丸山公園

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現地踏査日:2012/9/9
記事公開日:2012/9/11
情報この記事は亀浦にある丸山公園について記述しています。
宇部丸山ダム下にある公園については こちら を参照してください。

丸山公園は市道丸山黒岩小串線の起点付近、亀浦にある小さな公園である。
位置図を下に示す。


亀浦に県道宇部空港線から海側に分岐する細い道があり、丸山公園はこの道に接している。
道路面より一段高い丘の上にある公園だ。
立てかけてある小さな看板はバス転回所につき駐車禁止を知らせる案内


公園入口には道路に向けて古めかしい表示板が設置されていて、昭和54年12月と読み取れる。


私が初めて丸山公園を訪れたのは3年前のことで、県道宇部空港線を逸れて自転車で鍋島方面に向かうこの細い道をゆるゆる走っていて気が付いた。この公園表示板を見つけたとき最初に発した言葉は、
ここだったのか…
だった。

それまで私の頭の中には「丸山公園」というキーワードは別のものに結びついていた。一定年齢から上の世代なら分かって頂けるのだが、丸山公園行きの市営バスである。丸山公園が何処にあるか知らなかった当時の自分は、未知の公園に向かうバスの筆頭だった。
書くと長くなるから市道の横話記事にまとめよう。
派生記事: 丸山公園行きの市営バス
丸山という地名は現在では亀浦に統合され地図には現れない。しかし市道の路線名をはじめ、丸山公園バス停として今にその名を伝えている。

擬木の階段は緩やかだが段差がそのまま露出しており、自転車を連れて行ける仕様になっていない。
ここに留め置いて歩いて行ってみた。


擬木(ぎぼく)とは表面を丸太のような模様をつけた石材やコンクリート部材で、灰色の素っ気ないコンクリート柱よりは洒落ていて周囲に調和するということで、一時期は公園や河川の柵に多用された。どちらかと言えば現在ではやや流行遅れな古い感じの素材で、新規設置はあまり見かけなくなった。景観にそぐわないとして否定的に捉える意見もある。[1]

スロープに設置されたこの擬木階段が当初からあったものかは判然としない。ただ、現代社会が公園に求める役割や機能からすれば、満足のいく状態にはほど遠い。


それと言うのも擬木の設置間隔が人間の歩幅にまったく合っておらず、歩きづらいからだ。当初は土が盛られていたのだろうが、現況は内側の土が痩せて擬木が剥き出し状態だ。歩く上では階段ではなくただの障壁になっている。現代なら車椅子でも上がれるようスロープにするのがセオリーだろう。
後述するように丸山公園は先々でなくなってしまうのではないかと懸念する

公園の奥から撮影。
頂上部は真砂土の広場になっていて、周囲は木が植わっている。
木の葉は散っているがゴミが落ちていない。遊びに来る子どもは居ないのだろうか…


時代を感じさせる丸太の半割に似せた擬木のベンチである。
植樹帯の縁取りも擬木セットだ。


周囲より一段高い小山になっており、公園を囲う柵も擬木だ。
公園設計者の趣向と言うよりもこの年代の素材の流行りと言うべきだろう。


最初期の公園に用いられる素材はコンクリートや自然石が目立つ。昭和20年代後半に造られた宮大路南児童公園の外周に造られた自然石とコンクリートによる囲障で特に顕著だ。
昭和中期以降暫くはコンクリートの時代で、周囲は素っ気ない建築ブロック塀にベンチはコンクリート製の巨大な下駄のような形状が目立っていた。当時は外観よりも耐久性が重視されがちだったし、地べたに腰を下ろさず座れる場所があるだけで歓迎された。
その後景観との調和が重視され始めて擬木など自然素材を模倣した資材が考案された。現代では軽くて丈夫な新素材をはじめ、汚れにくいとか怪我の心配を考慮したものが導入されている。そう広くもない公園なら使う量は限られているので、価格は張っても自然回帰志向で本物の木材を使用する例も多い。

園内に遊具は2つあり、そのうちの一つはロープで造られたジャングルジムらしきものだ。
支柱と横の梁は本物の丸太である。この構造を保持するならさすがにコンクリート柱では造らないだろう。
あるいは撤去された木製電信柱の再利用かも知れない


もう一つが素朴な木柱だ。
無造作に切れ込みが入れてあり、足を掛けて登れるようになっている。しかし素朴過ぎて現代っ子が使いこなすには相応な技能と勇気が要るだろう。


公園の奥から降りる階段があった。
前回来たときはこの先まで降りていなかった。


至る所松ぼっくりが転がっている。
街中では松そのものの絶対本数が減ったのか、松ぼっくり自体あまり見かけなくなった気がする。


降りた先は踏み跡のある草むらで、隣接する亀浦公園に繋がっていた。


亀浦公園がどうなっているか気になったが、自転車から相当離れることになるので引き返した。

確かにこの周辺は松が多い。昔からのものだろう。


もう一箇所、階段を上がってすぐ正面にも降りる場所があった。


同じく亀浦公園の方に向かっていたので階段の上から眺めるだけにした。
ここの擬木階段はいい仕事をしている。


遊具を背に広場を撮影。
他に擬木のベンチが数脚あるだけでトイレ、水飲み場などはない。


その他にはこれといったものはない。地面はよく草取りされているがひっそりとした公園だった。

自転車を市道に留守番させていたので引き返す。
施錠しないまま公園の裏手の方まで歩いていたので、ちょっと心配だった。


この階段のすぐ近くに自然の露岩が土を被っていることに気付いた。


公園の装飾のためにわざわざ大きな岩を運んできたとは考えがたいので、築山を造って公園にしたのではなく元から地山だったらしい。丸山という地名の由来そのままだったように想像される。

この公園へ遊びに来たことは恐らくなかったと思うが、存在は認識していた。かつてまだ鍋島が存在していたとき公園下のこの道を通っていた。あるいは一度くらい園内に入ったことがあるかも知れない。ただ、小中学生時代ここまで来ることがあるなら、ほぼ間違いなく行き先は鍋島か海辺だった。公園で遊ぶことがあったにしてもその多くは草江児童公園だった。

見たところかなり寂れた公園の様相を呈しているが、もしかすると丸山公園はなくなってしまうのではないかと思う。それと言うのも隣接して亀浦公園の整備が進んでいるからだ。[2]まだ整備途中のせいか亀浦公園の県道に面した入口は閉鎖されている。公園の機能が異なり利用者が使い分けるならまだしも、普通なら既存の公園に隣接して新規に造らないものである。
目と鼻の先に宇部空港の広い公園もあるというのに…

今はまだ詳しいことを知らない。亀浦公園が整備完了すれば一度訪れてみようと思う。その頃には何か新しいことが分かっているかも知れない。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 景観破壊|擬木での対応

2. 本文ではこのように書いているが、丸山公園(正確には「丸山街区公園」)は市公園緑地課の管理する公園でありなくなることはないと思われる。本公園がありながら隣接して亀浦公園が作られたのは、代替えするためではなく元々ごみ処分場としての埋め立て地であった場所を整備しグラウンドと共に有効利用したためである。後年造られたためトイレや手洗い場が備わるなど丸山公園よりは整備が進んでいる。(2015/8/16)
《 記事公開後の変化 》
2015年1月に訪れたとき、丸山公園の標示板が壊れ落ちているのを確認した。[2015/1/18]


2016年の春頃、既存の遊具を更新するのに合わせて崩れ落ちた標識を撤去し階段の横に新しく「丸山街区公園」と書かれた公園柱が設置されている。


したがって記事にあるような木製の遊具類は既に存在しない。
擬木の階段や柵などはそのままになっている
《 地名としての丸山について 》
記事作成日:2016/7/1
市内に丸山(まるやま)という小字はいくつか知られる。地名として最も知名度が高いと思われるのは本編で取り上げた丸山街区公園に由来する丸山である。現在は亀浦5丁目になる。以下ではその場所に存在した丸山について記述している。

市営バスの行き先にもなっていた程度に知名度を持つ丸山だが、小字としての丸山は早期に統廃合されたようで後年の小字絵図にはみられない。地名明細書には円山(まるやま)として掲載されている。

明治期の郷土誌には鍋島を含めて円山の松が知られ、亀浦海岸風致地区として大変に景観の優れた場所だった。江戸期頃から風光明媚なこの地は別荘地として愛されてきた。[1]ただし現在は亀浦沖の埋め立てにより海岸線が沖合まで移動していて昔の景観はない。

初期には円山と書かれていた地名の由来は、そのまま沖合に突き出た地勢を形容したものと思われる。現在の県道宇部空港線は円山の岬部分を堀割で通過しており、丸山公園前バス停より50m程度東側にその場所が観察される。
出典および編集追記:

1.「ふるさと恩田」(ふるさと恩田編集委員会)p.90
《 個人的関わり 》
小学生時代、高台のような場所から海に向かって松ぼっくりを投げた記憶があるのだが、それは鍋島ではなく丸山公園の海に面した側だった可能性がある。現在では想像するも困難だが、昭和49年度の航空映像を眺めると丸山公園のすぐ裏側が海に面していたことが判明したからだ。
この公園で遊んだことは一度くらいあるかも知れないが、記憶はない。(2012/9/20)

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