕ぎ着けていたようである。この辺りの話については梶返を参照されたい。
出典および編集追記:
d1. 工学部通りから市道沼風呂ヶ迫線へ入って右側、常盤台1丁目に渡内公園という表示柱の立った地元管理の小さな公園がある。この辺りの小字ではなく公園名の由来は不明である。
d2.「西梶返自治会だより」12号(昭和61年11月1日発行)の「梶返の小字」による。
d1. 工学部通りから市道沼風呂ヶ迫線へ入って右側、常盤台1丁目に渡内公園という表示柱の立った地元管理の小さな公園がある。この辺りの小字ではなく公園名の由来は不明である。
d2.「西梶返自治会だより」12号(昭和61年11月1日発行)の「梶返の小字」による。
《 塚穴川について 》
この記事は地名としての塚穴川について記述しています。 夫婦池より流れ出る河川としての塚穴川については こちら を参照してください。 |
塚穴川(つかあながわ)とは現在の東梶返1丁目付近に存在した小字もしくは小川の名である。塚穴川住宅として地名を明示する看板が知られる。
(2015年頃撤去されたようで現存しない)
「山口県地名明細書」では塚穴川は沖宇部村の石原小村に属する小名となっている。昭和の後期頃まで、現在の石原市営住宅のある入口付近に石の塚穴が数個存在していたことが知られている。塚穴川はそこにあった塚穴の前に流れていた小川に由来するという。[e1]現在は塚穴自体何処にあったかの痕跡も失われている。
ここに言う小川らしき痕跡については現在も候補の一つが観測される。
場所は本路線を起点から進み、上記の塚穴川住宅入口の看板を過ぎた先、道が狭くなる手前の左側である。
地図にも記載されない幅の狭い自然の溝状として遺っている。
これが昔の塚穴川という小字の由来になった部分かは分からないが、梶返南北道路を横切って下り坂となり、石原市営住宅入り口に向かうまでのもっとも低い地点を流れている。かつて入り海だった梶返の先端部に相当すると思われる。古くから人々の暮らしがあった地と考えられる。
出典および編集追記:
e1.「琴芝小学校 二十周年記念誌」p.2
e1.「琴芝小学校 二十周年記念誌」p.2