西郷隆盛洞窟

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現地撮影日:2017/3/23
記事作成日:2017/4/18
西郷隆盛洞窟とは鹿児島市城山の中腹にある歴史的意義の大きい壕である。


位置図を示す。


鹿児島市街より城山公園へ上がる道の途中にある。上記のYahoo!地図では南州洞窟と記載されている。南洲翁は西郷隆盛の最敬称である。

本記事も桜島の黒神埋没鳥居と同様、鹿児島方面への視察時の記録から分割して一般公開している。現地では先に西郷隆盛の銅像と展示場を見学した後、隣接する西郷隆盛洞窟を訪れている。なお、当日は雨天の中傘を差さずに短時間で撮影しているため限られたアングルの写真しかない。

西郷隆盛洞窟の正面入口の写真。
きつい登り坂の中腹にある。
実際にはこの写真は一番最後に撮影している


「南洲翁洞中紀年碑」という大きな石碑が階段の横に据えられている。
雨の中だったため年号など詳細な撮影はできなかった。


西郷隆盛洞窟は鹿児島市の指定記念物となっている。
史跡を保護するため洞窟の前は柵で囲われている。


柵は花崗岩の石柱を並べて造られており、外観から相当早い時期に設置されたようである。洞窟を外から眺められるように柵は必要最小限の高さに誂えてあり、立入禁止のような景観を乱す札はない。しかし洞窟の歴史的意義を知るならおよそ理解される通り、柵を越えて洞窟の中へ侵入する人はない。

洞窟と言っても探検隊がカンテラ提げて突き進む奥行きのあるものではなく、雨風を避けるための穴である。
高さは不明だがざっと見る限り精々半畳程度の広さしかない。


もう一つの穴は天井が低く周囲はやや広い。
下地は平坦に均されているが壁面は自然の土肌が剥き出しで何の加工もされていない。


柵はこの2つの横穴を囲む形で設置されており、その外側に詳細を記述した説明板が設置されていた。


「おはんらにやった命」

海外からの来訪者にも意を伝えるために英語で MY LIFE IS IN YOUR HANDS と併記されている。


この意味するところを伝えるのに私がくだくだしく書き直すよりは現地のこの説明文を読む方が早いだろう。


説明板中央下部の地図にも描かれているように、西郷隆盛の率いる薩軍は完全に政府軍により包囲されていた。まさに先にみたあの洞窟と言うか壕で5日間身を潜め、そして辞世の衣装を纏って最後の進攻を行った。この洞窟を出た岩崎谷と呼ばれる城山の北西にある谷地を降り、そこで政府軍による攻撃で被弾した。

洞窟を出て進攻した時点で辞世の覚悟は当然あった筈だ。更に自ら被弾し、他の将士も斃れゆく中、傍で我が身を顧みるある将士に最期を遂げる旨の発言をしている。「もう、ここらでよか」。 [1]
進むも戻るもないと承知していたが故に将士の介錯を受け、49歳の生涯を閉じたのであった。
【 西郷隆盛銅像撮影所 】
西郷隆盛洞窟の前の道を城山方面へ少し上ったところに西郷隆盛の銅像と、詳細な資料を展示している場所がある。


ここは観光客向けに撮影スポットとして整備されたようで、駐車場の端に大きな銅像と観光記念撮影向けの表示板が置かれている。

銅像の後ろには馬蹄形状に整形された2つの穴がある。


穴はかなり大きく、奥で繋がっている。
途中の枝線部分には小さな立像が納められている。


洞窟の内部には照明が整備され、関連する資料が展示されている。
この洞窟自体が当時のものかどうかは不明である。


反対側の出口を内部から撮影。
暗くて明瞭に写らないのでこのショットのみフラッシュを動作させている。
フラッシュなしの自然光撮影の画像はこちら


反対側の穴を外から撮影。
外側はコンクリート吹付け施工され、業者の竣工記念プレートが設置されている。前述の西郷隆盛洞窟とは異なりこの壕が後から掘削されたのではないかと考えた所以である。
実際のところどうなのかは調べていない


反対側の穴は入ってすぐ右下に枝線を掘りかけたような窪みがある。
この掘削は意図的なものなのかは分からない。
窪み部分の近接撮影画像はこちら


側面の岩質を接写してみた。
火山灰の堆積を思わせる地山だ。


実際、鹿児島市街部も当然ながら過去に桜島が起こした大噴火由来の地質である。水はけが良く崩れやすい性質をもっている。この地質は鹿児島全体において第一次産業の構成要素に大きな影響を与えていることは学校教育でも説かれるところである。

西郷隆盛洞窟を始めとする歴史上の意義や時系列を語るのは当該研究者に任せることとする。調べてはいないが既に多くの情報を掲載したサイト等が作られているものと思われる。本編では限られた時間での訪問と撮影故に充分な画像や情報を伝えきれない。西郷隆盛や西南戦争の詳細を知らずとも、現地へ行けば肌で感じるものがある史跡と言えよう。
《 Googleストリートビュー 》
前面を通る市道から洞窟と銅像を僅かばかり眺めることができる。
映像は市街地から登ってきたときの正面入口部分。


西郷隆盛洞窟それ自体は道路から離れているので概要しか見えない。他方、立像のあるスペースにはsvカーが乗り入れているので数ショット眺めることができる。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 西郷隆盛|城山決戦

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