厚東川ダム・左岸堰堤接近計画【8】

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(「厚東川ダム・左岸堰堤接近計画【7】」の続き)

厚東川を左岸沿いに遡行していては到達する方法がなく、入り込めば脱出する術がないかも知れないダム左岸の真下。確かにそこには恐らく長い年月の間、誰の目にも触れることがなかった様々なものや奇観があった。

この場所からダム堰堤を見上げて撮影。
恐らくゲート部分を一番近くで観ることのできる場所だろう。このアングルから撮影した人は誰も居ないのでは…
垂れ込む木の枝が邪魔だったが他に撮影できる場所がなかった


そこから左岸真下に向かって歩く。
積もった枯れ葉の量が半端ない。全く地山が見えない。


ゲート室と左岸堰堤の接続部を見上げる。
見学会のとき、担当者から「コンクリート量を節約するため」と説明を受けた堰堤に穿たれたカマボコ形の”盗み”が見えている。


左岸堰堤の真下にいる。
ここもかねてから到達を企て、”何十年もの間誰も訪れることのない眠った空間”と認識していた場所だ。


予想通り、ダム堰堤真下には空き缶や瓶などのゴミが落ちていた。それらとて注意深く観察する対象だった。今は発売されていない非常に古い空き缶や瓶などが見つかるかも知れないからだ。

量は多くなかったし、残念ながらそれは現在でも売られている比較的新しいものばかりだった。撮影はしなかったが、缶はラベルが見えづらい位錆びていたものの、ガラス瓶などは殆ど原形のままだった。
もしかして補修工事などで堰堤に立ち入った誰かが投げたのでは…

堰堤から離れるように歩き出す。
草に埋もれて分かりづらくなっているが、この辺りはかなり巨大なコンクリート塊がいくつも転がっていた。遠目には普通の岩のようである。


その中に人の手が入ったらしいコンクリート塊を見つけた。
木の柱か何かがあったものを破砕したらしい。まるで化石のようだ。


きれいな断面が生じているから、元々木の杭が埋め込まれたコンクリートを破砕したのだろう。
類似するものが厚東川水路橋の基礎部分にも観られる…軟弱地盤の補強跡では…


大きなコンクリート塊が片付けられもせず現場の隅に転がっている状況は、昭和中期以前に土木工事が展開された場所では普通に見かける。
厚東川1期導水路の沿線でも余ったコンクリートを投棄したらしい場所がある
思うにかつての公共工事は、廃棄物処理に関してよく言えばおおらか、悪く言えばかなりいい加減だった。

コンクリート殻に限らずどの業者が何処の処分場で、どの程度の分量を搬入したか…などの顛末が分かる文書(マニフェスト伝票)の提示が義務づけられている。廃棄物の処理費用も工事価格で計上されているので、マニフェスト伝票のない処理は「もぐり」である。
遙か昔はそこまで管理が徹底しておらず、とりわけ高度経済成長期は工業イケイケ状態だったから、コスト削減や環境保全という問題に今ほど厳しい目が注がれていなかった。
現在では工事現場の後にこれほどのコンクリート殻が放置されていれば、間違いなく通報される。廃棄物一つとっても時代を反映する要素があるということだ。

さて…
これらの遺棄物を含めてたまさか現地へ観に行こうと足を運ぶすべての方に対し、重大な注意喚起を行っておかなければならない。

あの廃棄コンクリートを眺めて、そろそろ脱出を考えようと藪を巻きつつ下流側へ歩いたときのことだった。
何だこれは?
疎らに雑木が囲む中、奇妙に黒々とした窪地があった。


最初、倒木によって生じた洞かと思った。一昨年の夏だったか山陽地方を襲った大水害では降りしきる雨で山が緩み、多くの木々が倒れて厚東川へ流された。同様の洞が今回進攻したあの古い水路の近くにも観られたからだ。

しかし…
どうやらそれは木の洞ではない。あまりに深い。
かなり接近しているのに底が見えないのである。


正体が何か分からずともどれほど危険なものかはすぐ察することができた。
カメラを構えて覗き込むのもおぞましい。


とても近くまで寄る気が起きず、腕だけ伸ばしてズーム撮影した。
この写真では状況が分かりづらいだろう。


穴の直径はおよそ5m程度。修理がすり鉢状に崩れていてその部分も含めれば直径10m程度ありそうだ。
深さは5m以上あって底には水が若干溜まっていた。それほど水が溜まってないということは、地下水脈になるか厚東川の方へ抜けているらしい。

どうしてこの竪穴が生じたのかは想像もつかない。木が倒れて根こそぎ流出して出来た自然の洞なら、非常に背の高い樹木でなければならない。深さ5mにも及ぶとは考えられず、恐らく別の要因だろう。
竪坑の周囲に人の手が入った形跡がなく、恐らく自然に出来たものと思う。一般人が軽い気持ちで立ち入るような場所ではないにせよ、人工的に掘られた竪穴なら落下すればただごとでは済ます、普通は埋めるなどの処理をするものである。恐らくダム管理者も掌握しきれていない洞と思われる。地下水が河川敷へ抜けることで周囲の土砂を奪って陥没したのではなかろうか。

周囲は雑木に囲まれており、洞は開口部よりも内部の方が広く壺状に抉れている。このため開口部の縁まで行かずとも接近しただけで足元の土砂が崩れて転落する恐れがある。
この洞が本シリーズの冒頭でもお伝えした「下手をすれば生命にかかわる危険な場所」だ。第三次計画の冒頭でも注意喚起していた。道なき藪を漕ぐとか、急斜面を幹に手がかりを求めて登攀するとか、崩落斜面をやり過ごすなど危険箇所はいくつかあったが、この場所の危険度は想像するも本当におぞましい。
それ故に改めて最高度の注意喚起を行っておきたいのだが、

警告この場所は転落すれば生命にかかわります。絶対に接近してはなりません。

洞が壺状になっているので転落すれば脱出はまず不可能。内部には水が溜まっていて木の葉が堆積していることから、深く嵌り込む底なし沼状態になっているだろう。このような場所は足の届かない溜め池に転落するより遙かに危険度が高い。
内部に転落死した野生動物の死骸があるのでは…

「ここは危険だ」という情報を記事にすれば、逆に興味を惹いて現地へ行ってしまう方があるかも知れない。しかしこの場所にまったく触れなかったために不用意に立ち入って被害に遭うよりは情報提供しておくのが妥当だろうと考えた。
「そんな危険な場所に関する記事など初めから書くな!」と言われればそれまでだが…

そろそろ脱出することを考えていた。この竪穴がある護岸側は少し漕げば脱出できそうな場所があったが、用心を重ねてこの洞を大きく迂回することにした。

山側を眺めると、一段高い平場らしきものが見えていた。まだこっちの方が安全だ。


1m程度の段差を登って振り返って撮影。
左側にあの忌まわしい洞が見える。右側に先ほど見つけたコンクリート殻があった。今の季節でこれほど周囲の眺めが効かないのだから、夏場はジャングルだろう。


その平場は道ではないらしかったが、かつて誰か足を踏み入れたことがある場所なのは間違いないらしい。足元にこんなものが転がっていた。


粉々に割れていて、元は何だったのか見当がつかない。碍子のようであり、酒徳利のようにも見える。

文字のある部分を接写しておいた。


時期柄酷い藪に悩まされることはなかった。そして一頑張りすれば脱出できそうな程度に藪の薄い場所を見つけた。
その場所こそが…


以前訪れ、進攻しようにも藪が酷くて断念した赤いリボンが結びつけられた場所だったのである。


脱出成功♪
出てきたのはあの藪が進攻を妨げているどん詰まりの近くだった。


結局、この酷い藪だけがダム左岸堰堤への接近を妨げていたことになる。

しかし夏場はもちろん、去年の冬などもこの酷い藪を見て「いくら何でも進攻不可能」と諦めていたのは全く正解だった。
それと言うのも例の危険な竪穴は、ちょうどこの藪の奥になるからだ。
どうしても接近したいから…と、足元もよく見えないこの藪の中をずんずん闇雲に進攻していればどうなっていただろうか…かなり背筋の冷たくなる話だ。

この広場のような場所の手前に分岐があって…


その更に手前に、今回経路として選定したあの古い水路があったのだった。


一連の経路をマップに作成してみた。


今回はあの激藪を避けて手前にある古い水路に沿って高度を上げ、更に水路横の沢の高さが追いついた場所で沢を渡って斜面を登っている。そこに砂礫ばかり目立つ平場があった。
あの平場は、当初ダム左岸監査廊が作られたときの経路として整備されたものではないかと思う。まったく人が通ることがないので踏み跡が淡くなり、ダム横の斜面が崩落することで容易に通れなくなってしまっていた。

危険な竪穴は、激藪の端に存在する。ここを充分回避することを前提にして、今回脱出したのと逆コースを辿ることでも左岸監査廊や左岸堰堤に到達できると思う。この場合、既に見たように監査廊入口へ到達する時点で木の幹を頼って登る場面がある。
監査廊入口から左岸堰堤までは完全に木の幹の助けを借りながらの登攀となり、最短ルートである代わりに回避はできない。
砂礫だらけの平場から斜めに登る形での山越えで左岸堰堤に到達できるかも知れない

左岸堰堤には測量杭が打たれていることから、その程度の業務を行う人々にとっては到達不可能な場所ではない。しかし一般には決して容易に行ける場所ではないし、恐らくはそうまでして到達を目論むほどの場所でもないだろう。

”泥のじゅうたん”地帯の向こうでは、車が主の帰りを静かに待っていた。


3度目にして、念願の左岸堰堤到達ミッションをやり遂げた。しかも左岸監査廊入口発見というプラスアルファの成果と共に…

久しぶり適度に難易度が高く、充分に達成感のあるミッションだったと思う。未踏査地点がまた一つ減ることになるが、心配しなくとも同じような場所は既に私の知っているところ知らないところ取り混ぜていくつもある。
最近判明した右岸の曝気循環設備棟付近になる遺構もその一つ
当分の間、再訪はないとは思うが、あれでも厚東川水路橋の如く、藪に戻りたいという”野ウサギ的発想”が芽生えた折にはカメラを持って訪れているかも知れない…

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