岩郷山・第三次調査【1】

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記事作成日:2019/3/25
以下に、2019年3月17日に行った3度目の岩郷山調査について時系列で記述する。
《 出発前の考察 》
岩郷山の総括記事に記述した通り、初回踏査では市道岩ごう線(以下「市道」と略記する)から管理道を歩くことで電波塔のあるエリアまでは到達できていた。しかしその周辺には国土地理院の三角点が見つからなかった。その後再度地理院地図を見直し、あの場所はどうも真の山頂ではなくそれより離れたところにあるのではと考えるようになった。これを受けて2度目に写真撮り直しを兼ねて再訪したとき、電波塔の周辺から尾根を伝う道が伸びていないか探した。草木の生い茂る時期と重なったせいもあり、山頂方向への道を見つけることができなかった。このため電波塔のある場所へ到達できたのみで、未だ山頂の三角点を見つけられていない状況になっていた。

Yahoo!地図では周辺の道は大雑把に記述されているだけで、山頂へ至る道がどうなっているかを分析する助けにはならない。航空映像でも部分的に管理道などの道が見えているだけである。昔からある細かな登山道まで見ていくなら、地理院地図が第一選択である。

これは総括記事にも掲載した岩郷山の山頂付近である。
十字ポインタを消して表示している


その地理院地図でも岩郷山の山頂に至る道は正確には記載されていない。三角点は通常その近傍の一番高いところに設置されるから、227.3mと表記されている山頂にある筈だ。その周辺には破線と実線が適当に描かれているのみである。地図で周辺にみられる三角点を調べても同様に道が描かれていないものが殆どである。著名な平原岳はまったく安泰に山頂まで登れる山だが、破線の登山道も記載されていない。したがってこれらの道は単に省略されているだけで、何らかの道があるのは確からしい。

2度の調査でも三角点のある山頂への経路がまるで分からなかったことから、電波塔のある場所への管理道と真の登山道は独立していて相互に行き来できない状態になっているのではと考え始めた。管理道を辿ったところでまた同じことだろうから別の経路を探すべきだ。藪漕ぎなど一切不要の安泰な経路ではあるが、私有地の立て札とチェーンがあり進攻がまったく問題ないとも言い切れないこと、何よりも山頂のみを目指すなら如何にも冗長なのが理由だ。

そもそも市道を終点までたどる時点で、その途中で岩郷山への直線距離が最短になる地点を通り過ぎている。それから管理道は更に西の方まで回り込み、折り返す形で電波塔のある場所へ向かっている。電波塔を構成する重い部材や機器類を運び上げるには四輪が通れる必要があり、そのためこんな遠回りな経路を造ったのだろう。昔からある登山道なら徒歩で登るものだから、こんな無駄な経路の筈がない。

地理院地図では、市道の終点付近から折り返して北へ向かって斜めに登る実線が見えている。これはかなり山頂真下に近いところまで伸びているが、それでも折り返す分だけ距離をロスしている。更に北側を調べると、市道の2番目の分岐で尾根を伝って着実に高度を上げている登山道らしきものが窺える。その地点を中心にポイントした地図である。


この経路の存在は地図で認識されていた。しかし初回踏査では市道へ車を乗り入れたとき駐車可能な場所から相当戻る形になるため調べられていなかった。2度目のハイブリッド方式により自転車で訪れたときは調査の最後の方になったため、改めて進攻はせず帰り際に入口と少し先を確認するにとどまっていた。この道の先がどうなっているかまるで分からず所要時間も未定なので、3度目となる今回の調査では何処へも寄り道せず最初にここを訪れることにした。
《 作業道へ 》
午後1時、市道の「通り抜け不能」の立て札がある分岐点まで歩いてきた。
上に掲げた地理院地図の十字ポインタで示された場所である。


車は例によって市道の少し奥、民家がある入口分岐点の転回可能なところへ停めてきた。9日前に自転車で通った場所でもある。
この日のスタイルはフリースに薄いジャンパー、下はほいとプルーフなパンツだった。ショルダーバッグの中身はペットボトルのお茶と撮影器具一式、ポケットティッシュ、携帯電話である。天気は快晴で殆ど風もなく気温も歩けば寒さを感じない程度だった。

いきなり市道よりもきつい坂道から始まり、入口の横には鉄パイプが立っていた。
かつてチェーンを通して締め切っていたのだろうか。


前回、下見がてらにここまでは歩いてきていた。
道幅は充分に広く四輪でも通行可能だろうが、既に地面は荒れている上に至る所から木の枝が垂れかかってきていた。


岩郷山は今では一般の登山者向けの山ではない。これが登山道かどうか分からないにしても、既に誰も訪れない場所である。少々道が荒れているのは当然なので、道の形が明瞭に見えるうちは少々の藪を漕いででも進攻する覚悟だ。

坂を登り切ると、少し視界が開けてきた。
左側が平坦でかなり広い作業ヤードのようである。


今は草まみれの作業ヤードのような平坦地が何であるかおよその想像はついていた。航空映像で眺めると樹が少ないし、昭和49年度版を参照しても高い樹がなく、人の手が加わった地であることが分かる。昭和40年代後半でそのような状態なら、更に以前に樹が刈られ何かに利用されていたのだろう。

この辺りは市道沿いにみられる詰め所ないしは民家の裏手にあたる。居住者の有無は分からないが、足音に反応して吠える飼い犬があり、今まで市道を歩き回る都度吠えていた。現地はおよそ人が訪れることもない場所なので、イヌが吠えることで不審者と思われなければいいがと心配していたが、充分に遠いせいか何事もなかった。

藪の向こうにかなり大きな金属製の部材が見えていた。
巨大な空調設備の残骸のようにも見える。


興味はもちろんあったが、まだ調査の序盤だ。こんなところであちこち寄り道していたらまた山頂到達自体が次回送りになりかねない。敢えてイバラの目立つ藪を漕いでまで調べようとはしなかった。こういったものが転がっているということは、多分社有地だろう。このセクションの表題を「作業道へ」とした理由である。今進んでいる道が登山道かどうかまだ分からないが、電波塔の管理道と同様に四輪が出入りできるよう道を拡げたらしい。

作業道がほぼフラットになったところで、今度は左側ではなく前方の視界が開けた。
そして正面に見えていたものから、ここまでの見立ての正しさを確信した。


正面やや奥にこないだ再撮影してきた電波塔群が、その少し手前により高いピークが視認できたのである。それが真の山頂であることはかなり確からしい。市道の分岐点をスタートしてまだ5分しか経っていなかった。
何だ…簡単じゃんか…
目測では直線距離で300m位だろうか。鳥のように羽ばたいて一直線に行けるなら、ものの数分もあれば山頂に到達できるほどに近い。
山頂のズーム画像はこちら


航空映像で示唆された通り、視界の開けたこの場所は相当な範囲にわたって樹が生えていなかった。
寄り集まった大岩、奇妙に平坦な盛土…大岩は土採りの過程で出てきたものだろうか。


盛土部分を避けて進む。まず誰も来ないような場所でありながら、部分的に枯れ草が剥げた筋状のものが見える。
これは疑いようもない獣道だ。いつも同じ場所を徘徊することでできた四つ足獣による踏み跡である。
ズーム画像はこちら


四つ足で行動するのなら藪も崖もお構いなしなように思えて、やはり人間と同じ生き物である。イバラに引っかかれれば痛いし草まみれの中を強引に進むのは労力が要る。通りやすい場所があればそこを選好し、同じ場所ばかり通ることで草が押し分けられ更に通りやすくなる…こうして獣道が出来ていくと考えられている。これは大昔にヒトが一つ山を越えた先にある集落へ往来するとき、もっとも容易で距離も近い経路を集中的に歩くことで道が自然発生するのと同じである。

写真では乾いた荒れ地のように見えるのだが、積み上げられた土砂で行き場を失い湿地帯のようになっている場所もあった。


足元の悪い場所を避けて獣道を辿る。
近づくにつれて電波塔群が山の斜面に隠れ始めた。


山頂へ向けて確実に距離を縮めていたので、この時点では到達に関してかなり楽観視していた。地理院地図では山頂の東側斜面、標高180m程度のところまで実線が記載されているから、その辺りまではこのような作業道が通じていることになる。そこから山頂までは多分、徒歩でのみ通れる踏み跡レベルの登山道になるのだろう。

この作業ヤードと思われる場所へ到達した時点で、四輪の往来可能なレベルの作業道はなくなっていた。しかし平坦な敷地へ取り込まれているだけであり、先へ進めば再び作業道が復活するだろうと思っていた。
ところが…やはりそう甘くはなかった。
何処にも道が見当たらない。
ヤードの端へ向かうにつれて草が生え始め、やがて背丈の高い草木が多くなり、地面も見えなくなったのである。


更に悪いことに、この周辺は湧水がとても多く広範囲にわたって水浸しになっていた。
スニーカー履きなので迂回しなければ先へ進めない。


水浸しの場所は至る所掘り返されたようになっていた。恐らくぬた場だろう。これも四つ足獣の仕業だ。身体に付着した虫などを洗い落とすためにこういった泥場に入ってぬた打ち回る[1]のである。市街地に暮らせば殆ど目にする機会もないのだが、地方部に暮らし稲作を営む方なら、水の溜まった休耕田がグチャグチャになっているのを日常的に目にしている。個人的には数年前に山歩きをしていた時期よりもかなり頻繁に見受けられ、イノシシが増えていることを実感させられる。

ヤードの奥、元からの地山に隣接するところまで来た。
地面の攪乱が著しい。まったく不定型な凹凸があって地形を読むことからして困難だ。草があちこち生えている割には露出した礫石が目立つ。


ここが地山の始まる部分だろう。それまでの不定形で草まみれの地面とは異なり、堅そうな真砂土色の地面が現れている。
山の斜面が始まるそこだけは草が生えておらず印象に残った。


土肌が現れている辺りに道がありそうな気配だが…少なくとも四輪が安泰に入って行けるような道はもう何処にも見当たらなかった。方向としてはこの奥へ道があるなら、山頂へ向かう登山道として有望なのだが…

部分的に草が押しのけられ、微かな獣道と言えなくもない部分を見つけた。
しかし…ここで一段と高くなっている上に先は酷い笹藪だ。地図にあるような四輪の通れる道とは似ても似つかない。


少し離れて角度を変えて眺めたところ。
影でやや黒くなっている部分が二つ見えているが、このうちの右側の方を獣道ではないかとにらんだ。筋状にそこだけ草が生えておらず枯れ葉が溜まっているからだ。


現代社会を生きる真っ当な人間から見るなら、こんなのが道とはとても思えないだろう。しかし背が低く四つ足で進む動物なら自分より高い位置の枝は支障しないからそう困難はない。それでも二本足で歩く野ウサギ(?)には進攻が躊躇われた。ここまでは作業道こそなくなっていたものの人の手が入り見通しも利くヤードだったが、この先はまるで見通しが利かずどうなっているかも分からない山野なのだ。突撃し闇雲に歩き回り、挙げ句に元の場所へ戻る方法も分からなくなってしまったなら、それはもうプチ遭難の部類である。
過去には黒岩山の裾野で2度も経験している

地理院地図ではもう少し山頂近くまで行ける実線の道が記載されていたのを覚えていた。地図でもそれこそ「ぬた打ち回るような」2箇所の大きなヘアピンカーブがあるが、そのような場所に出会うことなくヤードの端へ到達していた。市道分岐から最初の坂を登ってヤードへ到達した時点で道がなくなったも同然であり、あまりにも予想外の展開だった。周辺の土採り作業などで喪われてしまったのだろうか。もしかするとこれは登山道ではなく、単なる社有地のヤードへ至る道に過ぎなかったのかも知れなかった。

簡単そうに思われた登山ミッションが一転して山頂までの道探しに変わってしまった。しかしここで諦め引き返すにはあまりにも早い。作業ヤードは見通しが利き、このエリアを歩き回るならプチ遭難の心配はない。もう少し探してみよう。

ここより小さな谷地を挟んだ反対側の尾根は、藪が薄く歩きやすそうに見えた。
山頂へ向かう登山道は、今居る場所からではなくヤードの別の端から伸びているのだろうか。


谷地と言っても自然のものではなく、土砂を押して積み上げた窪地のような状態で高低差も精々背丈ほどである。しかしここを下って向こう側の尾根へ移動するのは正直気乗りしなかった。あまりにも地面の状態が悪い。攪乱されまくった地面はふわふわして歩きづらいし、その上に地面が見えないくらい草や低木が茂っているのである。日当たりの良い場所のせいか、中には棘を隠し持ったタチの悪い奴も混じっていた。そんな場所へ考えもなく踏み込めば、棘で磔状態にされて身動きもままならなくなる。

つっ立っていても仕方ない。直感的にはこの方向ではないだろうと思いつつも、道の手がかりを求めて植物が乱雑に茂っては枯れるのプロセスを繰り返した荒れ地の斜面を注意深く下っていった。

(「岩郷山・第三次調査【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 一般に言う「のたうち回る」は、ぬた場での動作のように転がり回る動作に由来する。この「ぬた」は水分を多く含んだ状態の形容で、惣菜の名称にもなっている。市内の万倉校区にある沼田ヶ原(ぬたがはら)は、水分の多い地に由来するのではないかと思われる。

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