男嶽

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記事作成日:2018/3/16
最終編集日:2018/4/15
情報霜降山系の男山とは異なります。男山については こちら を参照してください。

男嶽(おんだけ)とは、二俣瀬区の城生原に存在する単独峰である。
写真は割坂地区の市道田の小野城生原車地線から山頂方向を撮影。


山頂部をポイントした地理院地図を示す。


男嶽は地理院地図にも三角点を持つ山として認識されるものの、山の名称そのものは書かれていない。しかし男嶽という名称を伴った登山口標識柱が数ヶ所知られている。
山岳名としては男嶽であるが、読みに倣ったのか御嶽という表記もみられる。また現代漢字表記で男岳(御岳)という表記もされる。ただし読みは常に「おんだけ」である。
《 山頂 》
山頂には一本のみ樹を残して周辺はすべて伐採されている。このためほぼ360度近い視界が得られる。


広範囲に遠方への眺めが利くことから、古代は見張り場のように機能していたのではないかという説がある。もしかするとこの地区の名称である城生原(じょうしょうばら)と関連性があるかも知れない。
ただし城生原の由来とも思われる城生寺跡は別の場所に存在する

山頂部にはテクノの甲石に似た伝説があるのもこのことに由来するのだろう。

360度パノラマの環境ではあるものの男嶽自体の絶対高度がそれほど高くなく、周囲の山野もかなり樹木が伸びていること、ランドマークとなるものが近隣地域に存在しないことから現在地を実感できるような眺めは得づらい。

北の方に鷹ノ子山が見える。起伏がそれほど大きくない山野が広がるためまるで樹海のようである。


人工物では国道2号沿い今坂峠にあるホテルの赤い建物、東はテクノで現在建設が進められている工事現場の高所機械が見える。

南は日の山と阿知須のきららドームがかなり目立って見えるが、殊に日の山はあいにくちょうど送電鉄塔が中央に被った状態で視認されるのみである。


西の方は地理院地図でも分かるように標高のある部分がやや長く尾根を引いているため眺めは殆ど利かない。

山頂には標識柱があるのだが、永年更新されておらず半分以上朽ちており何が書かれているかも分からない状態である。現在は標識柱そのものが折れて山頂周辺に転がっているのみである。
写真は2015年春の状況


この標識柱には「源平合戦で敗れたある人物が武具を解いてここで休んだときのかぶとが石になった」云々の伝承が記載されていたようだが、現在は朽ちてまったく読めない。
その伝承の元となった目立つ石が山頂付近に転がっている。


この石の近くは墳墓のような土まんじゅうがみられる。

また、山頂から眺められる山々を解説する目的で設置したと思われる鉄板のペイントが2枚存在するが、いずれも経年変化が酷く文字も絵もまったく読み取れない状態になっている。


この他に二俣瀬村時代に設置されたと思われる古い境界杭が確認された。
【 四等三角点 】
山頂のほぼ参考地点に国土地理院の四等三角点が設置されている。


周囲の礎石はあるが、三角点の存在を示す白い標識柱は喪われている。
少なくとも2015年春先の登山時から同様
【 ワラビ狩り 】
2枚目の写真でも分かるように春先には狭い山頂部がワラビで覆い尽くされる。これは山頂の樹木が伐採されるなど人為的な攪乱を受けた結果である。[1]

事改めて男嶽までワラビを狩りに行くこともないものだが、天気の良い日に景観目的と軽い運動を兼ねてワラビ採りに行くには好適なスポットとも言える。


家族で消費する程度ならもっと市街部に近い場所でワラビの採取地はいくらでも知られているが、友達などに分けて喜んでもらう程度の量を望むなら男嶽は好適地である。山頂部は全体に日当たりが良いので、採取に向く時期は4月上旬〜中旬である。最盛期は採取したいワラビを踏み潰さずに歩き回るのも困難な程度に生えている。

4月下旬〜5月入りしても遅く出てくる分を採取はできるが、平均気温が高い年では時期を外すとせっかく喜び勇んで訪れたものの山頂一面が既に開いたワラビで覆われる残念な状態を見ることになるだろう。


なお、男嶽に限ったことではないが、ワラビの採取できる場所では大抵シマヘビが出没するので蛇嫌いな方は注意したい。
追い回さなければヘビの方から逃げて攻撃してくることは滅多にない
《 登山ルート 》
割坂地区と城生原地区からの登山コースが整備されている。地元昭和会の人々によって登山道は点検され倒木の除去や定期的な草刈りが行われている。
地理院地図ではその他の道が記載されているようだが、調べられた限りでは安泰に通行可能な道は存在しない。
【 割坂コース 】
市道田の小野城生原車地線で割坂地区から登り始めるコースで、いくつかある中で最も短時間で山頂に到達できるルートである。
写真は割坂地区にある登山口の標識。


市道田の小野城生原車地線をテクノ方面に進み、テクノ入口前の坂道途中から左折して割坂地区へ向かう道へ入る。現在は割坂地区に定住者がなく左折方向への案内看板はない。割坂地区にある一軒家までは四輪でも問題なく到達できる。通行の邪魔にならないよう市道の端に駐車可能。この辺りの標高は概ね75m程度である。

標識柱の傍より山手に向かうあぜ道のような登山道を進む。隣接してチェーンの張られている未舗装路は私有地なので立ち入らないようにする。前半部は殆ど高度を変えない山歩きの道で、途中に水で浸りがちな小さな沢を横切る場所がある。
足が沈み込まないように丸太が数本沈められている

山裾の下まで到達したところで折り返す形で始まる登山口と標識柱がある。
折り返し地点の先端より撮影…右側が山頂方向


なお、この標識柱では折り返す正規の登山道とは別にここから沢登りする経路が近道として案内されていたようだが、現在はまったく通行実態がない。国土地理院地図にも反映されていないので、過去に近道として通行されていたものが喪われたようである。現地を調査した限り踏み跡もまったく確認できなかったので、再整備されないうちはこの近道方向に進攻しないことを勧める。
足元がまったく見えない程度に草が生えているため危険である

男嶽は典型的な霜降山系の岩石質である。途中に真砂土がぽろぽろ崩れて滑りやすい急坂が2箇所あり、両手を空けておかなければ登攀が難しい。それ以外に難しい場所はなく、割坂地区より徒歩で概ね15分程度で山頂に到達する。初心者向けであり散歩がてら登れる山といったレベルである。
【 城生原コース 】
市道田の小野城生原車地線の起点付近に男岳を案内する標識が出ている。


地理院地図では城生原の集落より登山道が伸びている。その辺りの標高は45m程度であり、割坂コースに比べて歩く距離は倍程度になる。
全コースはまだ歩いていないが、山頂からは城生原地区へ降りる安泰な道を途中まで確認できている。
《 その他の注意 》
・市道田の小野城生原車地線は割坂地区の最後の一軒屋より先は急激に狭くなっている。これより更に北へ進むと山陽新幹線の下をくぐり右は山中、左は二俣瀬ビオトープの横を通って車地まで抜けられるが、この区間の通行実態が少ないため沿線の草刈りなど道路維持は殆ど行われていない。離合不可能な狭い道が延々と続き、季節によっては軽四でも両側から繁茂する木の枝で車体を擦りながらの通行となる。四輪の通行は禁止されておらず物理的通り抜けは可能なものの自己責任となる。この区間の四輪走行はなるべく行わないことを推奨する。
徒歩や自転車では問題なく通行可能
Facebookのタイムラインに投稿された本総括記事への更新通知。
外部リンク: FB|更新通知(2018/4/15)
出典および編集追記:

1. 同様の理由で最近造成されたり送電鉄塔が建てられたりした領域にワラビが居着く傾向がある。
《 近年の変化 》
・二俣瀬校区内にある郷土関連の案内板や標識柱が更新されたようで、割坂地区にあった男嶽の登山口標識柱も説明が付属するものに更新されている。


冒頭の写真のように男岳と記載されていたものが新しい標識柱では男嶽(御嶽)と書き換えられている。ただし登山道途中の案内や山頂部の看板類は更新されていない。

・割坂地区に存在する一軒家は居住者がなく永らく廃屋のようになっていたが、近年の空き家再活用(リノベーション)の流れを受けてか改修または再居住する動きがある模様。伸び放題だった庭の雑草がきれいに刈り取られ、戸建て民家の壁に車地荘の表札が掛かっていた。
単純な一個人の再居住の可能性もあるので写真掲載は割愛する
《 地名としての男竹 》
近隣地域の字名としては、男竹(おんだけ)という表記で知られている。地名明細書では善和村の城生原小村に瀬戸路(せとろ)という小字が存在し、その配下の小名として男竹として収録されている。ただし善和区の耕地字図では男嶽と記載されており、後年作成されたと思われる小字図では男嶽の他に上男嶽下男嶽の派生小字が記載されている。

山岳名は男嶽であり小字としても男嶽の表記があることから、地名明細書にみられる男の異表記は単純に音を借りたものに過ぎないと考えられる。川上の男山地区のように、当該山岳が見える離れた地域が山岳の名を借りて地域名にしたのだろう。

男(おん)と女(めん)はしばしば地名において険しいもの、嫋やかなものとして表現される。滝や岩などでは対になって登場することが多いが、地名ではそのような現象はあまりみられない。
現状の男嶽は外観も岩質などからも雄々しい様子はあまり感じられない。古代の合戦に関する伝承もあり、武勇について山岳名と共に生じた伝承地名かも知れない。
《 個人的関わり 》
野山時代を含めてそれ以前はまったく関わりがなく、山としての認識もなかった。善和地区に永く住む親父も男嶽の存在自体を知らなかったと言う。鍛錬遠足などでも登っていなかったようである。

2015年5月に登ったのが初めてである。このときはハイブリッド方式を援用して自転車で割坂地区まで訪れていた。地理院地図に名称がないものの市道田の小野城生原車地線の起点付近に男嶽を案内する標示板を見ていたので山の名前だけは分かっていた。山頂に三角点があるため、それを題材にすると共に山頂からの眺めがどれほど利くかを調べる目的だった。このとき山頂一面に葉が開いてしまったワラビが生えていたことから、時期を早めればワラビが採れると考えて翌年の春に採取に訪れている。

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