写真は市道の終点側から撮影している。
位置図を示す。
外側の囲い部分はコンクリートレンガのようで他の標準的な祠よりもずっと大きい。
正面の板部分は割と最近造り替えられたようだ。
特徴的なのは、この御堂には木製の欄間が備わっている点である。
屋根部分はコンクリート製だが欄間は材木から彫り出して造られている。
これは何をイメージしているのだろう…
何か剣のようなものを咥えている動物に見える。表面にも微細な文様が刻まれているがさすがに経年変化で薄れてしまっていた。
柱の外側に出っ張る部分も装飾が施されていた。
横から見たところ。
コンクリートの庇がついているので木製の素材が使われていながらそれほど酷く朽ちることもなかったようだ。
御堂自体はレンガ積みで、前面の庇を固定する部分は木材である。
壁には割れを補修した跡がみられた。
(左端の新聞受けのようなものは何だろう…)
内部の様子。
弘法大師が中央に、薬師如来が左側に置かれていた。新しい花が供えてあったので看る人はあるらしい。
双方の台座部分に第七十五番と彫られている。
御堂の内部にはレンガの目地から染み出たと思われる灰汁が流れた跡があった。
内部にも目地の灰汁が流れた跡があって古さを醸し出していた。
薬師如来は何故か台座と本体が別々に置かれていた。
倒れて台座から外れてしまったのだろうか…
この御堂の近辺には関係があるかどうか分からない石材などが沢山転がっている。
これは八十八箇所の御堂に関係あるもののような気がする。
見た目はコンクリートの塊に見えるのだが、側面に斫ったような跡が無数についている。柔らかい石材を鑿で削ったのだろうか…
この他にも市道沿いにいくつもの石材があった。
これなども昔の御堂の一部か、元あった民家の塀に相当するものではないかと思う。
大半が土に埋もれていて詳細は分からなかった。
これまで藤山八十八箇所を調べてきた範囲では弘法大師や薬師如来などの石像は共通しているが、祠や御堂のスタイルはかなりバラエティーに富んでいる。
石像は八十八箇所の創設者が各戸に配布したとされているので、それらを格納する祠や御堂は管理する在住者が自前で建てたものと思われる。第75番がそれなりに大きな御堂ということは、信仰心厚い住民の存在が示唆されるようだ。