お知らせの履歴・2021年

(「お知らせの履歴・2022年」の続き)

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車+徒歩スタイルの撮影が多くなる季節です。
宇部マニさんというといつでも自転車を乗り回しているイメージでしょうけど、遠方へ行ったり荷物を積んだりのときは当然車で移動します。今どきの季節は日没が早く、現地への移動時間を最短にしたいため車を使うことが多くなりました。

市街部では車を停める場所探しが一苦労です。しかし郊外になると車を停めて邪魔にならない場所を見つけるのは容易なので、現地近くまで行って最小装備で撮影にかかります。即ちカメラと替えのバッテリーのみです。この週末には最近訪れていないある地区で移動しながら撮影しました。写真は国道から撮影したある古めかしいコンクリート橋です。


ある道の端に駐車して撮影しながら歩き、適当なところまで歩いてそこで同様に車を停められる場所を探します。それから車に戻りながら撮影し、見つけたその場所へ車を移動して更に先を歩く…といった塩梅です。1〜2時間程度の撮影のときこの方法を採ります。半日以上かけて広域を探索したいときは、車に自転車を積んで運んで現地で取り卸すハイブリッド方式が向いています。ただし今の時期は日没が早いので殆ど行っていません。

車+徒歩は気軽なスタイルですが、かなり歩き回るので疲れます。自転車での移動が多いことから想像がつくように、実は歩くのはあんまり好きじゃないんです。自転車に慣れると徒歩では景色が変わるスピードが遅く感じるからです。代わりに市街部で細かな部分まで観察しながら進むのには向いています。

何処へ行くか、何の題材を撮影するかについては、大抵はある時点で一番ホットな話題となっている場所です。コラムを書き上げれば関連する他の場所へ行くし、新川歴史研究会で河川や建物の話題が出れば同様に関連する場所へ行きます。ホームページでも無秩序にいろんな記事が編集追記されたり作成されたりしているように見えるのは、ほぼ例外なくそこへ目が向けられる機会があったからです。

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「宇部マニ散歩」の続編が放映中です。
11月下旬に放映された樋ノ口橋スタートの散歩の続編です。前編ではしゃべり過ぎてスタート地点から300m程度しか歩かないうちに終わってしまいましたので、後編ではゴールの宇部港までにある物件の殆どすべてが紹介されました。この続編は来週末まで放映されます。

全般的には新川沿いにある殆ど気付かれていない史跡などを紹介しています。しかし火力発電所の排水口跡や緑橋にある古い水道橋のように、予備知識がなければまず分からないコアな題材を紹介した後、これでは散歩するにも歴史的知識を要しハードルが高くなり過ぎると感じました。このため脱力系ネタとでも言いましょうか…そういった題材も紛れ込ませています。

その代表格がうちのホームページでも紹介している「フォルムを愛でる」の分野です。予備知識なしに観察している対象物の色や形状などを見つけ出して悦に入るもので、番組では真締川水管橋のフォルムが紹介されました。


市役所横にある宇部産業祈念像は、スタート地点の樋ノ口橋横にあった彫刻の解説ができなかったので、ここでは外すわけにはいかないと強調して解説しています。ただし番組内でのトークはこの彫刻固有のものではなく、宇部の街にある彫刻の一般論を語っています。

足元の郷土を見直そうという動きが最近頓に強まっています。市制施行100周年を契機に郷土の歴史をまとめた出版物も各地区で盛んです。題材とその背景にあるストーリーを蓄積してきただけに焦りも感じています。写真を中心とした記事制作がいつでも見られて理想的なんですが、如何せん制作に時間がかかり過ぎます。当たり前だけど人間誰しもキーボードを打ってテキストを作成するよりもしゃべる方が高速です。そのことが今回の宇部マニ散歩で如実に示されました。

話の展開が時系列を追って進む題材は筆記によるものが適していて、短時間で現地の様子や背景を伝えたい題材は音声と映像によるものが適しています。従来の時系列記事で提供していたようなものは、今後は音声と映像に頼ることも検討します。既に制作された時系列記事のうち未公開のものは、書籍ほど大容量ではなくチラシほど軽くはない中間的な存在の紙媒体で提供するのが妥当でしょうか。

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日の山登山ナビゲートをしてきました。
週間天気予報にかなり脅されていましたが、数日前から晴れマークに変わりました。そして当日は少し霞が出たものの気温も上昇し良い天気になりました。

参加者は7名で、私が先頭になって全参加者の歩みを観察しながらゆっくり登りました。最初の見どころは、石段で整備されているけれども厳しい登りの続く先にある千畳敷からの眺めです。


この日の干潮は午後2時半で、往路では午前11時前に通過したので遠浅の海のままでした。それでも東岐波地区を一望できる殆ど唯一のスポットで、きつい登りをこなした良いご褒美となりました。

よく知られているように、日の山の最高の眺めは山頂からよりもそこより少し海側に下った焼火神社にあります。最近、山頂周辺の伸びすぎた樹木が刈られて海がよく見えるようになりました。山頂で記念撮影をする間もなく絶景に気付いた参加者が焼火神社の方へ…満潮でも一部の島や露岩が瀬戸内海に浮かぶ景色を堪能しました。

主要なスポットでは立ち止まって案内します。しかしそれ以外でも道中は殆どしゃべりっ放しでした。デスクに向かってプランを練っているときには気付かなくても現地だと視覚的刺激や参加者の話に誘われて話題が飛び回ります。東岐波地区はアウェイな身で詳しくないとお断りしていたものの、蓋を開ければ殆ど問題になりませんでした。話のネタがあちこちに移ろう女子トークの重要性を認識しました。

先日の宇部マニさんぽ@新川編もそうだったけど、普段見慣れた場所を深掘りする散歩ガイドって思いの外需要があるのかも知れない…真締川沿いに歩くコースは以前から構想を温めていました。他にも異なるジャンルの題材が散歩に適した線的要素に散らばっているものは、興行的に散歩イベントとして成立しそうです。既にいくつか思いつき現地の撮影や追加探索を実施済みの場所があります。昨日もある場所を実地に歩いてきました。いずれコラムか記事で紹介するでしょう。

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気候が良くなってきました。
気温も湿度も適度に低い今の季節は、新規物件の探索や既知物件の写真撮り直しに好適です。11月入りしてから晴天が続いたので殆ど外出していました。7日は久し振りのハイブリッド方式で船木地区の題材採取を行っています。写真は来迎寺の紅葉です。


アジトでの執筆活動は写真撮影に向かない曇りや雨の日に行います。今週は雨続きの予報で、今月号のコラム執筆を行っていきます。11日はスポーツうべたんで日の山登山ガイドをしてきますが、天気が持つかどうかは…こればかりは時の運なので雨で中止になりましたら雨オトコが居るらしいとご容赦ください。

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「宇部マニ散歩」が現在放映中です。
実は先月21日に現地ロケを終えていました。1日が市制施行100周年の日でしかもちょうど週明けの月曜日です。この日からの放映に間に合わせるために編集作業はかなり大変だったでしょう。現地の私はしゃべりながら歩くだけでしたが…

最後の方で宇部線の新川橋りょうについて2つのコアなネタを話しています。昭和27年に起きた真締川東踏切での列車とトラックの衝突事故と、昭和32年に行ったと思われる橋と線路の嵩上げです。写真は私が現地で撮影した画像が番組内で使われたところをテレビ越しに撮影したカメラ画像です。


嵩上げの推測についてはJR西日本の資料を当たれば答えが出るものの、それを待たずに殆ど間違いないだろうというレベルに至っています。他方、橋が大破した列車衝突事故は、鋼材の梁部分にみられる補修施工の文字がある銘板以外に、事故を起こした列車や大破した橋の写真と事故の経過報告に関する客観資料が見つかっています。いずれまとめて新川橋りょうの総括記事に編集追記します。

樋ノ口橋をスタートして宇部港まで歩いたものの、番組では300m程度歩いただけで番組編成上のタイムアップとなってしまっています。この辺りから新川橋までは深掘りしていたら際限ないほどのネタに埋もれています。多くが既に記事化されているし、コラムでもいくつか題材を紹介しています。

現在の宇部マニ散歩は今週末まで放送され、来週からは滝シリーズとなります。宇部港まで題材を紹介しつつ歩いた分は映像記録されています。続編として放映されるかどうかは、視聴者の反応を見てからになるでしょう。また、番組の最後で宣伝しているように11日と18日は宇部スポーツコミッションのスポーツうべたん企画として、東岐波にある日の山を宇部マニ的視点で登山的散歩してきます。

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ホームページ創立10周年を迎えました
実のところ居住エリアに関して言えば、当サイトの10周年以上に重要なのが宇部市の市制施行100周年という節目です。4年前には宇部市制施行100周年市民委員会が開催され、グループで提言書の提出を行いました。当時目指したのと方向性は些かも変わっていませんが、捉え方は個人的には若干異なります。即ち「100周年となる日を目指して何かをする」のではなく、100周年は通過点に過ぎず新たなスタートを切る節目という考えです。

したがって11月1日に今まで手掛けてきた成果をこの日に合わせて披露するのではなく、引き続きこれから世に送り出します。今までの歩みに方向性の誤りがないことが分かったのだから、ペースは成り行き任せで進み続けるだけです。

代わりにホームページ10周年を機に送り出す小さな記念物として、当サイトのシンボリックなイメージを提示します。一ヶ月前に着想し大まかなコンセプトとなるイラストは既に描いていました。下の如何にも怪しげなイラストです。


「何じゃこれ?」のレベルかも知れませんね。大きく表示されている分だけ不気味かも知れませんが、実際に使うにあたってはこんなに大きく印刷されることはないでしょう。

色彩や配置、比率など微細な部分は変わるかも知れません。これを名刺の端や世に送り出す印刷物などに刷り込んでイメージキャラクタ化することを意図しています。制作過程や何故このデザインに行き着いたかの背景はファビコンの項目をご覧下さい。

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小羽山小学校の第3回学校運営協議会に招かれました
いやはや…実のところ本人である私は学校運営協議会であるとは知りませんで…局長より「小羽山小学校の図書館で先生方に地域活動者として紹介します」とだけ聞いていました。それで私の中では学校にいらっしゃる大勢の先生方の前で何かのトークをすることになるのでは…とかなりビビッていました。

小羽山小学校にはすくすく教室で郷土学習のお手伝いに来ているだけで、小学校の運営自体については何も分かりません。学校運営協議会なるものがあり、定期的な会合が持たれていることは知っていました。各委員で構成されるその協議会に私はオブザーバーとして招かれました。しかもオブザーバーの分際ながら会合で委員の皆様がよく見える特等席が設定されていました。


小羽山地区では小羽山ものしり博士づくり計画なるものが以前より進められており、この夏には小冊子と言うには完成度の高い資料を小羽山小学校と小羽山ふれあいセンターに納入されています。この計画で私は地区内にある史跡や面白い題材の情報提供役として参画していること、サンデーうべのコラム執筆や山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」の番組出演の如き現在の活動状況を淡々と自己紹介してきました。

協議会として配布された資料に、学力や生活態度に関するアンケート結果がありました。数値結果だけを見ると、国語において自己表現する力は県内平均よりかなり上回っているのに、読む力がかなり弱い点が気になりました。恐らくこれは小羽山小だけの問題ではなく、更には子どもだけの問題でもないと考えます。まとまった分量の主張を読みこなす機会が減り、更に分量の多さ自体が忌避される現状があります。簡潔明瞭が求められ、長文は嫌がられます。うちのサイトだって方針転換し、長文は時系列記事に移して総括記事に分離している位ですから。

すべて簡潔な短文のみが良いとは思えないし、かと言って現代人は大人も子どもも長文をじっくり読むには忙し過ぎます。双方の中間点を模索すべきです。子どもに限定して言えば、質の良い長文を大人が供給することも必要です。「食い付きたくなるほど面白い」内容なら、大人子ども関係なく先を読むでしょう。この点で、我々大人は供給できる立場にありながらそれを怠けてきました。慣れない子どもにとっては、数行程度のまとまった文章だけで充分に長文です。これを文章だけでなく写真やイラストのような補足的素材と共に供給すればハードルは低くなります。先述の小冊子は、その意図も汲んで作成されています。

私は学校関係者ではありませんが、家庭教師として船木まで個人宅に通っています。私自身ほぼ物書きなので、生徒には筆記を更に拡張させた自己表現力の重要性を事ある毎に説いています。そのためには多くの表現を知っていなければならず、結果として読解力が必要になります。自己表現能力を”苦手なもの”として放置するほど勿体ないこともなく、大人子どもの別なく高めていくべき課題です。現代の子どもたちが受ける教育は昭和平成期よりはるかに洗練されていますから、今の社会人は何もしなければ早晩今の子どもたちに追い越されるでしょう。筆記については当サイトでも作文技巧と方針にまとめています。

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街角の写真を撮影する一つの理由
気候が良くなってきました。その割に更新が進んでおらず申し訳なく思っています。例の季節の変わり目に起きる疾病に煩わされています。暖かくなり始めるときと寒くなり始めるときに起こり、秋口以降はやっと開放されます。それまでの辛抱です。

形にして送り出していないだけで、活動自体は当然ながら夏場より進んでいます。週に一度は現在の活動に関する会合や企画の下準備があり、それとは別に単独で人と会ったり撮影に行ったりしています。郷土関連と無関係な変わったところでは市内で採取した銀杏の分売なんてのもやりました。湿疹が酷くなるかも知れないのに…

相談や尋ね事も電話やメール経由で頻繁になりました。先日は市内の中央町エリアにかつて存在していた大和タワーの写真を探していると相談を受けました。私も覚えているし、写真も昭和中期の街並みを撮ったものを郷土の写真集で見ています。しかし…タワーの詳細を撮った写真は知られていません。この理由はいくつも考えられるし、写真を持っているかも知れない人を探し出す方法しかアドバイスできませんでした。

街並みすべての写真を採取し保存することなど不可能ですし、殆どそこまで必要はありません。Google マップやストリートビューでは実地に道路を走って採取した映像があります。それでも何気なしに撮影したショットが、撮影時よりずっと後になって背景に映っているものなどから手がかりが得られることがあります。写真は昨日撮影した市街部のある場所での一枚です。
この場所自体に何の特異性もありません


わざわざ自分で撮らなくても存在する写真を撮る事例として、工事現場があります。実際は工事関係者が施工中の写真を採取しているでしょう。だけどそれを誰もが利用可能な状況になっていないし、オープンにされたとしても希望するアングルや対象物の写真が得られる保証はありません。カメラを構える時点で何処に視点があるかでまるで異なるからです。

特に今何をすべきか優先順位を思い付かないときは、確実に変化する中で後々で需要が生じそうな風景や対象物を記録します。この態度は後々で上昇しそうな銘柄の株式を先回りして仕込んでおく行動と本質的に同じです。そんなすぐに価値が出そうにもないなら、価値を創出すべくストーリーを考えるのは仕手系材料株の演出に似ているかも知れない。ただ、それが自分のみの利益か他の多くの人も享受できるかの点では異なります。

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「隧道どうでしょう シーズンIV」始まりました!!
久し振りに宇部マニさんが登場します。概要はにんげんのGO!公式ブログの「隧道どうでしょう シーズンIV」にあります。明日あたりからまた街中をうろつくとき道行く人の視線が気になる日々が続くことでしょう。

公式ブログにあるように、現地ロケは6月8日でした。同じ日に異なる場所の隧道数ヶ所を訪問しています。私はまだ視ていませんが恐らく2週連続でそれらの隧道が紹介されると思います。現在放映されている周南市戸田の隧道は、以前から私も地図で注目していて行ってみたくてかなり疼いていた物件でした。

私が現地で何をしゃべったか…恐らく番組を視ても「あんなこと言ったっけ?」てなるかも知れません。
写真は最初の訪問地の撮影を終えて戻っているところです。


現物を見る前から期待していたし、その期待を裏切らない物件でした。撮影は6月でかなり蒸し暑かった記憶があります。なのでロケを終えて「秋口に気候が良くなったら車に自転車積んで写真撮りまくりたい」って言った記憶があります。

現地にあるものの一体何処がそう興奮を呼ぶものなのか?一体そこには何があったのか?このことについて、ホームページで概要を取り上げるだけでなく隧道を含めたダムや橋など物件の堪能の仕方を書かないといけませんね。現状はホームページの更新は至って気まぐれですが、いつも通り意識の中で一番ホットな部分から着手しようと思います。

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確かに雨降りの日が多いですが…
近隣地域在住の方は、来る日も来る日も雨ばかりでそろそろウンザリしている頃でしょう。

ここで事細かに報告しないだけで、今年の夏の雨は常軌を逸しています。ここ十数年のうちでも最も降水量が多かった夏になる筈です。把握しているだけでも山口宇部道路の岡ノ辻〜片倉間で起きた土砂崩れで一時全面通行止めになりましたし、JR山陽線は小野田〜厚狭間の路盤流出で運行が停まっています。常盤池の楢原の入り江で斜面が崩落したという話も聞いています。

先週までは24時間のうち一滴の雨も落ちなかった日が皆無な状態が10日以上続いています。そして降れば殆ど土砂降りです。covid19 でそれでなくても外出自粛が求められがちな中、これほどしつっこく降られては密を避けられる山歩きなどの外出もままなりません。

それでも普通でない気象が起きれば、それに呼応して通常ではない現象もみられます。雨続きで厚東川ダムの状況が気になって視察に行く途中、国道2号から宇部丸山ダムの越流を初めて目にしました。戻るとき立ち寄ってダム上に車を停め、ダム下の公園まで降りて撮影してきました。


地元の方は目になさっているかも知れませんが、十数年前から宇部丸山ダムを観察し続けていながら余水吐から水が流れ出るのを観たのは今回が初めてです。小野湖の水を有効利用するために宇部丸山ダム側へ貯水し、満水になっていたところに薬師川などからの流入が増えて工業用水・灌漑用水の送出量を上回ったからでしょう。総括記事で「余水吐は数十年に一度の大洪水の備えであってここからダム湖の水が流出したことはない」と書いていましたが、この部分を修正する必要に至りました。
現在もまだ編集作業中なので総括記事がおかしなことになっています

まったくどうなるのだろうかと懸念される天気ですが、週間予報では来週半ば頃から安定するようです。そして面白いことに懸念を示しているのは人間ばかりで、雨が少しでもあがればまたセミが鳴き始めるしカラスもいつも通り仲間内と語り合っています。結局元通りの気象に戻る可能性が高いし、そうならなかったとしても「以前の異常な気象が将来のあたりまえの気象」と認識が変わるだけでしょう。ヒトはどんなことにも慣れることのできる生物ですから。

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客観資料が史実を書き換える
外出が危険レベルと言えるほどの日射と高温なので、今の時期は屋外での撮影活動は少なく手元の資料を元に解析するなどインドア主体の活動に軸足が移ります。先月に続き7月度の新川歴史研究会の会合が開催されました。そこでまたしても驚愕の資料が披露されました。それは複数枚の青焼き地図で、大正期の新川地区の地図と炭坑に関する採取区割りを記載した平面図です。

現在の恩田付近です。
当時の小字名と共に道が詳細に描かれていました。


炭坑の採取区割りは石炭が産出する広域にわたっており、旧宇部村領域だけでなく厚南村や有帆、厚狭の方まで描かれています。区割り図は台地図を元に描かれているので、当時の地形は等高線によって明瞭に分かります。

提出したのは郷土史研究会のメンバーで、未整理だった蔵の中から出てきたようです。キチンと巻かれていて保存状態は非常に良好でした。それでも青焼きは蔵から出されて大気や日光に晒されるだけで劣化するのは否めないので、今月の月初めにもデジタル化保存が予定されています。

私は手持ちのデジカメで主要と思われる部分だけパシパシとデータ採取しました。それだけでも既にいくつか新たな知見が得られています。特に新川地区の地図は、宇部市立図書館にて現在も入手可能な宇部市新地圖と小字名の表記スタイルや書き込み位置が似ており、疑義の差し挟まれる地名まで同じことから、どちらかを台地図として作製されたように推測できます。

客観資料の出現により定説が覆ったのは、山口県文書館所蔵の地下上申絵図が嚆矢でした。これに加えて、今から百年以上前の諸々のものが保存されている市内の古い蔵にも定説を覆し得る資料が眠っていることでしょう。

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梅雨が明けました。
これを書いている本日17日は雨ですが、西日本では13日に梅雨明けしました。近畿東海も今日梅雨明けしています。これからいよいよ暑くなるにしても、むしろ個人的には体調が幾分スッキリしました。

13日の朝は梅雨明けの情報を知る前に、気候が変わったからではないかと思われる現象がありました。今までは起きた直後から指先に痒みを誘発させる不快な感覚がありました。これを誤魔化すために痒み止めを塗ったりクリームで保湿したりが要りましたが、その感覚が幾分薄れました。指先の不快感が弱まったので、他のことに集中できるようになりました。

久し振りに自転車を漕ぐ気にもなり、撮影して回った後で買い物に行きました。
このとき夏空に象徴的な積乱雲を見つけて写真を撮りました。


この後になって梅雨明けの情報を知りました。これほど明白に自分の体調に変化が起きるということは、湿度や気圧が与える影響は殊の外大きいように思います。居住空間を快晴と同じ低湿度と高気圧、高い光量に維持できればいろいろな症状を軽減できるのかも。

持病の発現は、コラムの執筆や記事制作といったクリエイティブな作業にも支障を来します。最近、LFの会合で出たヘルスケアに関する話題に触発されて調査し、日頃から摂取しているある種の素材が原因かも知れないと考え始めました。現在、自分を実験台として治験を開始しています。有意な結果が得られたらここで報告します。

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新川歴史研究会による最新の成果
新川歴史研究会の例会に参加しました。研究会は渡邊ゼミを中核として郷土の知見や記録を共有するメンバーから構成されています。複数のメンバーが異なる分野に特化した資料や知識を持っているので、共有すれば各自が持ち合わせた知識に統合され考察を促し、新たな結果が得られます。メンバーは私を含めて6人です。

一ヶ月の間に得られた知見や資料を突き合わせることで、今回は私にとって”驚愕の結果”が導きだされました。
写真は会合中のテーブルです。


この詳細については今ここでは書けません。まさに昨日のことコラムで Vol.61 をリリースしたばかりですが、7月度向けのコラム題材として記述する予定です。早い話、従来の定説が覆る状況であり、書籍にある記述を所与のものとして当サイトでも関連記事に出典付きで掲載していました。現在、誤りが判明した部分をコッソリとしかし大急ぎで編集しています。何処を書き換えているのかは今は言えません^^;

この他、小串の区画整理が始まる前の詳細な都市計画地図が提出されました。区画整理前の概略の道路などは地理院地図の昭和49年度版などで知ることができますが、提出された地図は各戸が分かる程度の縮尺に全体を俯瞰できる大きなものです。失われた里道の経路も鮮明に分かり、ざっと眺めるだけで新たな成果がいくつも知られました。

発刊された地図は誰の目にも疑いようがない客観資料であり、渡邊ゼミ時代からその重要性が認識され、年代の異なるできるだけ多くの地図の入手を試みています。新たな客観資料の提出によって今後も定説が覆ることが普通に起こるでしょう。その裏で「定説とされているものを一度は疑い検証してみる」態度が必要です。

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体力的な衰えを感じています。
経年変化という語があります。諸々のものが時間や年月の経過につれて変わっていくことですが、しばしばそれは劣化や衰えなど好ましくない方向に進むことを意味します。この点で、毎年梅雨時期になれば現れる持病の指湿疹もですが、その他にも我が身や周辺で自覚される現象がいくつもあります。


耳鳴りは前の居住地だった西梶返を去る間際に自覚されて以来、今では常態化しています。それから明らかに近くのものが見えづらくなりました。運転するときは今も眼鏡必須ですが、スーパーで買い物するとき陳列棚にあるものを手に取って詳細を眺めようとすると眼鏡を外さないとよく見えません。これは半年以内に起きた変化です。

長髪も目に見えてボリュームが減っています。長さが殆ど変わらないのは、伸びる髪と抜け落ちる髪が釣り合っているからです。そうでなく薄くなる部分が拡がっています。残念ながら一連の変化は不可逆的で、恐らく元に戻りようがありません。

他方、全然衰えていない部分や経年変化がむしろ好ましい要素もあります。家を出るときの忘れ物の多さは以前から変化無しですが、特に記憶力が落ちたわけではなく、むしろ古い記憶は失われず新しい情報と統合され増強しています。個人的には”年を取ったら新しいことが頭に入らない”は誤りと思います。物事を覚えるのには労力が要るので、それを避けるために経年変化を理由に「出来ない」言い訳にしているだけです。

年を取ると朝が早くなると言います。実際、早起きになりました。特に今の時期は夜明けが早いため光刺激で目が覚めます。カーテンを閉めても部屋の明るさが変わるのを検知するようです。X時までに起きなければならないといった生活スタイルではないため、睡眠も食事もすべて身体の欲求任せです。

それから朝起きてすぐに食事が摂れるようになりました。学生時代やサラリーマン時代の方が今よりずっと不健康で、起きてから一時間くらいは食欲が全然なく無理に食べると腹下ししていました。この変化も今のアジトへ引っ越してからです。良い変化を評価し、残念な変化はありのまま受け入れて暮らして行く以外ないと思っています。

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5月28日は執筆記念日です。
概略は用語集執筆記念日に項目として収録しています。昭和52年のこの日に初めて体系的な日記を書き始めました。祝日でも特別な日でもないこの日からいきなり日記が始まったのは、思い付いたその時によほど実行したかったようです。何がきっかけであったかは、その後の日記2周年や3周年で書いているし自分自身よく覚えています。

日記帳は最重要文書として居間の一角に保管しています。引っ越しするとき、親は常々「新居には炊飯器を最初に運び込むように」と私に言ってきました。野山から西梶返へ、そして西梶返から現在のアジトへ引っ越したとき、私は親の教えに反して常に日記帳の入った箱を最初に運び入れています。何故なら、現在生活する上でさほど重要ではないにしても、私の時系列を明確に保持してくれている外部記憶装置そのものだからです。日記帳に書かれた項目はコンピューターのショートカットに相当し、それを元に付随する情報を引き出してくれるからです。

日記を読むことは殆どないので、引っ越しのとき業者が提供した大きな紙箱へ入れたままになっています。100冊近い大学ノートを入れると抱えることも困難な重さな上に取っ手がないので移動に苦労します。そこで今日のこと久し振りに箱の中を全部取りだし、抱えやすい取っ手の付いた箱へ分割して収納し直すことにしました。
写真は紙箱の中身をすべて出したところです。


日記には買い物のレシートや配布物を貼付した部分もあり、嵩張るものは別に封筒へ入れて保管していました。目録など当然作っていないので、封筒から出すことで「こんなものを保管してたのか」と驚く場面もありました。日記とは直接関係がない収集物として、カセットテープのレーベルも見つかりました。

段ボール箱が足りないので、次に買い物へ行ったとき取っ手のある箱をいくつかもらって来ます。手描きノート時代では昭和期と平成期があり、平成期の一部はワードプロセッサーなるものが登場したときフロッピーディスクに日記を保存して後にプリントアウトしたものを綴じたものが存在します。この3つを分けて箱へ収納し直します。プライベートな記述も一部ありますが、殆どは人様に読んで頂くに耐える内容と書き方で記録しています。

奇しくも今日はサンデーうべのコラムの Vol.60「新川橋りょう」が配信された日です。還暦回に相当するコラムが記念すべき執筆記念日に配信されたことを光栄に思います。

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宇部マニアックスのコラムが図書館に収録されていました。
ゴメンナサイ…もしかすると知らぬは本人ばかりなりだったかも?

4月下旬のある日、いつものように自転車で題材採取しました。少し早く市街地へ戻ってきたので残り時間を図書館で潰そうと思いました。

今や殆ど業務の一環なので、図書館へ行くとしたら常に郷土書籍関連の情報目的です。県内市内の貸し出し可能な棚か貸し出しできない郷土書籍コーナーのどちらかに居ます。郷土書籍コーナーに面白い書籍が詰まっているので、この日もそこで書籍を漁りました。さて帰ろうかと退出したとき…ふと出入口近くの棚に目が行きました。棚に並んだファイルの背に宇部マニアックスという文字が一瞬見えました。

えっ?
そんな筈ないだろう…宇部マニアックスを名乗っているのは私だけだぞ。他の誰かさんが同じタイトルの書籍を図書館へ納入するわけがないだろうに…と思ってよく見ると…

背表紙には「宇部マニアックス的探訪記」と書かれていました。
これって…あれしかないじゃん。


手にとって中を開いてみました。毎月書いているサンデーうべのコラムがファイルに綴じられていたので、最近ファイルし始めたのだろうと思ってページをめくってみると…何と Vol.1 から全部ファイルされてるではありませんか!

そう…私が知らなかっただけで、まだ Vol.1 が入手可能だったときから市立図書館が取り寄せてファイルしていたのです。栄えある Vol.1 の表紙には宇部市立図書館の承認印が押されていました。書籍ではなくファイル綴じとは言え、私が知らないうちに市立図書館の郷土資料室へ”殿堂入り”していたとは…

郷土資料室にあるので、ファイルは禁帯出です。しかしコピーサービスを利用可能(ただし著作権法上の制約よりコピー可能な量に制限がある)ですから、既に入手不可能となった初期の作品も読むことができます。即ちこのファイルに綴じられたサンデーうべのコラムに限って言えば、もう消えてしまう心配がないとも言えます。

私が見つけたとき、宇部マニファイルは沢山並ぶファイルの中でも少し手前に出ていました。どなたかが手にとって中を開いてご覧になったのでしょう。

5月度のコラムを提出すれば、それが Vol.60 となります。気が付けばもう5年間も続けて来れたんですね。一ヶ月に一つ歳を取ると考えれば5月度コラムは還暦にあたります。既にそれに相応しい題材を決定して現在内容を構成中です。並行してうちのホームページでは既にコラム配信したけれどもまだ記事化していない物件の総括記事も作成しています。

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第2回レア滝カード手渡し会に参加してきました。
そうですね…うちのホームページでは「滝カード」が何であるかの説明が必要なんですが…早い話が去年の9月にお忍びで潜入してきたレア滝カード手渡し会の第2回です。詳細は「にんげんのGO!」公式ブログの「第2回 レア滝カード手渡し会」にあります。

午後1時半からの開催に合わせて山口ケーブルビジョン本社へ車を走らせました。定刻どんぴしゃりに着き、その時点で手渡し会場となる山口中央公園に人の姿がなく小雨も降っていたので、本社1階ロビーに変更になったと知りました。

雨に降られるなど前回よりも条件が芳しくないにもかかわらず、カードを受け取りに来た人は前回と同じ位ありました。そして…宇部マニさん目当てじゃないにしても熱心なファンが少なくとも4人いらっしゃいました。椎の木峠トンネルについての続報を教えて下さった方や、柱ヶ谷堰堤の追加情報を下さった方、そしてやまぐち鉄道フェスタでトークショーを聴きに来られた方も。

鉄道フェスタのときと同様、今回もサインを下さいって方がありました。まだ暫定サインなんで全然形になってないんですけど…マジックで描いて差し上げました。


真実ちゃんもいろいろ考えた末に現在のサインに落ち着いたって話していました。名前を元にデザインされた真実ちゃんのサインは弾けるような躍動感と文字が躍っている印象があってイメージぴったし。「サイン下さい!」ってファンが急増することはすぐにはないと思うけど、もう少しスマートで手早く描けるサインを考えようと思います。

手渡し会の後にメンバーで話したときちょっと漏らしたけど、本当は私も生活がもうぐちゃぐちゃで半ば破綻状態です。ただ、私だけじゃないことは分かっているし、良い意味で「どーにでもなれぃっ」と開き直っています。今すぐどうこうなるものでもないので悩むだけ無駄…それよりもメンバーが集まり、そしてファンの方々に鼓舞されることで期待に応えるべく「よし!次の何か面白そうなものを探して来るぞ!」って気持ちになります。私はこの状況におかれていることを光栄に思います。人と繋がり輪の中へ入って行くのを躊躇っていたならば、決して今の宇部マニさんはなかった…

今年2021年は去年よりも多くを形にして世に送り出す年…ドキュメントの出版も固定観念にとらわれない方法で実現させますから、しばしお待ち下さい。

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「おふく洞」を再訪しました。
毎週水曜日は夕方から船木で生徒宅を訪問するので、天気が良くて他に片付けるべきタスクがなければ市外へ出かけるのが何となく習慣化しています。昨日は再び秋吉台を歩き回った後、於福の道の駅裏にある「おふく洞」を再訪してきました。写真は山に向かって下っていく流路と吸い込み穴です。


前回の訪問時よりも水量が増えていて、長靴なしでは吸い込み穴へ接近できませんでした。長靴は常に車に積んでいるのが役立ちました。

このおふく洞自体驚くべき存在です。自然河川が山の方に向かって流れ下り、最後は直径数十センチ程度の穴へ吸い込まれていきます。足元は礫石が散乱していて、表流水だったのが下っていくにつれて伏流水に変わっています。穴の周辺ではもう流れる水が見えません。遙か昔から注意深く観察されていたようで、於福の道の駅がある周辺の小字名である入水(いりみず)に現れています。

今回は前回よりもう少しリスクを取って吸い込み穴のすぐ手前まで降りて撮影し、穴の奥の下の方で流れ落ちる水の音を確認することができました。内部は洞窟になっているのは明らかですが、どの程度下りどんな構造になっているのかは恐らく明らかではありません。いきなり数十メートル程度の竪坑になっている可能性もあり、さすがに危険なことはせずにデータ採取だけしました。

ここを再訪したのは現地の追加写真撮影だけでなく、もう一つの疑念を調べるためでした。於福の道の駅横に案内板が出ており、そこには 「吸込穴 おふく洞 400m 500m」と書かれています。このことよりおふく洞とは別にもう一つポノールがある筈だと考えました。おふく洞の撮影後に道路沿いを調べ、見た目には分かりづらいものの確かに別のポノールの存在を確認できました。

道の駅の裏手には田が広がり、水をあてるための用水路も通っています。傍目にはうちの近くでも普通にみられる田と同じですが、恐らく異なる工夫が要ると思います。用水路は自然河川よりもやや高い所を通っていてコンクリート水路になっています。自然河川を堰いて水を導くのは、上流側でしているようです。この場所で堰くと川の水が流れる端から山側へ吸い込まれるからでしょう。

降った雨が地中に吸い込まれ、地下水を経て再び地表へ現れるのは何処でも起きている現象です。そのサイクルはどれほどの高低差や距離を移動するかにより変動しますが、この辺りではある程度まとまった地下河川を形成している部分が多いので、移動距離に比べて通常の場所よりもサイクルが短いのではないかと思います。

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新川歴史研究会の現地踏査
週末になると雨ばかりだった中、10日の土曜日は好天でした。先月よりスケジュールに組み入れられていた新川歴史研究会の現地踏査会合が開催されました。午後1時半に渡辺翁記念会館に集合し、課題となっている場所の視察に歩きました。
写真は最初の検証場所へ向かうところです。


市内には厚東郷土史研究会、東岐波郷土誌研究会など古くから活動する研究会がいくつかあります。新川歴史研究会は各地区に存在する中でもっとも新しい会です。既に数年間活動を続けている渡邊ゼミをベースに、志を等しくする旧宇部村エリア在住者メンバーと共につい最近立ち上げられた会合だからです。

区画整理など地域の改変がそれほど甚だしくなく史跡や地形がよく遺っている地域では盛んですが、新川歴史研究会が存在しなかったのはエリアの改変が著しく、現地で直接確認できる昔のものが殆どないからです。それでも手が加わっていないと思われる部分と客観資料の解析を元に、いくつもの成果が得られています。

この日の踏査課題の一つとして、新川掘削以前の宇部本川が居能方面に流れていた時代の痕跡探索です。10年以上前に類似したことを考察してブログに書いたこともありますが、当時は利用可能な客観資料に接しておらず憶測の域を出ていませんでした。現在では昔の川筋が大まかに何処を流れていたかはほぼ解析済みで、候補となる川筋位置の幅を狭める試みが行われています。冒頭の写真にある渡辺翁記念会館は、かつて宇部本川の川筋にかかっていたことは確実であり、メンバー間でもコンセンサスが得られています。

当サイトでも渡内川塩田川について、総括記事で昔の流路解析を試みています。このうちいくつかは再考を要する部分があるかも知れない…メンバーが持っている個別のデータを突き合わせると総括記事の記述と整合しない部分があるからです。現在の樋ノ口橋より50m程度下流から新川を掘り始めたのは確かですが、それ以前の塩田川が合流していた地点はもう少し上流かも知れない。

多くの客観資料から考察を重ねて、ごくシンプルであり得そうな結論を導き出すのは、数学の問題で「エレガントな解法」を見出すのと似ています。充分にエレガントであれば、そのまま街歩きプログラムなどに援用できます。最近、宇部マニアックスとして目立つ活動としては、興業的に成立するプログラム作りです。1日の「やまぐち鉄道フェスタ」に触発されて最近、鉄道関連の題材を一つ思いつき、街歩きプログラムとしての転用や映像化を検討しているところです。

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「やまぐち鉄道フェスタ」でトークしてきました。
4月5日に山口市湯田自動車学校で開催された「やまぐち鉄道フェスタ」で、山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」の隧道あるはずでしょうの公開トークショーにハッセーや出演メンバーと共に出演してきました。
写真はトーク会場の様子です。


前日は来訪者の入りが上々でしたが、当日はまたしても(この日で3週連続の)日曜日雨天にたたられ参加者の足が鈍りました。それでも数少ない来訪者は、雨が降っても傘を差して会場へ出向くだけあって本気度が高いものがありました。宇部マニさんはロケ時の出来事や番組で放映されなかった裏話的なことを話しました。

あの場でも話したように、宇部マニさんは鉄道関連分野では完全に後発です。当サイトでも当初は鉄道カテゴリ自体がなく制作も予定していませんでした。多くのファンが綿密な調査と撮影、研究を行っているので重複して私が後追いする意義を感じなかったからです。しかし鉄道の踏切や橋りょうに現れる名称に、既に使われていない小字名が現れることに着目し、構造物の名称採取を目的に現地データの採取に乗り出しています。

現在では宇部線・小野田線・山陽本線について、市内を通過する区間にある踏切・橋りょう・架道橋などの構造物はほぼ100%把握しています。当初は地名解析が目的であったものが、最終的に全数調査を試みています。これは切手収集のコンプリート意欲と重なります。欠けているとか未だ行けてない存在が我慢ならないわけです。

それらは道路や河川、溜め池も同様で、結局すべて郷土の中にあるということで繋がっているわけです。数が多ければ、いくら普通に見えてもその中で注目に値するものがいくつか現れます。こういった題材が極めてコアだけども興味深い物件としてスクリーニングされ、更にいくつかでロケが行われ放映されるわけです。隧道どうでしょうに紹介された案件のすべてがこの過程を経ています。

”下手な鉄砲”でも充分に数多く”撃ち続ければ”いつか注目する題材に到達します。常々言っている確率の問題であり、手法そのものは些か数学的ながら確率的素数判定法を想起させます。ヒットする確率を上げるために”見込みのありそうな的(まと)”を前もってスクリーニングして並べておき、機を見て一斉射撃するようなものでしょうか。ただし、的にヒットしたか否かの判定は人によって異なるので、外れが全く無価値というわけでもないのが面白いところです。

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さくら&菜の花ウォーキングをガイドしてきました。
新年度入りした4月1日、今や相応な知名度を獲得している「うべ探検博覧会」のスポーツコミッション版となる「スポーツうべたん」のプラグラム「宇部マニさんぽ〜さくら&菜の花ウォーキング」が開催されました。

ときわ公園の湖水ホールから出発して、サクラ並木と菜の花が美しいことで知られる周遊園路のスポットまでを往復するというもので、サクラも菜の花も満開、黄砂も殆ど影響しない青空が広がるこれ以上はないという絶好の散歩日よりでした。
写真は目的地の山炭生の鼻です。


スポーツうべたんとは、市内のスポーツ関連イベントを総括するうべスポーツコミッション(USC)がうべ探検博覧会の枠で独自企画を展開するもので、うべ探の中でも体力維持や健康づくりに重点を置いたイベントが多く企画されています。宇部マニアックスとしては去年の秋に恩田運動公園メタセコイア並木を散歩するプログラムで、現地の説明役ということで参画しています。去年は夏場に押し寄せた台風による塩害で紅葉が変調し、期待していたほどの眺めは得られませんでした。それでも参加者の満足度は高めで、同種のイベントを企画して欲しいという要望が出ていました。第2弾となるこの春バージョンはこれを受けて企画されました。

今年は全国的にサクラ満開の時期が早く、実施日となる4月1日には葉桜になってしまっているのではとも懸念されました。そのせいか受付開始直後は参加申し込みが2名のまま推移し、最小催行人数5名に届かないのでは…と心配でした。宇部日報さんがイベントを紹介しUSCもFBで告知したところ、その後数日で定員の20名に達しました。平日の午前中でこうでしたから、土日だったら30名は超えていたでしょうね。

参加者は高齢者が多かったものの、小さな子どもさんを連れたお母様数組もありました。そうした若い方が「サンデーうべのコラム読んでます」って言われたのにはちょっと驚きました。山炭生の鼻を過ぎた場所にあるタブ跡で泥炭が露出している場所を話したとき、子どもが興味を持ったらしく形の良いものをいくつか拾って持ち帰っていました。こういう子どもたちの中から郷土の何が大事であるかを正しく理解し伝える後継者が育つと思います。

今年の「形にして世に送り出す」作業は、新年度入りして更に加速します。明後日は白岩公園へ、その次の4日には山口市のトークイベントに行ってきます。このところ土日になると天気が崩れるちょっと嫌なパターンになってしまっていますが、土曜日の午前中は何とかもちそうだし日曜日は雨天決行イベントなので大丈夫でしょう。

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深掘りする観光旅行
気候が幾分良くなってくると外へ出たくなります。人は新しい刺激を求める生物なので、市内の物件探しの題材に困窮したら無理せずに別の種の刺激を探しに行きます。まったくの思いつきから始まって3月は2週連続で美祢市まで遠出しました。

市内の案件を掘り起こすだけで小さな旅行気分に浸れる位ですから、私にとって美祢市は既に遠征であり観光旅行のレベルです。そのハードルが少しばかり低くなったのも、毎週水曜日は船木へ家庭教師に行くのも理由にありました。授業開始時間に合わせてアジトを出ると、ちょうど宇部駅周辺の渋滞と重なります。渋滞状況とたまたま前を走る車の動向によっては、到着時刻が数分単位で変動します。だったら渋滞の中わざわざ運転しなくても早めにアジトを出て物件調査や写真の再撮影を行った後で行けばいいと思いました。船木には学びの森くすのきがあり、そこで授業開始時刻近くまで過ごせます。

10日に於福を訪れ、翌週の17日には更に遠い美東町赤を訪れました。船木へ戻る途中で観光地としては定番となっている秋吉台も通りました。ただ眺めるだけで自然の造詣を堪能できる名所であることに加えて、興味のある分野に限定して観光地の深掘りが可能だったからです。

カルストロードの途中に、秋吉台の地下水位変動が可視化される帰り水という場所があります。壮大な窪地になっているので、地下水位が上昇すると湖状態になり、低下すれば干上がります。数台車を停める場所があったので、ここでかなりの枚数を撮影しました。写真は駐車帯付近から撮影した帰り水周辺です。


降りてみたいと思いましたが、高低差が尋常じゃないので写真のみ撮影する代わりに、先の長者ヶ森駐車場から台地を歩いていくつかドリーネの中へ降りてみました。殆どのドリーネは風化した粘性土が溜まっているため、降雨が地下に涵養されるとは言っても歩き回るだけで底が抜けるような危険な場所はありません。それでも微細な吸い込み穴と思われるものを備えたドリーネもありました。

この壮大な台地の下に至る所誰も訪れたことがなく、今後も詳細を知る方法がない空間があるのでしょう。そして秋吉台のようなカルスト地形でなくとも山や台地はすべてがみっちりと土や岩で充填されているのではなく、普通ではない地勢になっている場所が無数にあるようです。美祢の秋吉台周辺はその中でも特異性が際立ち、深掘りすればすぐにでも専門家の領域に踏み込んでしまうような興味深い題材を抱えています。

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重ね描き地図を鋭意作成中…
前回お話しした重ね描き地図の続編です。

HTMLファイルに持たせる形でウェブ上に重ね描き地図を表示させることはできないことが分かりましたが、ヘルプを熟読することで間接的に実現できる方法が分かりました。更に重ね描き操作から保守性の良い geojson ファイルを生成する手法もマスターし、以前からやりたいと思っていたことが殆どこの方法でできそうです。

国土地理院地図への重ね描きデータで真っ先に実現したいのは、学びの森くすのきで郷土資料として保管されている小字絵図のデジタルデータ化です。当サイトで何度も述べているように、昔の地名である小字は所在場所の記述が必要なあらゆる分野で必須のデータです。現状は住居表示が進み小字は殆ど使われなくなっています。小字絵図を閲覧すれば済みますが、そのために学びの森くすのきへ出向いて申請するのは大変に面倒です。各人が出向いて頻繁に閲覧すれば、紙媒体の小字絵図自体も傷みます。こういうものはいち早くデジタルデータ化しなければならない。

個人的には毎回申請へ出向くなんてかなわないので、閲覧に合わせて撮影申請も提出してデジタルカメラで接写していました。これは詳細を見るのには便利ですが、全体の位置関係を俯瞰するのに不便です。小字情報を落とし込んだマップ制作が求められていました。そして…重ね描き操作をマスターできたので、接写された小字絵図から国土地理院地図に重ね描きする作業を続けていました。

大字中宇部の小字名と字境界に関するデータは完成していました。昨日までに大変手間のかかる大字沖宇部のデータ化も終えています。これは閲覧可能な小字絵図(3部存在する)と地名明細書、大字の境界情報などを統合してもっとも妥当と思われる位置に小字名を境界ごと落とし込んだものです。

geojson ファイルは境界と小字名などを保持するファイルで、地理院地図サイトへドラッグ&ドロップすることでエリア全体が表示されます。その中から一部を画像ファイルとして切り出すことも可能です。例として以下に沖宇部エリアの東梶返付近を含む画像を掲載します。
神原交差点付近にある字浜は字濱田かも知れない…このような不確実なものがいくつか存在する


沖宇部エリアは非常に広大で、上のような字境界と字名が読めるサイズで印刷すれば、A4横置きで10枚程度になるでしょう。折り畳み式の一枚マップと、メッシュを切ってゼンリンのように閲覧可能にした小冊子化を検討しています。地理院地図の重ね描きデータに基づいた印刷物は営利・非営利を問わず利用可能なので、需要動向と権利関係を調べた上で販売することを考えています。

地理院地図上に展開されたデータは実質的に学びの森くすのきで閲覧できる小字絵図と同等なので、今後は著作権問題が懸念される小字絵図自体のデジカメ接写画像を外し、作成された重ね描きデータからの出力画像に置き換えます。

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重ね描き情報を含む地図ファイルを掲載できない問題について
ネットの世界は進化あるのみです。時が経つにつれて以前できなかったことが可能になったり、簡単操作で実現できるよう改良されるものです。以前は出来ていたことができなくなった…は通常あり得ません。ところが散発的に指摘していたように、国土地理院の地図に重ね描き情報を含めたHTMLファイルを作成することができなくなっています。

以前はこの作業が非常に容易でした。地理院地図に重ね描きしてボタンを押すだけで対応するスクリプトが吐き出されるので、それを表示させたいHTMLファイルへコピーするだけです。この機能を利用して溜め池カテゴリでは市内を東西に分割し、判明している範囲の溜め池名を表示させる包括的なファイルを掲載していました。ところがある時期から新規の作成ができなくなり、後には以前から作成されていた重ね描き表示も機能しなくなっています。このため該当するHTMLファイルはまったく意味を成さなくなって全部削除する羽目になりました。

地理院地図の重ね描き自体は現在も可能です。ただしHTMLファイルに埋め込むことはできず、重ね描き情報を kml あるいは geojson 拡張子のファイルに持たせて読み込ませるか、重ね描きされた地図を画像情報として吐き出させるかです。画像化した場合は次のような具合になります。


別ファイルに書き出した場合、重ね描きを再現するには当該ファイルを地理院地図に読み込ませる以外ありません。PCからはファイルをドラッグ&ドロップで実現できますが、スマホのような機器では操作不可能です。geojson ファイルのサイズは非常に小さいので、重ね描き情報のみ切り取ってHTMLファイルへ埋め込めそうなものですが…

これさえクリア出来れば、以前から待ち望まれているネット上で閲覧可能な小字絵図を作れるのです。しかし…昨日は小一時間かけてヘルプファイルを読み漁ったものの操作手順が見つかりませんでした。そして本質的な原因は、サイトのセキュリティ問題をクリアするために主要なサイトが対応したことにあるようです。

この過程で http:// で始まるURLが一斉に https:// に置き換えられました。通信の安全化が図られる半面、セキュアでないデータの取り扱いは却下されます。この顕著な例として JavaScript の実行が不可能になる点が挙げられます。以前の重ね描き表示は JavaScript で実現されていたので、別のセキュアな方法で重ね描き機能が提供されるのを待つ以外ありません。

機能提供がいつになるか分からないので、既に geojson ファイルで重ね描き情報の作成と保存を開始しています。必要な部分を分割して表示や印刷させることを考えて、境界線などはできるだけ小さな単位でファイルに書き出し、それを積み上げて作成しています。合間を見て必要な資料を参照しつつ地理院地図に線データを落とし込む作業を進めています。市内全域は無理としても、昔の村レベルあるいは現代の校区レベルでも年内に最低一つは公開します。

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ヒトは確率の世界で生きている
いやはや…もの凄い雪でした。大雪の報告をホームページトップに書いて一週間が経ちました。大量の雪を集めて突き固め制作した雪のオブジェは(雪というよりは殆ど氷に近い状態で)今なお部分的に残っています。今日は思ったよりも長く雨が降りました。

しかしこの程度の降雪や降雨では焼け石にミミズ状態。宇部市の水がめである厚東川ダム宇部丸山ダムの貯水率がかなり下がっています。去年の12月の時点で既に工業用水3割カットが実施されていましたが、昨日のこと19日より工業用水は4割カットに、上水道も1割カットを行うことが決まりました。今のところまだ生活に影響が出る状況ではないようです。

報道を耳にして「そう言えば雨降ってないしなー」と思うだけで、それほど実感が湧かないかも知れません。実際どういう状態になっているのかは現地へ行ってみることでビジュアルに理解できます。

これは昨日撮影してきた宇部丸山ダム湖です。
普段は水に隠れている土肌が大きく露出していることで水位の低下が実感されます。


過去の写真と比較してみたところ、2014年3月下旬に撮影した最低水位に次ぐ低さでした。厚東川ダムの方はまだ極端に低い水位ではありませんでした。

このままずっと雨も雪もなく水位が下がり続ける事態はないとは言えません。ダムが出来て以来、蛇口を捻って水が一滴も出ないという完全な断水は私自身経験したことがないのは、何処かのタイミングで待ちわびていた雨が降ったからです。晴天ばかり延々と続くことがない代わりに雨が延々と降り続いて止まなかった事態もありません。その両方とも「絶対に起こらない」のではなく、起きる確率が極めて低いことで難を逃れられています。

身の回りで「かならず起きる」のような決定論的な判断ができる場面は少なく、殆どが「起きては都合が悪い現象はできるだけ回避するよう準備する」態度です。都合の悪い事象を100%回避する努力をするよう促し期待するのは、現代社会の生き方として正しくありません。昔から根拠なく運とか罰(ばち)と表現していた概念は、確率という語で統合され正当化されるでしょう。

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降雪の写真をどう分類するか?
2021年が開けてから早々に厳しい寒波に見舞われています。恐らく50年に一度レベルの低温と降雪で、市街部もすっぽり雪に包まれています。近年まとまった降雪があったのは私が今のアジトに入居した2018年の2月でした。あまりの雪で部屋の鍵を手にしたもののこれから住むことになる家まで到達できない程でした。今の雪はそのレベルを遙かに上回っています。

家を出ると途端に足がズボッと雪にハマります。20cm以上積もっています。


アジトは雪の吹付けを受けやすい立地ですが、市街部でも普通に20cm近く積もった場所などザラです。この状態になって今日で2日目です。明日も気温がよほど上昇しなければ殆ど融けないでしょう。何しろ一日の最高気温が零下のままというのですから、温暖な西日本山陽側ではおよそ考えられないほどです。

暮らしに支障が出ているのは確かです。うちでも今朝は台所の水が出ませんでした。車を全く動かせないし自転車も危険なので、基本的に出歩かず外出も徒歩です。交通機関は動いていますが遅延が出ています。現代人にとっては困りものの積雪と映っていることでしょう。しかし…個人的には大雪は大歓迎です。こんな滅多に起きない自然現象なのですから、記録好きな宇部マニさんが放っておく筈がありません。

昨日、今日と2日続けて徒歩で買い物に行きました。昨日は冷蔵庫の中身が空っぽだという切実な理由がありましたが、いざ外を歩いてみると景観が新鮮で写真を撮りまくり、今日は別に出歩く必要もないのに写真だけで外出しました。なるべく重ならないエリアを歩き回り、雪に覆われた滅多にない風景を大量に撮ってきました。

さて、撮ってきた雪景色の写真はどう分類すべきだろうかといった問題があります。普段見慣れている河川や道路が積雪でどう変化するか対比したいなら、既存のフォルダに放り込むでしょう。しかし雪景色テーマで市街部を連続的に撮って歩いたことを重視するなら、天候を主体にしたフォルダへまとめて保存した方が分かりやすいでしょう。

画像や動画データの保存方針に依り、それらは物件を保存する一般フォルダ、物件でないものを保存する映像化フォルダと共有対象から外している個人情報フォルダに分類整理されます。雪が降っている様子を捉えた画像や氷柱を撮った写真は物件ではないので、映像化フォルダに造り付けた「雪フォルダ」に入れています。更にアジトの庭や降雪状況を撮ったものは(現に住んでいる場所を安易に明かすことはできないので)個人情報フォルダへ入れます。どうしても写真がバラバラになってしまう…

複数のカテゴリに跨がるデータを何処に置くべきかは、避けられない問題です。単一の雪フォルダへ放り込むと、雪の日に撮影した事例は過去に何度もあって枚数が多いため探すのが難しくなります。今のところ撮影した場所が物件に該当すればそこへ保存し、物件に該当せず雪主体の撮影は雪フォルダへ入れるといった対処をしています。雪景色を撮った場所は物件のほんの一部であり、対比して見やすくすることを優先したためです。

一般にすべての物件の撮影は、対象物が綺麗で分かりやすく写る天候条件を選んで行っています。屋外の道路などは青空が拡がる晴天、日照が限定される藪や森林の中では曇りのときです。積雪は滅多にないことなので採取するものの、降雨だとどうなるかとか夜間はどう見えるのか…と考えると際限がなくなります。今のところ降雨は極端な状況でなければ撮影しないし、夜間はそれが撮影モチベーションである場合(イルミネーションなど)に限定して行っています。

将来的には晴れた日に撮った写真に対して、降雪条件や気温などのパラメータを与えるだけで誰もがホンモノと見分けがつかない位に精巧な積雪の写真を造り出すことができるようになるでしょうね。

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2021新春スペシャル!放映中です!
去年の暮れに吉部で収録した山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」2021新春スペシャル!が元旦から放映開始されました。内容は2020年に起きたことを出演メンバーで振り返るというもので、宇部マニさんは”隧道どうでしょう”とそのスピンオフ企画”隧道あるはずでしょう”に出演しました。

番組自体は20分放映ですが、去年の暮れはアーケードヒストリーなど多くのシリーズの総まとめが重なり編成作業が大変だったようです。2021新春スペシャル!も私を含めて出演メンバーはトークするだけで済みますが、映像と音声データは本社へ持ち帰られ編成部メンバーで本当に大晦日のギリギリまで作業が行われていました。この様子は公式ブログの「1年間 ありがとうございました!」に記載されています。

新春スペシャルは今月10日まで放映され、前編と後編に分かれています。まだ後編は視ていませんが出演したから何が流れるかは分かります。後編で宇部マニさんはとんでもないモノを披露します。この映像が前編の最後にチラッと流れています。写真は視聴中のテレビ画面の接写です。


さて一体何が飛び出すのか…詳しくは後編にて!
…って言うところですが、視聴できない方には何のことか分からずモヤモヤすることでしょうね。なのでテレビで披露される「とんでもないモノ」について当サイトでも記事を作成しています。書き上がったら更新履歴で案内します。

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新しい生活習慣の始まる年に…
新年が明けるごとに毎年、お知らせ履歴を更新しています。ファイル名も変わるので、去年のお知らせ履歴をコピーして使っています。なので去年の年明けにどんなことを書いているか分かります。

去年のお知らせ履歴を見ると、寒い中自転車でカウントダウン花火を観に行っています。大晦日には年越しそばを食べに野山へ行き、元旦の夕方には再び野山へ新年の会合に行っていました。今回の年末年始は、今まで慣習的に行ってきたことの殆どを止めています。

即ち大晦日は台風の潮風で汚れていた窓を拭いた程度で、外出しないまま年越ししました。野山でも年末年始の会合をやらない方針となり、恒例の年越しそばは自宅で食べました。買い物にもいっさい出なかったのは、珍しくまとまった雪が降ったのも理由です。アジトは山間部にあり、大雪が降ると車での出入りが危険になります。

その後普通に就寝し、朝起きて初めて目にした太陽を撮影しました。
これは日の出の瞬間ではなく、私が起きた後の午前8時頃に窓を開けて撮った画像です。


今までずっと行っていた元旦の琴崎八幡宮の初詣も、今年は止めました。全然行かないというのではなく、節分までに行けば良いという案内がされていたので。まだ雪が積もっていて出歩くのは危険だし、何よりも寒いから大儀です。安泰に年を越せたことを感謝しに参拝しようとは思いますが、祈願するための参拝は今後は当面止めようと思います。祈る以外どうにもならない事象が発生したときだけ、祈願を再開します。今は祈る暇があるなら願成就の確率を上げるためのアクションが必須なので。

ここまで読めば、例年と比べて今年は如何にも湿っぽい年明けに思えるかも知れません。確かに「密を避ける」は一つの理由ですが、実のところは「合理的に暮らす」が本質です。私からすれば新年の挨拶とかお年玉とか初詣なんてのは、全部バッサリ斬り捨てても全然哀しい気持ちにはならない…実のところ嬉しくてたまらないのです。何故なら、その分だけ自分の時間が増えるから。古い慣習は尊重し大事にしても、そのために自分の暮らしが圧迫されたり不便を強いられるのは非合理的です。

世は「新しい生活様式」をしきりに唱えています。これはキッカケに過ぎない…何故なら、生命に関わるほどの重要なイベントが起きなければ時代は変われないからです。遠方への旅行自重から帰省の取りやめ、人々の行動の分散化と家に居ながらにして愉しめるデジタルコンテンツ配信…有り体に言って、私たちが以前から取り組んでいるど真ん中に時代の中心が動いて来ているのを感じます。こんなスリリングなことはない…

更に今年は宇部市制施行100周年という重要な節目の年です。私もあらゆるものを形あるモノにして送り出すことが求められています。今年の年末には、どれほどの作品を世に送り出せたと実感できていることでしょうか…

(「お知らせの履歴・2020年」へ)

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