私が考え、信じていること

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記事作成日:2013/3/11
ホームページがここにある以上、造っている人間がいます。そして多くのホームページには著者紹介(プロフィール)なる項目が設けられています。そこでは大抵制作者の職業をはじめとする経歴や趣味、好きなもの嫌いなものなどが語られます。会社や団体に所属し一定の責務を課されるサイトなら、本名をはじめ住所や年齢などやや立ち入った個人情報も掲載されるでしょう。

私が最初にホームページを立ち上げたのは1999年のことで、それは特別なテーマもない一個人のサイトでした。ブログというものはまだ実物も言葉もこの世に存在せず、個人のホームページも僅少な時代でした。それで私は他の方がしているのを見よう見まねでプロフィール・ページを設け、趣味や仕事などの自己紹介を書いていました。
しかし時代が下り、今の状況で改めてこのサイトを立ち上げるにあたって、プロフィールの作成をテーマ踏査記事の執筆同様「習慣としている徹底主義」で行えば時間を取られて非効率的だし、何よりも時代にそぐわないのではと考えました。

この一風変わったホームページをどういう人間が作成しているかについて何か書いておく必要性を感じるものの、リアルで会える方には私の事は相応にご存じでしょう。
ブックマークからご覧頂いているアクセス数の相当量はリアルで私のことをご存じな方によるもののようです
他方、ネットでのみ私を知る方々にとっては興味の対象は恐らく記事内容およびその特異な発想と着眼点だけで、私の住所氏名や職業などは殆ど重要ではないでしょう。

そこで自己紹介的な項目を列挙するのではなく、ここでは私が常日頃から信じ、考えていることを書くことにしました。どんな仕事をしているか、趣味や娯楽として何を嗜むかなどを知って頂くより、私がどんな考えを持っているか知って頂く方が重要だし私としても本望だからです。

以下の事柄は、これを記述した現時点で私が信じ、肯定的に考えているものです。「私が勝手にそう信じている」だけであり、客観的真実であると勘違いなさらないでください。また、人間は生物(なまもの)です。年月や環境によって考え方は揺らぎ得ます。今、これが自分の信条だと考えて書いていることが将来にわたっても同じであり続ける保証はできないことをご理解ください。

長文を読むのが面倒な方は、以前から作成してある私のYahoo!プロフィールを参照ください。長期に渡って運用し、定期的に編集追記されているので概ね現在の自分の考えに一番近いものとなっています。
※ 以下のYahoo!プロフィールリンクは、2015年3月以降機能しなくなったので削除しました。
「Yahoo!プロフィール - sta_vanillaのプロフィール(全公開)」
(hxxp://profiles.yahoo.co.jp/-/profile/?sp=yqyns7oib6eYUpcLOZ8COnsAzg--)
代わりにこのたび語録を作成しました。作成日が新しいのでこちらの方がより現在の自分を反映しているかも知れません。
派生記事: 語録(2016/9/10)
長文にお付き合い頂ける方は、以下をご覧ください。
・権威や肩書きのようなランク付けに否定的。
「実際に何をやっているのか」「何が出来るのか」が重要。
「どういう人が記事を書いているのだろう」という情報は、一部の読者にとっては興味深い情報でしょう。しかし私自身の考えとしては通り一遍のプロフィールを記述すれば読者には私の素顔が見えるメリットはあるものの、個別の記事をお読み頂く上では必要のない情報です。
記事によっては内容が衒学的で異様に深く、しかも専門的事項を自信ありげに語っているので、そういう筋の人間が執筆しているのでは…と誤解させているかも知れません。それ故に早めに明言しておきますが、多くのジャンルに関して私は殆ど素人です。[1]可能なものは調べて裏を取ったり自分なりに反芻して書いているので、玄人っぽく見えるだけです。もし望むなら、自分で執筆家とか冒険家など好きなものを名乗れますが、元より肩書きに殆ど興味がありません。

役職や肩書きすべてを否定する訳ではありません。現にそういった位置にある方々の殆どは過去に相応な努力をなさったために現在があるわけです。しかしごく一部の残念な方々は自分を実物大以上に見せるツールの如く肩書きを使われています。そういった方々は往々にして自らの肩書きを喧伝し、自分の主張に箔を付け、如何なる主張をもゴリ押し的に伝播させようとします。有識者に敬意は払いますが、世に言う「有識者」の名を殊更に振りかざす人間が嫌いです。その存在は権威を持たされていない一般の人々に無用な威圧感と先入観を与えるだけ害悪とすら考えています。そこまで言い切るのも、過去私を含めて多くの人々の意見や主張が有識者を標榜する一部の人間によって封殺される工作を見てきたからです。

先ほどの自己紹介の流れに絡めて言えば、提示された同一の記事に対し、自著を多数出版し業界の権威者とも言える人間が執筆したのと、何処にでも住んでいる普通の人私は当然ながらこちら側によって書き散らされたのとで読者の評価が分かれるなら、その考え方は修正が必要です。あらゆる主張の信憑性・信頼性は発表した人の名前やID、肩書きなどではなくその内容に依るべきと考えています。簡単に言えば「『1足す1は2である』を私が唱えても超一流の数学の権威者が唱えてもその信頼性は等しい」ということです。

もっとも、だからと言ってこのホームページの記事は「何の知識も持たないズブの素人が書き上げた」という解釈も極端です。パソコンやネットに関してある程度の知識がなければ、普通は断定的な主張をしないものだし、何よりも自力でホームページを構築しようとしないでしょう。例えば道路や付属構造物に関しては、過去の職歴柄それなりの予備知識は持ち合わせています。[1]しかし基本的には何処にでも見かける普通の一庶民で、何故か目標だけは妙に高く掲げている物好きが記事を書いているとお考え頂ければ間違いないと思います。
・最も妥当な意見は、ネットの海に眠っている。
数十年前、即ち昭和中期〜後期で子どもがいる殆どの家では、子ども部屋や応接間の一角に重厚な本棚があり、百科事典が並んでいたものでした。それは調べ物をはじめ、興味の向く分野についてじっくり熟読するには大きな助けとなっていました。

今やそういう家庭は少数派になっているであろうことは、かなり想像がつくことでしょう。たった一台のパソコンとインターネットへの接続機器群、そして検索という少しばかりの技術によって当時の百科事典以上に詳細な情報を、最新の結果も添えて瞬時に届けてくれます。しかも無料で!
このことは先に掲げた肩書きの信憑性が絶対的なものではないという主張に呼応します。相応な興味と充分な時間を費やし、ネット上の情報を自分の知識と統合することで誰でもある程度専門家に近づくことができます。
経験という要素があるから誰もが完全な専門家に比肩できる訳ではない

この事実は、将来的にも殆ど変わらない内容から成る歴史の百科事典なども含めて、紙による情報提供の価値を皆無まで下げるものではありませんが、多くの点で従来方式を凌駕するものであることは誰もが認めることでしょう。

辞典的内容のみならず、正解が存在しなかったり一つとは限らない問題があります。それらについてもネットを通して、どんな意見がどの頻度をもって提出されているか調べることができます。観測される意見の中には極論があり、一定の結果への誘導を期待する捏造があり、誤謬もあります。しかし注意深い観察者によって誤謬は改められ、一見信じ難い結論に至る命題があっても裏付けとなる資料が提出されることで信憑性が補強されます。

完全な正解が存在し得ない問題であっても、異なる複数の「脳」によって思慮され十分多くの回答が提出されたなら、最も多数回観測される主張が真実に近いものを持っていると考えます。私のブログや当サイトでは用語の解説先としてしばしば Wikipedia が引用されますが、それは私自身が Wikipedia 信奉者だからではなく、そこに置かれるドキュメントが多人数による査読を経ているが故に最も正しい答えに近いものを持っている筈と考えるからです。
但し私自身は Wikipedia の編集には一切関わっておらず今後もその予定はありません

インターネットが産まれて数十年になるも、未だ妥当な意見や言及がなされない項目など無数にあります。あなたの家の近くを通っている県道については恐らく項目がありますが、市道や小さな橋まで完璧な解説付きのドキュメントが整っているとは思えません。それらのうち求める人が居るかも知れない情報を逐次ネットへ供給していくのは、インターネット誕生後に生きる人間の使命と考えています。

一連の主張は必然的に次の項目へと導かれます。
・重複する情報をネットの海へ流し込むのは環境汚染。
これは私のブログはもちろん、インターネットの世界へ何を提出するにつけても念頭に置いている事柄です。一度くらい何かの記事で書いたことがあるかも知れませんが、永く継承されることを強く望むデータなら、それは提出した本人による唯一無二のものでなければならないと考えています。

即ち、ネット上で既に存在している事実や現象をまとめた記述に対し、独自の見解も所感も交えずそのまま再提出した記事は無価値であり、検索でヒットする項目を無駄に増やす点で害悪です。インターネットの黎明期なら同等の主張がどれほど観測されるかを見極めるために数量が必要でしたが、ネット誕生から相当年数経った現在および将来においては、人は未だネット界に検出されないデータを提出する方に注力すべきと考えています。

私が正しいと考える行為は、たとえ今は注目されておらずマイナーな内容であろうと、独自性のある記事を提出することです。平たく言えば日常の日記でも何かのレポートにしても「常に自分の言葉で書く」ということになるでしょう。
・圧倒的多数で意見が一致したら、一度その場を離れた方が良いかも知れない。
これは独自に考えた言葉ではなく、相場(為替や株式など)に関する一つの格言とされています。主に自分の日常的振る舞いや信条に関して当てはまります。
誰もが当たり前のことと考え、日常的な暮らしに取り入れている事柄から一度は離れてみてその妥当性を考え直すという意味です。生活レベルでは、世間的に流行していると考えられるものや、現に大多数が深く考えず受け入れている文化や慣習なども含みます。

常に大多数から離れた独自路線が最善とは限りません。再考した結果、やはり圧倒的多数に膾炙した意見が妥当と思うなら、当然自分も多数派に所属するでしょう。要は常に多人数の後を追うのではなく、一旦離れてみて果たしてそれは絶対的なセオリーなのだろうか…と懐疑的に考えてみるということです。

簡単に言えば「誰もがやっていることだから」とか「世間一般ではそれが常識」という固定観念から一度は離れて、自分の中で絶えず再評価する姿勢を意味します。それ故に誰もが備えている一般常識に近い事柄に対して無知だったり、その事自体を肯定し顧みない場合もあります。これも簡単に言えば「誰から命令されている訳でもないのに『右向け右』という空気があって皆が深く考えず右を注視しているなら、自分はいち早く気付いて左を向く」ということです。

人と違った考えや行動を取るのはリスクが付きまといますが、新しい発見や価値あるものは往々にしてそこに眠っていることは歴史上数々の発明・発案が証明しています。人と同じことは暮らしていく上で安泰で低リスクですが、私としては人と違い過ぎる先の見えない暮らしは確かにストレスとなるにしても、先が見え過ぎて消化試合を送るような人生など真っ平御免だと考えています。
・人は誰も周囲の全員を味方につけることは出来ないが、周囲の全員が敵になることもない。
これは私が念頭に置いている処世術の一つです。
人間は社会的動物なので、必ず帰属意識を持っています。健全な精神の持ち主なら誰でも「認められたい」「好かれたい」あるいは少なくとも「嫌われたくない」という意識を持つはずです。そうでなければ人間関係が育たないので、和してやっていく態度が必要になります。
しかし十人十色と言われるほどの価値観を持つすべての人々と良好な友好関係を築くのは無理な話です。合わせようとして自分が譲歩したり考えを曲げても、相手はそれほど重い問題と考えていないことが多く、結果として自分が疲れるだけです。多くの方はそのことを心得ていますが、現実世界の私はその考えをもう少し先まで進めています。

ネット上の私は一般的に見かける人と比べて冷たく、薄情と感じられでしょう。しかし人は会社などの柵がなければ、なべてその人が興味を持つ対象か、その人自身の考え方などに呼応して共鳴したり、反感を抱いたり、何とも思わなかったりするものです。

前にも述べたように(少なくとも私にとっては)人の興味は、ただ一点に留まり続けるものではありません。環境や自分自身の興味の変化で、新たに手を繋ぐことになった仲間が生まれる半面、自然と離れて行ったり、手を離すことになる場合もあると思います。しかしそれは人と交流を持つ上で自然に生じるプロセスだと考えています。

このことは、ひとたび手を離した相手とは未来永劫、再び手を繋ぐことを拒否するものではありません。あなたの幼少時代、同じ教室で過ごしたすべての仲間と今も手を繋いでいる訳ではないでしょう。しかしながら同窓会で再会したとか、街中で偶然ばったり出会い、また新たな交流が始まることも同じ位に自然な現象として受け入れられるでしょう。
・「ネットで目立つとロクなことはない。あなたが有名人でもない限り。」
これは先の内容を受けての考えで、ブログやホームページがインターネットという世界を通じて提出される事実に基づいた経験則です。
ネット上に商店を出していたり、アフィリエイトでお小遣い稼ぎをなさっている方なら、アクセスの総数とその質は重要でしょう。ネット上を徘徊する人々を惹き付け、注目してもらわないことには商売になりません。
他方、ネット上を行き交っている人々の誰もが善良な庶民とは限りません。公道は警察のパトカーもヤクザの車も走っているように、ネット上には善良な庶民を騙し、誑かせ、罵倒し、意欲を萎えさせ、そして計画が潰えていくのを喜んで眺めている人間も居ます。リアルな世界では横に居る人の目があるから自重しているだけで、ネット上では匿名性が保たれているだろうと(恣意的に)解釈されがちなだけに、ネガティブな行動が後押しされがちです。

こうしたリスクを遠ざけ、なるべく長くネット上の活動を続けたいなら、経験的に言って目立ち過ぎないよう活動するのが得策と考えています。愛読者やファンが多いに越したことはなく、励みにはなります。しかしネット上に築き上げたコミュニティーや人間関係には、必ず寿命があることを誰もが認識する必要があります。関わる人々の新陳代謝が激しいほど寿命は縮まります。少なくとも私はネット上のどんなコミュニティーであろうと、開設された当時と同じ理念や環境を保持しつつ何年も持続したという事例を知りません。

それ故に息長く続けていきたいなら、無駄に宣伝してアクセス数を増やす方法から決別することです。芸能人などでは多少の批判やアンチを産みだしても、それは有名税とみなせます。宣伝してでも味方を多くつけた方がマイナスを補って余りあるからです。そうでない一般庶民は、自分のペースを乱さず淡々と職人の如くサービス提供に徹します。そうして真価を見いだしてくれた顧客やファンの期待に応えていった方が目立つことなく、しかも長く続けられます。

この方針に従い、私は(甚だ不義理でしょうが)訪問下さった方々のブログやホームページなどへの再訪問(いわゆる”お礼参り”)は殆どしていません。偶に観ることはあっても、何か書きたいことがあるとき以外はコメントしないし、それが悪いこととも思っていません。日頃から記事作成や構想を練るのに時間を費やしていて個別ブログを巡回する時間がないこと、巡回ルールを作ってさほど興味もないブログへ通ってお座なりなコメントを書くのは疲れるし、訪問された方も不本意だろうというのが理由です。

私は自分と同様の興味を持っていたり、価値観を共有したり、あるいはヒマ潰しに足を運んで下さる方に読み物を提供することと、納得いく記事作りを行って自己満足することをホームページ制作のモチベーションと認識しています。アクセス稼ぎには全く興味がありません。とりわけ私とまったく面識がない方が殆どの読者となる外部ブログなどでは、ネット上限定で”濃い関係”を構築しても得るものがなく、いわゆる「ブログ疲れ」を造り出す元です。

事実として、ネット上オンリーの人間関係など儚いもので、極論すれば使い捨て同然です。どんなに長く深い親交を築いていようと、一方が手を放せばお互いが永遠にネットの海へ飲まれてしまいます。その原因が飽きた、嫌いになった、仕事が忙しくなった、IDとパスワードを失念してしまった…と様々な理由があれど、切り離されてしまったという結果は一つです。人それぞれ考え方はあるにしても、私はそういう儚い関係に過大な期待を抱き心血を注ぐことは時間の無駄であると考えています。

したがってリアルで見られる”濃い関係”は、当面ローカルSNSを含めて実際に面識を持った方々に限定し、ネット上のみの関係は”軽く”振る舞いたいと思います。
これはネット上で親交を築くことへの拒否を明言するものではありません

ネット上であろうとブログへおいで下さった方は、いつでも(熱烈とは言い難いですが)歓迎します。お寄せいただいたコメントやメッセージは必ず拝読しお返事します。しかし面識があったり連絡を取り合ったりなどネット外の関係がある方以外は、誰もが”等しきネット上の閲覧者”に過ぎないことをご了承ください。
・自分が一番好きなことは、仕事にせず生涯の道楽として取っておく。
これも常々意識している私の中の処世術です。
卑近な言葉で表現すれば「三度の飯よりも好き」で、時間や金銭も頓着せず情熱的に取り組み、それなりの知識と経験も積み重ね、その分野では専門家の領域となる事柄を扱える程度に極めると、人は誰でも自然にそれを職業と結び付け、いわゆる「飯の種」と成すことを考えます。

しかしそれが成り立つのは、自分の思いこみではない大多数による絶大な客観的評価が支えているとか、職業として極められるだけの環境に恵まれた場合に限ると思っています。対価を得ることを前提にした活動ならば、常に自分の意向が通るとは限らず、むしろ世間の柵が災いして不本意に振る舞わざるを得ない局面も有り得ます。この観点から、例えば編集長の手足となって動く地域ネタ配信記者になりたいなどとは考えていないし、恐らくはその適合能力も持ち合わせません。飯の種と引き替えに自分の意向に反した記事を「書かされる」なら、それはもはや私から出たドキュメントとは言えません。

暮らしていく手だてを確立することは当然必要ですが、それが自分の一番好きなものである必要はない…むしろ”嫌いではない”程度のものに留めておいて、一番好きなものを娯楽のために取っておくことは、自分の中では最適化したくない贅沢の一つと考えています。

このことは、生活していくための行き過ぎた最適化に対する別のポリシー(”無駄を完全排除しようと試みてはいけない。人が生きていく意味を失うことに繋がる。”)にも通じるものがあります。

もっとも、そのような暢気なことが言えるのも現時点で踏査や記事制作と重複しない別の仕事や収入源を持っている(ニートではありませんよっ^^;)からです。仕事は時間の制約性が薄いために平日の昼間でも必要とあらばデジカメを持って物件の調査や撮影に出向くことが可能です。私にとってはこれだけでも自分のライフスタイルに好適な良い仕事と思っていますが、たまさかその業務が出来なくなったなら、腹をくくってもう少し洗練された内容ある著作活動に専念するかも知れません。
・「これが最後のホームページ。此岸に遺して旅立ちます。」
何だか遺言めいて縁起でもありませんが、ホームページ制作にあたっての心意気を代弁しています。
一部の方はご存じの通り、私がホームページを手掛けるのはこれが初めてではありません。完全な造り直しとなる今回が2度目で、コンテンツの大幅改訂を含めると3度目です。Yahoo!ブログのアクセス数が多いのでこれが本元と思われがちですが、運営年数から言えばブログよりもホームページ時代の方がずっと長いのです。

初めて作ったホームページは、インターネットというものへ接した翌年のことでした。誰でも無料で記者気分となって情報発信できる魅力を感じ、これは将来大きなモノに育っていく確信を得たものです。しかし当時は個人のホームページ自体少なく、また今ほどセキュリティに気を遣わなくて済む長閑な環境でしたから、会社のことや個人に係る内容も平気で載せていました。

その後、趣味としていたバドミントンに特化し、メンバーが楽しむことを主体に考えたホームページ作りをするようになりました。まだYouTubeをはじめとする動画配信が全くなかった頃から大容量のサイトをレンタルし、バドミントン動画を掲載し大いにメンバーに喜ばれました。
やがて環境の変化からバドミントン活動が衰退し、私の引っ越しに伴ってホームページは完全に閉鎖されることになりました。

そしてこれが3度目です。
内容としては今までになかった新しいコンテンツながら、外観などは昔のソースを流用しています。そして新しい考えを盛り込みつつ、以前からあったコンセプトはそのまま引き継がれています。

引き継がれる考え方は”もてなす、楽しませる(entertain)”という理念、新しく盛り込むのは”後世に伝える”という考え方です。

今や自分も経験と年齢を重ね、インターネットの世界に何を残すべきかを我ながら熟知しています。それは以前から取り組んでいたテーマ踏査の理念とも重ね合わされるものです。
以前なら長老の語り継ぎや古文書、散在する石碑などで辛うじて伝えられてきた地域密着の事件や歴史、小さな名所などの情報。それらは語ってくれる長老が亡くなれば、永遠に失われます。古文書は個人が認めたものもあり、そのすべてが確実に国会図書館へ収められ自由に閲覧できるとは限りません。

重要なものから些末なものまで含めて森羅万象をネット上に展開するのは、21世紀を生きる人たちの義務と考えます。ひとたびそこへ掲載すれば、いつでも自由にそれらを参照し、情報を得ることができます。図書館の如く休館日を気にしたり、お目当ての書籍が他人に貸し出されていて読めないなどということがありません。
私は自分が持ち合わせる情報をすべて可能な限り明確な形で記録し、ネットへ展開させます。今でこそ狭いスペースを間借りしての掲載ですが、ゆくゆくは失われることのない安全な場所を見つけるでしょう。

今回の本気度は冒頭の宣言通りです。ペースが鈍ることこそあれ、このホームページが閉鎖されたり更新が突然停まり、何の案内もされることなく相当期間にわたって放置されたなら、それは私が彼岸に召されたか、休止宣言すらできない緊急事態に襲われた場合だけです。方針に従い、殆どすべてのジャンルのコンテンツは増加し続け消えることはありません。
私が此岸へ留め置かれ、コンテンツを増加させることのできる時間はあなたと同様に有限です。私が今まで経験し、日記帳やノートに記録したり、写真を撮ったり、あるいはこれから新たに目にする遺すべき景観などを思い残すことなく完全に記事化することは遺憾ながら不可能です。しかしその日が来るまでは、私はこの地域が私を育ててくれた以上、この地域にあるものを此岸に遺して旅立ちます。縁起でもないと言わないて欲しい…私は墓なんて昭和の遺物じみたいものは要らないし、骨も要らない…そんなものをしげしげ眺めて大事に保管するよりも、私が今ここに遺した数々のものに目を向けて欲しい。いずれ守る人も居ない身なら、私が守り得るものは生まれ育ったこの地域だけです。

他愛もなく役に立つとも思えない記事ばかりが詰まっていますが、それでもなお一部の情報が”モノを言う”ときが必ず来ると確信しています。今、すぐに役立つ必要はない…21世紀後半あるいは22世紀以降の人たちがこの記事を見つけて何かの役に立てて頂けたなら、私は草葉の陰から満足した顔で眺めていることでしょう。
感謝…
出典および編集追記:

1. やはりこの辺りは少々の説明が要ると感じるのでここに追記しますが、実は前職において道路や公園など土木建設関連の業務に従事していたことを明言しておきます。道路関連の記事がやたら多く内容がコアであることの遠因になっています。(2015/7/21)

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