開渠と思われた斜樋は、ただの管理道だった。そこを下るのは余水吐から溢れた水ではなく、メンテナンスに来た中国電力の作業員という生身の人間らしい。斜路の中央に溝が切られ、階段らしき構造も見られたからだ。
下って先を偵察するべきか…
ガードパイプに身を預けてしばし考えていた。
昇降口にはチェーンが掛かっているものの、壁面にタラップが設置されている。一応、内部へ降りることを意図した設計にはなっていた。
しかし私にはどうにもこれが管理道に見えなかった。
中央の溝部分はコンクリート部分を波打たせただけで、足掛かりに不安があった。何よりも45度近い勾配ながら手摺りがなく、足元には落ち葉や苔も目立ち躓いただけで一気に斜面を滑り落ちそうだ。斜路の先端は深い藪の奥へ吸い込まれており、その先は見えない。
この先がどうなっているか知りたい。呑み口に至った水はこの斜路の右脇の地中に潜っている筈であり、どういう経路で沢を下るのか… 何処かで顔を出して再び開渠になるのか、それとも本当に出発点の発電建て屋付近まで一本の斜樋で到達しているのか…
しかしここで自分は最終決断を下した:
行ってはならない。
ここで引き返すべきだ。
緩衝池周辺の地形やそこまでの経路は、アジトを出る前に地図で頭に入れていた。だがこの斜路の先は、地図で見た限り人が歩ける道筋の記載が全くなかったのを覚えていた。木々の鬱蒼と生い茂る斜面を下るなら周囲の視界が効かず、自分が何処に居るかを把握するのは来るとき辿った水圧鉄管沿いの管理道以上に困難だろう。ここで引き返すべきだ。
これが真っ当な管理道なら、恐らく出発点付近まで続いているとは思う。しかし万が一、である。この斜路を下るだけ下った後で道を失ったら…どういう事態になるだろうか。
既に見てきた通り、今居る場所へ到達する安全なルートは水圧鉄管沿いの管理道以外まったくない。帰還するにはこの急な斜路を登り直し、一旦緩衝池まで戻ってから水圧鉄管沿いの管理道を歩かなければならない。それも元気ならまだしも、汗を垂らし、ガードパイプにもたれかかってヘロヘロな状態なのだ。
強引に沢を下るなど暴挙だ。ここは決して浅い山ではない。麓まで延々数百メートルもの急斜面を藪漕ぎ…殆ど遭難に等しい事態だ。
緩衝池へ到達するまでは攻略に一生懸命で頭になかったのだが、我が町の野山なら出没するにしても精々イノシシ程度だろう。しかしこの山奥なら道なき道へ踏み込めばクマとの遭遇だって有り得る。いや、それは今我が身を置いているこの場所ですら安泰ではない。
(そのことを思えば単身でこの場所まで踏み込むのはあまりに危険過ぎる)
自分の体力とこの後に控えている訪問先のことも考えて決断した。
これ以上追い求めないと判断した以上、余計な労力を使う気がしなかった。斜路の内部に降りるのは危険を感じたから、タラップに足も掛けず引き返した。
それ故に余水吐から出て行く開渠が呑み口へ接続され、そこから先がどうなっているかは分からない。そして遺憾ながら、自分の目で確かめてカメラで映像を持ち帰る機会は今後もないだろう。
再び開渠に沿って緩衝池の方に登る。
簡素な階段は、緩衝池にあるもう一つの出入口に繋がっていた。[11:56:23]
(これだけ整備されているならやはり正規の管理道なのかも知れない)
ここへ来て初めて開渠の内部をハッキリ写すことができた。
ネットフェンスの標準仕様は高さ1800mmだから、開渠の幅は最上部で3m近くありそうだ。かなりオーバースペックな気がする。
この規模からして単なる余剰水の排除ではなく、もしかすると先に見たゲートから直接排水して発電することもあったのだろうか。
本当にあの呑み口から発電建て屋付近まで一気に下り落ちる、長さ数百メートルにも及ぶ斜樋が眠っているのだろうか… (想像を巡らせながら書いていると再訪したくなっちまうので止めておこう^^;)
この裏口とメインの出入口が擁壁で繋がっており、その下部から水圧鉄管が引き出されていた。
いち早く管理道へ復帰するなら、フェンスの網目にしがみ付きながら擁壁の天端を歩くことはできた。しかし如何にも危険であり、集中力の途切れた今なら転落しかねないので止めておいた。
結局、水圧鉄管の右岸部を辿ることにした。
管理道に復帰するには、この斜面を降りなければならない。
水圧鉄管の敷設された開渠部は結構な幅と深さがあって、ジャンプ一つで対岸へ移れるような状況ではない。[11:57:21]
高低差の充分低くなった場所で開削部に降り、索道が水圧鉄管を跨ぐこの場所で管理道に戻ることにした。
台座コンクリートの高さは1m近くあり、登るのに一苦労しそうだ。[11:58:13]
水圧鉄管の下部の様子。
台座コンクリートを跨ぐのに足を上げる労力すら堪えるので、この下を潜れないだろうかと考えかけた。
結露しがちな水圧鉄管は、全体が苔に覆われている。その下を潜れば、汗まみれのシャツで「拭ってしまう」ことになるのは避けられない。上を跨ぐしかなかろう。
下部を撮影しているとき、一部にこのような蓋らしきものが取り付けてあるのを見つけた。
水圧鉄管は勾配変わりが多いものの砂塵が滞留するような箇所はない。何のためのものかちょっと見当がつかなかった。
コンクリート基礎を跨いだとき、行儀が悪いのを承知で水圧鉄管の上に登った。
上流側を撮影。本当に”もう二度と来ることはない”だろう。(多分?)
こちらが下流側だ。
こうやって撮影している間も、緩衝池から出た水が鉄管の内部を流下しているのだろう。滑り台の如く、自分も水圧鉄管の上にコースターを載せて一気に下れたらどんなに楽だろうかとたわけたことを考えたくなった。
ヒーヒー言いながらやっとこさ登ってきた、あの急な梯子階段。
降りるのも楽ではない。[12:00:54]
中電のものと思われる境界杭があった。
いくら疲れていても、参考資料になりそうなものにはカメラを向けて持ち帰った。
来るときに遭遇してきた景色が逆順で現れ、背中の後ろに消えていく。
この景色も見納めになるだろうか。[12:02:41]
上の撮影を行った後、デジカメをポケットへ押し込んで黙々と足早に進んだ。
行きの時ほど拷問級な苦しみはなかったが、下りの階段も決して楽ではなかった。コンクリート階段を勢いよく降りれば、左右の膝頭が交互に全体重以上の衝撃を受ける。程ほどのペースで降りなければ、今は大丈夫でも休み明けに膝が酷いことになりそうな気がした。
(幸いなことに休み明けも全く悪影響はなかった)
往路で撮影していなかった重要なポイントがあった。気が付いてすぐ振り返り、ポケットからカメラを取りだした。 例の神社への分岐点である。[12:08:08]
道中で分岐点らしきものはここ以外ないから、往路で見落としたことは考えられない。水圧鉄管の規模に圧倒され、しかも立入禁止などの門扉がなかったから、吸い寄せられるように先を辿ってしまったのだろう。
階段は分岐より先で若干狭くなっており、全体的にコケの生え方が違う。この先へ進むのは中電の作業員くらいのもので、神社への参拝者より更に少ないだろう。
ちなみに、神社へは行かなかった。
この分岐からどれだけ進めば良いか分からないし、恐らく間上発電所とも関連はないだろう。全く水分補給を行わないまま歩き詰めていて、もう殆ど汗も流れない状況だった。一刻も早く駐車場へ戻り、望むだけ水を飲む方が重要だった。
ここまで来ればもう大丈夫だ。
戻って来れて当たり前なのだが、本当にホッとしたひとときだった。[12:09:54]
民家の近くを通りかけたとき、ちょうど庭へ出て植栽いじりしている方の姿を見かけた。
私が降りてきた方向と汗まみれな出で立ちを見られれば、何処へ行ってきたかを隠しようもなく、そそくさと通り過ぎた。
振り返り、今回の無謀極まりない冒険の出発点を撮影。
よくもまあ、最高地点まで極めてきたものだと我ながら感心してしまった。
冒険としてはこれにて幕引きとなるのだが、二度目はないとなれば撮影しておかねばならないものが若干あるし、後片付けも必要だ。そのあたりを最終章で付け加えておこうと思う。
(初回のブログ公開時にはなかった展開や写真が含まれます)
(「間上発電所【8】」に続く)