開児童公園

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現地撮影日:2016/11/18
記事作成日:2016/11/20

情報この記事は開1丁目にある児童公園について記述しています。
開2丁目北にある墓園については こちら を参照してください。

開児童公園は、開1丁目にある市公園緑地課管理の公園である。
写真は公園の標識板。


この公園の入口を中心にポイントした地図である。


公園の表示板は開児童公園となっているが、正式名称は開街区公園である。[1]もっとも街区公園なんて言い方は公園の機能や規模などによる区分で、そのまま標識柱などに記載されていることは少ない。過去の記事でも標識板にあるままを記事名にしているので、ここでも開児童公園としている。

さて、この公園だが…当初から記事化を目的に訪れたのではない。別の公園を探している過程でまったく偶然に見つけたのだった。そこで今の時代からすれば面白いものを見つけたので記事化した次第だ。

公園の入口。
かなり急な傾斜地の中ほどに造られている。下の道から自転車を運ぶのに押し歩きが必要だった。


公園の表示板。昭和54年11月だから私からすればそれほど古い公園とは言えない。


しかし平成の時代も進んだ今なら40年近く経っているのである。昭和の後期らしき特徴というほどでもないが、ここにも擬木(ぎぼく)の素材が使われている。実態はコンクリートなのだが、樹木の節や木目を表面にあしらって自然素材らしく見せるものである。同様のものは例えば丸山公園にもみられた。

この時代以前の公園は、擬木という素材そのものが見当たらない。例えばベンチなどもコテコテのコンクリート素材であることが多い。高度経済成長期真っ只中で、多くのものが木製からコンクリートに置き換わっていく中、高度経済成長期に付随した公害や自然破壊が唱えられがちになれば、再び木の良さを見直そうという動きもあった。しかし自然の丸太だとコンクリートよりも高額で耐久性にも劣った。そこで表面に樹木らしいデザインを施したコンクリート素材が誕生し、それが擬木と呼ばれるものである。現在もまだあちこちの公園などに見られるものの、新規に設置されることは殆どない。このような素材やデザインの選定は、公園が造られた時期の流行といったものが結構大きな要素となっている。

自転車を置いて公園に入ってみた。
子どもがソフトボールで遊ぶにはちょっと狭い。精々ろくむし程度だろうか。


奥から公園入口方向を撮影。出入口の横にトイレがある。
スツールが4基置かれているが、これを撮影したときは既に写っている奇妙なオブジェの存在に気づいていなかった。


それと言うのも公園に入ったときからこの巨大な塗り壁に目が留まっていたからである。
コンクリートの滑り台のようなもの。さてこれは一体…?


傾斜地の中腹という立地を生かして、その斜面にコンクリートを流し込む形で造られていた。
傾斜はほぼ45度で、両側に小さな手すりと石の埋め込まれたスロープがある。


どう見てもこれはコンクリートの滑り台のようなものであろう。滑り台のように遊ぶには冒険慣れしていない現代の子どもには危険であり得る。45度傾斜の一番下はそのまんまの角度で地中に潜っており、地面に接する部分に砂が敷かれているわけではない。そのまま滑ると足にかなり衝撃がかかるだろう。もっとも摩擦力があってそんなに勢いよく滑り降りることはないのかも知れないが。
両側にあるスロープに埋め込まれている石は、それを足掛かりに昇降するためのものだろう。3m近い高低差がありながら正規の階段は設置されていない。現代なら階段がないなんて…とか言いそうだが、公園が造られた昭和50年代に遊ぶ子どもたちならこれで充分だった筈だ。

そのスロープを使って段差の上にあがってみた。
大人でも結構な高低差だ。


上の段から振り返って撮影。
このときになって初めてあの奇妙なオブジェの存在に気づいたのである。


これって、あれだよね?


平成期に遊ぶ今の子どもだって一度くらい目にしたことはあるだろうか。もっとも幼稚園入り前の小さな子どもを遊ばせるなら、その親だって実物を見たことがなく、変な形のチェアーだねって答えもあり得るのだろうか。

固定回線の電話をお持ちの家庭はまだかなり存在するも、この形の受話器を備えた電話は絶滅危惧種である。そもそも街中の公衆電話ボックスですら少しずつ減っているようだ。ここにオブジェとして置かれているのは、紛れもなく赤電話の受話器である。赤電話の存在は知っているが、既に今では絶滅している。そう言い切ってもいいだろう。少なくとも私は市内の何処にも目撃したことはない。
もし市内で現役使用されている赤電話があったら撮影しに行きたい位のレベル

オブジェから若干離れる方向に歩いている。
そこにコンクリート基礎らしきものを見つけた。


これはさすがに意味あってわざわざ設置したものではないだろう。
元何かがあったのだが、撤去して基礎だけが残ったに違いない。それが何であったかは想像もできないが…


この他には園内ざっと見回した限りではブランコや鉄棒など普通にみられる遊具のみだった。
その中でも傾斜地がちな開地区という特性を生かしたこの擬似・滑り台が興味深い。


これって滑り降りるとどうなるんだろうか。まあ大人と子どもでは状況が異なるとしても。

カメラを構えたまま実際に滑り降りてみたときの状況。
動画モードでお届けする。

[再生時間: 14秒]


やはり…普通の滑り台とはわけが違った。
通常は衝撃を和らげるために落下地点に砂場があるか、造り付けの滑り台ならダムの放水路のように着地地点近くのスロープが緩やかになっているものだ。ここは本当に45度の角度でそのまんま地面に向かっているものだから、スニーカーの裏で減速させながら滑ったものの着地時には衝撃でよろめいてしまった。
実演者のバランス感覚や体重および筋力に問題があるという話もあり得る…

去り際に再度撮影。
受話器といいコンクリート打ち放しの擬似滑り台といい、昭和後期らしい風景の香る公園だった。


今思うに、オブジェとして置かれた一対の受話器・送話器は、もしかすると単純なオブジェではなく実際に「使用可能」ではないだろうか。耳に当てる部分に小さな穴が開いている。実は上と下の受話器・送話器が繋がっていて、何かしゃべれば相互に声が聞こえるのかも知れない。
実際、この記事に先立ってFBで写真を載せたとき、そのような仕組みになっているとか、同じものが他の公園にも設置されているのを見かけたというコメントがあった。[2]

この公園について更に編集追記するあては当面ないだろう。そのため総括記事だが時系列レポートのように記述した。
出典および編集追記:

1.「宇部市|宇部市の都市公園一覧」による。

2.「FB|2016/11/19のタイムライン(要ログイン)
《 個人的関わり 》
何もない。開地区の未だ訪れたことがない場所を自転車押し歩きで徘徊する過程で偶然に見つけたものである。このときは(地名の明示されたものを見つける目的で)赤松公園を探していた。

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