アツバキミガヨラン

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記事作成日:2021/5/22
最終編集日:2021/5/23
アツバキミガヨランはユッカ属の植物の一つで、特徴的な尖った葉を持つ。
写真は市道常盤公園開片倉線沿いのときわミュージアム裏手で、ツツジに混じって野良生えしている個体。


漢字で表記すれば「厚葉君が代蘭」で、厚葉は見た通りの厚手の葉を表している。君が代とはこの植物の学名である yucca gloriosa に由来する。gloriosa における glory(光栄)を君が代にかけたものである。[1]名前は殆ど知られていないものの、特徴的な外観から実物を見たことがある人は多い。

やや内側に沿った葉はかなり硬く、先端は針のように尖っている。このような葉が幹を中心としてウニの棘を思わせる形に育つ。


これは花粉を媒介する蛾以外の害を与える小動物などを寄せ付けない適応と思われる。実際先端は触れるとかなり痛く怪我をする恐れがあるため、後述するように近年では新規の植え付けが敬遠される原因となっている。

5月下旬から6月にかけてと秋口にスズランを大きくしたような花を咲かせる。
花は密集した葉の上部に存在し、これも無関係な小動物を寄せ付けないための適応だろう。


暑さ寒さに強く、水やりも殆ど必要としない。ツルギキョウのように無制限に蔓延ることはないが、一旦植え付けられたら何十年でもその場に育ち続ける丈夫な植物である。この性質と後年新規の植え付けがなされなくなったことから、植わっている土地の改変履歴を調べる客観的資料となり得る。
《 市内の分布状況 》
現在では新規に植え付けられることはない。大きくなる上に外側へ向けて尖った葉を出すため観葉植物には不適で、一般的なホームセンターでも置かれていない。子どもが倒れかかったりすると怪我をする恐れがあることから、往来のある場所に野良生えしたものは葉の先端を切られたり、場合によっては除去されることもある。

船木の市道産業道路線沿いに旅人荷着場跡があり、かつて数個体が植わっていたが、歩道舗装整備の過程で一旦すべて除去された。
その後最初あった状態に戻す目的かあるいは残った根から再生したのか、現在は再び元のように育っている。


現在、市内で個体の育つ場所を観察すると、少なくとも昭和中期以降手が加わっていない場所に限定される。平成期以降に建設された施設や家屋の庭などに見かけることはない。
【 野良生えが多い理由の推測 】
アツバキミガヨランは外来種であり、明治期に国内に持ち込まれている。[1]市内での分布を調べてみると、昭和中期頃に建設された民家の敷地や公園の端によく遺っている。逆に戦前より更に古い時代から暮らしのある民家や手の加わってなさそうな場所にはあまり見られない。このことより、戦後のある時期に植え付けの推奨や当時の流行から一斉に植えられたことが考えられる。その時期は現代よりも愛国精神の呼びかけや実践に抵抗感がなかった戦後から昭和中期にかけてではないだろうか。国や自治体が植え付けを推奨したり、あるいは当時の流行も考えられる。これが原因であれば他の地域でも同様の分布状況になるだろう。

昭和中期に建設された民家で、現在は空き家や廃屋になっている場所で野良生えしている事例が極めて多い。
写真は旧市営萩原団地の長屋前で玄関入口を塞ぐほどに伸びた個体。


近年、市街部を中心とした再開発が急速に進んでいる。廃屋や空き家はもちろん昭和中期の民家も取り壊され接道条件を満たすように周辺の路地から改変される事例が増えている。公園の端に野良生えしている個体も、遊んでいる子どもが怪我をしたという苦情が寄せられれば行政は躊躇無く除去するだろう。各個体は成長を続けるものの自己増殖しないから、今ある個体数以上に増える要素がない。
保全ランク
ランク呼称概要
3脆弱それほど豊富とは言えず、将来的な減少が予測される。
他方、冒頭の写真のように殆ど人が近づくことがない場所での野良生え個体は除去する理由がないため、ただちに絶滅する懸念はないだろう。

ときわ公園内にある動物園では、最後の「山口宇部の自然ゾーン」でタヌキが飼われている。これと同様に将来的に更に減少が進んだとき、園内に同様のエリアを設けて今後消滅する可能性がある植物を集めておいた方が良いかも知れない。
《 個人的関わり 》
恩田の家に住んでいたとき門柱を過ぎて玄関に向かうまでの通路左側に植えられていた記憶がある。分譲地を購入して家を建てているので、庭の植物や配置はすべて親父が行っている。昭和40年代に新川市祭りや植木市で買ってきて植えたのだろう。

庭で兄貴とビーチボール遊びをしたとき、ボールが当たると空気が抜けてしまった。また、通るとき当たると痛いので、ある程度大きく伸びてきた後で親父が処分してしまった。それでもまだ当時は公園を始めとして多くの場所で見かけていた。

名称を知ったのはごく最近のことである。特徴的な外観で目に付くので、どのような場所に植えられているかを観察する過程で昭和中期以降人の手が加わっていない場所に限定されることに気付き、先述のような仮説を思い付いている。

市内で観察できる場所はそれほど多くはなく、最近は新規に見つけた場合は写真採取している。萩原団地の廃屋には割と普通に見られるが、昭和40年代末に造成された小羽山地区ではまったく観察されない。観察不足に起因するのかも知れないが、もし真であれば流行や新規の植え付けが昭和50年代には終わっていた可能性がある。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - ユッカ(アツバキミガヨランより転送)

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