大坪ダム

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記事編集日:2014/6/9
大坪(おおつぼ)ダムは、利水確保を主な目的として厚東区にある大坪川を母体として造られる計画のあったダム[1]である。
後に述べるような理由で大坪ダムは計画自体ほぼ完全に潰えている。

下の地図では、計画されていた堰堤のおよその位置を示している。


大坪川は県管理の2級河川で、丸山ダムの母体となる薬師川よりは集水面積が広い。そうはいうものの大坪川単独でダム水を賄うには力不足に思える。実際、当初から河川水の貯留を主な用途として計画されたダムではなかった。
大坪ダムは丸山ダムからは極めて近く、湛水域は単一の尾根を隔てることになる。こうした地理的要因が計画の背景にあった。

このことから想像されるように、大坪ダムは当初から現在の宇部丸山ダムと同様の湛水システムが計画されていた。即ち宇部丸山ダムと大坪ダムの湖底を隧道で連絡し、丸山ダム湖からの水を送って貯留するのである。
宇部丸山ダムは薬師川を母体とするものの、連絡隧道によって厚東川ダムからの水を受けることにより、実質的に小野湖の延長部分のように機能している。大坪ダムもまったく同じ方式で計画されていた。

この計画の背景には、高度経済成長期における用水需要の増大があった。宇部丸山ダム築造後も需要の伸び率からして逼迫する恐れがあると判断され、貯留量を増やしておく必要があった。
この折りにも再度、厚東川ダムの嵩上げにより貯留量を増やす方法が検討された。堰堤を嵩上げする工事自体に極度な困難はなかったが、小野湖の水位が上昇し湛水域が拡大することにより水没する居住区域が著しく広く、水没補償の問題や対象地域住民の反対により、到底実現できる状況ではなかった。宇部丸山ダムから一つ尾根を隔てた立熊地域へダムを造り、同様の方式で貯留量を拡大する案が有力視されたのである。(厚東川第2期利水事業)

丸山ダム湖より水を送るので、大坪ダム湖の計画水位は当然一致する。このことと書籍[1]別添の計画図を参考に、大坪ダムによって水没する範囲を地図に書き込んでみた。


灰色のラインが計画されていたダム堰堤、水色で示した部分がダム湖である。この図でも分かるように、中央に島を持つダム湖となっていた筈である。

水色の領域にかかっている部分は水没する。民家や田畑のみならず既存の中国電力宇部変電所も影響を受けた筈だ。大坪川に沿って進む県道宇部美祢線は付け替えが必要になる。
例えばこのような具合に…ただしこの付け替え道は私のまったく勝手な想像で描いています

厚東駅前を起点とする県道宇部美祢線はこの最近漸く部分的な拡幅工事が始まった。この県道は未改良区間がまるで林道のように狭く侘びしい道として知られる。県道の整備が遅れたのも大坪ダム計画の先行きが見透せなかったからだった。もしダム計画が進めば道路改良しても水没してしまい無駄になるからだ。
県道拡幅工事も今のところ本腰状況ではなく、仮に再びダム計画が再燃したとしても湛水域にかからない部分から先行改良しているように思える。

そして紫色で示されている直線こそ、丸山ダム湖と大坪ダム湖を結ぶ圧力隧道であった。地図に示したのは完全に正確な経路とは保証できないが、現存する廃塔付近から県道の立熊橋付近に至る予定だったらしい。したがって以前紹介した丸山ダム湖に屹立するこの廃塔こそ、大坪ダムに水を送るための取水塔と断定せざるを得ない。


丸山ダム湖に取水塔を造る時点では、まだ大坪ダム計画がどっちへ転ぶか分からない段階だった。それにも関わらず先行して造られたのは、丸山ダム湖に湛水した後で取水塔を造るのが困難だったからと思われる。最終的に大坪ダム計画が頓挫したため、この取水塔は壮大な廃物となってしまった。

大坪ダム計画が頓挫してしまった理由の一つに、ダム工事にはつきものな水没集落の補償問題があった。立熊地区の殆どが水没するため代替地交渉が難航した形跡が窺える。しかしそれだけの問題ではなかった。工業用水需要の変遷をはじめ、いわゆる「時の運」とも思われる要素も背景にあった。
この辺りの事情は水道局発刊「宇部の水道」に極めて重要な記述がある。該当箇所を編集しつつ引用する:[2]
丸山ダム計画の発案をはじめとする厚東川第2期利水事業の当初計画では、宇部丸山ダムと大坪ダムの築造が含まれていた。
調査の開始された昭和44年頃、県から宇部市・小野田市に利水事業の共同参加の呼びかけがあった。しかし当時は両市とも石炭産業の衰退による工業用水需要の低迷期であり、先行投資に二の足を踏んだ。こうして第2期事業は工業用水単独事業として着手された。
その後に訪れた高度経済成長期で水需要が急激に伸びてきたため、両市は県に対して共同参加を要請した。しかし宇部丸山ダムは既に工業用水としての水利権が決定されていたため参加できなかった。
ただ、県としても用水需要の重要性を認識しており、新規に厚東川第3期利水事業として大坪ダム開発を計画したが、新規事業の採択は厳しく、結局厚東川第2期利水事業の計画容量の増量変更という形で昭和47年12月に通産省の事業認可を得た。
即ち、当初は県から宇部小野田の共同参画を前提にした呼びかけがあったのだ。時は昭和40年代、石炭産業が斜陽化し終わりを告げつつある時期であった。このため県のオファーを蹴った形で単独事業として開始されている。
その後、高度経済成長期に差し掛かり工業用水需要が増大した。そこで宇部小野田連名で共同参画を県に申し出たのだが、上記のような事情により参加できなかったのである。
ただ、この時点でなお用水需要は伸びていたらしい。大坪ダム計画を厚東川第3期事業として計画していたことから、そのまま用水需要が右肩上がりだったなら、ほぼ間違いなく水没地区住民との補償交渉に入っていただろう。最終的に大坪ダム計画自体を撤回し、第2期利水事業の増量変更という形で決着できた裏には、高度経済成長期の終焉による用水需要の伸び鈍化(ないしは横ばいか減少)にあったと考えざるを得ない。

もし高度経済成長期が更に持続し工業用水需要が高まっていたなら、第3期利水事業として大坪ダム計画が新規に認可されていたかも知れない。実際にはその後に訪れたオイルショックにより工業用水需要は再び低迷した。再度の用水需要の高まりを見越して計画自体はなお進められていたようだが、現在ある厚東川ダムおよび宇部丸山ダムによる給水で対処可能と判断されたらしい。加えて水没戸数が多く補償交渉の難航が予想される現状があれば、大坪ダム建設計画は「実現にはほど遠いものがある」[3]と見なされざるを得なかった。

計画断念の公式発表があったかどうかは不明だが、産業構造の変遷を鑑みれば、今後工業用水需要が急拡大する可能性は極めて薄い。その意味で大坪ダム計画が再燃する可能性はほぼゼロだろう。可能性があるとすれば、渇水予備対策としての湛水域拡張だ。
水量豊かな川に乏しい山口県西部は昔から水不足に対して脆弱な地理的宿命を負っている。降雨や台風という自然任せの現象に工業の血液たる水、市民の飲料水を託すのは些か心許ない。低い確率ではあっても長期間の少雨に見舞われれば確実に厳しい状況におかれてしまう。今後一度でも「ダム貯水余命があと一ヶ月」などという危機的状況に晒されたなら、大坪ダム計画の再検討は一つの選択肢たり得る。ダムの洪水吐が「数十年に一度の集中豪雨」を想定して予備的に設置されているように「数十年に一度の大渇水」に対しても同等以上の予備的な対策が必要である。
ただしダムを造って水を溜めるという以外の方法についても検討されるべきであろう

再度大坪ダム計画がクローズアップされる時が来るかは不透明にしても、差し当たって気になるのは造られながら一度も供用されることのなかった取水塔とその先の圧力隧道だ。現に取水塔が存在するのだから、そこに接続される圧力隧道が部分的にせよ掘削されている筈だ。それが再度活用される日が来るのだろうか…そして今、そこは一体どうなっているのだろうか?

あの取水塔のゲートが全開状態なら、丸山ダム湖の水位がよほど下がらない限り圧力隧道の内部は完全に水で満たされているだろう。他方、ゲートが全閉状態で充分な気密性が保たれているなら、隧道が造られた当時のままの空間が延々と続いているのだろうか…
そもそも、圧力隧道は何処まで掘鑿されたのだろうか?
大坪ダム注水口は存在するのだろうか?
それは誰の目にも触れない場所で遺構として眠っているのだろうか…
まず、大坪ダム注水口として計画されていた場所は特定可能としても注水塔自体は存在しないと思う。代替地交渉などが進んでもいない段階で当該ダム関連の構造物工事を先行するとは考えられないからだ。そんな不透明な状況にありながら丸山ダム側に先行して取水塔を造ったのは、湛水後では施工不能と判断されたからだろう。したがって圧力隧道は丸山ダム側から一定距離までは掘削されていると想像されるし、大坪ダム注水口予定地にも測量の痕跡くらいは遺っているかも知れない。

これは市道立熊沖田線の起点がある分岐点である。
県道の向かって右側が大坪ダム注水口が造られる予定地にかなり近いと思う。また、この辺りは湛水された暁には少なくとも20m程度の水深をもつことになった筈だ。


昭和49年度の航空映像も含めて地図を眺める限り、それらしき場所はまったく見当もつかない。山の木々が伐採され地肌が見えているような場所は観測される。それも測量や工事によるものかどうかは分からない。また、現地周辺は殆ど道らしきものがなく、踏査するなら地形図を眺めながら一つずつ沢地を探索することになりそうだ。
現地に何か痕跡が遺っているなら、大変に興味深い物件になるだろう。地元住民なら詳しい状況をご存じと思われるが、故郷をダム湖底に失う工事のことなど語りたくもない悪夢と認識されている筈で、現地踏査だけならまだしも聞き取りは慎重に対応した方がいいだろう。

世の流れとも相俟って誕生することなく立ち消えとなった大坪ダムだが、結果論とは言っても取水塔の設置や調査費などを含めれば億単位の先行投資が無駄になってしまったのは確実だろう。文献を紐解く限り「予測困難だった環境の変化」に帰せられるべきことは理解されるものの、水源開発事業における負の歴史の一つであり、企業局にとっては触れられたくない案件かも知れない。

出典および編集追記:

1.「水道50年の歩み」宇部市水道局, 巻末 宇部市上水道施設図

2.「宇部の水道」宇部市水道局, p.135

3. 同上 p.136 にその文言がみられる。

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