小字絵図

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項目記述日:2019/5/23
最終編集日:2021/3/8
一般に小字絵図とは、ある特定の領域(村単位であることが多い)に属する小字を地図上に記載した資料で、小字図ないしは小字地図とも呼ばれる。字表記は一部の地域を除いて全国的なものなので、各地域ごとに存在する。

以下では、宇部市内に存在する(あるいはかつて存在した)小字名を地図形式にまとめた市有の郷土資料を小字絵図(こあざえず)として記述する。小字については該当項目を参照されたい。
《 概要 》
小字絵図とは最初期の宇部市領域ないしは旧村に関する小字名を記載した郷土資料で、この総括記事を作成する現時点では船木の学びの森くすのきの郷土資料室に保管されている。所定の手続きをすれば誰でも閲覧できる。別途申請することでコピーを取ったりカメラで現物を接写したりもできる。これらの手続きについては後述する。

殆どの小字絵図はA0サイズの一枚紙で、原典を複写または青焼きしたものが閲覧可能な資料として供されている。宇部市内すべてを網羅しているわけではなく、平成の合併以降の地域にあたる楠町相当のエリア(船木万倉吉部地区)については目録に収録されていない。また、小字絵図の多くが耕地字、山地字を収録していないので、現在は字表記を持つ山間部でも小字絵図に記載がないことがある。
《 種別 》
小字絵図は市の保有する郷土資料の一部であり、すべての郷土資料一覧を収録した目録に記載されている。この目録は後述する閲覧申請を行う際に提示される。


目録によれば小字絵図は p143〜144 の資料番号29〜37に対応する。写真は目録のp143の接写。


資料番号と資料の対応は以下の通り。閲覧申請を行うときこの番号と資料名の記載が必要である。
番号資料名
二九東岐波地区小字図
三〇西岐波地区小字図
三一旧宇部地区小字図
三二藤曲地区小字図
三三厚南地区小字図
三四厚東地区小字図
三五二俣瀬地区小字図
三六小野地区小字図(一)
三七小野地区小字図(二)
このように目録では「小字図」と表記されている。
目録は楠町合併以前に作成されたものであるため、船木地区は目録に収録されていない。楠町時代に独自に作成された小字絵図が存在すると思われるが、未だ調査していない。

小字絵図ではないが、この他に「二六 宇部市街図」は現在の市街部の古い町名や一部の字名が記載されており、当サイトでは字名に合わせて現存しない町名も字名に準じた扱いをしていることから、小字絵図と同等の資料と認識している。宇部市新地図は宇部市立図書館より購入可能だが、郷土資料館に収納されているものとは版が異なっている。

いずれの資料もA4用紙を封入できる茶封筒に折り畳んで保存されている。


次に宇部市エリア相当の各地区の小字絵図について概説する。なお、すべての小字絵図は学びの森くすのき所管であり版権の問題があるため、以下の絵図の写真は各小字絵図の概略が分かるサイズで掲載している。
【 東岐波地区 】
東岐波村の中心部を限定的に描いた絵図と、東岐波・西岐波を合わせて記載した絵図が存在する。いずれも国土地理院地図に上書きした状態で作成されている。

東岐波の中心部を描いた絵図では、日の山から磯地にかけてはよく収録されているが、奥王子村や西蓮寺などはまったく記載されていない。


岐波村相当を描いたものは東の端の論瀬まで記載されている。後述する西岐波地区では白紙記載なので、西岐波地区を調べるなら東岐波地区のこの絵図を参照する方が分かりやすい。
【 西岐波地区 】
西岐波村相当地区が描かれている。ただし白紙に主要な道路と河川のみ記載し、字境界は概略の線のみなので字の大まかな位置関係しか分からない。


作成年代は地図上載せのものより前と思われる。
【 旧宇部地区 】
旧宇部地区は宇部村から宇部市に昇格する時点で構成されていた5つの村(沖宇部・中宇部・上宇部・川上・小串)が対象区域で、時期の異なる絵図が3種存在する。初期に制作されたと思われる2種は白紙に大まかな字領域と名称を記入しただけの簡素なもので、山間部などでは領域を書かず字名のみを記載している。


後年制作された絵図では、国土地理院が発行した地図を台本としてその上に字領域と名称が重ね書きされている。大字の境界は太線で描かれ、旧村名がそのまま大字名となっている。市街部は住居表示で町名に変わっていてその区域の字名や字境界は分からない。現在の産業道路よりも南側は神原町や琴芝町と記載されているため、第4次住居表示の施行された昭和42年10月26日以降の制作と推察される。[a1]

大字川上の北側、現在の高嶺付近は記載がない。初期制作の2種には白紙に記載されているだけのため、正確な字領域は分からない。記載のない部分は山地字などになっていると思われるが、この部分の正確な小字絵図を再構成するなら農林事務所などを通して耕地字・山地字の調査が必要である。
【 藤曲地区 】
旧藤山村の合併前の藤曲村相当における小字図。青焼き版白紙に境界と小字記載のみ。旧宇部地区の小字絵図に重複する部分が多い。


沖ノ旦村相当のエリアのみ作成された小字図もあるが、後述する厚南地区に境界を含めた小字絵図がある。
【 厚南地区 】
旧宇部地区と同様で、白紙に手書きと小字境界のみ記したものが2部と地理院地図に重ね書きした1部がある。一部に旧宇部地区には記載がない藤山村の沖ノ旦や中山の小字が記載されている。


厚南地区の小字絵図の特徴として、初期の版では小字に振り仮名が記載されている。特に読み誤りやすい小字に振り仮名が目立ち、読みを含めて正しく伝えることを意識して制作されている。字笛田は厚南村エリアの異なる場所に2つ存在し、それぞれ「ふえた」「ふえでん」と平かな表記されている。[a2]現在の宇部駅エリアは字船庭であったが、読みが不定であったらしく振り仮名は「ふなには」「ふなば」のどちらにも読み取れるような書き方がなされている。宇部村北部と同様、西ヶ丘や多賀丘など後年開拓され人が住むようになったエリアには表記がない。
【 厚東地区 】
厚東地区の小字絵図は白紙に手書きしたもののみであり、青焼きと黒字の2通りが存在する。黒字のものには等高線が薄く写っているが、地理院地図ほど鮮明ではない。太字で書かれた漢字のコピーで読みづらくなっている部分がある。


【 二俣瀬地区 】
厚東地区と同様だが、特に善和地区を記述したものには耕地字図と明記されていて制作年と作成者の姓が欄外に記載されている。


表題にあるように、絵図には耕地字も含めて記載されている。
【 小野地区 】
白紙に手書きしたもののみ。市小野を中心とするエリアに No.1、櫟原・如意寺を含むエリアにNo.2の絵図があり、これとは別に棯小野と藤河内の絵図が一部ずつ存在する。


同じ地区で年代を変えて構成した2種の小字絵図があり、いずれも小字ごとの区画のみか主要な道と河川のみを書いたもので、地理院地図上乗せのものはない。このため現在のどの辺りに相当するのか解析が困難である。保管されている絵図自体複写を重ねたものらしく、文字が不鮮明な部分がかなりある。

なお、合併後に相当する船木・万倉・吉部地区の小字絵図は郷土資料目録にも掲載がなく存在するかどうか調査されていない。これらの地区の字名解析は字表記のある看板類や郷土マップなどの記述、明治初期の地名を収録した地名明細書に依存している。
出典および編集追記:

a1.「宇部市|第4次住居表示

a2. ただし書籍では例えば笛田池は「ふいでん」の読みで記載されている。中野地区在住者も同じ読みを与えていた。
《 申請手続き 》
小字絵図は職員のみが出入り可能な郷土資料室に保管されているため、閲覧するには申請手続きが必要である。所定の手続きを経て担当職員が該当する資料を出してきてくれる。なお、小字絵図をコピーしたり手持ちのカメラで撮影したい場合は、別途申請書の提出が必要である。(後述する)
【 閲覧の申請 】
カウンターで郷土資料を閲覧したいと申し出るのが良い。窓口対応しているのは一般図書の手続きに対応する担当なので、いきなり「小字絵図を閲覧したい」と言うよりも郷土資料の閲覧をしたいと伝える方が早い。殆どの場合は担当職員が代わって応対する。このとき郷土資料室に保管されている資料一覧を製本した目録と申請書を渡される。


この中から閲覧したい小字絵図の収録番号と資料名を探して書く。小字絵図に関しては144〜145ページに記載されている。
住所氏名記載のほか、目的を詳しく記載するよう書かれているが、郷土史研究程度で良い。


前述のように市内の小字絵図は地区ごとに多数あるので、丁寧に閲覧するなら一度のみの訪問ではまず済まない。日を改めて閲覧に訪れたたびに目録から該当する小字絵図の番号などを調べて記入するのは煩雑なので、先述のように資料番号と資料名を控えておけば目録の閲覧を省略できる。目録はまなびの森くすのきの備品としての扱いなので各ページの撮影は申請なしに可能である。申請書類も用紙をもらっておけば、次回の訪問前に一連の用紙に記入してカウンターで提出するだけで済む。

目録を返却すると共に申請書を提出する。不備がなければ担当職員が資料室に保管されている小字絵図の入った茶封筒を出してくれる。小字絵図は大判の用紙なので、一般閲覧室の利用者が多い場合は別室での閲覧が許可されることもある。


来訪者が少なければ一般閲覧室のテーブルで閲覧可能。閲覧後は小字絵図を元通りに畳んで茶封筒に入れてカウンターに常駐する担当者へ手渡しして返却する。
【 複写の申請 】
小字絵図を閲覧するだけでなくカメラで撮影したい場合は、別途申請書の提出が必要である。閲覧する都度申請書を提出しなければならず煩雑であり手元にデータを持っておくために撮影することが殆どと思われるので、デジカメで撮影する場合は最初から同種の申請書を2部作成し提出する。


一連の申請書はまだカメラ撮影にフィルムと現像を要していた時期に作成されたものを流用しているため、申請書にあるフィルムの撮影可能枚数や本数の記載は殆ど意味をもたない。
出典および編集追記:

b1.「FBタイムライン|古い地名に関する基礎データマップの作成
《 小字絵図にみられる誤記 》
小字は地名の原始的形態であり、永らく使われているうちに表記や読みが揺らぐ現象が知られている。たとえ歴史的にみて誤って伝わってしまったものであろうが、後年それが定着し現に使われていたならば「正しい地名」である。しかしその影響を割り引いたとしても、複数の小字絵図や郷土書籍、その他の資料で同一の字名が記載されていながら、それとは異なる表記がなされている場合がある。そのような唯一の異なる表記がされたものは誤記とみなしている。

誤記が起きるのは、小字絵図を制作する際に参照元となった資料の文字を読み誤ったり別の漢字を記載してしまうことによる。殊に初期の資料は恐らく筆書きであったため、漢字の細かな部分を見誤って別の字を書いてしまう場合がある。この現象は小字絵図のみならず広く知られている大正期制作の宇部市新地図などにもみられる。
字領域に相当する中へ字名を書くのであるが、縦長の領域では上から下に書かれる。横長では(小字絵図のすべてが戦後の作成と考えられているから)左から右である。しかし領域が斜めになっている場合は作成者も苦労したのか、右から左に書かれた字名が混在している。そういった小字絵図を参照して作成されたからか、郷土書籍に折り込まれた地図でも字名が逆に書かれているものもある。

字体がまるっきり変わってしまい、別の漢字に置き換えられた挙げ句にそのまま後年継承されている小字も見受けられる。(上宇部村の「土毛」に対する「上毛」)制作者自身が字名の正しい情報を持ち合わせず、伏せ字にしているところを後年別の編纂者が異なる漢字を書き込んでしまっている例もある。誤記の事例は宇部村相当の地図重ね描き版に集中している。大字沖宇部の字苧漕場は、手描き2版の小字絵図では「草漕場」、重ね描き地図版では「■槽場」(■は草冠に宗)と書かれてしまっている。
《 小字絵図の版権 》
一部の例外[b1]を除いて、小字絵図の制作時期および制作者は不明である。現在は学びの森くすのきに郷土資料として保管されており、市教育委員会が所管している。閲覧に関しては所定の様式に沿った申請書の提出が必要であるため、版権は市教育委員会が持っているかも知れない。このため街歩き関連のパンフレットに画像データとして印刷し参加者向けに配布するとき問題になる。実際にはこの程度は他の郷土資料でも無申請使用は頻繁に行われているようだが、例えばこれらのデータを地名関連の書籍で参照し有償販売する行為について可能かどうかといった問題がある。

本件について未だ厳密な調査は行っていない。周囲のメンバーに尋ねたところ、少なくともホームページやパンフレットなど無償で一般にデータ提供する分には問題ないのではないかといった意見が大勢だった。厳格に扱うなら著作権侵害にはなるが、差し止め措置を経て当該データを取り下げて郷土資料室へ出向く形でのみ閲覧可能にするというのは時代に逆行しており、一般の利益に馴染まないという考え方である。すべての資料は「後年の人々により参照され、活用されてなんぼのもの」であり、誰も閲覧するあてがない書庫へ押し込んだままにするのが最適とはとても思えないからである。個人による制作を仮定した場合、資料の古さから既に著作権期間を過ぎている可能性を指摘する向きもあった。
【 当サイトでの当面の対応 】
厳密には著作権侵害となることを理解した上で、小字絵図のうち説明上必要と思われる部分を切り出した画像データとして掲載している。同等のものを古びた青焼き紙に記載し撮影可能であるから、恣意的なデータを捏造可能であり客観資料とは言えない。しかしおよそそこまでする利益は何もなく、掲載すれば客観資料に準じた裏付け資料として受けいれられると考える。そのメリットは、何の資料も提示されないより遙かに大きいからである。

なお、当サイトの殆どの記事が誰でも制限なく閲覧可能であるために慎重を期している。FBのタイムラインやページのように公開範囲を特定メンバーに限定できる場へこれらのデータを提示することは以前からまったく普通に行われている。
出典および編集追記:

b1. 善和区の小字絵図は枠外に昭和41年および制作者と思われる山縣の記載がみられる。
《 個人的関わり 》
小字絵図の存在を知り、資料として活用することで得られた成果は非常に大きい。長文に渡るため展開形式で記述する。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

《 今後の計画 》
以前より小字絵図は郷土のいかなる分野においても一定時期より前の年代について調べるにあたって必須な資料であり、確定的なものを作成して基礎資料とする必要性を訴えてきた。郷土資料館に収納されている小字絵図にはいくつかの明白が誤記が知られ、書籍に折り込まれた小字図でも一部に漢字表記の誤記がみられる。これらは今ほど情報共有の進んでいない時代の作成であり、当然のことながら誤記が批判される以上に資料そのものが作成され存在していた意義の方がはるかに大きい。

現在は情報共有化が進み、土地のことを深く知らなくとも関連資料を精査することでより正確性を期した情報を提供できる。そこで紙媒体の小字絵図から地理院地図へ重ね書きする形でデジタル化し、必要に応じて印刷することもできるフォーマットでの整備が計画されている。

テキストの形で提供することは、五十音順の地名一覧を作成することでデータベース化が既に始まっている。並行して必要なのは、小字絵図のように情報を視覚的に提供する手段である。小字名の漢字表記と読みの他に「それが何処にあるか」「どの領域を指すのか」といった地理的情報が必須なので、地図へ重ね書きして提供するのが最適である。しかしながら台地図をどう選定するかは始めに決めておくべき重要な問題で、著作権問題をクリアできることとデジタル処理可能である2つの条件が必要だった。
【 2019年の状況 】
2019年の4月、渡邊塾の局長が地理院地図の宇部市エリア相当について台地図となる基礎画像を作成完了したという報告があった。地理院地図は出典を明記すれば誰でも利用可能であるが、記載された河川や道路、現行の町名が読み取れる状態で印刷するにはある程度拡大が必要である。そうすると一定エリアしか印刷できない。可読な縮尺表示状態の画像を接ぎ合わせて一つのデータにすることで作成されている。
この台地図から各校区や大字相当の領域を切り出すことは容易であり、校区ごとの郷土マップや大字単位で小字絵図を作成することに貢献しそうである。

同年7月上旬、局長により台地図の南部エリアの印刷が発注された。台地図の実サイズは印刷すれば縦横数メートルにも及ぶものなので、最も閲覧需要が高い市街部を含む南部を発注している。台地図の上に字境界と字名を書き込みやすいように35%の色彩変調をかけている。

今後の流れとしては、手元にある小字絵図のデジカメ撮影データを参照しつつ台地図に字境界と字名を書き込み、順次それらのパスを取ってデジタルデータとして保持する。大字エリアのみ、小字境界と字名を含めての印刷ができるようにそれぞれのデータは選択可能なレイヤーの形で作成する。

当面は渡邊塾においての基礎資料の一つとして活用する。最終的にはリリースを予定しているが、このためには参照元となった小字絵図の利用に対する版権をクリアすべき問題がある。
【 最近の状況 】
局長の印刷した地理院地図データから大字中宇部エリア相当をコピーし、実際に大字境界と字境界を落とし込む作業を試みた。大字境界はほぼ描けたが、小字は拡大コピーしなければ書き込めないほど多数存在することから断念した。

その後地理院地図サイトの重ね描きデータについてヘルプを熟読し、セキュアなサイトから Javascript を実行できないのが重ね描きデータをHTMLファイルとして保持できない原因であることが判明した。ただし外部データとして保持することは可能で、当該データを地理院地図サイトへドラッグ&ドロップすることで再現できることが分かった。こうして作成された地図から必要な部分のみPNG形式の画像で出力することも可能なことが分かり、小字絵図のデジタル化の道筋がついた。

これを受けて3月入り前からまず大字中宇部エリアのデジタル化を遂行した。これは同月に行われる小羽山ものしり博士づくり計画においての基礎データが必要と考え先行的に作成したものである。版権など諸々の問題がクリアできれば、年内を目処に一枚物のマップないしは携行可能な小冊子を作成し販売したいと考えている。(→お知らせの履歴|重ね描き地図を鋭意作成中…

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