写真は市道の終点側から撮影している。
位置図を示す。
本路線の起点側から撮影すると祠が民家の庭の中で背を向けた形で見える。
後述するように祠の現在位置は後年変更されたものという。
庭の裏手は鍋倉山で、独特の蛇紋岩が至る所露出している。
コンクリート塀とフェンスの内側へ設置されているので完全に私有地内だ。
しかし本路線沿いの近い場所にあるので接近は容易で抵抗感もそれほどない。
祠は木造で屋根部分はトタン葺きのようである。
第五十二番の明瞭な文字がみられる。
第五十二番の祠は今まで撮影してきた中でもっともよく整備されていた。
まずガラスがもの凄く綺麗だ。日々丁寧に拭いていらっしゃるのだろう。そうでなければこれほど鏡のように反射はしない。私の姿が鮮明に写り込んでしまうほどだ…

(正体を露わにしたくないので充分に身体をかわして撮影した積もりなのだが…)
活けられた花は瑞々しいしロウソクも新しい。
扉部分には紐が結わえられていたので、日々これを解いてお水を上げてから再び結び直していらっしゃるのだろう。
ガラス越しにズーム撮影。
弘法大師の文字、第五十二番の文字ともに黒々としている。ともすれば褪色し読みづらくなるのを墨入れなさっている。
さて、できることなら内部を撮影したいのだが…
扉部分に結わえられている紐を解いて開いていいものだろうか。
カメラを構えて撮影している最中にお家の方が出て来られた。
そしてそれをきっかけにこの御堂や周辺の状況についていろいろなお話を伺うことができた。
この記事は掲載候補の写真を先行して OneDrive にアップロードし、途中まで記述を進めた状態で放置されたのものである。以下の記述は画像の修復作業を行う最終編集日時点の記述である。
市道と藤山八十八箇所の撮影を行っている者ですと話し、快く御堂の扉を開けて頂けた。扉を開いたところ。
敷地内にある御堂のためとても綺麗に整備されていた。
御大師様にはおべべが着せられ、生花が活けられていた。
釈迦如来など黒い立像があるべき位置に、オリジナルのものより立派な立像が据えられていた。
その後ろには掛け軸があった。
これらは実際に本場四国の八十八箇所の巡礼を行い、同じ番号の寺社を訪ねてそこで求められたそうである。
背面の造り。
この御堂は敷地の中で据え換えたというお話だった。
今までの流れから、すぐ前を通る市道の撮影を行ってきたことを話した。この過程で東汐土手という地名について尋ねたが、恐らく情報は得られなかった。しかし鍋倉山の西側の下にあたるこの辺りは、遙か昔は波打ち際だったことを語られた。昭和初期までは鍋倉山の下まで舟溜まりであり、鍋倉交差点は現在でも絶対高度が低く水に浸りやすい場所である。
《 近年の変化 》
サンデーうべのコラム Vol.102 を制作するにあたって再度藤山八十八箇所の写真を撮ってきたので、直近の御堂周辺の画像を掲載する。鍋倉市営住宅側から撮影。
御堂の正面が見える位置から撮影。
現在も第52番の御堂は居住者により良い状態に保たれている。そのことは遠くから写真を撮っているのに御堂のガラス扉が反射していることからも分かる。最初の記事でも書いたように、毎日綺麗に拭いていらっしゃるのだろう。しかし多くの御堂を見てきているから分かることだが、今や藤山八十八箇所の御堂で丁寧に管理されているものはごく少数である。
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出典および編集追記:
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