日ノ山

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記事作成日:2016/12/20
最終編集日:2018/10/26
日ノ山(ひのやま)は、東岐波地区の阿知須寄りにある単独峰である。
写真は国道190号から撮影した特徴的な日ノ山の遠景。


山頂部をポイントした地理院地図を示す。


地下のマグマ噴出による花崗岩主体の山である。[1]標高は146.0mでそれほど高い山ではないが、周囲は殆ど平野であり数キロにわたって高さが100mを超える丘陵部もないのでとても目立つ。東岐波校区にあっては山間部へ入らない限り殆ど何処からでも山の姿が見える。この視認性を利用して古くから狼煙信号の中継地として利用されていた。日ノ山という名称もそのことに由来する。

単独峰ながら南北にやや長い尾根が連なりピークは北の端にある。このため岐波駅や国道から見ると、冒頭のようなゾウやラクダが寝そべっているような形状に見える。その印象深い形状故に古くから親しまれ、学童期には「ゾウが寝そべっている山」として紹介されることが多い。一般にも象山と呼ばれることもあり、宇部市民においてその名称でも充分に通じる。向陽(しょうよう)山という別名も持っているが、近年はあまり耳にしない。福原家に招聘された学頭佐々木向陽の名はこの山名に由来する。

山口市阿知須町と宇部市東岐波の市境は現在では日ノ山の山頂よりも北側を通っている。このため山頂部は元より北側の裾野部分まで宇部市領域に含まれる。市境が山頂を外れて設定された理由はまだ調べられていない。[2]
【 山頂 】
山頂に相当する地点にはポールが建てられ、標高146mの銘板がある。


付近には昭和初期の皇太子殿下誕生記念の石碑がある。また、国土地理院の三角点がやや離れた場所に設置されている。


山頂は岩場で岩の間から雑木が伸びている。周辺も雑木の生育が著しいため頂上からの眺めは殆ど利かない。
【 焼火神社 】
山頂より東の海側へ少し降りたところに焼火(たくひ)神社がある。


ここは海からよく見える場所であり、沖合を往来する船からの目印となるように火を焚いていたことに由来する。江戸期には雨乞いも行われていた。
神社の横には説明板があり、傷みの酷かった神社と共に近年改修された。説明板の前には登山者向けに供される資料が置かれている。

沖合の船からの目印となる灯火台は昭和中期頃まで地元の方により点灯されていたという。


沖合からよく見えるように灯火台を設置していた地勢柄、海側が開けていて眺めが良い。瀬戸内海から太陽が昇るのを眺めることができる好スポットで、初日の出を拝むために毎年200人近い登山者を迎えるという。殊に2017年の初日の出は若干雲があったものの新年が明けて登る太陽が海上を真っ直ぐ照らす現象が観察され、初日の出の登山者を大いに感動させた。[3]
【 遠望 】
先述のように日ノ山からの眺めは山頂ではなく焼火神社の境内からが良好である。

きららドーム側の眺め。
木が伸びているため完全な姿を見るのは難しい。


秋穂方面は余裕で眺めが利く。
充分に青空が広がり空気が澄んでいれば四国方面まで見えるという。


沖合には灯台が見えている。
これは周防立石灯台と呼ばれ[4]、山口市に帰属している[5]ようである。


しかし地理院地図では明白に宇部市領域として記述されており、実際はどうなのかは調べられていない。

この辺りは岩場の目立つ遠浅らしく、満潮時でも水没しない岩がいくつも見られる。
その主なものに「一つ石」という名称が与えられている。[4]


一つ石は恐らく山口市領域である。周防立石灯台のある立石が真に宇部市領域にあるとすれば、地理院地図に明白な名前が与えられている宇部市で唯一の海上の露岩ということになる。
一連の記述は海岸・浜辺セクションに移動するかも知れない
《 登山ルート 》
ここでは宇部市内相当区域から登り始める主要な2つのコースを掲載する。コース名は当サイトによる暫定的なものであり、正式名が判明次第置き換える。これ以外の市内から登るルートや阿知須側からのルートはまだ調べられていない。以下のルートはいずれも正規な登山道であり、案内板などはよく整備されている。
【 古尾稲荷神社コース 】
古尾稲荷神社の境内を経由し南から尾根伝いに登るルートである。写真は古尾稲荷神社の境内にある小さなロータリーで、このすぐ近くに登山口がある。


位置図を示す。


この登山口は古尾稲荷神社の参道を歩き、本堂の右側にロータリーがある。上の地図でも分かるように、後述する吉祥に向かう坂の途中から左に四輪でも通行可能な道がある。ロータリー部分は車を留め置くスペースは充分だが、登山目的で駐車して良いかどうかは検証していない。参拝道を歩いて境内に向かう場合、市道沿いに停めることは可能(駐車禁止にはなっていない)が道幅が狭く停めやすい場所は少ない。

ロータリーのすぐ近くに登山口の案内板がある。


この案内板にある右方向の大きな矢印は後述する吉祥コースを示している。ここより山へ分け入るのが古尾稲荷神社コースである。案内板では途中で現れる右側への分岐に行かないような指示が描かれている。

登山口からいきなりかなりきつい登り坂となる。道中では左へ直角に折れて小さな沢地を横切る場面がある。ここには案内板がなく分かりづらいかも知れない。


登山口で指示されている右分岐はこの場所を示していると思われる。小さな沢を渡ってすぐ右へ折れ、沢地を右下へ見る形で真っ直ぐ山の方へ登っていくのが正しい経路である。道中は視界は殆ど利かず、そのまま後述する吉祥コースに合流する。

吉祥コースとの合流点。
目印のテープが枝に巻かれていて頂上まであと600mを示す標示板が出ている。


ここから先は縦走ルートを参照。前述のような間違えやすい場所があること、足元があまり良くないこと、眺めが効かないことからこのルートではなく車で神社へ至る道をそのまま歩いて次項の吉祥コースを歩くことを勧める。
【 吉祥コース 】
上記の古尾稲荷神社より市道丸尾岐波浦日の山線を進み、日本料理吉祥の店舗に上がる急坂の途中に登山道の案内が出ている。
向かって左側の民家の手前に入口がある


登山口の位置図を示す。


このコースはもっとも平易で分かりやすく、[1]では日本料理の店を入ったところとして紹介されている。ただし登山者向けの駐車場はない。

自然の岩の平らな面を上にする形で造られた階段状になっていて、階段の高さがややきついが歩きやすい。また、視座が上がるごとに振り返れば広大な干潟を見ることができる。道中で視界が開けた状態がもっとも長く続くコースである。


縦走開始地点までは結構きつい登りである。他方、途中に大きく視界が開けて周囲に木々が生えていない場所に出会う。ここは千畳敷と呼ばれており、日の山から東岐波の駅方面を一望できる好スポットとして知られる。


千畳敷のある岩は、条件の良い場所なら国道沿い付近からも見える。日ノ山より西の方を望める場所はこのルート以外知られていない。
象のお尻に当たる尾根まで登った後、一旦若干高度を下げて小さな沢を渡る。この先で先述の古尾稲荷神社コースと合流する。したがって古尾稲荷神社コースで登り始めた場合、先の千畳敷は通り過ぎてしまうことになる。
【 縦走ルート 】
古尾稲荷神社コースからだとT字路接続部に、吉祥コースからだと登山コースはそのまま直進し左から古尾稲荷神社コースが合流する形になる。この場所に頂上まであと600mを示す札が出ている。

ゾウの尻尾から背中を伝って頭部に向かうイメージのようなルートなので頂上までの行程は長い。途中に現在では珍しい八紘一宇の文字が刻まれた石碑がある。


この他に[1]にもあるような旧稲荷神社の鳥居跡が登山道の足下にみられる。注意して歩いていないと見落としてしまうかも知れない。

山頂に向かうまでの縦走部は殆ど平坦で道幅は充分にあり非常に歩きやすい。その区間のみに限定すれば自転車に乗って漕ぎ進める程度に整備されている。最後に山頂へ至るまでに短い急な坂がある。道中は100m毎に山頂までの距離がカウントダウンされる形で案内板が設置されている。
【 日の山集落コース 】
日の山自治会集会所の先から一気に頂上まで登るコースである。
写真は市道丸尾岐波浦日の山線からの分岐点。


登山口の位置図を示す。


市道から直角に曲がり山の方へ向かう未舗装路がある。先の分岐路に登山口の看板が出ているが市道からは見えづらい。また、上記の写真付近では車を停められる場所がないので別の場所へ置いて歩く必要がある。
登山のとき自治会館の敷地に駐車可能かどうかは確認していない

道中はかなり幅のある山道で、途中から山の斜面をジグザグに登るきつい坂となる。特に勾配のきつい場所にはロープが設置されている。坂を登り切ると焼火神社の鳥居の前に出てくる。そこから山頂は目と鼻の先である。
昭和後期まで灯火を保つために地区の人が往来していた登山道とされる。道中で眺めが利く場所はまったくない。山頂の真下から登るようなルートなので、所要時間は古尾稲荷神社コースや吉祥コースの半分以下である。手軽に山頂や焼火神社を目指したいときに向いており、元旦の初日の出登山もこのルートを登っているようである。

日の山自治会集会所を出て登り始めた先に案内されない分岐があるが、溜め池管理道のようである。溜め池に沿って古い登山道があったらしく池側に石積みが見られるが、現在は管理されていないようであり進攻は勧められない。

この他、門前地区にサヤノ峠へ向かう古道入口があり、途中で分岐して日ノ山の方へ向かう比較的広い道が知られている。これは昭和57年に砂防ダムを建設するときの工事用道路の痕跡である。
砂防ダム付近までは踏査されている…詳細はこちら

砂防ダムから先も幅の広い道が存在していたが、何処まで続いているかはまだ調べられていない。
FBページでの投稿。撮影目的での登山はこれが3度目であった。
FBページ: 2016/12/6の投稿

10月21日に品位の劣っていた写真の撮り直しで4度目の登山を行ったときの投稿。2回に分けて投稿している。
FBページ: 2016/10/28の投稿2018/10/24の投稿
出典および編集追記:

1.「宇部市|4ダム4山の紹介|日の山

2. 日ノ山の西側中腹を通る古道サヤノ峠は現在では宇部市に入る。しかし地名明細書では井関村・阿知須浦小村にさやノ峠という小字で収録されていて東岐波村の門前小村にはこの小字はみられない。

3.「FBページ|2017/1/28の投稿に対する読者コメント

4.「FB|2016/12/6のタイムライン

5.「航路標識のエコロジー化のお知らせ
《 対処が望まれる事項 》
現地の問題点などをまとめている。

情報以下の記述には行政への提言や課題などが含まれます。問題が解決した折には該当項目を削除します。
【 駐車場の問題 】
日ノ山は他の有名どころの山岳ほど登山者が多くはないためか、車で来た場合の駐車スペースを探すのに難渋する。舗装された立派な駐車場を造る必要はないが、公的機関(日の山自治会館など)に日ノ山登山者が気兼ねなく利用できる案内があれば助かる。日ノ山の麓を巡る市道は駐車禁止にはなっていないものの幅が狭く、不用意に路上駐車すると通行車両の邪魔になる。空き地への駐車は私有地トラブルの元である。

国道沿いまで離れれば駐車可能な場所は沢山あるが、登山イベント等で複数人が歩くならまだしも簡素なハイキングの場合は現実的ではない。郷土見直しの流れで登山者が少しずつ増え始めてきたなら、車を停めて良い場所の確保とその案内表示が欲しい。
《 個人的関わり 》
注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

《 地名としての日ノ山について 》
山岳に与えられた命名がそのまま麓の地区名になることが一般的なように、日ノ山も山岳名そのままの地名がある。現在では山岳の東側、海に面した集落に対して日の山と呼ばれていて、同名の自治会が存在する。
写真は日の山自治会館。


小字絵図では山岳部を含めて東西に分割し、東西の裾野部分は字日ノ山、山頂を含む部分に字日野山という表記が与えられている。また東側地区の日ノ山で海に接した部分は日ノ山村と呼ばれていたようである。地名明細書では岐波浦村の字の一つに日ノ山として収録されている。

狼煙のような煙や物を燃やす火による信号伝達を行っていた山に由来し、同種の主要な山が市内に存在しないので、日ノ山という地名は他に見当たらない。ただし山頂という高さを活用して狼煙や旗による伝達を行っていたと推察される山は他にもいくつか存在する。

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