宇部祭り

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記事作成日:2017/7/23
最終編集日:2020/10/29
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毎年11月上旬に開催される宇部市最大の祭りである。昔からは本祭という位置づけだったが、新川まつりが子ども向けの祭りとして賑やかになってからはほぼ同等の位置づけとなってきている。子どもの参加数から言えば現在では新川まつりの方が断然多い。

新川まつりでは歩行者天国となるのはシンボルロードなど市道部分に限定されるが、宇部まつりでは国道190号の常盤通り全体が歩行者天国となる。数日前から国道通行止めと迂回を促す看板が設置される。このため歩行者天国の時間帯は東海岸通りと産業道路がかなり混み合うことになる。
【 昭和後期の宇部まつり 】
この時代は現在の新川祭りが子ども向けとしての隆盛がなかったため、幼児や学童には「宇部で最大随一の祭り」という認識があった。歩行者天国は当時からあり、エムラの前の国道が子ども向けの落書き広場として解放されたことがある。石筆などを持ってアスファルト路面に落書きをすることができた。これは昭和50年以前だったと思う。

子どもにとっての愉しみは祭りで行われる出し物というよりは歩道に展開する出店だった。食品系ではわたがし、鯛焼き、リンゴ飴、焼き鳥、焼きとうもろこしなど今とあまり変化はない。いずれも歩きながら食べることができるのが特徴で、日頃食べられないようなものでも親に頼めば買ってくれたし、このときだけは歩きながら食べることも許されたと思う。おもちゃ類では人気キャラクタ(仮面ライダーとかウルトラマンなど)のお面やプラモデルがあった。参加型の出店では金魚すくい、風船釣り、それからおもちゃの当たるくじや輪投げゲームなどがあった。しかしくじに関しては出店で買ったことはなかった。これはくじに関しては既に駄菓子屋があり、そこでくじ体験できていたこと、出店のくじは買っても当たらないからと親に諭されていたことも要因にある。

参加型の出店では風船釣りをよくやった。水に浮かべた輪ゴム付きの風船を金具で巧く釣り上げるというものである。釣り上げるのに失敗してもかならず1個好きなものをもらうことができたので、釣り上げるという体験のみを味わえる実地販売とも言える。風船のサイズは直径10cmくらいで通常の風船より随分と小さい代わりにゴム厚があって丈夫である。。側面は帯状の模様がペイントされていて中には若干の水が入っていた。輪ゴムを手の甲に通して手の平で下向きに突くと上下にバウンドするというものである。突くときの感触と音が結構お気に入りで、その音から擬音化してこのおもちゃのことを「ポンコポンコ」と呼んでいた。正式名称を何というのかは分からない。
金魚すくいも実際にやったことはある。夜店ですくった金魚の殆どが長生きしないというのは今やかなりよく知られている。我が家でもいっときは玄関の下駄箱上に金魚鉢を置いていた時期があったが、長生きはしなかった。現在は宇部まつりに限らず金魚すくいの実演を見たことがない。動物虐待論が幅を利かせているのもさることながら、持って帰ってもすぐ死んでしまうとか飼うべき水槽がないことの他に、出店側も水槽や循環器具、酸素ボンベなど準備すべきものが多いからではないかと思われる。

多くの学童を持つ家庭がそうであったように、親と連れだって祭りに出かけるのは中学生に入るまでであった。花火大会とは異なり昼中なので中学生なら友達同士で祭りを観に行くことはできていたが、その記憶が殆どない。小学校高学年から中学生にかけての時期は子どもの絶対数が多いために祭り見物に出かける親も子どもも相当多く、あまりに多すぎる人出に辟易していたようである。また、祭りでは付きものな出店で買う商品に関する不信を持ち始めた時期でもあった。

出店で売られる商品が概して高めなのは祭りというイベント性によるもので、そのことは親も自分も理解していた。しかし粗悪な品が目立っていたのも確かで、どうしても欲しいと思って買ったプラモデルがいざ家に持ち帰ると全然まともに組み立てられず捨てる以外ないケースがあった。りんご飴に罪はないと思えど、売られている状態は丸いボール状の飴に見えて実際買ってみると飴がかかっているのは表面のちょびっとだけで、殆どが皮も剥かれない斑点も目立つ小さなリンゴの串刺し状態だったこと、そんなリンゴ飴に350円も払わされていい加減嫌になったこともあった。親は出店のお菓子やおもちゃはそういうものだから始めから買うなと忠告した。
【 南蛮音頭 】
歩行者天国となった常盤通りではかならず南蛮音頭が披露される。これは石炭の街発祥の宇部を代表する宇部祭りの根底を占めるものだからである。その歌詞には当時の石炭採掘の手法や役割分担などが現れている。郷土を代表するもっとも重要で知名度の高い踊りで、かつて小学校高学年の女子は秋口に開催される大運動会を前に体育の授業の一環として習得を求められた。したがって現在の一定年齢から上の女性は概ね踊れる人が多いが、男性は振り付けを知らない人の方が多いと思われる。南蛮音頭は現在も宇部祭りに限らず地区の盆踊りでもかならず歌われ踊られている。

平成期に入って祭りに対し「観るものから参加するもの」への変遷が現れ始めたとき、若手が参加し愉しめることも企図したニュー南蛮音頭なるものが構成された。発案者や発祥期は不明だがオリジナルの南蛮音頭とは歌詞を同一にしつつアップテンポにアレンジされている。
会社の地域貢献および参加活動の一環として、社内代表として参加したことがある。幹事会社のところへ数回踊りの練習に行っている。このときの概要は市道参宮通り線の派生記事としても記述している。
派生記事: 宮大路南児童公園
振り付けに難しい動きはなかったが現在はもう忘れてしまっている。今のところ常盤通りで踊り歩いたのはこの一度だけである。
【 平成期初期の宇部祭り 】
宇部祭りへの関わりを参加することと観覧することの双方いずれかと定義すれば、有り体に言って平成期に入って関わり始めたのはほんのここ数年前のことである。大学生時代および社会人になった当初は元から興味が向いていなかったのだが、会社勤めでいろいろな人から情報を得ること、自分自身の価値観や正義感もあって明白に遠ざけるようになっていた。一言で表現すれば祭りに魅力がないからに尽きるのだが、更にハッキリ言えば当時は郷土の祭りでありながら地元がちっとも潤わないイベント、特に中央部からやって来て中央の文化を押しつける地元無視の行事を強行してカネをかっ攫っていくも同然な祭りにすっかり嫌気が差していたと言えば足りるだろう。

恐らく市民の殆どには知られない舞台裏と思われるが、宇部祭りは一体誰が主導しているのだろう。現在は違うかも知れないが少なくとも私が情報を得た当時の祭りは複数のイベント会社によるプロポーザル方式だった。イベント会社は地元からも専門に行う中央からも含めて複数社が独自の企画書を提出する。その内容とコスト、そして見込まれそうな対費用効果を元に最終決定される。誰が最終判断を下すのかは分からないが、少なくともどういう企画が予定されていて市民はどれを望んでいるかなどの情報はいっさい公開されない。私が情報を得たときは、何とかして地元志向の祭りを復活させたくて地元のイベント会社が苦労して企画書を作成し提出した。しかし最終的には(殆ど毎度のことなのだが)東京都心のイベント業者で、内容は例によって著名なタレントや芸人を呼ぶというものだった。

一連の流れの真偽は確認が必要だが、事実として当時は事ある毎にテレビでもある程度露出のあるタレントが駆り出される祭りばかりで、少なくとも私の周辺ではそのことに対して明白な違和感を表明していた。確かにそれで興味のある市民が多く祭りへ足を運ぶだろうが、観るだけである。人が集まりさえすればそれが宇部祭りなのかという疑問を多くの市民が呈しているにもかかわらず、この傾向は一向に変化がなかった。かくしてもはや宇部祭りは中央のイベント運営会社に「乗っ取られた」も同然であり、私は参加しないどころか折に触れてこの件を批判してきた。祭りで潤うのはイベント運営会社、駆り出された芸能人、路傍に並ぶ出店…いずれも地元とはおよそ無縁な人々ばかりである。私たちは彼らの手の平の上で踊らされ、カネをふるい落とすよう促され続けていたに過ぎない。

幼少期は純粋に愉しんでいた出店も、大人になる頃には芳しくない話ばかりを耳にしてきた。例えば常盤通りの一等地に食品系の店を構えれば、誰がやってもかならず収益が上がる。法外に高くなければ殆どどんな値段でも飛ぶように売れてしまう。私はそういった場所を割り当ててもらうのに出店希望者全員に対して公平な手続きが取られているとはまったく思わなかったし、多くの人が(具体的な根拠なしに)同じことを指摘してきた。表沙汰にはならないコネクションやカネの流れがあるのは殆ど間違いない。誰かに具体的な被害が及ぶわけではないから慣行水利権の如く慣行出店権のような形で黙認されているのである。恐らくそうではないかと理解した時点で、祭りの出店でいっさいモノを買わないようになった。グレーなカネの流れに荷担したくないからであった。

祭りの出店に関してすべてが黒やグレーというわけではない。例えば新天町アーケード街に並ぶ出店はすべて市民ネットワークの登録団体である。出店に関する規約の遵守はもちろん、出店料も納付している。何処の団体が販売したかはすべて管理されているのでいい加減な商品を販売して問題を起こせばすぐ団体が特定される。何処の誰が売ったか分からず泣き寝入りなどということは起こり得ない。この辺り屋台一つ曳いて全国行脚し、単価もそれほど高くはない食品系や玩具系の出店では、少々問題があっても祭りのものだから…と我慢させられることになるだろう。すべての出店が同様の管理を受けるべきだが、実態はどうなっているか分からない。
【 近年の宇部祭り 】
市民参加型の祭りを志向する流れから、常盤通りが歩行者天国になることを利用した南蛮音頭やステージ開設など多彩なイベントが盛り込まれるようになった。しかし郷土とはおよそ無関係な芸能人やキャラクタを招聘するイベントも依然として含まれている。

かつては常盤通りにそのままステージが開設されていたが、道路開放時の搬入・撤収が大変なこともあって近年は常盤通りは練り歩くための場となり、各種イベントは常盤通りほど影響が大きくない平和通りや県道宇部港線の一部区間で行われるようになった。

2020年は covid19 感染拡大防止が宇部祭りに限らずすべてのイベント開催における絶対厳守事項であり、この観点から大勢の人が揉み合うこととなる常盤通りでの開催は行われないこととなった。そして遺憾ながら covid19 の脅威が完全になくならない(それは決して起こり得ないと予想する)限り、常盤通りで祭りに繰り出す人々が大勢賑わう光景を見られることは二度とないだろう。

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