見初児童公園

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現地撮影日:2015/7/26
記事編集日:2015/11/12
見初(みぞめ)児童公園は松山町3丁目に存在する市公園緑地課管理の街区公園である。[1]
写真は公園入口前から撮影。


公園入口をポイントした地図を示す。


入口はこの一ヶ所だけで、市道芝中岬小学校線に面している。

この公園を訪れたのは大袈裟に言って私にとって生まれて初めてのことだった。それほど著名な児童公園ではないし、もの凄く刺激的なネタが眠っていたという訳でもない。しかし久しぶりに公園の記事を新規作成したのは、お座なりに総括だけ作っておこうという思いつきではない。それなりに興味深いものが見つかったし、また如何にして観察するかの一つの手順を示すモデル的案件になり得ると考えたからだ。

最近「道路とか河川とか一見ありふれて見える題材からどうやってネタを引っ張り出してくるのですか?」という問い合わせをよく頂く。どうやるかと問われれば現代より明らかに古いものがある何処かの場所に行き、よく分からないものや普通でないものを観察によって見つけ出し、客観的データ(ここでは写真や動画)を採取し、それまでに自分が見てきた他の類似物や書籍などの知識と脳内の推論を文字データにコラボさせ出力する…という作業になる。このうち何処に着目するかが最も重要だろう。今後この公園の追加記事を作成するとも思えないので、ここでは総括ながら現地を見てきたそのまんまの時系列記事として記述する。

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現地撮影を行った2015年の7月26日がどんな日であったかは今ここで書いておかないと後からでは思い出せないことだろう。発生してひとたび消滅し、再び息を吹き返し九州方面に向かうという最近ない奇特な台風12号の訪れる前日だった。[2]風は強いが天気はそれほど悪くなく、日差しは充分に強くて喉が渇いていた。自転車で空港方面を周り、さてそろそろアジトへ帰ろうというところだった。

国道へ出ようとして殆ど車も通らないこの細い道を自転車でノロノロと走っていた。このとき初めてこの公園を目にした。こんな場所に児童公園があったんだ…

公園には大抵トイレや水飲み場が備わっている。特に暑い時期は熱中症対策の給水が必須だが、近場周りのネタ採取のときはペットボトルのお茶を携行せず公園での給水を頼ることが多い。このときも自転車で走りながら園内を見回したが、敷地内の殆どが草地で遊具も2種しかなく水飲み場は見当たらなかった。まあ小さい公園ならよくあることで、仕方ないか…と思ってそのまま走り去りかけた。
最後に振り返って一瞥を与えたとき、公園の敷地内に設置されていたあるものに反応し、自転車の向きを変えて冒頭の一枚を撮影したのである。
それは一枚目の写真に既に写っている

その「気になるもの」を確認しに向かう前に何という公園かを記録しておかなければならない。
市道に面した入口にかつて民家の入口によく見かけたスタイルの門柱があって、そこに公園名を記した石盤が設置されていた。


見初児童公園 昭和16年度竣工となっていた。
何と戦前である。文字は何度か墨入れされたらしく公園名の部分はまだ黒々としていた。


まだ市内すべてを調べたわけではないが、竣工年月が明確に分かっている公園としては古い部類だろう。
このスタイルの門柱は昭和中後期によく見かけた記憶がある。かつて我が家もこのタイプの門柱があった。戦前からこんな化粧ブロックなんてないから、石盤は当初のままで門柱だけ造り替えたようだ。

自転車を押して押し歩きする。
何に気づいて反応したかは…この写真なら分かるだろう。


じゅうたんのような草地の目立つ敷地奥に石碑がみられる。
もしかしたら何か由緒あるものなのかも…という気になったのだ。


その石柱は草地へ直接建っていたのではなく周囲をコンクリートに固められたエリアに設置されていた。


横から見たところ。
石碑をコの字型に囲むこれは一体何の意味があるのだろう…


石碑を丹念に調べた。
西日が当たって確認しづらかったが、それでも四方のどの面にも何も刻まれていなかった。


何の情報も与えない石柱もむしろ珍しい。普通なら御大典記念とか設置年月や当村中など設置に係る情報が刻まれているものである。
大事なものだからキチンと周囲をコンクリートで固めたのだろうが、肝心の石柱が無言のまま建っているとは…上下2ヶ所に小さな穴が空けられているので、町内の祭りなどで幟を固定するとき使う汎用の石柱といったところだろうか。国旗掲揚台のようにも思えるが、周囲に竿などの痕跡はなかった。期待していた分だけちょっと肩透かしを喰らった。

せっかく来たからにはもう少し周囲を観察してみよう。
公園の縁を作っている石積みの塀にちょっと怪しいものを見つけた。


ベンチの後ろにある補助階段のようなものである。


この年代に特徴的な自然岩の塀にくっつけてコンクリートの踏み台のようなものが造り付けられていた。


この塀自体は市内の古い公園にはお馴染みのものであろう。東本町公園宮大路南公園などにもみられる。
踏み台状のものは恐らくそのまんま塀を越すための階段だろう。特にこの場所に隣接する敷地と公園との往来需要があって、塀を壊すことなく出入りできるよう後付けされたようである。この自然岩の塀よりは後だろうが踏み台そのものも相当に古い。

先ほどの石碑との位置関係。


見ての通り園内は浅く伸びた草で覆われていて、あまり頻繁に子どもたちが訪れるような公園ではないかも知れない。遊具も定番のブランコと滑り台があるだけだった。

先ほどの石柱の横にも踏み台コンクリートに似たような後付けされたものを見つけた。
塀の外は民家の敷地なのであまり詳しくは調べられないが…


小さなコンクリート柱のようなものが石塀の上に造られている。
何となく市の設置する境界杭に似ている。


本当に境界を意図して塀の上に設置されたのかも知れないが、文字はなかった。
橋の欄干のようであり昔の常盤池に設置されていた柵みたいでもある。


園内には他に滑り台がみられるだけだ。
外側を囲む独特な自然岩を使った塀も遺っているのは半分だけで後はブロック塀になっていた。


そのブロック塀にも奇妙な造りが。
近くまで行って撮影するのも大儀だし私有物かも知れないのでズームで撮影しているが…民家の裏庭に対して門柱のようなものがあり、板で塞がれていた。


塀の素材もコンクリートレンガを積み上げたスタイルで、オリジナルの自然岩よりは新しく建築ブロックよりは古い。当初民家がなくこちら側からも公園に出入りできていたのではと想像される。

さて、帰るか。
西日がまぶしい。結局、ここで水分補給することは能わなかった。


もっとも喉カラカラでへたばりそうな程ではなかったし、アジトへ帰るまでにこういった街区公園はいくらでも見つけられる。徒歩なら真剣に給水手段を考えるが、この点自転車だと短時間で移動距離が大きいから市街地のネタ探しは楽なのだ。
徒歩だったら引率を兼ねたツアーでも今の時期はさすがに気乗りしない

自転車に跨がって国道190号方向へ走り始めたとき…今頃になって気づいた。
園内のあんなところに水飲み場があったのか…


ペリカンらしき鳥が上を向いて嘴を広げていてその中に蛇口が格納されている。


コックを回して上に水が噴き出るタイプのはよく見るが、陶器製と思われるペリカンの嘴の中に設置するという意匠が面白い。このタイプのは初めて見つけた。
舞い戻って撮影することも給水もせず道路側からズーム撮影するにとどめた。喉の渇きは許容範囲だったし、後付けされた水飲み場だからなくなりはしないだろう。

さて、冒頭で書いたようにこの公園に個人的関わりは何もない。ここに設置された諸々の興味深いものについて何か判明したなら追記するだろうが、恐らくこの総括のみで完結することになるだろう。
見初という地名の由来について。
派生記事: 見初について
FB版「宇部マニアックス」ページに掲載された見初児童公園の記事。(要ログイン)
外部ページ: FB|2015/7/28の投稿
出典および編集追記:

1.「宇部市の都市公園一覧」による。
公園入口にある標識柱の名称は必ずしも市公園緑地課の公園分類名に一致しない。本記事のタイトルは標識プレートの名称に合わせている。

2. 本編に書くと長くなるのでその後の動向だが、台風12号はその後次第に勢力が衰えて日付の変わる前、九州上陸を前にして熱帯低気圧となっている。風が強かったのは26日くらいで翌日は弱風の晴天だった。

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