赤崎の児童公園

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記事作成日:2018/7/12
最終編集日:2018/7/12
ここでは、西琴芝2丁目にかつて存在していた小さな公園について、赤崎の児童公園として記事化する。
写真は遊具類が存在していた頃の様子。


この公園の位置を示す地図である。


現在の所在地表示では西琴芝2丁目になる。しかしこの遊具類が設置された当時はこの辺りを赤崎と呼んでいたことが確からしいので、仮称ながら赤崎の児童公園と題している。この地名に関しては #地名としての赤崎を参照。

後述するように、この記事を作成する現時点で既に公園の遊具類は存在しない。地図では公園などを示す緑色で彩色されているが、いずれ変更されるだろう。
変更前の地図表記はこちら

この公園には名称を示す標識柱が存在せず、市公園緑地課の管理する公園としても記載はない。[1]しかし遊具類が草むらに埋もれるようになってからも定期的に草刈りされていたことから、自治会の土地に造られた公園と思われる。

公園は武道館の裏手にある沢地の先端部を利用して造られており、武道館よりは1m程度高い。武道館のある場所は戦後まで補助池だったことが分かっている。市街部から田がなくなった後、沼地状態だった沢地の先端部に土砂を入れて地上げした上で公園にしたようである。

公園の入口は恐らく東側の里道に取り付くコンクリートの下り階段である。この階段は遊具類がなくなった後も残されている。現地に確認された遊具はコンクリート製の滑り台、ブランコ、砂場、小階段のオブジェと水飲み場である。それらの詳細は後続の時系列記事を参照。
《 記事公開後の変化 》
2018年の7月に公園横の里道を通ったとき、この場所にあった遊具一式がすべて撤去されていることが分かった。


滑り台のあった場所は僅かに痕跡が分かる程度にまできれいに片付けられていたことから、この場所を何か別の用途に使うために撤去したものと思われる。
これに伴い総括記事を作り直し、以前公開していた記事を時系列記事に降格した。
遊具類を調べたときの時系列記事。以前公開していた総括記事と時系列記事を併合して全2巻としている。
時系列記事: 赤崎児童公園(仮称)【1】

遊具がなくなっていることを示したFBページへの投稿。
外部サイト: 「FBページ|2018/7/12の投稿
《 地名としての赤崎について 》
赤崎(あかさき)と呼ばれる小字は市内に複数箇所存在する。この公園のある付近では前面の産業道路よりも一段高くなっている領域が該当する。
写真はこの公園近くを通る里道に立っている電信柱に取り付けられたプレート。


同名の小字が旧市立図書館の南にも存在していた。[2]現在の新川保育園のある辺りが赤崎だった。この他にも赤崎と呼ばれる場所があるかも知れないものの、この2ヶ所のみにおいても昔の海に張り出した場所という共通点がみられる。現在においてここが浜辺などと想像も困難だが、本記事にある児童公園で滑り台の後ろにある沢地の先端部の地形は、沖の山の砂州を迂回して海水が入り込む小さな入江だったと考えている。[3]

一般に、地名の赤崎や垢田に共通する「あか」とは、露出していた土の色という率直な解釈と、水そのものを意味するという解釈がある。仏様にお供えする水は閼伽(あか)と呼ばれるし、小舟に浸水してくる海水はしばしば漁師たちによって「あか」と表現される。この類似性についてラテン系の aqua との関連を指摘する説もある。
ただし個人的には些か付会のようにも思われる

崎「さき」はそのまま海に向かって突き出ている陸地部を示す。これは赤崎に限らず市内の近辺においても尾崎、山崎、清水崎などとごく一般的にみられる。この意味で赤崎は地勢を率直に表現した地名の典型例と言える。
出典および編集追記:

1.「宇部市の都市公園一覧」には西琴芝2丁目が所在地となる公園は収録されていない。

2.「琴芝小学校 三十周年記念誌」p.31〜32

3. 昭和12年制作の宇部市街図ではこの沢地は沼ないしは湿地帯として描画されている。
《 個人的関わり 》
西梶返に住んでいたとき、市役所へ立ち寄った後にアルク琴芝店で買い物をするときこの横の地区道をよく通った。そのときに見つけた公園である。写真は最初に撮った一枚。


初めて見つけた時期は恐らく最初の撮影を行った2012年と思われる。

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