写真は正面からの撮影。
位置図を示す。
祠は御手洗橋の東岸側の少し高くなった場所に据えられている。
道路に面しての案内板はない。
石段があってすぐ正面に見えるので周囲を注意していれば気づくだろう。
ここに据えられている2基の祠の出で立ちは異なるらしい。いずれも屋根部分を備えた典型的な形をしているが、右の方は幅広なのに対し左の祠はやや細長い。
左側の祠。
少し扉が開けられていて幣が置かれていた。
(これを含む以下の3枚のみ2013年の撮影)
中には豊前坊主殿と刻まれている。
この豊前坊とは古くから修験道場として知られている英彦山神社のものとされる。最初期は小場山(こばやま)の高台にあったとされる。[1]
もう一つの方は八王子神を祀ったものとされる。
いわゆるマムシ避けの祠だろう。
この祠も当初からここにあったのではなくもう少し東側の畑の中に据えられていたという。[1]
背面からの撮影。
豊前坊主殿の祠側面には江戸期の年号が見えていた。
その反対側の面には河津村の文字がみられる。
小場山から遷したとき刻んだものだろうか。
祠の据えられている一角はそれほど広くはない。
建築ブロックで囲まれた中に祠2基があるのみだ。
後述するように私がここを訪れたのは初めてではなく3度目である。近くを自転車で通りかかったので状態の良い写真を撮り直そうと思っていた。そして上の写真でも既に見えかけているが、この場所へ置き去りにされていたカメラを発見している。
本件については後の処理も含めて書けば長くなるので別途記事を作成した。
派生記事: 御手洗様で拾得されたデジタルカメラ
祠より道路側を撮影。ここまでを撮影後、寺の前町へ向かう用事があったので退出した。
《 個人的関わり 》
御手洗橋は2009年に前面を通る市道の追跡時に撮影しているが、このときは御手洗様の存在に気づかなかったらしく写真はない。初めて訪れたのは2013年の夏であった。
出典および編集追記:
1.「上宇部歴史マップ」(イキイキ地域づくり ほうゆう上宇部)46番
なお、小場山とは現在の北ないし南小羽山付近に存在していた地名または山名である。
1.「上宇部歴史マップ」(イキイキ地域づくり ほうゆう上宇部)46番
なお、小場山とは現在の北ないし南小羽山付近に存在していた地名または山名である。