UBE読書のまちづくりネットワーク会議・第1回

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記事作成日:2019/5/3
最終編集日:2019/5/17
以下、2018年4月27日に市立図書館で開催されたUBE読書のまちづくりネットワーク会議の初回会合について時系列に記述する。

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開始時刻10分前までには現地へ到着していた。
会場は2階の講座室で案内板が出ていた。


図書館の2階は図書の借り出しのみを行っていた時期にはまるで縁が無い場所だった。前回は宇部新川駅駅前広場に関するワークショップでも訪れていた。現在は会議室を学生の学習室に充てているが、一般市民にはあまり縁の無いスペースである。

講座室の入口で受付を済ませて入室した。席は今回は何処に座るのも自由となっていた。既にいくつか作られていたグループの何処の席へ座ろうかと見回していたところ、SAKI-DORIクラブのMさんが手招きして第6グループへ加わるよう促された。少し遅れて局長が来る予定だと伝えられた。

局長は渡邊塾を構成する私を含めた3人メンバーの一人で、一昨年は宇部市制施行100周年市民委員会でも第2グループのリーダーを務めていた。このときMさんは第6グループだった。後述するように、当時の広報広聴課に居た市民委員会の委員長藤永氏は、これから始まるワークショップの開催場である図書館の館長となっている。
現に公職にある方なので実名表記している

ついでながら会場を見回したところ他グループでも知っている方数人を見つけられた。あちこちの会合へ出席することが増えると次第に市内も狭くなってくるというものである。

テーブルには白紙の名札ケースが置かれていて、名前を自著して名札として首から提げるようになっていた。


一つのグループは概ね7〜8人で、それぞれに市担当者がまとめ役として配置された。全部で6グループなので50人近い参加者が集まったことになる。
《 導入部 》
さて第一回目となる今回は、読書の現状について情報提供された。


進行役として挨拶する館長の藤永氏。
現状分析の後、グループ毎に意見を出して取りまとめ発表するという流れである。


概ね手元の資料に基づいて説明されたが、各自治体の取り組みやメディアが報道した内容をスライド化したものは著作権の問題もあるからか参加者向けの資料としては配布されなかった。スライドのうち手元の資料にないことを確認したものは、自分用の資料として一通りデジカメで採取している。

この中で基礎情報を取り込むのに好適な時期である学童の読書量の少なさや、一般社会人でも読書習慣が低下していること、読書は健康寿命を延ばす可能性のあるデータが提示された。[1] 個人的には統計内容やその手法に疑義を差し挟みつつも、そのことはワークショップで自分の意見として反映させようと思った。
《 ワークショップ 》
ワークショップものでは毎回のことだが、最初にルールが提示された。まずは多くの考え方を絞り出すことに主眼があるので、すべての意見を傾聴する、異なる考え方を否定しないなどである。その後で参加者各自の自己紹介がなされた。教育上の必要もあってか、学校の先生の参加者が目立った。

その後で実際に各グループで作業を開始した。手元に赤と黄色の付箋が配られ、それぞれに「読書のまちづくりを進めるにあたっての課題」と「読書のまちづくりを進めるために必要なこと」を書き出すこととなった。


単に提言を行うなら赤と黄色のどちらの付箋に書くべきか迷うだろう。ここでは赤は「できていない点・改善が必要な点」であり、黄色は「こうすれば良い・これが欲しい」といった提案を書き分けることとなった。
このときまでにそれぞれのグループに進行役として市職員が一名配属された。

アイデアを書いては付箋をテーブル全面に敷かれた紙に貼り付けていく。


類似する意見を統合したり、誰がどの提案を行ったかを分かりやすくするために付箋の端に名前を書いた。
これは私が思いつきで付箋に書いた内容である。


この他にも1つ2つ提言を書いたかも知れないが、まとめに入る前に書いて提出した付箋は撮影していない。
《 提出した意見 》
ここでは、一旦時系列を離れて記録している6つの意見について詳細を書いておく。

上記のように、赤と黄色の付箋に書き分けて提出したもののあまり意味を持たない。また、参加した時点で提示された情報と手持ちの情報のみで考えて意見しているので、既に実施済みだったり的を射ていないものがあるかも知れない。
【 図書館以外の場所にある書籍の情報共有化 】
市内の小中高の学校は大抵が独自の図書館を持っている。そこに収録されている蔵書と同じものがすべて市立図書館にあるとは考え難い。学校の図書館にあって市立図書館に置かれていない書籍があり、もしかすると他校の学童や一般人が読みたいと思っている書籍があるかも知れない。もしそれらがデータベース化されているなら、市立図書館と情報統合することで学校の図書を一般人が読めるようにできないだろうか。そのことで例えば「学童期に興味をもって読んだあの書籍をもう一度読みたい」という需要を掘り起こせるのではないだろうか。
【 紙媒体に限定しない読書 】
これは導入部で提示された情報を受けての意見である。

導入部では客観資料を根拠に、盛んに「本離れ」を問題視していた。しかしそもそも現代は情報を取得するのに紙媒体の書籍以外に多くの手段が存在する。電子書籍という存在があるし、ブログやホームページに掲載されたテキストを熟読するのも広義の読書である。それらを考慮せず紙媒体の書籍のみに限定して読書離れを論じるのは誤りと言えるのではないだろうか。

しばしば言われてきたのが漫画や絵本のような書籍は読書のうちに入らない、およそ読書とは活字を追うものであるといった甚だしい時代錯誤的な考えである。子どもならずとも漫画に惹かれるのは、ヴィジュアルな表現形式が分かりやすいからであり、それを否定して文字のみを追うことを読書に限定すべきではない。そもそも現代人は昔より遙かに多忙であり、挿し絵も写真もない長文は歓迎されないし、よほど興味ある内容でもない限り読まれない。(卑近なところでは今まさにこの長文を好んで読んでいらっしゃる方は殆どいないだろう…その認識の元で私は書いているのだが)「テキスト主体の書籍を熟読するという意味での読書」ではなく、各人が「欲しい情報を能動的に取り入れようとする態度」の如く定義を変えて考える必要があるのでは。

これはワークショップでの課題として求められている「できていない点の改善」や「こうすれば良いという提言」の外側の部分であり、主催側の前提条件を突き崩すものかも知れない。しかし方向性が異なる土台を容認しつつ意見しても不本意な提言しかなし得ないので、敢えて提示した次第である。
【 蓄積された情報の分類 】
前項よりも更に広い枠組みでの考え方である。

読書ではなく、欲しい情報群という概念で考えてそれらをカテゴリ別に分類し提供すれば現代人を読書へ呼び戻す大きな手がかりになるのではないだろうか。例えばすべての書籍に対して、収録されている情報のタグ付けを行ってタグを元に検索したとき適合度の高い順に提示されるようにすれば、欲しい情報が収録された書籍にたどり着きやすくなる。

このことは図書館の蔵書分類の問題のみならず、当サイトや一般的なデータ分類と共有化に対する取り組むべき課題でもある。
【 図書館の出入口整備 】
本件を含めて以下の3件は、現在の市立図書館が抱えているハード面の問題である。

市道真締川東通り線側からの入退出路が狭くて通りづらい。普通車では途中で離合が困難で、歩行者や自転車があれば尚更危険である。市立図書館の総括記事でも書いているように、この通路は図書館建設直後には存在せず、産業道路のみから出入りしていた。利用者が増えて出入りが多くなると危険で不便という指摘があって市道側の入退出路を追加建設している。

現状は縁石で歩行者通路を仕切っているが、歩行者と車の接触を防ぐというメリットよりも見かけの幅をわざわざ狭く使っているデメリットしかない。そもそも図書館への来訪者の殆どが車であり、次いで自転車であってここを歩いている人の姿を殆ど見かけない。幅員を拡げることが不可能なら、縁石を取り除いて全面を自動車と歩行者扱いにした方がかえって安全と思われる。少なくとも縁石の幅の分だけ幅員を狭く使っていることになる。

本館前の駐車場が停めづらい。特にコンクリート壁で弧状のカーブを造っている部分はデザイン的には秀逸だが、今ほど利用者が増えているなら、もし改修を行う予定があるなら構成を変更して更に多くの車を停められるようにした方が良い。
【 禁貸出図書の制限緩和 】
郷土資料室エリアにある禁貸出図書の制限を緩和して欲しい。真に重要で一冊しかない書籍は慎重に扱う必要があるのも確かだが、禁貸出のシールが背に貼られている書籍のうちには、一般の書架に同じ書籍が置かれているものもあり分類が粗雑になっている。なお、この意見は宇部市インターネット市民モニターで提出済み。[2]
【 郷土資料の統合 】
船木にある学びの森くすのきと市立図書館で資料が分散されてしまっていて閲覧に不便を感じる。特に島の旧郷土資料館を閉鎖したとき、郷土資料をすべて学びの森くすのきへ持って行ってしまったのは甚だしい改悪。宇部村相当の資料なのに何故閲覧需要が低い船木へ持っていく必要があったのか理解に苦しむ。車を運転できる利用者ならともかく、高齢者は郷土資料を閲覧するのにわざわざ船木までバスに乗らなければならない。数年前より改善すべきと訴えているのだがまるで対応される気配がない。この意見も宇部市インターネット市民モニターで2度に渡って苦情の形で申立をしている。[3]

先日、学びの森くすのきを視察してきた。隣接して郷土資料のコーナーがあって大変に充実しているのだが、版権の問題に神経を尖らせているのか全面的にエリア内での撮影が禁止されているのは如何なものだろうか。必要なデータは手元に置いておきたいのに、毎回調べごと如きでわざわざ足を運びたくない。前述のように、それでなくても元々市街部にあった資料を遠方の船木まで持って行かれて納得いかない思いを抱えているのである。

更に郷土資料コーナーがここまで充実していながら、一般貸し出し向け書架にある郷土書籍の殆どすべてが禁貸出扱いになっている。そこに置かれている多くの書籍は、市立図書館では普通に借り出せるものばかりである。先述の郷土資料の件とも合わせて、本来一つであった図書館を分散させたことの弊害が出ているように思う。
《 グループ毎の発表 》
再び時系列に戻り、各人が大きな紙に貼り付けた付箋を同種の意見ごとにまとめる作業を行った。グループ毎に代表者が概要を発表した。第6グループは私が発表を試みたが、貼られた付箋があまりにも多く全体をまとめて紹介しきれなかった。後のフォローを局長が行った。もっとも付箋で提出されたすべての意見は運営側で吸い上げられ、次回以降の資料として用いられるようである。

局長の意見として興味深いのが「僕は読書が大嫌いです」といった下りであった。これはワークショップの趣旨そのものの全否定というのではなく、読書と言えば活字を追うものであるといった古い概念を粉砕するためのアナウンスと解釈できる。それと言うのも冒頭で提示されたデータの殆どすべてが紙媒体の書籍において活字を追うことに傾倒し過ぎており、それを根拠に「現代人は本を読まない」とか「一番大切な子どもの時期にこの本離れは憂うべき」などという一足飛びな問題提起がされていたからである。先述の個人的意見でも挙げたように、昔よりはるかに多忙となってしまった現代人が「パッと見てすぐ分かる」種の情報に傾くのは当然であり、嫌だというものに活字を追えと押しつけたところで賛同されないのは当然である。

超長文が好きな私とて、サンデー宇部に提出しているコラムは写真主体で構成している。よほど限定された分野の専門書でもない限り、私自身も活字だけで構成された書籍を出版するなんて気がまったくしない。そんなもの一体誰が読むの?としか思わない。パッと見てすぐ分かるのは非常に重要なことであり、そのためにはテキストだけでなくイラストや漫画、写真、挿し絵、果ては音響など五感を巻き込んだ情報提供手段を考えるべきである。読書を論じるなら、今後はそういった取り組みは当然のものと認識することが必要である。

ただし、活字を追うという本来の意味での「読書離れ」については懸念は共有する。更に活字離れが進み、果ては長文読解能力や作文能力の欠如という問題が起きるだろう。しかしそれほど重大な問題とは思っていない。底上げが進むのは良いことだが、誰もが長文を理解し作成できる必要はないのである。一部の人がそれを容易に行うことができれば、限定的な能力を駆使する職業として成り立つ。このことは特に自分自身についてそう思うところである。
【 他グループの意見 】
大変に多くの意見が提出されていてすべてを把握しきれない。人と情報の集まる場としての図書館を考えるなら、例えばカフェテラスを併設して休憩がてら立ち寄れるような場が欲しいという意見があった。確か武雄市だったろうか、既に一部の自治体で同種の取り組みが実現している。人は「活字離れ」することはあっても「情報離れ」することは決してない。能動的に情報を取りに行く場としての図書館として、人の流れを呼び込むことは重要だと思う。

現在の図書館ができて30周年という下りに関して、島にあった図書館の歴史が紹介されていない点について指摘事項があった。若者世代では既に島に旧図書館があったこと自体まったく知られていないことであるが、節目の事業として何かを行うならそういった歴史面は伝えて行かなければならないだろう。

ハード面では図書館の出入りがしづらいという意見は他グループからも散見された。現在の図書館は耐震基準面についてはクリアしているようだが、30周年目にあたってハード面でも建物及び駐車場などを改修するかどうかは明らかではない。
出典および編集追記:

1. NHKスペシャル「健康寿命を延ばすヒント3(2018年10月13日放送)」

2.「平成28年度第4回 宇部市インターネット市民モニター アンケート集計結果 p.21

3.「平成30年度第2回 宇部市インターネット市民モニター アンケート集計結果 p.13,

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