低水位の小野湖・小野地区第一次踏査

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現地踏査日:2011/10/11
記事公開日:2012/10/19
小野湖の貯水率低下に乗じて、小野地区にある陸繋島と基礎跡などを踏査してきた。
正確な場所はダイジェスト記事に触れた通りで、3年前の秋口にこの場所を車で走っていて偶然見つけていた。その時は先を急ぐ用事があったので数枚の写真を撮っただけだった。
今回は当初からこの場所を踏査する目的で車を走らせていた。市内各地のダム湖や溜め池の水位が低い中、踏査できる今のうちにあの気になる遺構を記録しておきたいと思ったのだ。

国道が小野湖沿いを通る見通しの良い直線コースにミラーがあり、小野集落を通る旧道と連絡する枝道(市道ではないかも知れない)が伸びている。道幅は充分に広く駐車禁止にもなっていないので、道路の端に車を寄せて停めた。携行品はデジカメと替えのバッテリーのみだ。

枝道のT字路正面に例の名前もない陸繋島が見える。


枝道に入るためのカーブミラーの脇だけ転落防止策が空けられている。
ここから湖底に向かう階段がある。


この階段はすぐ脇を流れる用水路の清掃目的で設置されたものだろう。
通常は護岸の中ほどまで湖水が来ているのだが、初めてこの場所を見つけたとき同様に一番下まで水が引いていた。


護岸の階段の末端部はそのまま湖底の砂地に埋もれていた。
湖底は砂質土っぽい感じで、若干水分を含んでいるものの一部は緑色の苔や草が生え始めている。湖水が引いてかなり日数が経ったらしい。


記事を読んですぐ現地へ訪れたとしても常に同様に湖底を歩けるとは限らない。ただ、この場所は降りても良いように階段が付属しているし、入口に立入禁止などの札はない。泥にハマるなどのリスクは自己責任という前提で自由に歩き回ることができる。
子どもの遊びなのか似た物件に興味を示す同業者(?)なのか、先客と思われる足跡が随所に見られた。まだ充分に乾ききっておらず若干柔らかな場所もあったが、目視して乾いた感じのする場所は大人の私が歩いても靴を泥だらけにするほど軟弱ではなかった。とりあえず国道から既に見えているあの小島や基礎跡の遺構に接近するのに困難はなかった。

まずは一番気になっている基礎跡に接近する。
ここだけコンクリート片が散らばったようになっていて、明らかに自然の砂礫とは異なっているのだ。


この基礎跡の遺構に限定して大量に写真撮影したので独立記事を作成した。
詳細は以下のリンクから。
派生記事: 低水位の小野湖・屋敷の基礎跡
この遺構と陸繋島、国道490号との位置関係である。
遺構はちょうど国道と島の中間点に存在する。


次に陸繋島となっている小島に接近してみた。
湖面に近い部分は水で洗われるため、礫質の岩肌が露出していた。底の方はあまり水が動かないせいか、泥状のシルトで覆われ苔が生えていた。


汀に近い場所はまだ充分に乾ききっておらず、接近するとかなり足元が沈み込む場所もあった。歩きづらいが礫石の転がっている島近くに沿って進んだ。

小島の表側(と言うか小野湖側)に回り込んだ。
この場所では湖面の水がかなり後退しているので、ずっと遠浅になっているらしい。


同じ場所から大田川の上流に向かって撮影している。
橋が見えているが名前や市道路線名共にまだ調べていない


ハマるのは明らかながら、何故か汀に向かって進む足跡が湿地帯上に 残っていた。
靴全体が沈み込むくらいはまりこんでいる足跡もある…チャレンジャーなのだろうか…^^;


しかし湖水が引いた後の最近つけられた足跡とは限らないだろう。
湖底は人が普通に行き来する地上とは異なる。ずっと以前に水位が下がったとき長靴で歩き回れば、再び水位が上昇してからも痕跡を埋めることなくかなり長期間その形を留めるだろう。

その先は足元が緩く湖底側には進めなかったので引き返し、今度は島に対して逆周りに歩いてみた。
国道の反対側に見えるのが小野小中学校の建物である。


大気中に晒され存分に酸素を獲得できるせいか、さっそくコケ類や背の低い草が生え始めていた。
ひび割れた部分は殆どはまる心配はなかった。


地図では単一の陸繋島のように描かれているが、実は2つの島から構成されている。
小さい方の島は大きな露岩程度のサイズだ。


大島と小島の間は周囲と同じ高さの砂地である。
何となく自然にできたのではなく小野湖になる前に掘り割ったようにも感じられる。


島の裏側になる。
カメラの向いている方が小野湖(と言うか大田川)の下流側になる。平坦地もここまでで、この先は急に深くなっているように思えた。


平坦地の岬部分に測量で設置したと思われるような杭を見つけた。
いつ打ったものかは分からない。水中に没していた筈で、そんなに長くもつものだろうか…調査や業務で意外にここは人の立ち入りがある場所なのかも知れない。


この岬部分から振り返って2つの島を撮影。
完全には入りきらなかったが、背面は湖水が押し寄せていて一歩も下がることができなかった。


小野湖が元の水位に戻れば、この部分は「海峡」になるはずだ。
湖だから「湖峡」かw
しかしこの夏の豪雨以降は水位が下がる一方だったらしく、既に背の低い雑草で覆われていた。


この日は他の踏査地をいくつか控えており、ここが最初の訪問地だった。せっかく湖底に降りて小島を目指したので、島への「上陸」も計画していた。しかし周囲は結構切り立った岩場で登れそうな場所がなく、島の内部までみっしりと木々が茂っていて何もなさそうだったので上陸は諦めた。
まさか祠が祀ってあった…なんてことはないとは思うが…

ここまで撮影し戻ることにした。
護岸の中腹に薄茶色で染められたようなラインが見える。この夏の豪雨ではあの位置まで水位が上がったのだ。


したがって低水位と言っても精々人の背丈程度の水が引いただけでこの島に渡れるようになる。よほど長雨に見舞われない限り、一年の一定期間は陸地となる場所なのだろうか。

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2012年秋口、更に水位が下がったときこの場所を再訪して更に広範囲を踏査し、湖底の地形や遺構を確認してきた。
後続の記事として案内しておこう。

(「低水位の小野湖・小野地区第二次踏査【1】」へ続く)

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