市道参宮通り線・横話

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以下に述べる内容は、元記事の「市道参宮通り線」から呼び出される。元記事にそのまま埋め込むと冗長になるので、相乗せ記事として本編にまとめている。
宮大路南児童公園
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富朝
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《 日切地蔵尊 》
市道参宮通り線に面して下り線側に、市内でも一部の方がご存じで手を合わせに向かう地蔵尊が存在する。


元から「新しい地蔵様」なんてものは存在しない。いずれも相応の歴史を刻んでいるものである。私がまだ常盤町に住んでいた頃からあったし、恐らく親に連れられて訪れた筈だ。さもなければ現在なお目に留まっていなかったに違いない。


市道に面した扉のある出入口。
しかし私はここからは出たことしかない。横から入る場所に手水があるからだ。


横からの入口。確認はしなかったが、赤い鳥居の向こうに手水があるはずだ。


ここまで近づき撮影したが、今回も先へは行かなかった。
私にとって日切地蔵尊は気軽に訪れるべき場所ではないからだ。


元々、日切地蔵は「日にちを限って」(つまり同じ日に)祈願することで願いが叶うとされる地蔵である。[1]
しかし当時の私はそこまで知識がなく、この場所へ連れて行った母自身も日切の正確な意味を知らなかった。街の中に取り残された「手を合わせ拝むオアシス」のような位置づけだったらしい。そして私は私で、自分なりに「苦難や煩悩を断ち切る場所」と解釈していた。日切の「切」から何かを断ち切るという連想が働いたのだ。

そういう背景があって、母に連れられたのは別として自分の考えあって日切地蔵を訪れたのは今までに2回しかない。それぞれ正確にいつかは日記帳を調べなければ分からないが、いずれも行き場を失って何かに縋る以外為す術もないと感じたときだった。
最近、母に日切地蔵の件を尋ねて、暫く拝みに行っていたと聞くことができた。兄貴が原因不明の湿疹に悩まされ、医者にかかったものの原因がよく分からず成長するのを待つしかないと言われたのが契機だったらしい。
今ならもしかすると何が原因で、どうすれば治癒するか判明している症状なのかも知れない。しかしそこまで医学が進歩しておらず一般庶民にも知識として普及していなかった当時は「祈るしかなかった」のだ。

現在は医学によりすべてが解決されている…と考えるのは人間の驕りだ。人の力ではどうにもならない事象はいくらでも起きるし、それに対する心因反応は複雑多様で、一般の病理の如くパターン分類し解決できる問題ではない。むしろ目に見えない「身体を蝕むもの」の存在に気付き、対処すべきことに気付かなければ、誰でも必ず窮地に追い込まれる。
私が日切地蔵を3度目に訪れる日がくるとしたら、それはどのような要因によるものだろうか…と思う。もっとも過去に2度ほど足を運ぶことになった当時の悩みとて今からすれば些末で、むしろ現在の方が遙かに「この世に在り続けることの苦難」を否定できない実感がある。

ここまで書くと如何にも日切地蔵尊がおどろおどろしく重い場所に誤解されそうなので書き添えるが、一般には荘厳な気持ちになれる場所だと思う。「荘厳」という感情がどういうものかを知るには、言葉で説明するよりも日切地蔵尊を訪ねれば分かる。
訪ねてみたものの、どうすれば良いかよく分からなければ、他の人たちがどのようになさっているか眺め、同じように振る舞えばいい。日切地蔵尊を訪れる人は決して少なくはない。もしかしてその動作は、気がつけばあなたの日常生活からすっかり抜け落ち、忘れられかけた所作だったことを気づかせてくれるかも知れないだろう。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 日限地蔵
《 参宮通り線の逆走 》
市道参宮通り線は広い中央分離帯によって上下線が離れており、場所と状況によっては反対車線を逆走するケースが起こり得る。


直進の場合はあまり起きない。国道490号から松山町一交差点を経て直進する場合は同等の道なので完全に直線となる。市道参宮通り線の終点から直進する場合はイレギュラーな直進になるが、交差点の手前に誘導経路がペイントされている。一番ありがちなのは、東海岸通り線を右折して松山町一丁目交差点に向かう場合だ。中央分離帯の奥に回り込まなければならないのだが、手前を回って反対車線へ侵入してしまう…というミスが起こり得る。そして実際、その失敗をやらかしたドライバーを少なくとも一名、知っている。

中学生時代、親父に連れられて夜釣りについて行くことが何度かあった。たしかソーダ通り近くの海岸だったと思う。何を採りに行ったのかは覚えていないが、引き上げて帰るのはしばしば零時を過ぎた。
午前3時頃あるいは早朝だったかも知れない

現地の分かりやすい写真を撮っていなかったので、2年前に撮影した東海岸通り線と参宮通り線の交差点の写真で説明しよう。左右に横切るのが参宮通り線だ。


上の写真で親父は東海岸通り線を向こう側から走ってきていた。右折して参宮通り線に入り、松山町一丁目交差点に出る腹づもりだった。
およそ想像つくと思うが、この交差点の右折で知らずに近回りしてしまい反対車線に入り込んだのである。
いや…入り込んだだけではない。そのまま全く気づくことなく反対車線を走り続け、何と松山町一丁目交差点の手前まで到達してしまった。そこで信号を見て国道を横切ろうとしたのだが、目の前に信号機がない。信号は何と反対車線にあった。そのことで親父は初めて気づいたのだ。東海岸通り線を右折しここまで参宮通り線を逆走していたことを。

普通ならあり得ないことだが、夜釣りで零時を過ぎていて周囲はまったく車通りがなかった。また、途中でいくつか出会う交差点も当時は恐らくまだ信号機が付いていなかった。今なら夜中でも反対から走ってくる車のライトですぐ逆走に気づくだろう。逆走に気づいた親父はその場でUターンし近くの交差点で正規の車線に戻った。時間帯が真夜中だっただけに、すれ違った車は一台もなかった。
もしかしたら当時のことを日記帳に書いているかも…

今だから笑い話になるのだが、東海岸通り線から参宮通り線に右折するとき、反対車線への侵入禁止を警告する標識は出ていない。同じルートを午前2〜3時頃走れば本当に逆走してしまう不慣れなドライバーが現れるかも知れない。
【 記事公開後の変化 】
港町方面から車で走行したとき逆走が生じかねない状況は現在も変わっていない。直進の行き先が分かるように交差点内部に誘導ラインが引かれるのだが、東海岸通りの往来が激しく車のタイヤがラインを踏み付けていくためすぐかき消されてしまうようである。
本路線の逆走しかねない場所への侵入禁止標識は現在も設置されていない。港町庁舎からの直進もだが、東海岸通りを明治町方面から進んできてこの十字路で右折するときが最も反対車線へ侵入してしまう危険が高いという指摘がある。[1] 本路線は東海岸通りへ出て左折する交通量が多く、殆どのサイクルで信号待ち車両があるため錯誤は起きづらいと思われるが、一台も車が信号待ちしていない夜間などは逆走リスクが高い。(2017/3/16)
出典および編集追記:

1.「FBページ|2017/3/10の投稿(要ログイン)
《 宇部市港町庁舎 》
現地撮影日:2012/11/15
記事公開日:2012/11/18
市道参宮通り線および市道東沖線の終点にあたる角地は宇部市港町庁舎のオフィスになっている。


港町庁舎は市のホームページで案内されている。[1]

入口は市道参宮通り線側と市道東沖線の両方に一つずつある。
参宮通り線側に建物の名称を示す標示が出ている。


この方面に来ることが滅多にないので、港町庁舎がいつ建てられたか把握していない。まだ中へ入ったこともなく、確か教育委員会などの関連部署が市役所本庁から分離しここへ移されたと記憶している。
平成期に入ってからなのは確かなようだ。

正面玄関を撮影。
海抜サインが最近貼られたようだ。


海抜3.5mを示している。
場所としては、海抜サインの貼られている建物では海に最も近いと思われるが、既に確認されている海抜サインのうちの最低数値ではない。


市役所の中でも一般市民が頻繁に訪れる課とそうでないものがある。教育委員会は一般市民がそれほど用事のある部署でもないので、新たな部署と入れ替えにここへ移転したのではないかと想像される。
市民との窓口が殆ど必要ない例えば河川道路や公園の工務などは以前から市役所本庁とは別の場所に管理所、資材保管庫などを設ける形で分化している。
出典および編集追記:

1.「宇部市|港町庁舎

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