岩郷山・第三次調査【5】

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記事作成日:2019/4/15
(「岩郷山・第三次調査【4】」の続き)

管理道を辿ったとき最初に現れる岩川基地局より直接斜面を登ることで、木の枝に結ばれている赤いリボンをいくつも見つけた。その存在だけで真の山頂へ到達できる経路を手にできたと確信した。 [14:34]


明らかに人工的に設置されたこの種のマーキングは、近傍のある場所に到達するとき迷わないようにするために施される。踏み跡が淡くて迷いそうな登山道をはじめ、山奥を延々と辿ることとなる送電鉄塔の点検用通路が代表的で、離れた場所からでも目立つ赤いテープがよく使われる。たまに黄色や青い粘着テープが幹に巻かれる例もある。

岩郷山には送電鉄塔は存在しないから、このマーキングが何を意味するかは殆ど明らかだ。山頂に設置されている三角点の計測目的で訪れたとき遺したのだろう。現地でも確かにそれは尾根筋に沿っていくつか視認された。鮮やかな赤色を保っていて比較的最近設置されたように思われた。

山頂までまだどんな障害があるか分からないながらも、距離からすればもう歩いて数分以内だ。焦ることはない。ここまで1時間半を要したが下山にかかる時間を含めても充分な余裕があった。そこで検証を兼ねて一旦山頂方向とは逆の電波塔方向へ歩くことにした。ちょっと腰を下ろして休みたかったし腑に落ちない点もあったからだ。
《 縦走路の検証 》
山頂のある方向を撮影している。
ここは岩川基地局から斜面をまっすぐ登ってきた場所である。半加工された石材が散らばっているのがランドマークになりそうだ。


目立った起伏のない尾根筋を辿り、大きめの岩がいくつか転がった場所にもう一つのマーキングがあった。そこを過ぎると、少し登る形で電波塔エリアが見えてきた。[14:35]


電波塔エリアへ出てくる直前の映像である。
基礎コンクリートの角にあたる場所の木の枝にマーキングが施されていた。


私が一番納得できなかったのがこれだ。今まで管理道経由で電波塔エリアを2度訪れ、この方向に山頂があるのではと思って道がないか調べていたのだ。そのときこれほど目立つ赤いテープが結びつけられていたなら見落とす筈がないのである。特に最初に訪れたときは、ここから藪の中へ入って道がないか調べた記憶さえあった。
初めて訪れたのは一昨年のことなので、それから後にマーキングされたのだろう。電波塔エリアでは多数枚の写真を撮っているが、時系列記事を書いている現時点で調べてみてもこの方向へカメラを向けたショットが一枚もないため真相は分からない。

まあ…しばし休憩だ。
電波塔の下へ座ったところで日陰には全然ならなかったが、汚れを気にすることなく脚を伸ばして水分補給した。大きめのボトルへ詰めて持ってきていたウーロン茶がここで初めて役に立った。


歩数計のカウント。
意外なことに5千歩も歩いていなかった。ここまでの所要時間と疲労度にそぐわない。


今までずっと眺めのない藪の中を歩いていただけに、そよ風にきつい日差しさえ心地よかった。この場所にあるテレビ中継局関連の機器は黙って仕事をしていたが、やや離れた場所にある携帯会社の岩郷山基地局は相変わらず時間の経過によってランダムに音階が変わる音楽のような奇妙な周波数音を周囲に発散させていた。
この現象については電気カテゴリで独立記事を書くかも知れない

さて…それではそろそろシメの作業にかかろうか。
真の山頂…そこには一体何があってどんな風景が広がっているのか…

この時系列記事をご覧になって現地へ赴く好事家がいらっしゃるとは考え難いが、改めて場所を述べると…
電波塔群のうちもっとも真の山頂に近い位置に据わるテレビ中継局関連の機器である。[14:42]


そのもっとも山頂寄りの角の灌木に赤いテープが巻き付けられている。
薄暗い洞穴のように見えているのが電波塔エリアから山頂に向かう入口だ。


それから先ほど歩いた区間を飛ばして…
岩川基地局から登ってきたとき目にした半加工状態の石材が散らばっている場所である。ここにもマーキングがみられた。


一つのマーキングを過ぎるとき、概ねその先に視認できる距離内に別のマーキングがあった。
もっともマーキング間に踏み跡などはまったくないため、それを欠いていたなら何処を歩けば良いものやら容易に分からなくなってしまいそうな原生林だった。


この次に現れたマーキングは、テープを巻いた枝が折れてしまい地面に落ちていた。[14:45]


真の山頂へ近づくにつれて尾根の幅が狭まっているようで、両側の斜面がきつくなってきた。転落するような危険はなかったが、夥しい枯れ葉の堆積で足元が滑りやすい。地形の視認を困難にするシダの繁茂も目立ってきた。

これ以降マーキングが見当たらなくなったが、それほど思い悩む必要もなかった。
《 山頂へ 》
原生林が薄くなり、それ以上高い場所の地面も樹木も見えなくなる場所が近づいた。
その先に山頂を表す標識らしき白い棒状のものが目に留まった。[14:47]


あそこだ!

しかし…目では見えていてもそこへ到達するのはひどく難儀した。日当たりが良いせいかシダが腰の高さ近くまで伸びまくっていて足元がまるで見えない状態なのである。地山と信じて進攻した先が枯れ葉に隠された急斜面で足を踏み外し滑落するリスクがあった。あの棒が刺さっている場所は地山だから、そこまでは地面があるものと考えていざり足で近づいた。

そこにあったのは山頂を示す標識柱ではなく、単に市の路肩標だった。
路肩標のズーム画像はこちら


意味もなくここに設置する筈がないので、山頂標の代用だろう。真の山頂位置を示す国土地理院の三角点が近くにある筈だ。
それほど広くもない山頂付近の藪をガサゴソとかき分けることで、それは姿を現した。
【 岩郷山の三角点 】
三角点の礎石は、路肩標が刺さっている場所からやや離れていた。
身を屈めてシダをかき分けることで見つかる状況は、まるで宝探しのようだ。


礎石の周辺には保護用の石材やコンクリートがある筈だが、周囲が狭い上に何処まで地山があるかも分からないような場所で、とても動き回れる状況ではない。
三角点の存在を補助的に示す木製柱は見つからなかった。


礎石の正面からの映像。


この撮影までに気付いていた重要な発見があった。
【 山頂の標示板 】
実のところ時系列がやや前後するが、この三角点の標石を接写しようとしゃがみ込んだとき、すぐ近くに何やらプラスチック製のプレートが裏返しになっているのを見つけていた。[14:49]


この場所にある人工物なら恐らくあれだろう…という推察があった。
その通りだった。


過去にこうした無名も同然な山を次々と攻略していった登山者の存在があった。有志により非公式に設置されるプレートで、同種のものは他の山にもみられる。山岳会に所属する会員などによるものが多い。
プレートには岩郷山の名称と標高の他に、設置されたと思われる年月日やメールアドレスが記載されていた。2つ記載されているので恐らく夫婦の登山愛好家だろう。

特に関心を持って眺めたのが設置時期を示す 03' 2 1 の数字群である。これは西暦2003年を示しているから、十数年前までは岩郷山は割と安泰に登ることができる山だったと言えるだろう。
現在もそうとは断定できない…山頂を含めて立入禁止の可能性もある…詳しくは総括記事に追記する

平成16年と言えば私はデジカメを漸く扱い慣れた頃で、まだ今のような活動は行っていなかった。携帯電話は既に出回っていたが、基地局の数は限られていたから岩郷山の電波塔エリアにはそれこそテレビ中継局以外何もなく景色も相当違って見えたことだろう。プレートは裏返った状態で地面に落ちており、相当な期間誰からも顧みられることもなかったことを窺わせた。

岩郷山は国土地理院の三角点を持ち今も地図に記載されている明白な山岳である。その山頂がここにあることを示すプレートの設置者に敬意を表し、元あったと思われる場所へ掲示し直すと共に私も山頂到達に成功した記念を遺したいと思った。ショルダーバッグには常時ボールペンを入れているが、硬質のプレートには直接書けないしそもそも人様の設置したプレートに書き込むのも憚られた。そのためいずれ朽ちて無くなることを承知でメモ用紙にボールペンでステートナンバーを記載しその紙をプレートの針金部分へ結わえ付けた。

プレートには針金が遺ったままだったが、それを使って結わえ付けられる枝が見当たらなかった。プレートはある程度湾曲するので、ランダムに伸びている木の枝を利用してその間に押し込んで固定した。


私が山頂へとどまっている間は持ち堪えていたが、少し風が吹けば再び地面へ落ちてしまうだろう。もっともその状態を目撃する人が次にいつ頃現れるかも定かではないのだが…
【 山頂からの眺め 】
三角点のある場所は足元も周囲も自然の草木が伸びまくっていて、そのままでは眺めが利かなかった。最も有望そうなのは東側で、枝をかき分けて身を乗り出せば電波塔エリアよりも良い眺めが得られそうな感触があった。[14:57]


両手でカメラを保持したまま思い切り伸ばせばどうにかなる状況だったが、撮影には岩郷山の山頂地形に由来するリスクを負う必要があった。

(「岩郷山・第三次調査【6】」へ続く)

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