岩郷山

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記事作成日:2017/3/7
最終編集日:2019/4/19
情報吉部と万倉にある天然記念物の大岩郷とは異なります。
大岩郷については こちら を参照してください。

岩郷(いわごう)山は、小野地区の東部にある標高227.3mの山である。
写真は山頂の様子。


山頂部をポイントした地理院地図を示す。


地勢的には厚東川が大田川と分岐している尾根に属するもっとも南寄りの山である。地理院地図に名称記載があり、三角点も設置されている。しかし宇部市の山岳としての知名度は殆どなく、登山の話を聞いたことがない。もっともネット上で検索すると登ったときの様子をレポートするドキュメントが散見される。なだらかな円錐形をした単独峰で、小野地区在住民からは富士山のような成りをした山として親しまれている。

航空映像で山頂付近を見ると電波中継局のような建物が3棟見える。


これらはテレビの電波塔や携帯電話の中継局で、テレビ関連は宇部・小野テレビ中継局としてKRY、TYS、YABの3社が共用し、宇部小野デジタルテレビ中継放送所としてNHKが機器を設置している。携帯電話関連としては、管理道沿いの標高が低い位置から順にNTTドコモの岩川基地局、KDDIの岩郷山基地局が個別に機器を設置している。すべての中継局・基地局は無人で遠隔操作され、南側山麓の中山地区より給電されている。

一連の塔はかなり高く周囲に同様の山がみられないため、ある程度離れた場所からでも岩郷山を見つけるのは容易である。下の写真は平原岳の登山道から撮影している。
更にズームした写真はこちら


県道美祢小郡線の吉野橋付近からズーム撮影。


昭和49年度版の航空映像では山頂にそれらの設備がなく、北側斜面に採石場のような平坦地が見られるのみである。[a1]現在では採石や土採りは行われておらず、当時のものと思われる遺構が山中に散在している。
《 概要 》
後述するように最終編集日の時点で山頂へ到達できたが、まだ手元の写真を充分に整理できていない。以下の記述は手元の客観資料や管理道周辺を観察した内容に基づいている。
【 地質および地勢 】
名称から推察されるように、岩郷山は至る所に石質が目に付く山である。ただし土中から部分的に現れた大岩は殆どなく、破砕された礫石が極めて多い。山の斜面には比較的大きな礫石が散らばり、管理道付近には細かなものが目立つ。このことはかつて広範囲に採石されていたことを窺わせる。[a1]破砕された岩の破片の上に厚く土砂が堆積している場所があり、これは採石作業で地山が攪乱されたことを示している。


岩の種類は霜降山にみられるような不定形の真砂土系は少なく、方状節理をもったものが目立つ。また、墓石によくみられるごま塩の色調で長石由来のピンク色が殆どない花崗岩が極めて多い。破砕されて散らばっている殆どがこの種の岩である。数こそ少ないが、柱状の素材として加工されたまま放置されている石材が知られている。


管理道の下地は石灰石が多い。しかし現地の斜面ではまったく見られないことから、管理道を敷き均す目的で外部から持ち込まされたものと考えられる。

土肌が現れている部分は概して粘土質である。粘土系の土砂の中に風化が進まず不定形の岩を取り込んで残っているような場所もある。標高が上がるにつれて自然の大岩がやや増えるが、管理道沿いには大岩郷を思わせるほどの巨岩は少ない。
【 遺構 】
市道岩ごう線終点付近から管理道にかけて、外周を石積みして敷地を確保したような場所や庭園跡のような場所が知られている。床の間のような遺構やほぼ完全に倒壊したガラス戸入りの壁が見つかっており、人が住んでいたようである。しかし居住に関する遺構(井戸など)は知られていない。あるいは採石関連の詰め所かも知れない。

もっとも目立つ遺構は、管理道より下側斜面中腹にみられるドーム屋根の構造物である。これは初回訪問時から気付いていて管理道からズーム撮影されている。


この案件について接近調査する積もりだったが、下山時には失念してしまっていた。後に航空映像でも映っていることが判明した。管理道より下方の隔離された場所へ設置されているため最初は採石に使う火薬貯蔵庫だったのではないかと考えられた。3度目の踏査により、ドーム屋根の間にバルブと水位計が見つかったことから、貯水池だったことが分かっている。これより低い場所にある中山集落から給水していたようだが、給水管などは見つかっていない。

山頂に近づくにつれて水が得にくくなるせいか、藪の中にドラム缶と動力機が存置されている場所がある。地下水を汲み上げて貯め置いていた場所であろう。経常的に使われていたらしく周囲はキチンと石積みで囲われている。

存在理由のよく分かっていないものもある。前出の狭い掘り割りに隣接して直径約8メートル、深さ約3メートル程度の円筒状の窪地が見つかっている。巨木が自然倒壊した後に洞(うろ)が生じるが、現地にあるのはそれよりも遙かに大きく中に水は溜まっていない。自然地形でないことは明白なのだが、何のために掘ったのか不明である。

管理道より分岐し高さ数メートル程度の掘割で進入路を作った先に正方形状の余剰地が造られた場所がある。砕石用の火薬貯蔵庫の跡を想起させたが、詳しいことは分かっていない。


最近行われた別経路の作業道を踏査したところによると、採石・採土作業が行われていた当時の多くのものが放置されていることが判明した。具体的には燃料用のドラム缶、建築ブロック積みの貯蔵庫、夥しい電線、動力ポンプである。真砂土の採取が行われていた場所ではブルドーザがそのまま放置されており、斜面は削られて土肌が現れたままだった。重機械から取り外されたアタッチメントが放置されている場所もあった。これらの場所では殆ど半製品に近い程度まで加工された石材が散らばっており、正規の形で事業終了することなく放置されたように思われる。
【 大岩郷との関連について 】
名称の岩郷山からは吉部および万倉の大岩郷がすぐ連想される。当初はどういう関連性があるのか知ることがこの山の踏査モチベーションの一つでもあった。初回踏査では電波塔の管理道を歩き、多彩な岩石がみられたものの大岩郷のような岩の海などは見られなかったことから、石材の多様性によるものと想像されていた。3度目の踏査では地理院地図にみられる登山道らしき道を忠実に歩き、山頂に近い東側に大量の岩塊を見つけている。

後述する地名としての岩郷との考察により、最初期には岩郷山という表記ではなかったのではと考えられている。昭和初期に作成された地図(いわゆるスタンフォード版)では岩コウ山と記載されている。


この他にも県道より分岐する認定市道の名称が「岩ごう線」と平かな表記されるのも一つの理由と思われる。
出典および編集追記:

a1.地理院地図(昭和49年度版)の航空映像。


山頂を中心として広範囲に山肌が現れているが、現在の航空映像では平坦地のまま植生が戻っていることから採石が示唆される。厚東採石所跡地が同様になっている。
《 登山に関する問題 》
情報この項目は推察を元に記述されており、不確実な内容が含まれます。編集追記で反映させますので有力な情報をお持ちの方はどうぞお寄せください。

岩郷山の登山ルートは後述するようにいくつか考えられるが、現時点では市道岩ごう線を辿り管理道を経て電波塔エリアに向かい、その途中の岩川基地局より直接尾根へ上がって尾根伝いに山頂を目指す経路以外知られていない。この経路を援用するには、市道終点付近から管理道へ移る際に立入禁止の札がある先へ進攻しなければならない問題がある。


立て札には連絡先が記載されており、電話番号検索によれば船木地区にある一会社の所有ということになっている。立て札の宣言通りであるならチェーンが張られているより先の全エリアが社有地の可能性がある。現在はテレビ中継局や携帯会社の基地局があり、関連企業に賃借しているのかも知れない。いずれにせよこの立て札が現在も有効なら、これより先に進攻できるのは土地の所有者と賃借することで一定エリアの正当な利用権を取得している企業関係者のみとなる。同様の状況に置かれているかも知れない他の事例として、宇部市善和地区と山口市青畑地区の境の青岳がある。

チェーンで立ち入り規制されている先に山頂エリアも含まれるなら、国土地理院の地図に記載されていながら一般人が登れば不法侵入となってしまう山岳が存在することになる。海の場合は原則として何処であろうが誰でも身を置いて良いのであるが、山岳の場合は(登山道などで整備されていたりまるっきり存在しなかったりする別はあっても)例外なく周辺土地の所有者が存在する。市や県などの公的機関が所管し自由な登山ができるのが普通であるが、山頂および周辺エリアが個人や一企業の私有地で関係者以外の立ち入りを禁止する旨明言している場合がある場合に問題が起きる。

私有地であっても山岳のように昔から慣行的に一般人が登ることを容認してきた歴史的事実があるならば、事改めて禁止事項は提示されないことが多い。もっとも部外者が勝手に入って筍を掘り取るなどすれば窃盗になるが、単純な登山目的で立ち入る場合は微妙である。

岩郷山のように山頂へ向かうのに一つしかない(少なくとも現時点では他に知られていない)登山道の途中に「私有地につき立ち入り禁止」の札が設置されている場合、たとえ山頂が誰でも到達することが認められている公地であっても、私有地を通行しなければ登山自体不可能であるという事実をもって登山行為自体が禁止されていると見做されるのかどうかは法的知識を要し、現時点では明らかではない。頻繁に登られる山ではなく訪問者が僅少なので問題にならないだけである。

土地所有者としては、筍掘りや不法投棄目的での四輪の進攻を阻止する意図で立入禁止の看板やチェーンを設置しただけであり、登山自体はまったく容認というスタンスの可能性もある。看板にある”許可なき方の「通行」”を四輪の進攻とする見方であり、当サイトではこの判断の元に初回踏査時よりチェーンを跨いで徒歩で進攻している。[b1]しかしそのことは現地の立て札だけでは一般には判断がつかず、解釈の差違によって今後問題になる可能性がある。
出典および編集追記:

b1. 当サイトではチェーンを掛けたのみで容易に跨ぎ越せる状況においての「一般の進行はできない」旨の掲示は、主に不法投棄を目的とした四輪の進攻を阻止する意図であり、調査や登山など正当な目的をもつ歩行者がチェーンを跨いで進行することに問題はないと考えている。これは絶対的な判断基準ではなく、市内で数多くみられる同様な通行規制と立て札を観察してきた上での経験的判断である。これには厳密さを欠く曖昧な書き方の立て札設置が極めて多く、実直に遵守していると物件の調査が一向に進まなくなる現実的問題があるからで、一般にこの態度を推奨しているわけではない。
《 登山ルート 》
前述の通り、一般の登山向けに案内されている山ではないため、どの経路を援用するにも自己責任となる。電波塔の管理道経路がもっとも安泰ではあるが、途中に私有地につき立入禁止の札があって有効性が分からず進攻の可否について当サイトからは保証できない。また、それ以外のルートは殆ど道が存在しなかったり調査されていないものもあり、最悪山の中で迷う危険もある。
【 市道+管理道コース 】
県道美祢小郡線より分岐する市道岩ごう線を終点まで進み、そこより電波塔の管理道を歩くコースである。数あるうちのもっとも安泰なコースではあるが、電波塔のある頂上付近まで管理車両が進攻できるような道造りになっているため、登山道としては如何にも冗長である。道中にいくつかの遺構はあるものの、途中からの眺めは殆ど利かない。

市道は私有地前の立て札がある場所手前のカーブまでと思われ、坂の始まる地点に車を留め置ける少し広いスペースがある。それより先は物理的には四輪の通れる幅があるが、雨裂が酷く四駆でも進攻は恐らく不可能。なお、スペースは市道途中であるため駐車は問題ないと思われるが、付近に地図では記載のない民家がある。県道より広いスペース付近まで在住者の往来があるため、迷惑にならない場所に車を置く必要がある。
【 市道+作業道コース 】
市道岩ごう線の前半部分、この先通り抜け不可の立て札がある場所から右への分岐を進むコースである。地理院地図では実線で描かれていることから里道もしくは登山道と思われる。採石所跡地に続いているため途中まで四輪が通れる幅だが、跡地のところから先の道が不明瞭で見つけづらい。ブルドーザや小屋などの遺構が目立つが、経路は至る所で分断され明瞭に繋がっている道はない。砕石や真砂土採取のための作業道と考えられるため、山頂には向かわない。結局、藪を漕いで電波塔の見える管理道の途中へ強引に出る以外ない。山頂の真下と思われる場所まで到達はするが、急斜面でありシダ類の繁茂が酷く進攻は不可能。踏み跡のように見えて単純に斜面が崩れて土肌が現れているのみの場所が多く、山の中で迷う危険性が大。
【 中山地区+管理道コース 】
中山地区より中山池の横を通って山中へ分け入り、市道岩ごう線の終点付近へ出てくる経路があるようだが、調査はされていない。地理院地図では中山池の東側にある造成地から下る道があるように記載されている。また、市道岩ごう線の終点付近から中山地区へ降りていく明白な道は存在していなかった。
【 その他のコース 】
池ノ原地区付近から岩郷山への登山道らしき道が地理院地図には記載されているが調査されていない。中山地区にある畜産団地横から峠を越えて厚東川へ降りる道筋が航空映像で視認されており、この途中から岩郷山へ向かう登山道が出ているかも知れない。
《 記事公開後の変化 》
一定の分量が蓄積され次第、編集追記の折に本文へ移動し整理する。

・実際に現地へ赴く試みは2017年3月4日に初めて実行された。このときは市道岩ごう線の県道入口から入ったものの途中で分岐の方向選択を誤り到達できないまま退出している。[c1]

・同年5月7日、市道を車で進めるだけ進んだ先から徒歩で初めて電波塔のある場所へ到達した。樹が伸びすぎていて眺めは殆ど利かず、また下草も伸びていて周辺の行動範囲が制限されたため国土地理院の三角点も見つけることができなかった。但し岩郷山の岩質を調べる当初の目的は達せられ、また登山の道中に興味深いものをいくつも見つけている。山頂からの眺めと三角点を確認する必要があるため、秋口以降の再訪を予定している。[c2]

・2019年3月8日、ハイブリッド方式にて岩郷山周辺の登山経路調査を行った。最初に岩郷山の南側裾野にある中山地区から管理道へ出る経路の存在を推定し中山池周辺の道へ自転車で進攻したが、経路を手書きしたメモの不備もあり入口を見つけることはできなかった。中山池から電波塔はかなり近くに見えていて、管理道までは直線距離で200m程度のところまで近づいていたと思われる。

・同じ日にその後市道岩ごう線まで自転車で乗り付け、前回と同じルートをたどって電波塔を含めた写真の撮り直しを行った。また、このとき前回訪問時の途中で見つけていながら帰りに調査を失念していた場所を調べてきた。[c3]現地調査と 複数の地図の参照により、電波塔があるのは岩郷山の山頂ではなく2番目に高いピークに過ぎず、三角点の設置された真の山頂はそこより100m程度北側と思われる。電波塔のあるピークから直接山頂へ向かう道は確認できなかった。したがって電波塔に向かう幅の広い道は登山道ではなく、携帯会社や放送関連の機器メンテナンスのための管理道と考えられる。途中に立入禁止のロープが張られているのは恐らくそれが理由であり、ここを経由しない真の登山道が別に存在するようである。

市道岩ごう線の「この先通り抜け不能」の案内板が設置されている場所(終点ではない)から右への分岐路が確認されており、これが岩郷山の真の山頂へ向かう登山道ではないかとみている。


この分岐路は早くから気付いていたが、その先の市道沿いには来訪者に反応して吠えるイヌを飼う民家があり、その裏手を通る道も資材置き場らしき場所に向かっていたことから私道と考え進攻を見合わせていた。写真撮り直しを終えてハイブリッド拠点まで戻ろうと退出するときのことであり、既に午後4時半を回っていたためこの道の始めの方を少し歩いて偵察しただけである。

・その翌日、車と歩行踏査の予定で再び小野地区を訪れた。最後に市道岩ごう線まで車を乗り入れて登山道と思われる場所の歩行調査を予定していたが、先行して訪問した場所(奥宇内・仏坂)での調査が長引いたために次回送りとなった。

・同月17日、上記の登山道と思しき道を辿った。四輪も通れる程度の道が採石所跡地らしき場所まで続いていたが、それより先は地形の攪乱で道が分からなくなっている場所があった。跡地の奥から藪で隔てられた先に山を登り始める道を見つけた。この道沿いに採石および土取り時代の多くの遺構がみられた。作業道は行き止まりであり何処にも接続されていない。最終的に電波塔を視認したので藪を漕いで脱出する形になった。ただし電波塔(岩川基地局)の横から斜面を登り尾根を伝うことで真の山頂へ向かう経路と思われるマーキング(赤いテープ)を確認した。マーキングは電波塔のある場所の入口にも設置されており、初回訪問時には存在しなかったため測量関係者が設置したものと思われる。マーキングを辿ることにより初めて真の山頂に到達することができた。山頂には国土地理院の三角点が設置され、十数年前に到達した登山者によるプレートも見つかった。山頂は極めて狭いが眺めは良好である。結局、登山経路としては電波塔へ向かう管理道を辿り、そこからマーキングを辿って尾根伝いに進む以外ない。特に山頂より東側は切り崩され崖地となっており、北側から登ってくる踏み跡も見つからなかったため、他の登山経路はないものと推定された。
初めて岩郷山の登山を試みたときの時系列レポート。市道に車を停めて管理道を徒歩で電波塔エリアまで到達している。記事化時期未定。
時系列記事: 岩郷山・初回調査【1】

初回調査で撮影品位の劣っていた写真の撮り直しを目的に、初回調査と同じ経路から電波塔エリアまで歩いたときの時系列レポート。ハイブリッド方式で市道まで自転車で訪れている。記事化時期未定。
時系列記事: 岩郷山・第二次調査【1】

経路の冗長な管理道を介さず市道の起点付近から分岐している道を辿って直接山頂到達を試みたときの時系列レポート。現在執筆中で全6巻を予定している。
時系列記事: 岩郷山・第三次調査【1】
出典および編集追記:

c1.「FB|岩郷山計画(2017/3/5)

c2.「FB|5月7日のダイジェスト(2017/5/7)

c3.「FB|2019/3/17の調査行程
《 個人的関わり 》
実際の登山はもちろん市内に存在する山という認識を持ったのも近年のことである。少なくとも身の回りで岩郷山についての話を聞いたことは一度もなかった。
《 地名としての岩郷について 》
岩郷と言えば冒頭でリダイレクトを配したように、吉部や万倉の大岩郷が想起される。吉部の大岩郷では現地の説明板に「岩が集まるさまを指して岩郷と呼んだ」という記述がみられる。岩郷山と大岩郷は大きな尾根一つ隔てるほどに離れているものの他に類似する名称の山は近くになく、何かの関連性を考えたくなる。

岩郷山の南側には中山という集落があるので、小野村の両川小村に属していると思われる。しかし当該小村に岩郷ないしは「いわごう」に類する地名はみられない。小野村の重倉小村には岩川山(いわかわやま)という小字が収録されており、岩川を含む認定市道である岩川上小野線は後述の岩郷山の北側にあることから、岩郷は岩河の義で元々の岩川から書き換えられたのではないかという気もする。川や河に対する「こう」の読みは音便変化の一形態として一般的である。

最近入手した昭和初期の地図(前掲)では「岩コウ山」と表記されていた。これは地名として先述の岩川山が存在し、山の名称も当初これに準じて与えたが、山頂付近に分布する大量の岩が大岩郷を想起させることから、後年書き換えられたのではないかという先の推察を補強している。

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