岩郷山・第三次調査【2】

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記事作成日:2019/3/26
(「岩郷山・第三次調査【1】」の続き)

酷い草まみれの斜面を降りて登り直し移動してみたものの、全くのダマシだった。
ちょっと土肌が見えているから安泰そうに思えただけで、先はすぐに大藪に包まれていたのである。


振り返ってさっき居た場所を撮影している。土肌が見えている場所がそうである。
これほど近いのに、移動には本当に骨が折れた。地面が見えないくらい折り重なっている草木でおよそ分かるだろう。


それでもまだスタート地点を出て十数分しか経っていない。現地は広大な荒れ地で近年誰も訪れた形跡もない陰鬱な場所だったが、天候の良さがそれを和らげてくれた。再度来ることもなさそうな場所だけに、道探しを兼ねて年代考証できそうなものがないか周囲を歩き回った。

当初この場所を土採り場か採石所と考えていたが、どうやらそうではないらしい。
土砂を採取して運び出すのではなくむしろ逆、残土を処分したり産廃物を捨てる場所だ。コンクリート殻やアスファルト殻などが散らばっていたからだ。


この他に土管や桃色レンガの破片も見つかり、産廃処理場であったことがほぼ断定できた。堆積している土砂の状態からして、近年まで使われていたらしい。
そのことを思えば、この周辺一帯は関係者でもない私が身を置いて良い場所とは言えなかった。残土や産廃物の処分場ならまず社有地確定だし、水の溜まった窪地や金属片などが散乱していることもあって危険なため大抵は一般の立ち入りが禁止されているからだ。

処分場と判明してからはそれ以上周辺を歩き回るのを止めた。古く貴重なものが埋もれている可能性はないし、登山道がありながらそれを塞ぐように産廃物が山積みされた可能性もない。それどころか市道の分岐からこのヤードへ至るまでの道も、登山道ではなく処分場までの専用通路だったのではと考え直した。分岐点に立っていた鉄棒も現役時代はチェーンが張られ「関係者以外立入禁止」の札がぶら下がっていたのかも知れない。

結局、足元の悪い残土処理場の縁を延べ10分くらい歩き回り、登山道に関する何の手がかりも得られなかった。スタート地点から道を見失った場所までは写真を撮りながら歩いて15分ちょっとだったから、移動範囲の割に如何にこの場所で不毛な探索をしていたか想像つくだろう。それほど探し回ってもこちら側の尾根には道らしき手がかりは何も見つからなかった。
これは無理かも分からんなあ…
地理院地図では他に厚東川に近い北側より山頂に向かう登山道らしき記載があったのを覚えていたが、現在辿っているのはそのうちでもっとも有望で山頂近くまで到達する経路だった。それを見つけられないのだから、名前こそついているものの岩郷山は黒岩山黒見山、そして山頂付近の広範囲を社有地にされてしまった青岳のような「登れない山」になってしまったのかも知れないと感じた。

取りあえず土肌が見えているさっきの場所へ戻ってきた。
引き返すにしても不慣れな場所なら、既知の地点まで戻るのが定石だからだ。


気持ちとしては9割方諦めて引き返す積もりだった。しかし…気になったあの場所だけ最後に調べておこうと思った。
山肌が現れているすぐ近くにあった獣道らしきこの先である。


獣道らしき道筋が見えているというものの、顔を上げればこんな状態なのである。
もし先の方も一面に藪だったら素直に諦めよう…という心境だった。


四つ足獣ならトンネルのようにくぐるその上は中程度の笹藪だった。両手でかき分けて先を窺った程度では何も分からなかったが、以前の経験がふと頭を過ぎったので少し辛抱して更に数歩踏み込んだ。

笹藪の斜面を少し登ったとき…そこには少し平坦な場所が見えかけていた。[13:36]


この幅は…と思うまもなくそれは確信に変わった。
あった!! これは作業道の続きだ!


何ということだ…
闇雲に思える場所から強引に笹藪を漕いでみたら、そこには四輪が通るに足りる幅の道があったのだ。
《 作業道の再発見 》
あの場所で笹藪を漕ぐ、漕がないの違いが大きな結果となって現れた。この先に明瞭な道の痕跡も確認できない状態だったら、本当に諦めて作業道をそのまま引き返す積もりだったのだ。

何故あの場所で笹藪を漕ごうという気持ちになったのかは説明可能だ。以前、黒岩から開へ抜ける黒杭村への古道を辿ろうとしたときのことがあったからだ。黒岩側から進攻を試みるも前方は絶望的な笹藪だったので、道はないものと結論付けていた。その後、情報を聞きつけたメンバーが実地を再度検証し、笹藪に包まれた区間は数メートルで、その先に安泰な古道が殆ど元のまま遺っていることが報告される事象があったからだ。これに近いことは、初期に市道金山線の歩行踏査を行ったときにも起きていた。

笹藪は日当たりのある場所へ集中的に生えるが、日陰ではあまりみられない。また、笹の葉は藪を構成する他の植物に比べて葉の面積が広いため、ちょっと生い茂るだけで忽ち前方が見えなくなる。淡い踏み跡を辿るとき笹藪とシダは道を見失わせる要因であることは以前から知られていた。踏み跡を辿っていて笹藪に出会ったら道がなくなったと絶望的になりがちだが、日当たりの良い場所へ密集していて「蓋をされている」だけであり、辛抱して先を調べれば道が復活することが多い。

笹を含めた竹の類は、イバラと異なり通り抜けようとする生物を攻撃する対抗策(鋭い棘など)を持たない。葉に不快害虫を宿さないため、密集度が薄ければ春先以降でも攻略は容易である。ただし極めて繁茂が旺盛な場所では1m先も見透かせない状態となり、根元近くは堅くて丈夫なため物理的な進攻自体が不可能となる。

再び作業道へ復帰することができた裏には、過去に道探しをしたとき前後の数メートルだけ笹藪で塞がれその先には安泰な道が続いていた事例を覚えていたからだった。ある程度の場数を踏んで経験を積むことがこの種の調査の成功可否に大きく影響することが如実に示された。

ここに見えているのはまったく人工的な道だと断定できる。
両側に地山がありながら自然発生的にこの幅で真っ直ぐ削られる筈もないからだ。


この掘り割りを背にして現地では反対側も調べた筈だ。一面に藪で明瞭な道は確認できなかった…と思う。残念ながら反対方向に向いて撮った写真が手元に一枚もない。偶然に作業道を再び見つけることができた驚きのあまり、すぐ先を辿り始めてしまったからである。しかし作業ヤードから直接この作業道へ繋がる明瞭な経路がなかったと思う。作業道を歩く間、先ほどの土肌が見えている場所へ到達するまで相応な注意を払って周囲を眺めていたからだ。

今度こそは岩郷山の登山道かも知れない。地理院地図で書かれていた通りの四輪が通れそうな幅の道は、緩やかな登りで続いていた。
一面に枯れ葉だらけなのに、道の真ん中にデンと据えられたような大きな石が目を惹いた。自然にここまで転がり出るものだろうか…


道幅は変わらず続いていたが、この道は作業ヤードまでの区間に比べるてずっと荒れていた。
地面に堆積している落ち葉の量がもの凄い。先の区間よりもっと早くに通行されなくなっていることが窺われた。


道中にゴミなどの人工物は見当たらなかった。倒木も少ない代わりに道の真ん中に背の低い樹が生えている場所が目立った。
やがて道より山側の斜面に岩が目立ち始めた。[13:40]
作業道を外れて近くまで行って撮影した画像はこちら


笹藪を漕いで作業道へ復帰してから暫く直線の緩やかな坂が続いていたが、ここでやや大きなカーブを通り過ぎた。
写真は振り返って撮影している。


不思議な場所に出会った。
道の真ん中に枯れ枝がより集まっていたのだ。自然な状態でこのように集まるとは思えない。


昔はこのような枯れ枝は焚き付けの元として重要だった。煮炊きしたりお風呂を沸かしたりするエネルギー源になるので、枯れ枝が出るまで放置することもなく積極的に樹を切り出し、小屋へ集積して水分を飛ばしてから薪にしていた。
現在でも薪を採ってきてお風呂を沸かす家は市内にも存在するが、ごく少数派である。ここに集められた木の枝は、まさか燃料目的で採取されたものでもないだろう。

作業道の登り勾配が緩くなり、やや広い場所に出てきた。


作業道か登山道かまだよく分からないこの道に復帰して初めて分岐路に出会った。
左側には直線的に下っていく道、右側にはかなり荒れた登っていく道があった。[13:43]


まず進行方向左側の道は却下だ。山頂目指して登っていくのに延々と直線的に下ることなどおよそあり得ない。何処へ繋がっている道かは深く考えることもないまま右側の道を選択した。

この辺りから路上に散らばる石が目立ち始めた。転石を脇へ寄せたり間知石サイズの丸石をいくつか積み上げた場所もあった。石の分布は更に進むにつれて次第に多くなってきた。丹念に写真を撮ってはいるが、ここから次のランドマークへ至るまではかなり長かった。
適宜記録しているタイムスタンプで分かると思う

ヘアピンカーブを伴い折り返す場所である。[13:49]
カーブの外側へ可能な限り寄って撮影した画像はこちら


左右が入れ替わり左側が山側になる。
大岩がとても多い。それも多くが破砕された後のものだった。自然の大岩ならこれほど角が直線的にはならない。


破砕の跡が明瞭に遺っている大岩もあった。


斜面を削って道を造ったのがよく分かる。
そのような場所には土肌が露出していて岩はみられなかった。


それにしても長い。もうそろそろ山頂も近いのではと思われるのだが…道は着実に高度を上げているので、地理院地図に記載されている道であることに疑いはない。しかし周囲の眺めはまるで利かず自分が今どの辺りを歩いているのか全く分からなかった。

進攻可能な道があるうちはまだしも、先行きでまた突然道がなくなり、現在位置の把握ができない山野の中へ放り出されることになったら…という心配はあった。笹藪を突破してから歩いた距離は、初回と第二回目の管理道を延々歩くのと大差ないように感じられた。この先で進攻不可能となったら、今までの距離を引き返すのに加えてまたあの足元の悪い処理場を戻らなければならない。

現地ではそれほど楽観視はしていなかったものの、延々引き返しなど悪夢のようなことは考えていなかった。これで3度目なのだから確実に決着をつけたい…何年もの間もう誰も訪れた形跡もない荒れた山道を辿っていった。

(「岩郷山・第三次調査【3】」へ続く)

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