素焼き板の祠

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記事作成日:2026/2/2
最終編集日:2026/2/3
名称も素性も分からないので、外観そのまんまで素焼き板の祠という項目で記事を作成している。
写真は船木地区布目の路地傍にみつけた現物。


何という名称か、何の目的で造られたのか分かっていない未解決素材である。マムシ避けとして造られる花崗岩製の祠の簡素なものではないかと予想している。
《 概要 》
素焼きの瓦を組み合わせたような外観で、全体に釉薬がかかっているものもある。経年変化で角が欠けているものが多い。3方が囲まれていて正面に開口部がある。中は空っぽで、石材の祠では扉を開けた中に御幣などが格納されているのとは対照的である。もっとも本来は何かを供えていたものが喪われた可能性もある。神棚のようにも見えるが、現在のところすべて屋外で見つかっている。

末信正八幡宮には石の祠や猿田彦を祀った石碑と共に3基置かれている。
ここにあるものは数少ないながら発見されている中でもっとも典型的な形状をしている。


側面は平板を組み合わせた形状だが、屋根はやや反っているので後から接ぎ合わせたのではなく粘土の状態から組み合わせて焼成したようである。
屋根部分に施されている装飾も概ね共通している。


裏側には明治26年6月に造ったことが分かる文字が刻まれていた。今のところ制作時期が明記されているものは他に知られていない。


小羽山地区西山の小径にある同種のもの。
経年変化で角が至るところ欠けている。


素材はほぼ同じだが、この場所にあるものは特異である。土まんじゅうのように盛り上がった上に置かれていて、周囲には山間部では産出しない河原のような丸っこい石が散らばっている。遙か昔の土葬跡を思わせる。時期を違えて訪れたとき花が活けてあったことから、看る人が居るようである。ただし記事作成時より6年前の撮影であり現在はどうか分からない。
《 市内の分布状況 》
非常に限られた場所にしかない。未解決素材という点でなると石と共通だが、ほぼ確実にそれよりも時代が古い。かなり昔から人々の関わりがあり、かつ一世紀以上現地に改変が行われていないと推定される場所にしかない。見つけたら撮影するようにしているものの、場所を覚えているものはここに掲載した3例だけである。

なると石の直径や厚みが概ね共通するように、この素材も外観やサイズはほぼ共通している。八王子神を祀った花崗岩の祠のようにある時期量産されていたのではという気がする。
保全ランク
既知の現存箇所から、かなり少なく消滅が懸念されるランクに認定する。
ランク呼称概要
4絶滅危惧非常に少なく、将来的な消失が懸念される。
一般的名称も素性も分からないため、市外でどの程度存在しているかはまだ分かっていない。上記の3例は船木布目、末信、小羽山西山であり数が少なく地域性を分析するに至っていない。
出典および編集追記:

1.

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